21. 恋人たちと親友たちと秋の花火

「花火大会行こうよ」


 秋も半ばに差し掛かり、時折ぶり返したように夏が顔を覗かせる以外はすっかり過ごしやすくなった。そんな時期にこんなことを言い出したのは、もちろん乙音である。

 頭の中で町内の予定表をめくってみたが、夏祭りは当然終わっているし、秋祭りをやる風習はこの地域にはない。

「花火? そんなのやるっけ?」

「陸じゃなくて海でね。最近沖の方に一人で住んでるお兄さんが水の中でも自在に火を使えるような発明をしたらしくて」

「……花火だからってわけじゃなく、普通の火?」

 たしか、手持ち花火なら素材的にしばらくは燃え続けるはずだけれど、そういうわけではないらしい。

「見せてもらったけど普通にゆらゆら燃えてたよ」

 ファンタジー映画でありそうな幻想的な風景を夢想してみる。きれいだろうとは思うが、水側は水中で火を使わなくても生活に困ることはないはずだ。というか、必要ならもっと前に開発が進んでいるだろう。

「水側ってたまに摩訶不思議なもの作るよね」

「わたしたちからしてみれば海の中で見つけたもの試してるだけなんだけどねえ」

 なるほど、娯楽の一種というわけか。

 乙音が見つけては持ってくる、本人曰く『海ではよく転がっている』らしい不思議な石や植物たちはこうしてたまに『面白いこと』に姿を変えることがある。今回はいったい何を加工したのやら。

「で、いつ?」

「一週間後!」

 今日とか明日とか言い出さなかっただけ成長したと思っておこう。

 ちなみに予定の確認はするだけ無駄だ。乙音にはぼくの予定のなさはバレているし、なんなら予定が入っていようとその予定を生かしたうえで自分の遊びに巻き込んでくる。

 まあ、楽しいからいいんだけど。

「できれば千早ちゃんとかも誘いたいんだけどね」

 自分から誘うべきか、橘から誘わせるべきかで迷っているらしい。

「海のイベントなら乙音から誘った方が自然でしょ」

 下手すると浮気と間違われそうな気もする。

 愛が重い少女にうっかり恨まれでもしたら大変そうだ。まあ、現状有り得ない話だけれど。

「……あの二人、本当驚くくらい順調だよね」

 度々惚気てくる橘からの情報と乙音から伝え聞くお嬢さん側の話をあわせれば、その仲の深まり方はあらかた把握できる。

「今度みかん持って遊びに行けるかもしれないって」

「あいつすごいな……」

 排他的な川の人の領域に踏み込む度胸も、少なくともお嬢さんがそうしても大丈夫だと判断できるところまで状況を持って行ったことも、どちらもとんでもない。

「これは案外うまくいくかもねえ」

「まあ、話聞く限りお嬢さんの方が結構強そうだし、どうにかなるかもね」

 彼らが破綻してもしなくても、ぼくらには一向に影響はないけれど、縁結びをした身としてせめても気持ちのいい関係を継続してほしいとは思う。

 寝覚めが悪いのは御免だ。

 乙音が少し遠い目をして、案ずるように目を伏せる。

「川も、これですこしは住みやすくなるといいんだけど」

 陸を嫌う川の人々は、水の人の中でも時代から取り残された生活をしているのだという。進化を嫌い、交流を嫌い、身分を厳格に定め、血を重んじる。そんな自分たちだけで世界を保とうとする姿をぼくは否定できないけれど、それでも、その先にあるのは滅びだけだろうという予感も確かにあった。

「なったらいいな」

 未来が橘の存在で変わるならそれは面白いことだ。

 そして、その未来によって乙音が憂うことが一つでも少なくなるならその方がいい。それが、川の矜持を傷つけることだとしても。

 ぼくは身勝手にそんなことを思った。


 **

 

 そして、一週間後。保護者達の許可を得たぼくらはまだ空の端がかろうじて青い道を四人で歩いていた。

 唯一水路の中にいるのが乙音で、陸を行くのが残る三人だ。水路から遠い順にぼく、橘、そしてぼくは初めて会う少女と並んでいる。

「お誘いいただきありがとうございます! 乙音ちゃん」

 絹糸のような黒髪を美しく結い上げた、いかにも育ちのよさそうな美少女が心の底から嬉しいと笑顔を咲かせる。

 品よく明らかに質のいい浴衣を着ているその少女こそが話題の川のお嬢さんこと千早さんだ。泳ぎが上手だと聞いていたから尾びれ持ちじゃないにしろヒレが発達しているのかと思っていたけれど、水かき以外で確認できるシルエットはなかった。浴衣だからだろうか。

 なお、なぜか脳内であっても呼び捨てにすると橘が何かを察して、もの言いたげな目で見て来るので敬称をつけている。

「わぁ、帯ヒラヒラ! 可愛いねえ」

 乙音も年相応に愛らしいものが好きらしい。金魚のようにひらひらとしている千早さんの帯を見てきゃっきゃと声をあげる彼女に、千早さんがそっと頬を染めた。

「乙音ちゃんの分もご用意したかったのに、お断りになるのですもの……わたくし一人浴衣で少し気恥ずかしいですわ」

 羞恥と悲しみが混ざった器用な憂い顔を披露する少女に、乙音は申し訳なさそうな顔一つせずさっぱりとした調子で首を傾げた。

「わたしは全部水路だからねえ。小物流れちゃったら大変でしょ」

 ぼくでもわかる。そういう問題ではない。

 呆れたぼくの眼差しを受ける乙音に、千早さんはにこやかに微笑んだ。

「今度滝に招待しますから、その時は見せてくださいな」

「え、滝に行って平気なの?」

 素で驚いたらしい乙音に弾むような声で返答が返る。しゃらんとぬばたまの黒髪を彩る簪が音を立てた。

「はい! 乙音ちゃんはわたくしの恩人ですもの! お父様もお母様もお喜びになられますわ!」

「んー、そのときは川登り用の船が必要かもなあ」

 ゆっくり尾びれが水面を打ち、底に映っていた月影が揺らめく。

「え、そのまま泳いでいかねえの」

 驚いたような声を上げたのは橘だ。着飾ってくる千早さんに合わせたのだろう、下手すると贈られたのかもしれないと思うような、上等な浴衣を着ている。

 ちなみにぼくは乙音と同じく普段着だ。

「浮力がちょっとねえ」

 川と海はつながっているが塩分濃度やらなにやらがまるで違うのだから当然だが、淡水へ行くときはそれ相応の準備がいるらしい。

 船用の貯金を始めようかなと呟いた乙音の声を拾った千早さんが、はっとした。失念していたらしい。

「でしたら、乙音ちゃんがいらっしゃる際にはうちでお船をご用意いたしますわ!」

「そういえば今大丈夫?」

「ええ! 汽水域で一昨日から滞在しておりましたの。もうすっかり慣れました!」

「よかったー」

 乙音がたのしそうでなにより。

 少し離れた位置で見守るように歩いていれば、橘が怪訝そうな顔でぼくを振り返った。

「……なんで睦月はそんな距離とってるわけ?」

「おまえの嫉妬が怖い」

 シンプルに言ってそれだけだが? と怪訝な顔をやり返してやれば、キッと睨まれた。頬が染まっているせいで微塵も怖くない。

「しねーって!」

 せめてぼくが脳内で千早さんを呼び捨てにしてもなんとも思わなくなってからそういうことは言ってほしい。

 さすがに乙音以外の友人に夜道で刺される趣味はないのだ。

「梓さまー!」

「ほら、お嬢さんが呼んでるぞ」

 見るからに恋する乙女といった表情で呼びかける千早さんに、ただでさえ赤かった橘の顔がいよいよ手が付けられない色になる。ついでに鏡を見せたい程度にどろっどろに甘い顔をしている。

 さっさと行けと手を振れば、どこも乱れてないくせにいそいそと髪や合わせを直して走っていった。

 並んだ二人のシルエットは中々いいバランスのように思えた。

 しみじみと見送っていると、ばしゃんと水路から水がはねた。見れば、ぼくを迎えに来たらしい乙音の呆れ顔がある。

「いや睦月もおいでよ。水路混んだらはぐれちゃうじゃん」

「あ、だからこんな早い時間なのか」

 水路が混む、というのはたまに下校するときに見る状態の事だろうけれど、この花火大会が海側でそんなに人気だったとは。乙音の言い方からして個人のものだと思っていた。

「そうそう。混む前に穴場についちゃいたいんだよね

 道案内役でもある乙音が遅れたら話にならないと気づいたらしい橘たちが、手をつないだままぼくらを振り返る。

 今行くよ! と声を張って泳ぎ出した真珠色の尾びれを追いかけて、ぼくも地面を蹴った。


 それから人が少なそうな道をさくさく進み、ぼくらは海岸線に出た。

 もうすっかり日は暮れているが、月もない分星が明るい。無数の星を映した海もキラキラ輝いていることだし、転ぶ心配はなさそうだ。

 そんなことを思っていれば、見覚えのある崖が進行方向にあるのが見えた。

「なあ乙音。穴場って、まさか」

 まさかと思いながら声を潜めれば、乙音が含みのある笑みを浮かべた。

「……ふふ、大丈夫だよ。心配しているようなことはしないから」

 乙音がそう言うのならばきっと大丈夫なのだろうけれど、一瞬かいてしまった汗が夜風に冷たい。あとでタオルで拭こうと思っていれば、橘がふいに情けない声をあげた。

「お、おい乙音。本当にこっちなのか? もうじき海に入っちゃいそうなんだけど」

「あら、梓さまったらそんなにお水が苦手でいらっしゃるの?」

 千早さんのきょとんとした眼差しが目に浮かぶような、不思議そうな声に乙音がくすくすと笑いながら答える。

「違う違う。このあたりの陸っ子ってだいたい水に入らないように育てられてるんだよ」

「ああ。そういうことですのね」

 案外そういう地域は多いのかもしれない。千早さんはすんなり頷いたかと思うと、小さな手で橘の指をそっと掴んだ。

「大丈夫ですわ、梓さま。水の者がこうして招待しているのですから、誰も罰しようがありませんわ」

 でも、と腰が引けている橘に、小学校の頃の自分が恐れながらも水自体に焦がれていたのはやはり陸では珍しいことだったのだな、と実感する。

「大体浸かるにしても足首までだから安心しなよ。睦月も。ぼーっとしてないでさ」

「ひっぱるなよ」

 正直水に入ること自体は予測していたから、驚きはなかった。

 足を踏み入れたのは、かつて乙音に手を引かれて洞窟へ向かった深みとは別方向にある遠浅の浜辺だ。たしかに乙音が言う通り、これなら足首まで浸かればいいところだろう。

 しゃくしゃくしゃく、ざざん、ざざ

 水をかき分ける感触と砂を踏みしめている感触が交互に足を刺激するのを暫く楽しんで、ふいに後ろを振り返ったころには、随分砂浜が向こうの方にあった。

「なんで睦月はそんなすまし顔でいるんだよ!」

 涙目になっていそうな橘に、ふんっと鼻で笑う。

「ぼくは規則破りの常習犯でね。もう慣れた」

「優等生のくせに……」

 隣にいる千早さんの方を気にすればいいのに、よっぽど水が怖いらしい。最近直ってきた悪癖が出かかっている。

「処世術ってやつだよ。スポーツ部門の優等生」

「お、」

 乙音が不意に上げた小さな声をかき消すように、空がパッと明るくなった。同時に、大きくはじける音がする。

 ひゅるるる ぱん

 どん ひゅるるる ぱん ぱぱぱぱ

 火薬が奏でるそんな音をバックコーラスのように背負いながら、暗く落ち込んだ空に満開の光の花が咲き誇る。

 オレンジ 緑 黄色 赤

 とりどりに色鮮やかな閃光が弾けては夜に吸い込まれていく。

 水面と空とに大きく広がって、空と水の境目がなくなったように見える。

 光が毬のようにはずみ、流星群のように落ちていく。

 大きく顎を上に突き出さなくてはてっぺんが見えないほどに大きな花火だ。すぐそこで上がっているはずなのに、火薬のにおいが奇妙なほどにしない。

 炸裂音の合間に、ぺたぺたじゃぶじゃぶと音がして、隣に慣れた体温が寄る。

「楽しんでる?」

「わかるだろ」

 声の主を水にそういったぼくに、笑い声が転がる。

「うん。とても楽しそうでなにより」

 無邪気に花火を楽しむなんて、思えば金魚をとった夏祭り以来かもしれない。すこしの気恥ずかしさが芽生えて、ぼくは誤魔化すように話題を帰る。

「……火薬の臭いがしないんだけど、どうなってるのこれ」

「言ったでしょ。沖の方の変人の兄ちゃんが新しく開発したんだって。すんごいクリーンエネルギーらしい。よくわかんないけど」

 よくわからないのか。ぼくはすこしの呆れと海の人らしさへの敬意をこめて苦笑する。

「謎技術の行きつく先が花火かあ」

「平和でいいでしょ。海も汚れないし」

 まったくだ。話でしか聞いたことがない戦争とやらで生み出されるよりも、人の心を豊かにするところから始まる方がずっといい。

「あいつらは?」

「千早ちゃんによるエスコートで遠浅散策中」

「逆じゃない?」

 いくら陸じゃないからって土地勘がない子になにさせているんだあいつは。少しの頭痛を覚えれば、しょうがないよと乙音が肩をすくめた。

「水がある場所だとへっぴり腰なんだもん、梓くん」

 それもそうだ。先ほどまでの態度からエスコートを始めたところで決まらないにも程がある。

 ドン、ドン、と体の奥まで大気ごと揺らす振動を連れて炎の花が咲き誇り、星の光も飲み込んで足元の水が輝いては透ける。

 一瞬しか咲かないその花を網膜に焼き付けながら、ぼくはぽつりと呟いた。

「ぼくもそうだったけど、完全に水に入れないようにしつけるって、どうなんだろうなあ」

 誰が言い出したのかわからないそれは、水難事故防止のためだけというにはあまりにも根深い。乙音があの日ぼくの手を引かなければ、ぼくは橘のように泳ぎの一つも知ることなく大きくなっていたのだ。

 陸も、水も、仲良くしましょう。そう描く標語ポスターを貼りながら、水から遠ざけるのはどうにも歪だ。

「さあね。気に食わないなら睦月が大人になったら変えてみなよ」

 高いところを飛ぶような、星の向こうを見るような、気高い声が言う。

 立派な人になるつもりはない。ましてや、社会を変革することがぼくにできるとは思わない。そういうのは、目の前にいるこの子にこそ相応しい。

 けれど、他ならぬ彼女が期待してくれるというならば、少しは頑張ってもいい気がした。

 花火から目を外し、乙音と目を合わせる。

「協力してくれるんだろうな? 親友」

「あははは。気が向いたらね」

 また大きく光の花が咲いて、乙音の真珠色の髪が、頬が、透明な緑に染まる。

 そして、暗闇の中ぼんやりと星のように光る乙音を見るたびに、思う。

 この美しい親友の白は、何者にでも染まる白ではなく、誰も彼もが持つその色の中に、決して消えずに灯り続ける、光の色そのものに違いない。

 眩く、世界を貫く星の色だ。

「……最初。穴場って聞いて秘密基地に連れていくのかと思った」

 ぱしゃん、といつもの乙音を真似するように水を蹴る。拗ねたような声が出て、咄嗟にぼくは口を押えた。

 乙音はからかうこともなく応えた。

「あ、やっぱり? 連れて行かないよ。あそこは大事な場所だからね」

「尾びれ持ちの為の場所だから?」

 勝手に秘密基地にしているけれど、本来あそこはそういう場所だ。ぼくは間借りしているに過ぎない。

 くつくつと、からかうように乙音の声が笑いを含む。

「それも勿論あるし、あそこを知られると泣けなくなる誰かさんを知ってるっていうのもある」

 思い当たる節しかない。何かにつけて、ぼくはあそこでよく膝を抱えているのだ。情けないことに、中学生になった今でも。

「……ありがたいことで」

「だいたいあそこ、色々改造したけど外見えないんだから穴場も何もないしね」

 言われてみればそうだが、どうにでもできるのがぼくらの秘密基地だという自負から思わず反論する。

「いや、この間拾ってきた不思議石で透過すれば見えるし」

「テレビで見るのと変わらないでしょそれじゃあ」

「まあ、それもそうか」

 透過画像では色や光は見えてもこの全身を震わせる振動はわからなかっただろう。ぼくは納得して頷いた。

 

 見上げた空にまたひとつ花火が開いて、遠くではしゃぐ新米カップルの影がくるりと踊った。

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