第5話
鮮烈な教室デビューを果たし、放課後の予定まできっちりと決まったチカは、軽くため息を吐き、教室内で唯一空いている自分の座席と思われる場所に向かおうと一歩踏み出したところで女性からストップをかけられた。
「ちょっと待て」
「……?」
女性はチカの頭の先からつま先まで何度か目を往復させた後、言った。
「あー、うちの学園はかなり自由ではある。だから髪色やらピアスやら服装に関してはまあいいとして……せめてお前、上履きとカバンくらいは持ってこい」
「……あー……うん…明日は、持ってくる…」
「はぁ、えらくボーっとした奴がきたな全く…まあいい、お前以外の奴の自己紹介はもう終わったんだ。さらっとでいいから自己紹介してから席に座れ」
チカは改めて生徒たちのほうを向くと、気負いなく喋った。
「…伏見 力……チカって呼ばれてる………よろしく」
決して大きい声ではないし、相も変わらずゆったりとした緊張感のない喋り口調で、特に大したことも言っていない。しかし、なぜかチカの声は通るのだ。水が一滴落ちるときのように、静かに響く。
ともあれ自己紹介を終えたチカは自身の席に向かい歩き出した。窓際の一番後ろ。何ともな席ではあるがそこがチカの座席のようであった。ほかの生徒たちの視線を一身に集めながら、されど気にせずに席までたどり着くと着席した。いまだに皆の視線はチカに向かっていたが、女性が手を二度鳴らしたことで意識はそちらに向いた。
「さて、改めて全員揃ったところで私の自己紹介をさせてもらう」
女性はそう言うと黒板に向かい名前を書いた。
「私は、藤井
綾子はそう締めくくると、呼べるものなら呼んでみろといった風ににやりと笑った。生徒たちは皆、綾子の言葉に聞き入り、いまだ余韻に浸っている者もいた。しかし、空気が読めない者もいた。
「…綾ちゃん………トイレ、行きたい…」
空気の読めないチカは、軽く手を挙げ、我慢してますという風に眉を寄せていた。
そんなチカに対するクラスメイト達の心の声を表すのであれば、⦅こいつ、呼びやがった⦆といったところであろう。
一方綾子のほうは、またこいつかといった呆れた表情をしていた。
「おい問題児、お前だけはトイレに行く時間が山ほどあったんじゃないのか?んん?」
「……綾ちゃん…俺はチカでいいよ。問題児は……なんか、ぴんと来ないや」
「っ、いい度胸だ。だがお前を何て呼ぶかは私が決める」
「…時間は、ん……あったんだけど…今、行きたくなったんだ……トイレ」
「おいおい、なんか会話がズレてるぞ問題児。会話は一方通行じゃないんだ」
「…ん、やっぱり…ぴんと来ない………あー、なんか、おなかすいてきた、かも…」
「だーっ!頭がおかしくなりそうだ!さっさとトイレに行って来いこのバカチカ!」
「……よし…行ってくる」
チカと綾子による、時空が捻じれているような会話に、クラスメイト達の中の数人は思わず吹き出した。やがてその笑い声につられるように、クラスメイト達は皆で笑い始めた。クラス中が笑いに包まれる中、チカは教室をさらっと出ていきトイレへと向かった。そんなチカの様子に、クラスメイト達は余計に笑い、綾子は呆れた。
「面白いな、君の幼馴染」
「バカなだけだ。バカチカで違いねぇよ」
「仲良くなってみたい」
「苦労するぜ?」
「きっと楽しいさ、そんな予感がする」
「お前さんも変わりもんか?イケメン」
「彼に比べたらみんな普通だろう?不良君」
「チッ、あいつは昔から変なのばっか惹きつけやがる」
クラスのどこかで、そんな会話が行われていた。
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