14 ピングー

「ほらね、私はって言ったでしょ」


喋るペンギンのぬいぐるみを前にトネは胸を張って言った。


「何を言ってるんだ。ペンギンが喋るってだけで、敵か味方かもわからない」


ペンギンは同じ格好で立ったまま、喉をンッンッと鳴らし続けていた。


「ニンゲン、何しにきた」


小さい方のペンギンが甲高い声で言った。


「用が無いなら帰れ」


「まぁまぁ」


威勢の良い小さいペンギンを大きいペンギンが窘めた。声が低く、ノンビリと喋る。


「今はこの小さな川でたくさん魚が獲れるんだ。ノンノンたちペンギンだから、潜って魚を捕まえてもいいんだけど、雪解け水の冷たさは格別だから、今はごらんの通り、竿で釣ってるんだよ」


「ニンゲンに魚はあげないよ!」


頭がまんまるい形をした身体が小さいペンギンが大きな声を出した。


「魚は明日の朝食べるんだ!」



「ほーん、それは大変だったわね」


僕の膝より少しだけ背が高いピングーのぬいぐるみが、暖炉に薪を焚べながら目を細めた。


「ここら辺は夜になるとカラーギャングが出るから、家に来るといい」


というペンギンのお誘いを受け、二匹のペンギンの後について行ったのだ。その先にあったのは、森林管理の為に人が常駐するような小さな小屋だった。ガタついた引き戸を開くと、靴を四、五足置ける程度の土間があり、水瓶や小さな調理場があった。板張りに上がると、10畳ほどの広さの中央に囲炉裏が設置され、赤々と薪が燃えて暖かかった。壁は漆喰で出来ており、奥には格子窓が取り付けられていた。その下には足の短いちゃぶ台があり、上には文鎮、筆や和紙がきちんと揃えて置いてあった。ペンギンは書道をするのだろうか?


背が大きい方のペンギンは「ノンノン」と名乗り、その半分くらいの大きさのペンギンは「まんまる」と名乗った。小さい方のペンギンの声は甲高く、大きい方は声が低いが、どちらも舌足らずであることは共通していた。


「ニンゲン、魚食べる?」


まんまるが魚籠からピチピチと活きがいい魚を取り出して持ってきたが、まんまると同じ縮尺で小さくなっており、人差し指くらいの大きさの精巧に作られたルアーのような魚だった。今はいらない、と答えると、まんまるはべしっと魚の頭を叩き、気絶させてから頭から丸呑みした。ノンノンは黒板消しみたいな手で器用に丸缶から茶葉を急須に入れ、囲炉裏に掛けていた古めかしいヤカンで湯を注いだ。僕とトネは苦労して湿った靴下を脱ぎ、ペタンコの座布団に座って団をとった。暖炉の火にあたると、途端に自分が今までどれくらい冷えていたのかを思い知った。肌の表面から溶けていくような心地良さだ。


「君達は、どうして喋れるんだろう?」


僕は配膳係のまんまるから暖かいお茶を受け取りながら聞いた。


「何でだろうねぇ」


ノンノンがのんびりと言った。


「最初は喋れなかったよ、もちろん。なんて言ったって縫いぐるみだからね」


「デンマーク製だよ!」


まんまるが隣から口を挟んだ。


「僕たちの故郷はソニープラザじゃなくてデンマークなんだ!」


「前のご主人すずんが子供の頃、ノンノンはソニープラザでクリスマスプレゼントとして買われたんだ。ご主人すずんの両親は共働きで、ご主人すずんに寂しい思いをさせたくなかったんだろうね。だからご主人すずんは小さい頃からたくさんオイラにお話をしてくれたんだ。いつも一人で寂しいとか、学校でこんな事があったとか、そういう事をね」


「まんまるはノンノンの一週間後に来たんだよ!」


得意げにまんまるが小さな胸を張った。まんまるはもうお茶をトネに配りがてら、となりに座って頭を撫でられていた。


「この子、本当に頭がまんまるなの」


トネがまんまるの頭を撫でくりまわしながら少しうっとりとした声で言った。可愛いのが好きなのかも知れない。


「うるさいなあ、子供扱いしないでよ! まんまるだって一人でバスの乗り降りが出来るんだ!」


まんまるがくちばしをカツカツさせながら抗議した。トネは一段と笑顔になり、頭をさらに撫でくり、撫でくりした。


「ご主人すずんはテストでいい点数をとっても、駆けっこで一番になっても、ご両親に褒められる事はなかった。いつも忙しそうにしてるご両親にとか、!なんて言えなかったんだ。だからご主人すずんはオイラに向けてずっと『偉いでしょ』とか『すごいでしょ』とか、ずっと自慢してたんだ。でもおいらは見ての通りぬいぐるみだから、何にも言ってあげることは出来なかった。本当はすごいねって言ってあげたかったんだけど」


僕はお茶を飲みながら話の続きを待った。


「それからご主人すずんは大きくなっていって、オイラに話し掛ける事はなくなった。寂しかったよ、そりゃあ。でも、隣にまんまるがいて、退屈はしなかったな。ニンゲン達は知らないと思うけど、縫いぐるみだって夜、誰もいないところでは結構気楽にやってるから。片付け忘れた紅茶の味見をしたり、コンセントを抜いたりして遊んでるから。ともかく、ご主人すずんは大人になって、家から出て行った。オイラ達に挨拶もせずにね。きっと忘れちまってたんだと思う」


まんまるはすっかり腹を上に向けて、トネに撫でられるままになっていた。目が線みたいに細くなって、撫でられるたびに黄色い小さな足のヒレがふらふらと揺れた。


「それから殺風景な部屋に何年もいた。どれくらいかは分からない。オイラたちには時間っていう単位が数えられないんだ。寒いと暑いを何度も繰り返した。ある日、ご主人すずんの両親が部屋に入ってくると、部屋の中を全部片付け始めた。昔使っていた机から、ベッドから、ラジカセやら、壁に貼っていたポスター全部。無言で作業してたから、怖かったな。ただならない雰囲気があってさ。そん時にオイラ達もビニール袋に詰められて、ポイっと道端に出されちまったって訳。ゴミ収集車に放り込まれた時の傷、見る?」


ノンノンが背中をこちら側に向けて傷を示した。もともとの縫い目の脇に、何となくギザギザに縫われた跡があるような気がする。あまり目立たないように、黒い糸で縫われているのかも知れない。まんまるはトネの隣で完璧にくたばっていて、何も口を挟まない。


「中の綿が飛び出なかっただけよかったよ。あればっかりは草や葉っぱで代用できないからね。ゴミ収集車はずーっと走って行って、道で事故って横転した。なんせ田舎だったから、90近いおっちゃんが酒を飲みながらラジオを聴いて、手拍子しながらトラクターを運転してたっていうんだから、ノンノンもびっくりしちゃうよね。で、ノンノン達はあぜ道の脇に流れてた用水路にドボン、どんぶらこ、どんぶらこと流れて、真っ暗な暗渠に吸い込まれて、気が付いたら近くの寒い原っぱに落ちていて、喋れるようになってたんだよね」


ふい〜、とノンノンは息をついた。


「まさかまんまるがこんな甲高い声だとは思わなかったよ」


呼応するようにプッ、とまんまるがおならをした。


「くっさ……かわいい……」


トネが口と鼻を抑えてプルプルと震えながら俯いた。


「なるほど」


僕は何となく頷いた。やはり地下とこの世界には何らかの繋がりがあるのだ。


「ノンノンはずっと喋れるようになりたかったんだ。前のご主人すずんに言ってやりたい事がたくさんあったんだ。頑張ったね、偉いねって言ってあげたかった。でも、あの頃は喋れなかったから」


ノンノンはズズッとお茶を啜った。


「きっとご主人すずんはもう、何の言葉も必要のない世界に行っちゃったんだ」


「……死んだのかな?」


ノンノンは頭を横に振った。


「生きてるけど、どこか遠くへ行ってしまった」


パチッと火が跳ねた。


「生きている人の声が届かない、どこか深い深い場所へ」






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