俺は一人暮らしだけど


 実家から移動すること徒歩5分。大通りから路地に入り、少し行った所に叔父の経営している二階建てのアパートが建っていた。


 俺の一人暮らしが許可された大きな理由がこのアパートの存在であった。母は最後まで難色を示していたのだが、徒歩5分という激近立地に折れてくれたのだ。


 叔父には感謝の意を込めて挨拶に行かねばならないと思いつつ、新しい自分の部屋しろの鍵をウキウキで鍵穴に差し込む。

 専業主婦の母がいた事からほとんど無縁だったその行為に気分を些か高揚させながら、ドアを開けた。


 まだ何も置かれていないまっさらな部屋。これから家具をどこに置こうか悩ましい。


 普通ならここに運ぶ手間が入ってくるのだろうが、俺には! 超能力という! 便利な力があるのだ!

 別に力を使ったから疲れるという事も無いので、模様替えもし放題、荷物も家から持っていき放題なのだ。


 敷地内に運んでいた荷物を、超能力でふわふわと浮かせながらドアから入れていく。叔父によると入居者は社会人が多いとの事で、この時間帯なら見られる事もまあ無いだろう。


 楽に引越しできて良かったと思う反面、同年代のお隣さんという可能性が無くなったことがちょっぴり残念だ……。


 そうして、ソファーや机をこうでもないああでもないと間取りとにらめっこすること数時間。時計を見ると正午を少し回った頃で、俺は自分のお腹が結構空いてきた事に気が付いた。


「そういえば、今日から入学式まで料理の練習も兼ねて1人で生活してみなさい、って言ってたな」


 スーパーで食材を買って料理にチャレンジしてみるか、お腹が空いてしまったので今回はコンビニ飯で済ませてしまうか考えながらドアを開けると、丁度左隣の部屋から住人が出てくるところだった。


 挨拶をしようと顔を向けると、俺の目に入ってきたのはとんでもないイケメンフェイスの男だ。

 甘い顔つき、といえばこの青年の顔のことを指すのだろう。人好きのする笑顔をしており、頭髪は自然なブロンドで太陽の光を柔らかく反射している。


「おや、新しい住居者の方かな? こんにちは」


「おっおっ、おはようございます」


 綺麗な碧眼の瞳に見つめられて、おはようございますと返してしまった……。いやいや、これは仕方ないだろ。誰がこんな古めのアパートからハリウッドスターもビックリのイケメン外国人が出てくると思うんだ。


「初めまして、新しく引っ越してきた鈴木一朗です」


「初めまして。僕はクリス・レイ。気軽にクリスって呼んでね。それで、これからお昼ご飯かい? いい店を知ってるんだけど、良かったら一緒にどうかな」


「え? じゃ、じゃあご一緒してもいいですか?」


「よし、じゃあ早速行こうか」


 何だかそういう事になったらしい。俺が女ならここから始まる展開に心を馳せていたのかもしれないが、生憎と俺の性別は男で性癖もノンケなのでそうはならないが。

 しかし、それはそれとして、こんな眩しいイケメンに誘われて否と言える人間がいるだろうか、いや、いない。


 というか言われるままに着いて行っているが、よくよく見るとこのイケメン、Tシャツに下はジャージ、履物はサンダルだし平日昼間に部屋に居るということは無職なんだろうか。それとも夜の仕事なのか? もし怪しい人で壺とか買わされそうになったらどうしよう。


 怪訝そうに見ているのが分かったのか、クリスは苦笑しながら俺の疑問に答えてくれた。


「今は定職に着いていなくてね……昔は一応それなりの地位にはいたんだけど、追い出されちゃってねぇ」


「追い出された、ですか」


 追い出されたというと芸能界からだろうか? イケメン過ぎてやっかみを受けた、あるいは枕に誘われるが頑として断った末……というのは妄想が過ぎるか。

 まあいずれにしろ――


「大変そうですねぇ」


「うん、当時は大変だったよ――本当にね」


 今時の就職活動は大変そうだなという意味で言ったのだが、クリス的には昔の方が大変だったらしい。遠い目をしているクリスは大変絵になっていたので、それ以上踏み込むのもなんとはなしに躊躇われた。


 別の事を話すかと考えたところで、まだ何の昼ご飯を食べに行くつもりなのか、聞いていないのを思い出した。


「そういえば、どこに向かってるんですか?」


 学生に相応しい財布の中身なので、あまり値が張る店は遠慮したかったのだが……相手は無職だしその辺は大丈夫か。


「駅前に新しく出来たお店があってね。開店フェアということで、1000円払うとカレー食べ放題をやっているらしい」


「へぇ! カレーの食べ放題ですか!」


 食べ放題、それは育ち盛りの男子を惹き付ける魅惑の響き……。1000円で夜の分も纏めて食べる考えなら十分だろう。


「お、乗り気だねぇ〜。やっぱり食べ放題っていいものだよね。向こうにはそういうの無かったからなぁ」


「? 海外って食べ放題の店とかあんまり無いんですか?」


「うん、あんまり余裕……というか文化かな。そういうものが無い場所だったから」


 そういうものなのかと適当に相槌をうつ。何でこんなに突っ込み辛い感じで返してくるんだこの人は。


 そんな感じで雑談をしつつしばらく歩いていると、駅近くの横断歩道のど真ん中をゆっくりとお婆さんが歩いていた。

 歩行者用の信号はしっかりと赤色に染っている。いくらこの町が都会じゃないとはいえ、駅前となればそれなりの交通量はある。


 こりゃヤバいと声をかけようとしたその時、隣のクリスがさっと飛び出していくのが分かった。


 まさにあっという間の速度だった。声を出そうとしている間にクリスはお婆さんの所まで辿り着き、何事か話しながら歩く補助をしている。道路の運転手達も時々、短くクラクションを鳴らしているが、二人の存在には気付いているようだ。


 あれなら大丈夫かなと思うのも束の間、突如として一番前で止まっていた車がアクセル全開で二人の方向へ進み始めたではないか。


 距離は離れていないのでそこまで速度は出ていないが、人を轢くには充分な威力がある。


「おいっ! 危ないぞ!」


 そう叫んだのは男の人だっただろうか。俺はそれすら分からない程に集中していた。


 不自然にならないくらい横にずらせる程度に不自然にならないくらい横にずらせる程度に不自然にならないくらい横にずらせる程度に……!


 咄嗟に力を込めると、加減が難しいのは超能力でも一緒だ。弱すぎると二人はアクセル全開の車に轢かれてしまうし、強すぎると車の方をどうにかしかねない。


 鼻血が出るかと思うほど集中した甲斐あってか、車は勢いよくハンドルをきったように曲がり、ガードレールに車体を擦り付けながら止まった。


「はぁ……よかった……」


 安堵感から、がっくりとその場にしゃがみこむ。

 お婆さんは何が起きたのかよく分かっていないようで、周りをキョロキョロとみまわしている。対してクリスは片手をジャージのポケットの中に入れ、半身で構えるような仕草をとっていた。

 ポケットがよく見たら光っている様に見えるのは……きっと気のせいでは無いのだろう。


 何もしなくても実は何とかなったんじゃないか? という考えに至った俺は、どっと押し寄せる徒労感に大きくため息をついたのだった。



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