6 イノセント

「それで、一週間前にヒグラシさんがいなくなったんだね」


 僕は話を元に戻した。トネは姉を僕と一緒に探して欲しいと言ったのだ。


「姉はエヒメと言います。ヒグラシ エヒメ」


 僕はビッグマックの咀嚼も忘れてトネの顔をマジマジと見た。エヒメとトネ。妙な名前だ。両親が一体どのような経緯でそのような名前を付けたのか、全く想像が付かなかった。頭に浮かんだイメージは、ポンジュースの瓶が傾いて、ゆっくりとコップを満たしていくCMのような映像だった。


「エヒメのポンジュース! エヒメじゃ、蛇口を捻ったらポンジュースがでるよ!」


 もしかして僕を騙そうとしているのか?、と一瞬訝しんだが、そんな筈はないと思い直した。そんな事をして一体何の得になる? しかし、彼女の財布にまっすぐな一万円札が詰め込まれていたのも事実だった。僕が色々と考えているのを見てトネは話を続けた。


「エヒメは私の大切な姉でした。私の三つ上で、真面目で、優しい姉でした。私たちはとても仲が良くて、週に二回か三回は必ず電話でやり取りをしていたんです。それが、先週は一度も出なくて……留守番電話にもならないし」


「思わず下宿先を訪れてしまった、と」


 トネはこくりと頷いた。


「そして、ある事情から警察へ行けない」


「両親に知られたくないんです。姉が行方不明だなんて両親が知ったら、心配するに決まってます。姉が以前家出した時も、それはもう大変な騒ぎに」


「家出?」


「はい。姉は高校二年生、今の私と同じ頃に家出をして、母が警察に届けた出た事があるんです。それはもう大変な騒ぎで、学校にも連絡をするし、連絡網には片端から電話するし、警察の人には噛み付くしで、もう本当に……」


 トネは深いため息をついて、首を振った。それからフィレオフィッシュを一口齧った。鳥がついばんだような小さなかみ口が残った。


「あんな取り乱し方を目の当たりにしちゃうと、もう一生母には余計な心配を掛けたくないと思いました」


「なるほどね」


 僕は何となくトネの気持ちが分かった。


「でも、お姉さんは真面目で優しかったんじゃないの?」


「真面目で優しい姉でした」


 トネは繰り返した。


「でも、真面目で優しくて、頭が良くて、みんなに好かれる綺麗な優等生でも、家出ぐらいはすると思います」


 トネは細いフレームの眼鏡越しに僕をまっすぐに見た。


「むしろ、そっちの方が自然なんじゃないかしら」


 僕は水っぽくなったコーラをストローで啜りながらトネを見た。どことなく、自分以外に焦点があたり、自分以外の人物や関心のない物事に振り回される事に慣れている雰囲気があった。この女の子は全ての前段に、「別に、どうでもいいけど」という言葉をつけて周囲を見ているように思えた。それで僕は何となく、トネに好感のようなものを覚えた。あるいはもしかしたら、それは親近感と呼ばれるものなのかも知れなかった。


「なるほどね」


 と僕は言った。なるほどね。









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