14. クピドの真似事(2)

「……で、どうやってあの子と俺をくっつけるって?」


 開き直ったらしい橘がどっかりと地面に腰を下ろした。

 乙音のあの目を見た直後にこの態度ができるとは珍しい。恋とやらに振り回されているだけで元々だいぶ胆力があるのだろう。

 ひねくれ曲がった根性に自覚がある身からすると、少しばかり羨ましい。

「え? くっつけるまではしないよ」

「は?」

 声にこそ出さなかったものの、ぼくも橘と同じ顔をしてしまった。

 計画を詳しく聞いていなかったものの、まさかキューピッドごっこと言いつつそこは丸投げするつもりだったとは。

 けれど、乙音らしいとも思う。

 この子はいつだって感情を強制することはない。

 感情が動く切っ掛けになる事件を起こしはするものの、それで何かを操作したいとは思っていない。それでも彼女が思うように動いてやりたくなってしまうのだから、本当に末恐ろしい。

 英雄ではなく傾国とかになっちゃったらどうしよう。

 そんな馬鹿な心配をされている乙音は、ふふんと小さな体で胸を張った。

「あくまでわたしたちがするのは応援だよ。ちょっとくらいは手伝うけどさ」

「なんだよ、それ」

 橘が不満げかつ困惑気味にそう言いながら口をへの字に曲げた。

「じゃあ聞くけどさ。きみはあの子のことをわたしたちに全部用意されちゃってもいいの?」

 乙音にとってはからかい半分確認半分の言葉なのだろうけれど、透明な琥珀色の目に覗き込まれた橘が小さく肩を揺らした。

 どれだけ肝が据わっていようと、あの異様な迫力を味わった感覚はなかなか抜けるものではないらしい。

 ぼくは彼の動揺に気づかないふりをして、乙音に向けて小首をかしげてみせる。

「お見合いよろしく、場を整えて?」

「そうそう。あとはワカイフタリニマカセテ みたいな」

 テンポよく投げ返されたが、完全に片言になっているあたり、どこかで拾ってきた知識なのだろう。

 前に聞いた感じからしても、海にその手のお見合いがあるとは思えない。

「同い年だけどな」

「今はそういうのは無粋」

「そう?」

 ポンポンポンとノリに任せて喋っていれば、観念したように橘が盛大に呻いた。

「わかった。わかったよ! おまえらに任せといたら絶対事故る」

「それはそれで失礼だな」

 異口同音にぼくらがそう言えば、切れ長の目がじっとりと半眼になる。

「……じゃ、応援ってなにすんだよ」

「あ、それはぼくも知りたかった」

 いかにも不承不承と言った口調で問いかける彼に、ちょうどいいので便乗することにする。

 信じられないものを見るような目で見られた。

「委員長知らねえでついて来てたの?」

 普段の真面目さはどこにいったんだよ。と言外に問い詰められている気分になる。まあ、あえて投げ捨てているので痛くもかゆくもない。

 すんとすまし顔でスルーしようと思っていれば、乙音がきゃらきゃらと笑った。

「睦月は案外ノリで動くよ」

「訳知り顔で人のことを語るんじゃない」

「あってるじゃん」

「あってるけどさ」

 乙音が知っているぼくはそんな感じでいいのだ。というかそういうぼくを彼女が作ったと言った方が正しい。乙音と出会うまでは、息苦しいくらいに真面目に生きようとしていたのだから。いい子になれるように。

 スルーには失敗したので、ぼくがここに居る意義を伝えてあげようと思う。

「まあ、知らないからって放置してたら、今頃このフリーダムに完全に玩具にされていたから」

 ぼくにとって乙音の自由さは好むところではあるけれど、何も知らない人からしたら災害でしかないことがわかる程度には分別はあるつもりだ。

 普通の人間は海中に引き込まれたりしたらトラウマになる。

 すでに懐かしく感じる記憶に浸りかけたところで、橘の呆れた声がした。

「え? 今も玩具にされてないか俺」

「まさかそんな性格悪いことするわけないだろ?」

 ちなみにぼくは性格が悪い。乙音は性格が悪いのではなくタチが悪い。

 性格の悪い奴がそんな風に真っ向正面からツッコまれて素直に認めると思っているなら、やはり橘は周囲の人に恵まれている。

 白々しく肩をすくめたぼくとは対照的に、橘はがっくりとうなだれた。

「信用ならねえ……」

「じゃあやめる?」

 乙音に倣って煽ってみる。彼は基本的に明るく強く前向きな性質なようだけれど、どうやらこの件に関しては後押しが必要らしい。

 それが得体のしれない恋というものによる影響なのか、はたまた水の人というある種の異文化圏に踏み入れることになるが故の者なのかは、知らないが。

 高みの見物をする気分で彼を眺める。

 頭を抱えながらうーだとかあーだとか唸り始めた橘は風が三度吹き抜けたころ、ようやく顔を上げた。

「……やる」

「お。話まとまった?」

 すっかり暇を持て余して猫じゃらしで遊んでいた乙音が姿勢を正す。

「じゃあ始めようか」

 白い手がぽんっと音を立てて合わされた。

 お誂え向きに雲が流れ、太陽の光が真珠色の髪を煌めかせる。

 好奇心といたずら心に満ちた琥珀色の目がゆっくりと細められ、唇が弧を描く。

 橘の上半身が期待で少し前に傾いた。


「名付けて、『お嬢様との交際は清く正しく手順を踏んで! 今何時代だっけ? 文通作戦』!」


 ぱっぱらー! というような、お気楽な効果音がつけられそうな緩い作戦名を能天気な笑顔が告げた。

 思わず、橘と顔を見合わせる。どうやら思いは一つのようだ。

「大体何するかわかったよ」

「奇遇だな委員長。俺もだ」

 まあこの作戦名で内容を予測できない奴はそれはそれで怖いものがある。

 だというのに、乙音は何故だかやたら自信満々に踏ん反り返りながら笑って見せた。

「まあまあそう早とちりしなさんなって」

 時々道化もなにも関係なく本気でボケるからなあ、と目を細めていれば、乙音がこてんと首を傾げた。

「だいたいきみ、川の方への手紙の出し方なんて知らないでしょ」

「ぐっ」

 それを出されると陸の男子二名としては二の句を告げるわけもない。

 なんなら海の方への手紙の出し方も知らない。

「だからこの乙音ちゃんが力を貸してあげるってわけ」

 にこにこと上機嫌そうな乙音とは対照的に、自分の無力さに打ちひしがれていたらしい実直男子くんが、ふいに眉をひそめた。

「……なんでそこまで関わってくるんだ? 俺、お前の親友とやらにむしろ嫌われることしてたと思うんだけど」

 いやに協力的な乙音に対していささか遅い質問が飛ぶ。

 むしろ最初にそれを聞くべきではないだろうか。学籍とかは名乗ったけど我が親友の素性は橘からしてみれば謎の一言に他ならないだろう。

「え? 面白い睦月を見せてくれたからだけど」

 予想はしていた。

 橘の視線に心配の色が灯る。

「おい本当にこいつが親友でいいのか?」

 最初の絡みっぷりはどれだけ無理してつっぱっていたのかと思ってしまうくらいに善人だ。その善人ぶりに便乗してぼくも少しくらいイイコごっこでもしてみようか。

 困った顔を作って首を傾げる。

「正直本当そういうところどうかと思う」

「あははは、梓くんはともかく睦月はわたしで愉快を補給してたくせになに言ってるんだろ」

 目を逸らしておこう。事実だ。

 ぼくらはお互いそういうところがある。深くお互いに親しみ、相手がどうかうまく生きられますようにと願いながらも、相手が些細なことで失敗している姿が見たくて仕方がないのだ。

 ぼくの場合は彼女の人間らしさを再確認するためという意図もちょっとだけあるにはあるが、大部分は愉快さを提供してもらいたいだけなので、あえて言う必要もないだろう。

「これまた脱線するパターンだろ」。

「お。そうだね。じゃあサクサクいくよー」

 乙音が猫じゃらしを指揮棒のように振る。ぼくは頷き、橘は気を取り直してきりりと表情を引き締めた。

 橘もぼくたちのテンポにだいぶ慣れてきたようで何よりだ。

 

 *

 

「ぶっちゃけ、川との交流手段はほぼありません!」

 朗らかな笑顔で爆弾を投げられ、引き締めたばかりの橘の顔が心臓を落っことしたようになってしまった。

 乙音はまあまあ話はこれからだよ。なんて言いながら、ひゅんっと猫じゃらしを振る。

「なんでかっていうとね。川の水っ子と海の水っ子はよっぽどのことがない限りお互いの縄張りに入っちゃいけないことになっているし、川の子の方が陸の人に対しても警戒心が強いんだよね」

 だから去年あんなことを言っていたのかと一年越しに納得しながら、わざとらしく目を丸くする。

「へえ。水側にもそんな厳格なルールあったんだ」

「わたしたちがチャランポランみたいな言い方やめて? 大体あってるけど」

 大体どころか、少なくともぼくが知っている中で真面目と称して問題ない水の人は文月さんだけだ。乙音たちに真面目な面がないとは言わないけれど自由さがそれを上回りすぎている。

 乙音の兄であり一応ぼくの実兄である文月さんは、数度会っただけでわかる人格者だった。善人というわけではないが、自分が善人じゃないことを知っているからこそ優しくありたいと思っているような、そんな人。

 乙音や皐月さんに言わせてみれば「あれはあれで難儀なところがある」らしいが、少なくともぼくは共感を覚えた。多分海側の家族の中で一番きょうだいの実感がわいている。文月さんからしてみればいい迷惑かもしれないけれど。

「川の方が警戒心が強いって、どうしてだ?」

 橘が恐る恐るといった体で乙音に訊ねた。

「生活圏が近いからだって、母さんはいってた」

 すっと乙音の声が静かな色を帯びる。

 あの日に聞いた内心を語った時に似た――青い声だ。

「? 同じあたりで暮らしてるなら、むしろ交流が生まれるんじゃないか?」

「同じあたりで暮らしているからこそ、怖い思いをさせられることだってあるんだよ」

 声の変化に気づかなかったらしい橘が無邪気に質問を重ねれば、乙音はやはり淡々とした調子で言葉を返していく。

「まずね。海っ子であるわたしたちがきみたちをあんまり怖いと思わないのは、ぶっちゃけ海に引き込めば勝てるってわかってるからなんだよね」

 淡々とした調子で言うことではない。

「突然物騒だな我が親友」

「もちろんしないよ?」

 ぼくを引きずり込んだことはカウントしていないのか、橘の手前口にしてないだけかどっちなのだろう。前者だったら今一度お話し合いをしなければいけないところだ。

 にっこりと顔の表面だけで笑った乙音が、ぽいっと手にしていた猫じゃらしを水の中に落とす。緑色の穂がアメンボのように一瞬水面にとどまったが、そのうち中にいたらしい鯉が吸い込むように食べてしまった。

 真珠色の尾びれがゆらんと揺れる。

「でもね、そういう側面はあるんだよ。わたしたちには。海の中はヒト以外にもでっかい怖いのがうじゃうじゃいて場慣れしてるし、深さのリーチがあるからいざとなれば陸生生物は溺れさせられるって、むかーしむかし、陸と水が仲悪かったころとかはこっそり教えていたらしい」

 穏やかな声をしているが、言っていることは過激だ。

 そういうことが重なって内地の方だと水の人が魔物っぽく伝わっていたりするのだろう。もっとも、水側が一方的に悪いわけではないし恐ろしいわけでもないことを、ぼくは一応知っている。

 けれど、橘はまだ知らなかったらしい。

「仲が、悪かったころ」

 信じられないとでも言いたげだが、今だって別に仲良しこよしというわけではないだろうに。

 共生できるくらいの仲にはなって、街づくりにも水の人が関わるようにはなったけれど――協力できることと仲がいいことは違う。

 だいたい、仲がいいならそこまで川のお嬢さんへの想いに戸惑う要素はもうちょっと減っていただろう。自分自身が証明になっているのだと気づいていないらしい。

 客観視しない愚直さに少しの呆れを覚えたぼくとは違い、乙音はそのあたりは特に気にしていないようだ。

「ん? もしかしてまだ陸教室だとやってないのかな。まあ予習だと思って聞いてよ」

 紙芝居でもめくるように、ゆったりと乙音は話し出した。

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