18. 夏の終わり、新たな友達

 手紙を送ってから数週間後、ぼくらは再び公園に来ていた。

 夏が完全に過ぎ去ったわけではないけれど、秋の気配がし始めたことで廃公園も一層寂しさを増している。

 そんな切なさすら覚える風景の中、橘がぼくらの眼前に仁王立ちしていた。


「で、なんで俺はまだこの水っ子に絡まれてるんだ?」


 若干の後ろめたさがないわけではないぼくらと違って、好きな子との文通がうまくいっているらしい彼は活力に満ち溢れている。

「絡んでるとは失礼な。経過観察といってよ」

 後ろめたさに苛まれているのはぼくだけだった。

 水の中で佇んでいる乙音には後ろめたさの欠片もなく、仕方ない奴めと言わんばかりにため息をついている。

 ちなみに、あれ以来たまに掃除しにきていたので、コケやら水草やらが大量に発生していた水はすっかり綺麗になった。今ではひとけのなさも相まって、お気に入りスポットの仲間入りだ。

 上機嫌な乙音を見てぼくの心もぬくもりを抱く。

「乙音が満足するまで付き合ってやってよ」

「この親友モンペまったく止める気がないな」

 乙音が後ろめたく思っていないならぼくが気にするのも筋違いだろうと気持ちを切り替えれば、橘がうんざりした様子でこちらを睨みつけてきた。

 切れ長な上に中々鋭い気迫を持っているのでわりと怖いが、乙音や海の中と比べればないも同然だ。

「ただの同級生の橘くんと乙音なら乙音を取るに決まってるだろ」

 なんなら世界と天秤に賭けろと言われても乙音を取る。

 堂々と言い切ったぼくに、乙音と橘の何とも言えない視線が突き刺さった。

 橘が頭を抱える。

「だから友達すくねえんだよ委員長は!」

「え、睦月やっぱ友達少ないんだ」

 乙音が目を丸くしていかにもびっくりという顔を作ったが、いかにも楽し気な笑みが口元に張り付いている時点でぼくの同類でしかない。

 お互いのくしゃりとゆがんだ部分を見つけると楽しくて仕方がないのだ。

 きっとぼくらの変わった友情を理解できないだろう、この場で唯一の真っ当な人物である橘が呆れた顔になった。

「おい親友にもやっぱりって言われてるぞ」

 善性が身に染みるが、別に友達が多いほうがよいなんてことはどこにもないだろう。

 広さよりも深さだ。

 その点ぼくの深さはお墨付きだろうと胸を張って宣言する。

「ぼくには乙音がいれば十分」

 がっくりと乙音が肩を落とし、顔を覆った。しくしくとかそんな、わざとらしい泣き声を口でいうんじゃない。

「それ思ってても口に出さないでほしかったなー!! 親友の交友関係が不安すぎる」

 冗談めかした口調だけど目が本気だ。学校では取り繕ってどうにかなっているから、ぼくとしては今のままでいいのだけれど。

 考えておくよ、と口先だけで言えば、それでよろしい、と乙音が頷いた。

 最後の一線は自分で決めさせる乙音の性質から、にこう返せば話題をキャンセルできることをぼくは知っている。

 けれど、今回はそうはいかなかった。

 調子の狂うことに、乙音に余計な情報を付け加える奴がいるせいで、いつもならここで流れる話題がさらに転がった。

「クールってことになってるけど正直ぼっちだなとは思ってる」

 橘お前、話題を盛り上げるんじゃない。

 表情が思わず苦くなる。ふむふむと頷く乙音に、ここからさらに掘り下げられるのかとげんなりした思いでいれば、乙音の顔がくるりと橘の方に向いた。


「なるほど。だから梓くんは睦月に声をかけたわけだね?」


「は?」

 何を言い出すんだろう。

 全く見当もつかず、ぱちぱちと目を瞬かせる。なぜか橘が妙に慌てふためいた顔をしているが、どうしたというのだろう。図星を突かれたわけでもあるまいし。

 乙音がにんまりと笑った。

「ん? だってただ『水っ子とつながりを持ってお嬢さんと再会できたらなー』ってだけなら、睦月に声かける必要ないでしょ?」

「え?」

 思いもよらぬ言葉に目が点になった。

 素直な善性少年のことだ、初恋を拗らせたがために乙音という水っ子とかかわりのあるぼくに突撃してきたとばかり思っていたのだが、乙音の見解は違うらしい。

 岸に生えていた名も知らぬ草をぶちっと引きちぎってひゅひゅんと振るこどもらしい仕草とは裏腹に、その横顔は名探偵のように澄み切っている。

「水教室なんてすぐ隣だし。好きな子がいると言わなくても『去年助けてくれた子にお礼を言い損ねちゃった』って先生に言えば協力してもらえるだろうし」

 言われてみれば、その通りだ。

 学校側としては水難事故に陸っ子があうのは問題だけれど、そのあたりをカバーできるなら水っ子との交流はいくらでも推奨したいようだし、そうでなくともお礼を言いたいという子供を無下にすることはないだろう。普段クラスの雰囲気をよい方向に保っている橘の頼みならなおのことだ。

 そこまで思考が追い付いて、ぼくは油の切れたブリキ人形のように首をいよいよ人間の限界まで捻ってしまった。

「……え?」

 理屈は理解できたが、橘がそこまでぼくを気遣う理由がわからなくて、困惑の母音しか口から出てこない。

「あははは、睦月本気で気づいてなかったんだ」

 腹を抱えて笑い出した乙音を見て、橘を見る。

 お嬢さんを思っているときほどの赤さはないが、羞恥に耳が色づいている。

 うっそだあ。

「乙音の冗談……だよな?」

 予想外すぎて、いっそ否定してほしい。

 善性をうまく受け取れない身なんだぼくは。どうかただの妬みであってほしい。

 そんな願いを込めて問いかけてみれば、気まずげに目を逸らしていた橘が大きく深いため息をついた後、まっすぐにこちらを見据えた。

「……わりぃかよ」

 悪くないけど悪い。主にぼくの心的負担という意味で。

 吐いてしまった暴言をいくらでも責めろと言わんばかりに濁りない目に見据えられ、その実直さにいよいよ胃が痛くなる。

 美徳とされる姿勢を自分に向けられるの、本当につらい。

 自分自身がそうあれないことを突き付けられてしまう。

 さあ来いと構えた橘と、もういいよ放っておけよと逃げ腰になったぼくの奇妙な姿勢の間で、笑い疲れたらしい乙音が目元の涙を拭いながらマイペースに持論を展開し始める。

「ここからは乙音ちゃんの名推理なんだけどね? 梓くんは『こいつぼっちだなー。俺が何とかしてやんないとなー』って思ってて、ずっと声かける機会窺ってたんだけど、どうやら水っ子と仲良くしてるらしいぞ! って聞いて、変に拗らせちゃったんじゃない?」

「うぐ」

 急所になにかが刺さったような声を上げ、腰を入れて構えていたはずの橘が膝から崩れ落ちた。

「ほら、梓くん的には自分は好きなあの子の名前も知らないのに、陸的にはぼっちな睦月はこんな可愛い水っ子と親友してるわけで」

「乙音の推理力は大したもんだとは思うけど自己肯定感が高すぎやしないか?」

 つい口をはさんでしまった。いや、乙音の顔は親友の欲目がなくとも確かにとんでもなく整っている。最初に見た時は人形かと思ったくらいだ。

 大きな琥珀色の目を縁取る睫毛は長いうえにきゅるんとカーブを描いているし、鼻はつんと高い。輪郭も骨格から整っているのだろうと想像できるくらいに完璧なラインをキープして、唇は無論ふっくら艶やか。

 血縁上の両親である彼らのパーツの良いところだけを集めたうえで、人間として最も見栄えのする場所に配置されたような、作り物めいた美形なのだ。この子は。

 黙っていたら滅茶苦茶近寄りにくいタイプの顔立ちだが、本人が意識して親しみやすい表情を浮かべているおかげで美しさよりも愛らしさが勝っているので、決して間違いではない。

 間違いではないが、なんとも言えない気持ちになる。

 陸ではこういうことを言う子は遠巻きにされていることが多いから、そのせいだろうか。

 乙音はきょとんとした顔で自分の鼻先を指さした。

「でもわたし可愛いでしょ? というかこの程度で高すぎるって怖いなあ陸。水っ子の中の最高に自己肯定感高い子紹介しようか? すごいよ?」

「興味はあるけど怖いから勘弁してくれ」

「そう?」

 海の中で世界に溶けてしまうような感覚を思い出せば、このくらい自我がはっきりしていないとやっていけないのかなという納得はある。あるけれど、乙音でもうお腹がいっぱいだ。

「というか橘くんが顔を覆って倒れ伏してるんだけど」

「なんと」

 フードを目深に被っているせいで新種の芋虫みたいになってしまっている。学校では絶対にお目にかかれないだろう悶えっぷりだ。カメラ持ってくればよかったな。

「おーい、生きてるう?」

 乙音が手近な棒でつんつんと橘の背中をつつく。より一層死にかけの芋虫感が増してしまった。

「うっせはなしかけんなばーか」

「梓くんはテンパると暴言出るタイプだねえ。直さないと苦労するよ?」

 親切心なのだろうが、今の橘には追い打ちだったようだ。

 ただでさえ死に体だというのに、いよいよ活力すらなくなってしまっている。最初の仁王立ちが嘘のようだ。

「知らん……ほっといて……」

 もう蚊の鳴くような声しか出せていない。

「あー、図星突かれすぎた。のかなこれ……」

 なるほど、普段は体の大きさや気の良さからみんなに好かれていて滅多に攻撃されることがないから、精神的ダメージに弱いのか。

 お嬢さんへの初恋で揺れたメンタルで、ぼくにその軋みを全部ぶつけてきたのもそのせいなのだろう。経験を積めばどうにかなるのだろうが、その経験自体が積めない悪循環だ。一年前のぼくとは別の方向でガス抜きが下手というか、滅多にガス自体がたまらないから噴出孔が形成されていないのだろう。

 乙音に目配せすれば、小さく肩が竦められた。

 なるほど、ここまで死に体になるほど突いたのはそれも理由の一つか。面倒見のいいことだ。

「ごめんねえ」

 謝る気があるのかないのかわからない顔でそう言いながら、乙音がざばりと水から上がる。

 にっこりと綺麗な笑顔が浮かぶ。

「でもこの機会に睦月と仲良くしてあげてくれると嬉しいな!」

 ぽん、と橘の背を乙音が叩く。

「……ええ?」

 余計なお世話だ。親気取りかこの親友。

「そこはうなずいとけよクソ委員長!」

 がばりと突然起き上がった橘はまだ余裕がないのだろう、耳も顔も真っ赤な上になけなしの罵倒をかましてくる。

 表情があれば照れ隠しだとわかるが、文面だとそうはいかないのだから本当に治した方がいいよ、その癖。

 ぼくは居直った。

「いや、別にぼく友達いなくて困ってないし……班分けとかのときも委員長面してれば適当に誘われる」

 事実である。

 ぼくは深い付き合いが苦手だし、わざわざ友達とまでいかなくても交友関係なんて如何様にでもなる。ぼくは一応頭脳明晰枠でクラスに地位を築いているので、辞書代わりに使われる場面はたくさんあるのだ。

 人によっては複雑な気分になるのだろうけれど、下手に善性や良心で組むよりは利害関係がはっきりしていてやりやすい。

 利用されてもなんとも思わない性質でよかった。

 ぎりりと橘が苦虫を噛み潰したような表情になる。

「優等生面が憎い」

「正直今のは睦月が悪いと思う」

「きみたちの方が仲良しになってない?」

 声を揃えて非難してきた二人にため息交じりに切り返せば、二人は顔を見合わせた。

「……ふむ」

「たしかに」

「じゃあよろしく友達」

「おう。明日あたり睦月はぶって遊ぼうぜ」

「それは乙音ちゃん的にNG」

 ざまあみろ。乙音はそういうところが素敵なのだ。

 そんな根暗な嫉妬心を隠さず鼻で笑うも、余裕があれば負けず劣らず人間ができている橘はただ感心したように頷いた。

「委員長いい奴捕まえたなあ」

「いやいや梓くんや、捕まえたのはわたしのほうかもしれないよ?」

「……勝手にやってろ」

 太陽二つに挟まれたようだ。

 普段の乙音がどれだけぼくが居心地がいいように月や星のように振舞ってくれているかよくわかる。

 しゃがみこんで無意味に公園の端の方に生えている花を見つめれば、ふにふにと水かきのある手がぼくの頬をつついた。

「拗ねないでよ親友」

「そうだぞ乙音の親友」

 本当に気が合いすぎだ。言うんじゃなかった。

 やけくそになって、ぼくは新しい友人と永遠の親友に向かって叫んだ。


「そうだよぼくが乙音の親友だよ!!」


 子供特有の甲高い笑い声が三人分、入道雲も見当たらなくなった空に吸い込まれていった。

 

 こうして、ぼくの夏は終わった。

 役者は揃い、ぼくらは緩やかで、けれども激しい秋を迎えることとなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る