17 その時の僕たちは-a
ブラウン管のテレビは映るまでに時間が掛かる。リモコンのボタンを押すとまずプツリと音がして画面が徐々に明るくなり、やがて音声が小さく、少しずつ大きくなる。その音声はラジオより少しだけ良い言うくらいで、BS放送の音質に比べるとやや迫力に掛けた。画面の端は穏やかな丸みを帯びて、スキャンラインがジグザグに映像を横切っていた。
BS放送。
衛星を軌道上に打ち上げ、地上波ではない電波を家庭のアンテナにまで届けた。それは僕が中学生の頃の話で、まったく話が分からなかった。宇宙? 衛星? スターウォーズ?
しかし僕の家にもBS/CS放送のアンテナがやってきた。茶碗が5個載るか載らないかのお盆程度の大きさで、二階のベランダに取り付ける事になった。アンテナそのものが家電量販店で購入できた。
「どっちに向ければ受信できるんだ?」
「隣の家のアンテナと同じ方向だろう」
「なるほど、頭いいな」
僕と兄はまだ高校生と大学生くらいで、何故かアンテナを自分たちで取り付ける事になった。当時はそれが普通だったのか、あるいは何かの手違いで自分たちで取り付ける事になったのか、今ではよく思い出せない。とにかく我々は、隣家のアンテナの方向にアンテナを向けてみた。その日は冬の良い天気で、絶好のアンテナ日和だった。
「どう!? 映った!?」
「映らない!」
僕は大声をあげた。兄が二階で衛星の方向に向けてアンテナを向け、僕が一階のリビングで受信の様子を報告する係だったのだ。見慣れないテレビのBSボタンを押して、1チャンネルを押す。それが正しい受信方法であったのかは分からない。当時の我々に、説明書を辛抱強く読む、という人間らしさが備わっていたかというと、いまいち確信を持つことが出来ない。でもラジオはアンテナをあちこちに向けて最良の受信場所を探すものだし、それは衛星からの電波も同等である筈だと考えた。宇宙からこようが、東京からこようが、電波は電波だ。受信すればそれは単にデータでしかない。
「俺が今度アンテナ係やるよ」
いっこうに埒が開かない兄に、今度は僕が受信係をかって出た。テレビの前で真っ暗な画面を監視し続けるのにすっかり飽きてしまったのだ。トリニトロンに反射する虚に間伸びした自分の顔を見ているとだんだんと気が滅入ってくる。そうして僕は防寒コートを羽織り、ぐるぐる巻きにマフラーを巻いて、冷たいアンテナを持って空に向けた。何しろ真っ青な空で、遮蔽物は雲すらもなかった。目を凝らせば宇宙に浮かぶ衛星さえ見えそうな気がしたが、そんな筈はなかった。庭に水を撒いた冷たい匂いがした。犬が遠くで吠えた。
「映った!?」
その中心が宇宙に浮かぶ衛星を捉えるように、僕はあてのない空中にアンテナを向けた。空を超え、成層圏の彼方の真っ暗な宇宙に浮かぶ人工衛星を僕は思い浮かべた。
🛰
あの時、無事衛星放送の電波を捉えていたら、何か変わっていただろうか?
🛰
そうした事を思い出すのは、決まって夜中に目が覚めた時だった。隣には付き合っているのか付き合っていないのかわからない女の子がいて、大抵二人とも裸だった。時々僕からも電話を掛けて家に行ったし、稀に彼女の方から連絡もあった。僕とアカイシはゼミの新歓で偶然隣同士になり、妙に気が合った。僕達には不思議なくらい共通点があった。高校時代はパッとしなかったこと。大学生になって、何かが変わるんじゃないかと一方的で無責任な希望を健全に抱いていたこと。それでいて将来について茫漠とした、言葉にすれば本当の意味が失われてしまう種類の不安を隠し持っていること。
僕が早々にドロップアウトした後も、彼女はせっせとレポートをまとめ、講義を受けに大学へ通った。僕が暮らしているアパートから少し歩いた所にあるコンビニへ行く途中、彼女が住んでいるアパートが見えた。夜には安っぽい光を放つ蛍光灯が薄いカーテン越しに見えた。ベッドの中から二人で見上げる暗い蛍光灯とはうって変わって、それはとても余所余所しく、他人行儀で、冷たく見えた。あの部屋で彼女は一人で机に向かい、レポートをまとめたり、試験勉強をしている。あるいは夜食を作って食べている。本を読んでいる。そして僕は何もかも放り出して宙ぶらりんのまま、コンビニの安いモルタルのような味がする・味がしないパスタを温めて食べようとしている。
一度、どうしてそんなに真面目に大学へ通おうと思ったのか聞いたことがある。
「どうしてって」
彼女は首を傾げながらゆっくりと言葉を探して答えた。
「そうしないと一生このままのような気がするから」
◆
一生このままで、何が悪い?
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