エピローグ ある春の日に、きみを想う

「――そんなこんなで、その友人は旅に出たのでした」


 めでたしめでたし。と両手を合わせれば、室内にいた学生たちから不満げな声が上がった。

「えっ そこで終わり!?」

「締めが雑すぎる!!」

 それでも講師か! と吠える彼らに、ぼくはひらひらと手を振りながら、腰かけていた椅子の背もたれに体重をかける。ギッと継ぎ目が鳴く。

「はは、今を生きてるヒトの話だよ? 綺麗なオチなんてあるもんか」

 教導する立場としてはいただけない姿勢だが、この室内にいるのは身内だけなもので、つい気を抜いてしまう。

 なにせ一人は妹で、もう一人はなんやかんや交流が続いている橘の甥っ子だ。重ねて言うなら、ぼくは講師と言われているがまだ補佐の立場であり、本来この席に座っているのは乙音の兄である文月さんだったりする。

 実質正月の集まりに近い。実際、この二人にぼくと文月さんは何回もお年玉をあげている。

 驚異の身内率に思わずどうなってるのか問い詰めたこともあったけれど、にっこり笑って他のゼミとのあみだくじを見せられた。あの人も真面目な顔をして立派な乙音の兄で皐月さんの息子だ。

 一応血縁的には実兄のはずだけれど、深く関わるようになって思い知った。面立ち以外ぼくと似てるところがない。

 ちなみに文月さんはフィールドワークで一か月間、国外の水の人のところへ出張しているので、ぼくがこうして代理として慣れない椅子に座っている。

 かつて水の人の風習を疎み、技術的に適うなら水かきや補助鰭を切除することすら検討していたという彼もまた、ぼくから言わせてみればだいぶ水側の人っぽいところがある。

 こんなに近くで彼ら『らしさ』を拝めていることにしみじみと感謝していれば、ぼくがうまいこと言ったから悦に浸っていると思ったのだろう。じっとりとした視線が頬に刺さった。

「いやそういうんじゃなく、睦月くんのテーリングが下手」

「せめて乙音ちゃんの現在を教えろよ!」

 今、ぼくを『睦月くん』と呼んだ黒髪ショートに琥珀色の目をしている、少し黒猫っぽい容姿をしたのが妹だ。両親に似て善性の塊のような性質をしていたはずだが、いつの間にやら辛辣な子に育った。いったい誰に似たのやら。

 机を叩いて立ち上がった小柄な男子が橘の甥っ子。お姉さんの子供らしいが、身長以外は驚くほど橘のミニチュア版だ。

 なお、例の水陸越境カップルは今も砂糖を吐くくらいに仲がいい。

「おまえらさあ、講師にもうちょい敬意ってもんはないのかね」

「えー、だってむつきっちだし」

「むつきん畏まられるの嫌いでしょ?」

「いや、礼儀は学べよ若人」

 橘の甥っ子はともかく、妹は兄をそんな呼び方して恥ずかしくないのか。呆れた顔は表に出さず、体を起こして頬杖を突く。カチコチと、古めかしいアナログ時計の針の音をかき消す、仔犬が吠えるような二人の声は止まらない。

「大体なあ……、あいつの今なんて、」

 意味ありげに目線を逸らして黙って見せれば、先ほどまできゃんきゃん抗議していた口が揃って閉じて、ちらちらとお互いに視線を交わし合う。

 言っちゃいけないことを言ったかもしれない。という空気がゼミ室に満ちていく――が、ぼくの親友を見くびってもらっては困る。

 ちらりと壁の時計を見上げ、そろそろ来る頃だなとコーヒーを啜れば、ぴろん、と軽快な電子音が鳴った。確認するまでもなく、自動で印刷されるように設定したままに年代物のプリンターがガタガタと動き出す。

「ああほら、来た」

 カップを置き、プリンターに手を伸ばせば、丁度よく一枚の写真が吐き出される。癖でひらひらと振れば、真新しいインクのにおいがした。

 印刷されたばかりのそれに思わず笑いそうになった。

 ぽかんと口と目を開きながらこちらを凝視するゼミ生たちをよそに立ち上がり、部屋の一角を占拠してるそこそこ大きなコルクボードの前へ歩を進める。

 そろそろこのコーナーも手狭になってきたなと眺めながら、なんとか隙間を探す。

 写真を彩るように活けた白いライラックが風に揺れる。

「え、あ、そういう!?」

 どちらのものか分からないほどひっくり返った声は無視して、やっと見つけたよさそうな場所へと画鋲でその写真を縫い留める。

 ――それは、海の写真。

 周囲を埋めるコルクボードの先達である写真たちにも、どれも海が写っている。

 南国の鮮やかな海中で、白い砂浜で、明らかに秘境めいた岸を向こうにした海面で。はたまた氷が浮かぶ海の上、あるいはその氷の下、たまにシャチやクジラなんかが映り込んでいるものまである。

 ゼミ室の一か所を埋め尽くす、東西南北あらゆる海からの写真、写真、写真。

 それはすべて、彼女の生存記録であり、果たされ続けている約束のあかしだ。

 メッセージの一つすらつけず、ただ写真だけが送られてくるのは他人から見れば義務的にすら見えるだろう。

 けれど、ぼくにとっては道化を外した真剣な横顔が見えるようで、ひどく好ましい。

「うん、今日も我が親友は元気そうだ」

 貼り付けたばかりの真新しい写真はちょうど、空と海との境界線にカメラをおいて撮影されたものだ。

 白金色に眩く光る夕暮れの水面から一つの尾びれを持った影が高く飛び上がり、雫が軌跡となってきらきら光って弧を描くその写真は、これまでで一番美しかった。



*************************************



 これで、ぼくの回想は終わりにしよう。

 少年と少女は大人になり、親友として生涯を全うする。

 それがぼくらにとってのすべてだ。

 

 しかし、冒頭で友情譚と言いきってしまったことに関しては、言葉が足りなかったと自省する。

 

 改めよう。そして、正しく幕を引こう。

 

 これは、単純で至極ありふれた友情譚にして――そう遠くない未来において、この世界で【本物の人魚】を見つけ出し、【魔法】という新技術を人類にもたらすことになる彼女えいゆうの前日譚。

 

 そして、ぼくの誇らしい親友についての自慢話だ。

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