第8話


 NONBIRIの店内は不思議な雰囲気に包まれていた。カウンター越しに対面する二人の男女。いまだそれといった会話など発生していなかったが、その雰囲気はどこか甘さを醸し出していた。方や店の隅の席では、なぜか相席しているスキンヘッドとおじいちゃんが、こちらも特に会話などはないが、チラチラとカウンターのほうを盗み見、聞き耳を立てるのであった。


 チカは、カウンター越しにコーヒーを出しながら、会話を切り出した。


「……ん、どうぞ…。やっぱ………当たったね、直感…」


 雛乃は、「ありがとう」と言いつつ、少し恥ずかしそうに頬をかいた。


「あはは…。さすがにこんなに早くまた会うとは思ってなかったから、なんだかさっきは恥ずかしいこと言っちゃったみたいだね、私」

「…恥ずかしいの?」

「ほんのちょこっとだけね?」


 恥ずかしさをごまかすようにウインクした雛乃は、「…こほん」と咳ばらいを一つ。改めて話題を切り出した。


「ところでチカ君、入学式はちゃんと行った?」

「…あー。ん、ホームルームだけ…だったけど、行った…」

「よし、だったら良かった」

「……ん。」


 会話が途切れそうになったタイミングで雛乃は、小さく手をあげた。


「じゃあ、はいっ。質問いいですか?」

「……ん、どうぞ」

「ここは、チカ君のバイト先ってことで合っていますか?」

「……ん、正解」

「いつからここで?」

「…正式には、こないだ……けど、手伝いは、ずっと昔から」

「へ~!じゃあお家もこのあたりなんだ?」

「…ん、すぐそこ」

「ふむふむ。景色もいいし空気もいいし、最高だね!」

「…ん、まあね……ひなは、なんで?」


 雛乃はコーヒーにミルクを一滴たらすと、マドラーでゆっくりとかき混ぜながら「ん~」と少し考えこむのであった。


「…ねぇチカ君はさ、URBANMODEって知ってる?」

「……しらない……まだ、習ってないや……」

「ふふっ、まだ習ってなかったか~」


 雛乃は心なしかうれしそうに笑った。


「あのね、URBANMODEってファッション雑誌があるの」

「…ん」

「その雑誌でね、ちょこっとだけ…モデルさんのお仕事をさせてもらってるの、私」

「…へー」

「その雑誌の撮影でね、来てたの。今は休憩中なの」

「…ふーん……なんか、すごいね」

「あはっ、すごいねって、あははっ!チカ君、全く興味ないでしょ?」

「……あーっと…ごめん。よく…わかんないから」

「ううん、いいよ。こんな反応初めてだから、とっても新鮮で楽しいよ」


 雛乃にとってチカの反応は、本当に新鮮であった。そもそもURBANMODEというファッション雑誌はかなり有名な大手雑誌なのだ。その中でも花咲雛乃と言えば、女性すら憧れる容姿にスタイル、ショーモデルとしての技術力を評価されている人気モデルであり、若者の間ではかなりの支持を誇っているインフルエンサーなのである。

 

 有名税という言葉があるように、多少仕方がないことではあるのかもし、贅沢な悩みというものもいるかもしれないが、好奇の視線にさらされることや色眼鏡で見られること、何をするにもそういったものを感じるようになってしばらくたつ雛乃にとって、自分の存在すら知らないチカは、新鮮なだけでなく興味を惹かれる対象としても十分なのであった。


 初対面の時点でのチカの言動や反応から、もしかしたら知られていないと淡い期待を抱いていたが、それが確信に変わった今、嬉しい感情が湧き上がってくるのを雛乃は感じた。


「ね、チカ君」

「……なに?」

「もし私が、このお店の常連さんになったら、チカ君は嬉しい?」

「…あー、ん。うれしい、と思う……」

「じゃあ……また来てもいいですか?」


 チカは優しく微笑んだ。


「…ん。いつでも、おいで」


 ほどなくして「そろそろお仕事、戻らなきゃ」といってNONBIRIをあとにする雛乃を見送ったチカは、ずっと野次馬を決め込んでいたスキンヘッドとおじいちゃんから尋問を受けるのであった。

 

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