3 RPG
その日も目覚めたのは昼過ぎだった。パイプベッドの上に敷かれた固い布団で、僕は気絶をしたように眠っていた。夜中に見ていたレンタルVHSは巻き戻しが完了しており、録画予約が出来ずにテープが排出されていた。季節は冬で、僕はジーンズに厚地のセーターという普段着のままで眠っていた。生活リズムは取り返しがつかない程乱れており、朝と昼も、寝巻きも普段着も、何も関係がなかった。7畳ほどの畳部屋には足の短い広めのテーブルがひとつ置いてあり、床から本やらプリントで埋め尽くされ、その合間にペットボトルの飲み物がキノコのように生えていた。吸い殻でいっぱいになった灰皿もある。かろうじて手狭なダイニングキッチンの窓から外の陽が入ってくるので、それで昼夜を判別できた。とにかくひどく寒い。どうしてか、毎朝起きるたびにひどく惨めな気持ちになる。それは一般的に清々しい朝と言われているものである程に増していく。
煙草に火をつけようとすると、玄関のステンレス製ドアを規則正しくノックする音が聞こえてきた。僕が目覚めた原因の音だ。とても鋭い音がする。僕の部屋には呼び出しベルが付いていないのだ。新聞の支払いは先週済ませたし、NHKの集金は口座引き落としに切り替えたはずだ。網入りガラス越しにぼんやりと人影があった。背格好からすると高校生くらいに見える。
「どなたですか?」
僕は注意深くドア越しに声を掛けた。そして二、三日ぶりに声を発した事を思い出した。
「すみません、隣に住む者の関係者です」
細いの女子の声だ。関係者という響きが歪に聞こえた。教科書を棒読みしているみたいだ。
「関係者」
僕はドアを開けず、手に持っていた煙草に火をつけて煙を吸った。
「煙草を吸っているんですか?」
僕は伸びっぱなしの顎髭を撫でながらしばらく様子を見ることにした。髪の毛もだいぶ伸びていた。しかし床屋にいくのも面倒くさかった。あの床屋は切っている最中によく喋るのだ。そうしなければ客が離れていってしまうとばかりに。他の床屋に比べれば安い割に空いている事が多いから仕方なく通っていた。「最近どう?」「伸びたね」「あの大学通ってるの?」 ──また髪を切ることを想像しただけで僕は嫌な気持ちになって、壁にもたれて座った。手元に灰皿がない。玄関に落とせばいい。隣の関係者はそのうち帰るだろう。帰って欲しい。
「すみません、そこに居ますよね?」
でも、その関係者は帰らなかった。辛抱強く玄関の前に立っている。網入りガラス越しに冬の陽気が彼女を横から照らしている。僕は座って煙草を吸いながらモザイク調の絵画のように見えるその切り取られた関係者を眺める。ここにいるよ、でも、君と話す事は何もない。放っておいて欲しい。すると、痺れを切らした自称関係者が切り出した。
「姉が居なくなったんです。何かご存知ありませんか?」
「知らないね」
僕は板張りの床を見ながら答えた。髪の毛が落ちている。もちろん僕のだ。
「もう一週間くらい連絡が取れないんです」
自称関係者の声のトーンは落ち着いて変わらない。感情に訴えかけようとするものではない。
「そういうのは警察へ届けた方がいい」
僕は極めて正確なアドバイスを心掛けた。
「僕は隣の人とは無関係だ」
顔を手のひらで擦ると、ひどく髭が伸びている事に気付いた。電気髭剃りが先週キッパリと息の根が止まって以来、一度も剃っていないのだ。シェービングローションとT字型髭剃り、と僕は頭の買い物リストにメモをした。十中八九は消えてしまう信頼度ゼロのリストだ。現に頭の方はすでに忘れてしまっている。
しばらく沈黙があった。去ってしまったのかも知れない。
「でも、姉はあなたの事をよく話していました」
僕は思わず顔をあげて、またモザイク調の絵画のような彼女をみた。
「僕の事を?」
「はい」
感情が篭っていない返事だ。
「僕の事を、何て言っていた?」
「ドアを開けてくれませんか」
改まった声で彼女が言った。
「ここで立ち話もなんなので」
僕は髪をくしゃくしゃにかき回すと、腰を上げた。髪をくしゃくしゃにするのは僕の髪が伸びた時の癖なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます