22. 少年少女の雑談 ―食べ物編―

「そういえばこの間、梓くんにみかん貰ったんだけどね」

 その日の会話はそんな一言から始まった。

 秋の中では冬に近い気温の中の下校とあって、ぼくは学ランのポケットに手を突っ込みながら歩いていたし、乙音は外気に触れる肌の面積を少しでも少なくしようと首と頭の付け根まで水の中に収めながら泳いでいた。

「あー、そろそろそんな時期か」

 肩が見えないからボールが浮かんでるみたいだな、と思いながら応える。

 橘は毎年、実家で収穫した中で規格外だったみかんを知り合い全員にお裾分けと称してばら撒いている。

 形が歪なこと以外は抜群に美味しく、保護者への宣伝効果もかなり高いらしい。かく言うぼくもまんまと商店に卸しているあいつの家のみかんを買ってしまうようになった。

「今年も美味しかったねー。やっぱり甘いものはいいよね!」

 常に甘味に餓えている海っ子の舌も当然虜になっているようだ。

 輝く彼女の笑顔にぼくも笑う。最近どれだけ食べてもお腹が空くのもあって食べ物に弱くなっている気がする。美味しいものは正義だ。

「そういえばさ、乙音って甘いもの以外で……例えば、海の中で好きな食べ物とかないの? あと果物で一番好きなのって何?」

 もう知り合って五年は経つけれど、こういうことは聞いたことがなかったなと小さな緊張を抱えてしまう。深刻な話はいくらだってできそうなのに、日常に繋がるものとなると気持ちをどこに置いていいかがわからない。一番最初に乙音と関わった時の非日常感が未だに尾を引いているのだろうか。

 突然矢継ぎ早に質問され一瞬驚いてキョトンとした後、とくに理由を聞くこともなく軽い調子で答えて始めた乙音に、そっと胸を撫で下ろす。

「あるよ? 甘いのはどっちかというと珍しいから特別な味に感じるってだけだし ちなみに一番好きな果物は桃。次が林檎」

「あ、そうだったんだ」

 桃が好きなのは知っているが、他はほぼ初耳だ。陸で言うなら普段食べられない高級食材は味の好みよりも先にその上等さに興奮する、みたいな感じだろうか。陸との関わりが増えた今でも好んでいるのだから、単純な味覚との相性も悪くはないのだろうけれど。

 目を丸くしたぼくに、乙音がわざとらしい重々しい頷きを返す。

「実はそうなのです」

「じゃあ海の中なら何が一番好きなの?」

「カツオ」

 即答だった。

 確かにおいしいけれど、真っ先にあげるならもっと陸でも知られているような魚かと思っていた。いや、もしかしたら陸と海では主流が違うのかもしれない。

「へえ。マグロとかじゃないんだ」

「だってマグロってちょっと速いから捕まえにくくてさあ」

「……捕まえやすさだけで決めた?」

 突然野性味を出してこないでほしい。皐月さんの話題でとんでもないエピソードが出てくるのには慣れてきたけれど、乙音自身にはまだそこまでワイルドなイメージがないんだ。

「まさか。味もあわせて決めたよ」

 けろりと返された。捕まえやすさは冗談ではないらしい。

「それならまあいいんだけど……他には?」

「うーん……。あ、前食べた大きなエビとか、南の方の子にもらった海ぶどうとか、おいしかったなあ」

「エビに、海ぶどうかあ……」

 エビはともかくとして、海ぶどうは前にたまたまお土産でもらった以外食べたことがない。なんだかプチプチしていた気がする。思い出そうと虚空を見上げれば、今度は乙音が首を傾げた。

「というか陸っ子たちってどのくらい魚食べてるんだっけ」

「水側が捕ったやつを直接買わないといけないから結構希少かも。うちはほら、皐月さんが結構持ってくるから割と食べる方だと思う」

 昔々に水の人を怒らせて以来、陸人は船を作ることができなくなった。かつてあったらしい漁師という仕事は、もう歴史の教科書でしか見ることはできない。そのため、友好的な水の人に依頼して彼らが仕留めたものを買い上げるのが海産物を陸側で食べる唯一の手段となっている。

 思えばぼくが出生を知る前から魚はよく食卓に並んでいたから、あれも皐月さんが持ってきていたものなのだろう。

 途端に、乙音が呆れたような顔になる。

「……母さんってば。たまにすごい量捕っていくと思ったら、睦月の家に持っていくためだったんだ」

 ため息交じりの言葉に、当然非難の色はない。毎回ぼくらで食べきれるか不安になるくらいの量を持ってくるから、加減が聞かない皐月さんへ身内特有のくすぐったい恥じらいのようなものを抱いているのだろう。

 少し羨ましく思いながら、ぼくはふと思い出した出来事を告げ口することにした。

「前に新鮮なの捕れたからってサメさばいてくれたのはかなりびっくりした」

 インターホンが鳴って出たら大きな灰色の物体を担いだ皐月さんがいたのはそう遠い記憶ではない。

 さすがの乙音も驚くかと思えば、なんだそんなことかと言わんばかりに顎に手をやった。

「アンモニアの臭い出る前なら割と食べやすい方だけど?」

「乙音。陸の人間は家に丸ごとのサメを持った人が現れたらびっくりするんだよ」

 完全に常識がすれ違っている。というかこれまでの話からして海でもサメは脅威のはずだ。むしろ海だからこそ警戒するべき相手なのにその反応になるのは可笑しくないか?

 真剣な顔で首を横に振りながらそう告げると、琥珀色の目が大きく見開かれた。

「なんと。うちでは仕留めたぞー! って祭になるのに?」

 怪物を仕留めた人みたいな扱いなのか。そうか。

 ぼくは頭を抱えた。

「そりゃ水っ子的には英雄だろうけどね!?」

 時として陸よりも技術力がすごいみたいな場面もある割に、なんというかたまに原始人みたいな側面が露わになる海の人にはいつになっても慣れない。

 そこが楽しいところでもあるけれど、それはそうとして本当に慣れない。

「陸だって熊とか仕留めてきたら英雄なのでは?」

「熊を仕留められる人は陸にもそんなにいないなあ……」

 マタギとかだろうか、いるとしたら。

 熊撃ちには詳しくないからわからないけれど、つい絵にかいたような毛皮やら鉄砲やらを持ったマタギ姿の皐月さんを想像してしまう。

 すごく似合いそうだ。

 そんなことを思っていれば、乙音がけらけらと笑った。

「まあうちの集落でもサメを素手で行けるのは母さん位だしね」

「皐月さんは何を目指してるの?」

 豪放磊落というのだろうか、あの人は。話題に出るたびにエピソードが増えている気がするのでもしかしたら毎日何かやっているのかもしれない。

「前は陸水合わせた人類最強って言ってた」

 人類最強を目指している人って現実にいるんだ。

「ええー……、ぼくたちの母つっよい」

「そんな母さんの血が流れてるんだからきっと睦月も熊くらい行けるのでは?」

 無茶を言われた。思いっきり麗しい顔面がにやついている。

「そんな皐月さんに育てられた乙音にまっすぐその言葉返していい?」

「あこがれはするけど普通に厳しいから撤回したい」

「そうして」

 憧れている時点でだいぶ凄いんだよな。というのは言わないでおくことにした。

 

 あと数分歩けば乙音の家とぼくの家それぞれの方向に分岐する三叉路へ出るというところになって、再び乙音が口を開いた。

「そういえばさ、わたしはカツオが好きなのはわかったとして、そういう無月は何が好きなの?」

 正直くると思っていた。ぼくだけが答えないのはフェアではない。

 フェアではないけれど、正直答えなくていいなら答えないでおきたい。

 そう願いを込めて沈黙を返そうとしたら、乙音の冷たい手が首元に差し込まれた。言わないと水を蹴られそうだ。

 ぼくは渋々口を開いた。

「……ハンバーグ。目玉焼きがのったやつ」

「おお……割と王道だった」

 羞恥に頬が熱くなり、毛穴が開く。ポケットから手を出して顔を覆わずにはいられなかった。

「子供っぽいって笑えよ……」

 滅茶苦茶恥ずかしい。もう蚊の鳴くような声しか出ない。屋内だったらうずくまって転がっていたかもしれない。

「なんで? いいじゃん目玉焼きハンバーグ。何歳で食べても美味しい」

 ぐっと親指を立てた乙音になんとも言えない気分になる。

 美味しいから好きではある、けれどここ最近子供っぽい自分が妙に恥ずかしくなってしまうのだから放っておいてほしいのだこっちは。

「全面的に受け入れられるのもなんか複雑だな……」

 ため息交じりに脱力すれば、乙音が笑いを含んだ声を投げてくる。。

「好きな食べ物まで拗らせてるの?」

 いつの話をしているんだ。

 また家出したい気分になっているので本当は反論できる立場ではないが、あえて見栄を張るように顎を突き出して答える。

「拗らせてませんー」

「ふうん」

 意味ありげに琥珀色の目が細められ、追撃に備えて身構えようとしたぼくを躱すように乙音が両手を打った。

「あ、そうだそうだ。梓くんの話だった」

「え、なんか話してたっけ?」

 みかんの話以外した覚えがないぞと首を傾げれば、乙音が背面で泳ぎながらかばんをラッコのように腹の上にのせて探り出す。

 あ。あったあった。と気の抜けた声と共にぺろんと二枚の黄色い紙を取り出した乙音がにっこりと笑った。

「梓くんからみかん貰った時に一緒にもらったんだよね。ファミレスのクーポン」

「なんで?」

「いや、なんか知らないけど持て余してるみたいで……みかんの収穫の時に籠に敷いたチラシから切り取ったりしたのかな」

 クーポンを受け取って確かめれば、見覚えのある店名が印字されている。

「あ、これ個人経営のおじさんのところのだな。……お嬢さんを誘って行ったときに貰った方じゃね?」

 気のいい男性がやっている小さなレストランだが、学生には定期的にクーポンをくれる上に美味しいのでここらの陸っ子の間では結構人気のお店だ。店の外観も結構凝っているから、お嬢さんを連れていくのにもちょうどよかったのだろう。

 水路に面していない店だから乙音は知らないのかと思って軽く説明すれば、納得したように乙音が腕組みをして頷いた。

「あー、ありそう」

「で、使うの?」

 このタイミングで出してきたということは答えは決まっているだろうが、念のため確認する。

 こくんと大きく白い頭が頷いた。

「使います。聞いてたらハンバーグ食べたくなってきちゃった」

「おじさんのところさすがにカツオは置いてないよなあ……」

「じゃあ今度わたしが仕留めてくるから陸の果物詰め合わせと交換する?」

「あ、いいな」

 そうと決まれば、と最近買い与えられた連絡用の端末をそれぞれ取り出す。

 いかに親と仲が拗れているとはいえ、連絡をしなければ余計に面倒になることくらいはわかっている。

 画面を見た乙音の首がこてんと傾いだ。

「……ん? 母さんからだ」

「どうした?」

 皐月さんはあまり連絡がマメな方ではないはずだ。わざわざメッセージを入れておくなんてよっぽど何かあったのだろうか。

「うーん、ハンバーグもカツオも今日は無理かも?」

 ぼくの懸念は当たらなかったようで、乙音の雰囲気は緩いまま変わらない。そっと息をついて、硬くなりかけた表情をほぐす。

「いやカツオは最初から無理だろ。で、皐月さんなんて?」

 くるりと乙音がぼくの方に画面を向けた。


 メッセージ一覧の中に目立つ写真が一枚、ドンと鎮座してる。


 そこに映っているのは、かつてサメを持って目の前に現れた時のように、なにか銀色に光る大きく太い刀みたいなものを担いでいる皐月さんだ。

「ちょっと時季外れだけどカジキ仕留めたから食べるぞだって」

「カジキってそんな気軽に仕留められるものだっけ……?」

 前に図鑑で見た時とんでもなく速いとか書いてあった気がするのは気のせいだろうか。いや多分、そのうえで真っ向から狩ったんだろうな、皐月さんだし。

「睦月もおばさんたち誘っておいでよ。絶対わたしたちだけだと食べきれない奴だ」

 にんまりと目を細めた乙音に、ああしてやられたな、とぼくは内心白旗を振った。

 どうやらもはや癖になりつつある家出衝動は見抜かれていたらしい。

「……まあ、ぼくはいいけどさ。乙音は口の中ハンバーグになってるんじゃない?」

「そこはまあ、いざとなったらマグロでハンバーグ作るから大丈夫」

「それで満足できるならいいけどさ」

 るんたった! と適当な歌を歌いながら先を行く乙音に肩をすくめ、ぼくは開きっぱなしだった家族のメッセージルームに文字を打ち込む。

「さ、帰ろう! カジキが待ってるよ!」

「ぼくはお邪魔するんだけどね」

 笑いながら送信をタップして乙音の後を追えば、どこかの家で焼いているらしいサンマの香ばしいにおいが鼻先をくすぐって、ぼくらのお腹が同時にぐうと鳴った。

 まったく、育ち盛りにはつらい季節だ。

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