31. 約束

 旅の終わりはあっけなく、ぼくらはあんな雰囲気たっぷりの会話をした後、水人たちののショーを見てさっくりと帰路に就くことにした。

 情緒なんてものとは関係なく帰りの船の時間は決まっている。

 ちなみに帰りは内地に行く必要がないのでぼくらの地元の二つ隣の大きめの港まで船で行き、残りは列車というルートとなる。

 現在は列車に乗り込んだところだ。

 都会か田舎かで区分するなら田舎よりのぼくらの地元まで行く列車は水陸共用の車両しかない。そもそも使う人が少ないから、わざわざ水陸それぞれの専用車両を走らせる必要がないのだ。

 現に今も西日差しこむ車両の中にはぼくと乙音しかいない。

「ああ。楽しかった!」

「すっきりしたようで何より」

 実に晴れ晴れとした笑顔で水槽型シートの中くつろぐ乙音の前に立ちながら、ぼくも笑う。本当に、いつもの調子に戻ってくれてよかった。

 弱々しい乙音も珍しくて面白くはあったのだけれど、やはり本調子な彼女が一番見ていて楽しい。

 相好を崩したぼくを見て、ふむと乙音が頷いた。

「なるほど、やっぱりわたしを探るための旅行だったってわけだ」

 もう伏せておく必要もないので素直に肯定するとしよう。

「それも一つの要素ではある。でも普通に親友と旅行とかしてみたかったなっていう願望だって多大にあったよ」

「そういうことにしておいてあげる」

「そうして」

 くつくつと笑う乙音には悪いが、そういうことも何も、ぼくとしては100%混じり気なしの本音だ。真意を探ってリフレッシュさせようというたくらみだけで遠出できるほどアグレッシブではない。

 

 列車がカーブに差し掛かり、水面が大きく波打った。陸人側に水が飛ばないように透明な壁があるからこちらが濡れたりはしないけれど、そのゆらゆらと揺れ続ける水面を見ているとぐっとこみ上げるものがあった。

「……水槽の中で酔ったりしないの? バスの時も思ったけど」

「んん、もともと海は波があるものだからなあ……あんまりそういう感覚はないかも。この位のゆらゆら感で体がぶれてたら生活していけないし」

「あ、たしかに。言われてみれば」

 潜ったりしていても海流が体を押すわけだし、この程度の揺れで堪えるわけもない。自然と体幹も強くなるだろう。

「案外睦月も抜けてるよねえ」

「母さんのが、うつったのかも」

 一拍遅れて、ふわふわと笑うあの人を母と呼ぶときに何の抵抗も感じなかったと気づいて、瞬く。

 理性で解決しないわだかまりは未だにぼくの胸の中にあるし、苦手な種類の人であることも変わらない。

 それでも少しずつ解けていくものがあるのならば、それはそれでいい。

 そんなぼくの内心などお見通しなのだろう乙音がそっと微笑んだ。

「……そっか」

「うん」

 頷いたぼくの顔が車窓に反射する。その表情になんだか照れ臭くなってしまった。


 ガタンゴトン、という音だけで作られた間奏を挟んで列車はトンネルに差し掛かった。

 長いこの暗闇を抜ければ、もうじきぼくらの町に着く。

 そんなタイミングで、乙音は再び口を開いた。


「……わたし、旅に出ようと思う」


 唐突ではあったけれど、予想通りの言葉だった。

「探しに行くの?」

「そ、何年かかっても。もしかしたら、死ぬまで見つからないかもしれないけど――わたしの生涯をかけて、人魚を探す」

 トンネルの中、黒い車窓の内側で、乙音の琥珀色の目が一番星のように光っている。

 止めても無駄だし、そもそも止める気もないけれど、ぼくはなんとなく定型文を口にしてみる。

 いよいよぼくらが少年少女であれる時間が終わりに向かうのだと思うと、名残惜しかった。

「水の人はあくまで沿岸に住むヒトだよ。遠洋まで出るなんて、正気じゃない」

「自殺するみたいだって?」

「そう見られてもおかしくない、って意味」

「んふふ、大丈夫だよ。睦月」

 ぺたりと水かきのある手が透明な壁に添えられた。車窓を揃ってみていたはずの顔がいつの間にかぼくの方を向いている。

 幼いころから憧れている英雄性が、もうじき羽化するのだと燃える瞳が語っていた。

「死にたいわけじゃないからさ、きちんと母さんとかに教えてもらって、できる限り生存率を上げるつもり」

「死にたいとか、死にたくないとか、準備したとか、そんなこと関係なく海では死ぬんだろ?」

「陸だって同じだよ。天敵っぽいのが線を引いてくれてるだけでさ」

 安全な繭の中で彼女が生き続けるわけがないのだと、改めて突き付けられる。

 喜ばしくて、寂しくて、誇らしくて、少し苦しい。そんな縋るように言った言葉の湿り気を、いつも通りの薫風の声が取り去っていく。

「そりゃ、鮫に食われてあっけなく死んじゃうかもしれない。シャチがアザラシかなんかと誤解して……なんてこともあるかもね」

 自分の死の可能性を淡々と語っていた乙音が、ふいに笑みを深めた。

「でもさあ……」

 その笑みは何物にも例えようがないほど美しく、苛烈で、愛らしい。


「危険だからって、動けないでいる方が、わたしはいやなんだよ」


 乙音らしいその笑みを前に、ぼくはいかにも仕方ない、とでも言うように笑う。

「これは、止めても聞かないだろうから、大人しく見送ることにするよ」

「はは、最初から止める気あんまりなかったくせに」

「バレてたか」

 肩をすくめれば、騙す気なかったくせに、と言い当てられる。

 ぼくは誤魔化すように窓の外を眺めた。暗闇はまだ続いている。


 沈黙と談笑が、ガタンゴトンとリズムに乗って繰り返される。

 

 ガタン

 

「見つけたらどうするの?」

「そうだなあ、そのときは……うん、その子が嫌がらなければ、睦月に会ってもらおうかな」

「それは楽しみ」

 

 ゴトン

 

「……わたしがいなくて泣くなら、秘密基地使ってもいいよ」

「あそこは尾びれ持ちのための場所なんだから、ぼくはもう、乙音がいなくなったらあそこには行かないよ」

「たぶんわたしがいなくなってしばらくしたら、集落に尾びれ持ちの子が生まれると思うんだよね」


 ガタン

 

「どうして?」

「忘れた? あそこは『代々』尾びれ持ちに受け継がれてるんだよ。他のやつには教えずにさ」

「……周期的に生まれてくるの?」


 ゴトン


「わたしにあそこを教えてくれたのは、たしか二十歳くらい年上だったかなあ。あの人はたしか、おばあさんに教えてもらったって言ってたから」

「結構バラバラだな……」

「直感だけど、わたしが生きている間に次の尾びれ持ちは生まれるよ。わたしがそれまでに帰ってこれなかったら――睦月が教えてあげて」


 ガタン

 

 

 

 

 ゴトン


「警戒されるんじゃないかな」

「大丈夫だよ。たぶんね」

「……じゃあ、請け負った」

「任せた」


 ガタン


「いつごろ、出発するつもり?」

「んー。たぶん色々許可とらなきゃいけないだろうし、覚えることもあるだろうし、卒業式まではいると思うよ」

「じゃ、見送り行くから行くときは言ってよ」

「あはは、さすがに忘れないよ」


 ゴトン


 ガタン ゴトン


 

 トンネルの反響音が変わって、そろそろこの暗闇が終わることを悟る。


「三つだけ、約束しよう。親友」


「いや多くない? …… まあいいや。内容によるよ。親友」

「簡単だよ」

 思い付きだけれど、ないよりはマシだろうとそれを言葉にする。


「あとでこっちの端末と前に渡したカメラ同期するから、毎日生存確認代わりに一枚は撮ること」


 連絡を取る習慣がない分、その程度はやってほしい。

「最初から重くない?」

 呆れたように乙音が苦笑した。

「きみ以外、ついぞ親友なんて言える奴ができなかったんだから、この位は軽いよ」

「その発言自体が重い……」

 失礼な。この程度で重いと思うほど軽い言葉を書けてきたつもりはないのに。

「だいたい人のこと言えないよね。乙音」

 乙音の交友関係は広いが、深さで言えばぼくくらいしか親友と呼べる相手はいないはずだ。

「まあそれはそう。はい次」

 異論はないらしい。

 促されて、ぼくは二つ目を口にする。


「十年後の今日に、また会おう」


「……生き延びろって?」

 何を甘いことを言っているのだろう。

「いや骨になってでも戻って来いって意味」

 乙音の弔いに体がないとか嫌だ。ぼくは遺体のない墓の前で泣く趣味はない。

 仮に救世主とかになって世界各地に骨が分配されそうになったら、全力で抵抗してやる。

「だからさあ……いや、うん。とりあえず最後聞かせて」

 

「決めたことなんだから、最後まで折れるなよ」


 もう、背中を押してやれるほどそばにいられるわけでもないんだ。と続ければ、虚を突かれたような顔で乙音は目を丸くしていた。そんなに驚くことでもないだろうに。


「で、返事は」


 ぷっと小さく吹き出して、悪戯っ子のような笑みが咲きこぼれた。


「仕方ないから、約束してあげる」 

 

 黄金色の斜陽が車内に射す。

 長いトンネルは終わり、ぼくらが出会い、共に育ってきた町と海に着くのだとアナウンスが軽やかに告げた。

 荷物はとうに手の中だから、焦ることもない。

 眼下に広がる海は琥珀色に染まり、燃えるように輝いている。


「……ああ、きれいだなあ」

「じゃあ、明日はきっと晴れだ」 


 水圧に負けないように特殊な加工がされた車窓、揺れに合わせてちゃぷちゃぷと音を立てる水面――きっと、乙音が今見ている夕焼けは、ぼくに見えているものとは違うのだろう。

 けれど、どれだけ見えているものが違おうと――この、妙に晴れやかな寂しさを共有できていることが、何よりもうれしかった。

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