27. 少年少女卒業旅行(1)

「というわけで、卒業旅行。行こう」


 さすがに狭く感じるようになった秘密基地の中、バサバサと旅行雑誌を広げながらさっくり切り出してみる。

 普段こういう唐突な発言をするのは乙音の方だから、いい具合に意表を突けたらしい。目をぱちくりとさせた彼女が一拍遅れて口に含んだみかんを嚥下する。


「突然どうしたの……。というか、わたしたちまだ二年生だよ? 卒業旅行には早くない?」

「なんとなくだよ。卒業旅行ってのはとりあえず名前として付けやすかったから。修学旅行って感じでもないし」

「ふうん……なんにせよ珍しいね。睦月からこういうこと言いだすの」

 嫌がってはいないらしい。一番近いところにあった雑誌を手に取り、しげしげと眺めながら切り返される。

「別にいいだろ。そういえばこの町からほとんど出たことなかったなーって思い出してさ」

「ああ……そういえばそうだね。睦月、割と出不精だし」

「悪かったな」

「んふふ、ようやくお外に出る気になってくれてお姉さんは嬉しい」

「同い年だろ」

 ため息をつけば、その切り返しを待っていたと言わんばかりに乙音が得意げな顔で胸を張った。

「いいでしょ。それにこの間おばさんと母さんに確認したらわたしのほうが生まれるの少し早かったみたいだし」

「誕生日同じだろ確か……何時間差だよ」

「たぶん三十分」

「一時間すらないのか。よくそれで姉面できたな?」

「三十分だろうと先に生まれたのは違いないでしょ?」

 譲る気はないらしい。

 いや、ぼくは別に兄面したいわけではないから負けた気になんてなっていない。断じて。

「……あー、もういいや。それでいいから。で、行くの? 卒業旅行」

「ん、行く」

 素直に頷いてくれてよかった。遊びを断るほど切羽詰まっているわけではないようだ。

「じゃあ計画練るか」

「え、行き当たりばったりでよくない?」

「着いたらそれでもいいけど、まだ行先すら決めてないからなあ」

「それもそっか。じゃあ睦月はどっか行きたいところある?」

 先手を取られてしまった。

 今回の目的は乙音の気分転換だからぼくを優先させるわけにはいかないし、そもそもぼくはどこかに行きたい衝動とやらは小学校の頃に使い果たしてしまっている。

 むしろあの時が重症だっただけで、元からインドア派なのだ。写真や動画を見れば綺麗だとは思えどそれで満足できる。決して出不精ではない。

 どこか乙音が行きたいと思いそうな場所をピックアップして提案してみようかとも思ったけれど、地名に興味がなさ過ぎてぱっと浮かんでこない。

 仕方ないのでここは素直に言うことにしよう。

「……いや特に」

「え。言い出しっぺのくせに」

「いいだろ別に」

「まあいいけど」

 そもそも期待していないとでも言いたげな顔で頷くな。

 まあ、これでもとの目的に戻れるのだから、いいとしよう。

「乙音はどっか行きたいところある?」

「わたし、は」

 問うた言葉に、乙音の目が泳ぐ。

 遠くを見つめる屋上でのあの目によく似た視線が一瞬、乱雑に広げた旅行雑誌の中の一枚の写真をちらりと窺い、すっと逸れる。

 誘惑を振り払うような動きに気づかないふりをしてぼくは答えを待つ。

「……わたしもどこでもいいかなあ」

 嘘吐きめ。

 へらりと笑った顔に毒づきそうになるのをこらえながら、ぼくはぺらぺらと雑誌を捲って候補を検討しているように顎をなでる。ニ、三冊目を通したあと乙音が見ていた雑誌を取れば、視界の端で真珠色が揺れるのが見えた。

「じゃ、ここな」

「! ……いいね! 海綺麗そうだし!」

 先ほど乙音が見ていた写真を指させば、パッと彼女の顔が明るくなる。

 普段の道化が消し飛ぶほどに思い悩んでいるのかと頭痛がしないわけでもない。これが解決の糸口になればいいなと思いながら、その次のページにある写真も示す。

「あとはこの観光農園」

 雑誌を集める時に乙音が喜びそうだとなんとなく記憶に焼き付いただけの写真だったが、さほど彼女が行きたいらしい海からはさほど遠くないようだし盛り込んでしまおう。

 乙音の問題解決が目的の旅ではあるけれど、ぼくらの卒業までは気を抜いていればあっという間に来てしまうほどの時間しかないのだ。

 どうせなら、楽しい旅にしたい。

「農園ってあれだよね? 梓くんちみたいな感じの」

「あいつの家は観光用のはやってないけどね。まあ大体そんな感じ」

「そっかあ……ん? ちょっとまった。農園ってたしか水路ほとんどないよね? 前千早ちゃんと一緒に梓くんち行ったけど見なかったし」

「待てそれぼく声かけられてない」

「サプライズで梓くんに千早ちゃんデリバリーだったから」

「何してんの……そして橘は何されてんの……」

 仲間外れをよしとしない乙音の主義を覆すような真似に一瞬受けた衝撃が塵と化す。本当に何してるんだ。

「千早ちゃんったら積極的だよねえ。『梓さまのご実家にご挨拶したいですわ!』って……あれもう完全に嫁ぐ気満々な気が」

「橘が貰われる方じゃなく?」

 橘は何やら悩んでいたが、伝え聞く川の方の身分制度的にはお嬢さんの方が婿を欲しがる気がしていたのだが。

 首を傾げたぼくに、乙音がくるりと指を振った。

「うーん、水っ子が陸っ子に合わせる方が割と楽だよね。わたしみたいんじゃなければ簡易プール用意しておけば何とかなる子も多いし」

「そんなもんか?」

「そんなもんだよ」

 まあ、陸人は水中で過ごすにはあまりにも脆弱だ。水人の住まいである半水没状態の家で生活するには相当の胆力が必要だろう。橘ならそのくらい頑張れそうではあるが。

「まああいつらのことは置いておいて……。念のため調べとくけど、まあ水路がなくてもどうにかなるように考えはあるよ」

「え、なにそれ」

「水路の確認して必要そうならまた説明する」

 休憩用の水場はほとんどの施設で完備されるが、水路は尾びれ持ちでもなければ必ずしも必要なものではない。雑誌によっては水路の整備具合を記載しているものもあるが、この雑誌はそうではないらしい。

「で、他に行きたいところは……」


「水族館」


 先ほどまでの迷いはどこへやら、今度は即答された。

「は?」

「水族館いきたい」

「水族館って……水っ子なのに?」

 同じ地域にも存在するはずだから、日程に組み込むのは難しくないはずだけれど、思いもよらぬ要望に虚を突かれた気持ちになって目を瞬かせてしまう。

「水っ子だからだよ。実際水中で会う時は危機一髪! みたいな相手でも安全に眺められるって聞いて一度行ってみたかったんだよねー」

 なるほど、陸とは視点が違うらしい。

 水族館は水陸の交流館として各地にあるものの、基本的には陸人が行く施設として認識されている。

 先ほどの越境カップルの合わせるのはどちらかという話ではないが、二本足の水人はその気になれば陸人の中に紛れて陸の社会を体験できるけれど、陸人が水人の生活を体感するのはひどく難易度が高いことが原因だろう。

「まあいいけどさ。そっちにも一応水路の確認取っておかなくちゃな」

「え。水族館なのに水路ないとかあるの?」

「水族館にあんまり水っ子が行くって聞かないから、念のためだよ」

「みんな行かないんだ。もったいない」

「ぼくが知らないだけかもだけどね」

 ぼくの言葉にふうんと相槌を打った乙音がはたと何かに気づいたように間を瞬かせ、首を傾げた。

「そういえばこれ、何泊の予定? 旅行っていうなら泊まりでしょ?」

「日帰り旅行もあるけど、まあ余裕は持ちたいよなあ……一泊二日でどうにかなるか?」

「流火にいに聞いてみる? 今たぶん地球の裏側にいるけど」

「卒業してからどんどんアグレッシブになってない? 流火さん」

 片やインドア、片や身体的な都合で移動制限がかかっている二人だ。圧倒的に遠出経験が足りていない。

 なんとかバスや電車の時間を組み合わせてもいまいち確信も安心感も持てないだろう。高校を卒業して以来各地を放浪している流火さんのアドバイスがあるのは正直心強い。

 だが心強さよりも現在位置情報が気にかかって仕方がない。なんでそんなところにいるんだ。

「もともと放浪癖あるからねー。この間アナコンダ捕まえた! って写真送ってきた」

「皐月さんの影響すぎる……」

 乙音はからりと笑っているが、ぼくは頭痛が止まらない。

 一応血縁関係にあるのはぼくの方のはずだけれど、やはり氏より育ちというやつだろうか。海の方の家族が時折見せる破天荒さには未だに慣れない。

「あははは。やっぱり睦月も頑張れば熊仕留められるんじゃない?」

「仕留めたいと思ったこともないけど!?」

 とんでもないことを言いやがる。

 ぎょっと目を剥けば、乙音がきゃらきゃら笑いだす。うん、元気そうでなによりだ。だが絶対にやらないからな。

 

 ぼくらの旅行計画はこうして時折脱線しながら、夜が更けるまで続くのだった。

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