13 地上

 それから僕らはずっと梯子を降り続けた。高度が下がるにつれ、黄色く冷たい梯子越しに雪深い針葉樹林が姿を見せ始め、鳥のさえずりさえ聞こえてきた。地上のもったりとした土の匂いを含んだ空気が濃く感じられた。腕や足の筋肉はそれ程の疲労を感じなかった。それがマクドナルドの意外な効力なのか、この世界のあらゆる理りを超えた理論によるものなのか、定かではなかった。トネは時折休憩を希望し、ふうふうと息を整えた。何か飲み物を差し出したかったが、あいにく僕の肩に引っ掛けたスイミングバッグには二人で食べ終えたマクドナルドの包装紙しか収められていなかった。


 久し振りに地に足を付けると、雪がキュッと軋んだ。新雪なのか、くるぶし辺りまで雪に埋まった。頭上には黄色い梯子が一直線に空の上にまでまっすぐに伸び、自分がどれくらいの高度から降りてきたかと考えると、自然と身震いがした。トネは僕よりも先に降りて、雪溶けの水が流れ込む穏やかな渓流の脇にしゃがみこみ、小さな手を差し込んで水を飲んでいた。パシャパシャと音を立てて顔を洗うと、ふぅ、と白い息が見えた。


「ものすごい山の中だ。もちろん分かっていた事だけど」


 僕は辺りを見回して言った。


「普通に考えて、僕たちは遭難している。高いところから見ても、村や集落らしきものは見当たらなかった」


 太陽の陽がやや傾きかけ、鋭く天に向かって伸びる梢が影を差し始めた。突然周囲の温度が下がってきたような気がする。僕とトネは目を合わせた。地上では、トネはあまりにも小さく細く、誰からも守られるべき存在であるように見えた。


 突然、トネはひとつ大きく息をすい込むと、大きな声で周囲に向けて呼びかけた。


「おねえちゃーん!」


 僕は驚いてトネを見た。そんな原始的な探し方を、ここまで来てされるとは思わなかったのだ。でもトネは口に両手で手を当て、小さな身体からは信じられないくらいの大きな声を張り上げた。


!!」


 目を固く瞑り、張り裂けんばかりに大きな口を開けてトネは叫んだ。僕はそんなトネに一瞬怯み、一緒に大声を出そうかと悩んだが、何だか力が抜けて岩に腰を下ろした。どうやらこれから先の事は自分でどうにかしなくちゃいけないような気がしてきた。またこの梯子を登る事は不可能だ。「やっぱり帰る」と言ってスタコラと梯子に取り付いて、たどり着く先がまたマンホールの底である可能性は低そうだった。陽が傾いたとは言え、未だ青く底抜けの空の先が地下であるとは思えないし、両腕が限界を迎えて途中で立ち往生するのが関の山だ。梯子は下るより、上がる方がよほど大変なのだ。


 陽が翳り、寒さを増すとしたら、早急に暖が取れる場所に避難しなくてはならないと思った。鳥が飛んでいたのだから、魚だっているだろう。岩に腰を掛けて、僕はトネが大声を張り上げている姿を眺めた。前傾姿勢になり、足を踏ん張って両手の平を三角にして口に当て、ひたすらに姉を呼び求めていた。その姿に尊い美しさを感じないでもなかったが、まずは身の安全を確保しなければならない気がした。鳥がいれば、魚がいる。魚がいるとしたら、シカや熊だっている筈だった。僕は以前、テレビのニュースで、北海道のさらに北端にある地域で、住民が熊に襲われたというニュースを見た事があった。住民であろう女性が道を歩いていると、背後から子熊に背中を引っ掛かれのしかかられ、好き放題に小突き回されるという映像だった。子熊であれなら、大人の熊ではたまったものではない。


「ペンギンもいるけどね」


「ペンギンは北海道にはいない」


 僕は自然と返した。


「動物園で飼われてはいるみたいだけど、コロニーを作るような自然生態のペンギンは日本にはいないと思う」


 そして、ハッと息を飲んで声が聞こえた足元を見ると、ピングーのぬいぐるみの形をしたものが僕を見上げていた。右肩に釣竿を担いで、左手にもっと小さなピングーのぬいぐるみと手を繋いで立っていた。


「これは夢だ」


 僕は言った。


!!」


 トネが大声で姉を探した。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る