第12話 針の乙女と図書館の窓
王城へと向かいながら、シェーナはいつになく早足のアデリアナに驚いているようだった。ちらりと見た顔は、そんなにはやく歩けたのですねとでも言いたげだ。シェーナは相変わらず表情が少ないが、うち明け話をしたせいか、アデリアナにはなんとなく彼女の思っていることが感じ取れるようになっていた。
回廊を警護する近衛騎士たちに不思議そうな目で見られつつ、アデリアナはシェーナに囁いた。
「あのね、少しだけ図書館に寄りたいの」
「いまからですか? 王太子殿下との待ち合わせまで、あまりお時間がありませんが……」
渋るシェーナに、アデリアナはお願いと重ねて頼んだ。
「少しだけよ。本を開いたりしないと約束するわ」
「姫様が……!? ああ、いえ、失礼いたしました」
「わかるわ。自分でも思うもの、信用ならないでしょ。でもね、ほんとうだから。だってほら、本を持っていないでしょう? それにわたし、いま貸出冊数いっぱいまで借りているから、新しく借りられないのよ」
シェーナは、図書館で何度声をかけても気づかないでいたときのアデリアナや、困り果てたシェーナに司書たちが苦笑して「いつものことですよ」と言って慰めたときのこと、はたまた何度注意しても脚立の上で本を読みふけるアデリアナの姿を思い出しているようだった。
シェーナは、しばし黙っていた。女官としての王太子への配慮と、アデリアナの気持ちをどのくらい汲み取るべきかということの間で悩んでいるのだろう。回廊を抜けて、図書館へ行くのなら曲がらなければいけない廊下が見えてきたところで、シェーナはしぶしぶといったように頷いた。その瞳が、アデリアナが手にした手紙を一瞥する。
「……私が傍にいてもよろしいのでしたら。そのお手紙に関係しているのでしょう?」
「もちろんいいわ、ありがとう。そうなの。……よかった、ジェラルドならぜったいに許してくれなかったわ」
それで、ジェラルドではなくシェーナに供を頼んだのだ。シェーナが何かを言いさして、けれども口を閉ざす。
王城に入ったところでさすがに歩く速度を落としたアデリアナは、淑女に許される限りの早足で図書館へと向かう。すれ違う人という人に軽く会釈をしなければいけないのももどかしい。幸いなことに、アデリアナに向こうから声を掛けて足を止めさせることができる身分の人とは行きあわなかった。
「……あのね、恥ずかしいから内緒にしてちょうだいね。リンゼイ夫人にも、ジェラルドにも」
シェーナは図書館の扉を開けてくれながら、不思議そうな顔をしつつも頷いた。
息を整えたアデリアナは、図書館に足を踏み入れる。せわしなく歩いては書架の間に目を凝らしていたアデリアナは、ややあって、人気のない端の方へと歩き出した。分類番号のはじめのあたり――女神や神話、神代についての本を纏めた書架だ。
「神官長様、ごきげんよう」
書架が影を落とした暗がりに佇んでいた人影が、アデリアナの声にふと顔を上げる。
顔の周りの髪を一房ずつ肩で切り揃え、あとは腰のあたりまで伸ばして後ろでひとつに編んで流している。そのごく淡い髪の色が、本を傷めないよう計算されて設置された採光窓から漏れる光に照らされてひそやかに輝いていた。光を丁寧に梳ったような髪だった。同じ色の眉と睫毛の淡さと、そこだけ色の濃い青の瞳が印象的な、繊細な面立ちの青年だ。
「おや、これは――ああ、そうでした。いまは姫様とお呼びしなければいけませんでしたね」
後ろで、シェーナが驚いた気配がする。
アデリアナは微笑んで、神官長のゼゼウスに膝を折って挨拶の礼を取る。
「神官長様、突然申し訳ございません。ですが、どうしても御目に入れたいものがございますの」
しばしアデリアナを見つめていたゼゼウスは、手にしていた本を閉じた。
聡明なゼゼウスはアデリアナの口調で察してくれたようで、快く頷いてくれる。
「あなたの頼みでしたら、喜んで。花園入りが終わったら、また神殿にお出でなさい」
「はい、ありがとう存じます。……そのときは、秘蔵のご本を見せてくださいます?」
「もちろんですとも」
アーデンフロシアの神殿は、国の祖である女神の恩寵を管理する塔と並ぶ独立した組織だ。
女神信仰を伝え、また、時には女神からの神託を受ける神官たちが集う中央神殿の長であるゼゼウスは、実はアデリアナのひそかな読書仲間であったりする。もとは女神の神話を持ち運ぶために作られていたという本を集めるうちに、手のひらほどの小さな本の蒐集が趣味になったというゼゼウスとは、時折お気に入り本を披露しあう仲なのだった。
もともとゼゼウスは王太子に付けられた教師の一人で、ルーファウスが引き合わせたことでアデリアナとも親しくなったという経緯がある。
アーデンフロシアでは、王位を継ぐ王太子の年齢に合わせて、塔と神殿の長は代替わりを行う決まりがある。ゆるやかにではあるがそれぞれの長の年齢をおおまかに揃えることで王城との均衡を保ち、また一人の人間が長きにわたって力を握ることで生じる組織の腐敗を防ぐために、定期的な代替わりの仕組みが整えられていた。ゼゼウスの場合はそればかりが理由ではないものの、ルーファウスより八つほど上のこの青年が神官長に任ぜられていた。
「それで、あなたの王子様はお元気ですか?」
「わたしのではありません。……もう。王太子殿下とは、いつもお顔を合わせておいででしょう?」
などと小声で言い合いながら、アデリアナはゼゼウスを連れて閲覧室へと向かう。
裾の長い、数多いる神官の中でもたった一人しか身につけることを許されていない禁色の神官服を纏うたゼゼウスが通ると、ひとりでに道がひらけていく。おのずと、神官長を案内しているかたちになるアデリアナにも視線が向けられるが――アデリアナには、そのことを気にしている余裕はなかった。
閲覧室の隅に見慣れた巻き毛を見つけて、アデリアナはほっと息をつく。
足早に歩み寄ってその傍らに立ち、そっと声をかけた。
「ガートルード様、ごきげんよう」
閲覧席に備え付けの書見台に本を載せて手元の布と比べ見ていたガートルードが、驚いたように顔を上げた。まあ、と小さく声を上げて、そっと辺りを憚って手のひらで口を覆う。図書館では騒いではいけないからだ。そうして、心配そうにひそひそと囁いた。
「アデリアナ様、いかがなさいましたの? これから王太子殿下とお散歩でしょう?」
「ええ、いまからそうですの。……だからね、わたしのお話、聞いてくださいますか?」
「? もちろんですわ」
ガートルードは瞬いて、手にしていた針を机に置いた。
アデリアナは微笑んで脇にずれ、ガートルードにゼゼウスを示してみせた。
「こちらは神官長のゼゼウス様です。神官長様、こちらはアスコット伯爵の三女、ガートルード様です。わたしと同じく、花園入りの娘として選ばれておいでです」
ガートルードは一瞬、ほんとうにわずかな一瞬の間、唖然としていた。
アデリアナにそっと背中を叩かれたガートルードは慌てて立ち上がり、ドレスの裾を持ち上げて膝を折る。
ガートルードの反応も無理はない。当代の神官長ゼゼウスは女神の寵愛が深く、幼い頃から神童として聞こえた存在だ。長じても尚その寵愛は衰えず、ゼゼウスには恩寵とともに女神の神力が分け与えられている――つまりは、女神のお気に入りなのだった。
常人とは異なる感覚を持つという神官たちは、ゼゼウスのことが物理的に眩しくて正面からまともに見つめられないことがあるというから、なかなかにすさまじい寵愛ぶりである。……とはいえ、アデリアナにとってゼゼウスは素敵な年上の読書仲間、という感じなのだけれども。
軽く頷いたゼゼウスを見て、アデリアナはガートルードの肩に触れた。
「ガートルード様、神官長様に作品をお見せしてはいかがかしら」
「え!? そんな、でも、こんな……まだ完成していませんのに」
「お早く。わたし、もう行かなくちゃいけませんの」
おろおろとゼゼウスとアデリアナの間で視線を彷徨わせたガートルードは、くり返しアデリアナに促されて、おずおずと机に置いていたものを広げて差し出した。
それを目にした瞬間、ゼゼウスが息を呑む。遙かな海のようと喩えられる青の瞳が静かに瞠られて、今度はじっくりと見つめだす。ややあって、形の良い唇から陶然としたようにため息が零された。
「これは……なんと、素晴らしい。驚きました。これは、貴女が?」
ガートルードが広げて見せたのは、彼女が針の課題として制作している刺繍だった。
針の時間を重ねるにつれて、娘たちの間から
タペストリーにするほかはないほど素晴らしい出来で、アデリアナがシシリア嬢の写本を紹介して以降は、書物に遺されていた神代の図案を組み込んでいっている。シシリア嬢の図案が広く伝わっていないことには、その稀有な針の腕がなければ参考にすることすら難しいせいもあるのだが――アデリアナが以前、どうしてこんなことを思いつくのかしらと眺めていた難解で手間のかかる模様が、ガートルードが独自に描いた女神と崇拝者たちの図を邪魔することなく、かといって変に目立ちもせず見事に調和している。
色遣いも独特で、華やかさもありながら品がいい。金糸や銀糸を抑え、光沢のある糸を丁寧に組み合わせながら刺されており、全体としての調和はありながら、女神に一番目が行くよう緻密に計算されていることが伝わってくるものだった。
「はい。ただ、課題としては提出いたしますが、作り直そうと思っております。アデリアナ様にシシリア嬢のご本を教えていただいてから、畏れ多くも参考にさせていただいたのですが……もっと理解を深くしてからでないとと思っていたところで」
これではまだ駄目ですわと言い募ろうとするガートルードを制して、アデリアナはゼゼウスに目配せする。
「ガートルード様、もう充分素晴らしいと思いますわ。でも、そうね……もっと素敵になった作品も、神官長様は御覧になりたいとお思いになるはずですわ。だからね、針の乙女に推薦させていただきたくて」
アデリアナは、そこでようやく先程慌ててしたためた封書をゼゼウスに差し出した。ゼゼウスが快く受け取ったのを見て、ガートルードは大きな目を瞬かせる。
「確かに受け取りました。姫様、あなたは神殿に幸いをまた一つもたらしてくださるのですね」
ゼゼウスはアデリアナの手を取って、うやうやしく唇を押し当てた。
それから優美な所作で膝をつき、ガートルードを振り仰ぐ。ひ、とガートルードが喘ぐように声を漏らした。ガートルードの震える手を取って、ゼゼウスは微笑んだ。その、女神に愛されたうるわしいかんばせで。
「どうか、花園入りの最中に名前をお呼びする無礼をお許しください。ガートルード様、貴女の捧げる針に、きっと女神もお喜びになることでしょう。完成を心より楽しみにしています」
呆然としたままのガートルードを見て、するりと立ち上がったゼゼウスはおや? と首を傾げる。
「もしや、言っていなかったのですか?」
「だって……御覧になったでしょう? わたしがどうして、ガートルード様にお話できるとお思いになりますの? それにわたしのあれは、たまたまのことです」
「私にはどうもあなたのお気持ちがよく分からないのですが、女神はいたくお喜びでしたよ」
顔の周りに疑問符が浮かんで見えるガートルードの様子に、アデリアナはしばし逡巡し。絞り出すようにして、囁いた。ほんとうにお恥ずかしいのですけれど……と。
「王太子殿下の立太子の儀で、わたしの刺した刺繍をお遣いいただきまして。ほんとうに、ガートルード様の足元にも及ばないのですが、しきたり通り神殿に納められましたの。それで、わたしにも針の乙女に準じた栄誉をお与えいただきました。
……ですから、もっとも次の針の乙女にふさわしい方を推薦させていただきたいの。最初にお話しするべきでしたのに、申し訳ございません」
国を挙げて女神を奉じる年に一度の祝祭には、女神の親しい友人であったと伝わるシシリア嬢の
針の乙女は国中から身分を問わず広く募られるが、代々神殿に集められた針の乙女には、一度だけ自らが認めた者を次の候補者として推薦できる栄誉が与えられるのだ。
アデリアナはまったくもってそんな腕前には至っていないのだが、たまたま、たまたま神殿に奉納されたルーファウスの飾り帯を女神がお気に召したとのことで、ゼゼウスよりその権利を与えられていたのだった。
経緯が経緯ということもあってすっかり忘れていたのだが、先程、ふいに恩寵が図書館にいるゼゼウスとガートルードの姿を教えたものだから、思い出したのだ。その幻影は具体的にどうしろと告げるようなものではなかったが、アデリアナにはすんなりと理解できた。たぶん、女神がそうお望みなのだろうと。
きっとアデリアナが行動に移さなくとも、いずれガートルードの針の腕はゼゼウスの耳にも届いただろう。あれほどの腕前で仕上げられた作品を見たからには、女官長が何かしらの働きかけをしたはずだろうから。でも、それではたぶん、女神は遅いとお思いだったのかもしれなかった。
「いいえ。本当に驚いておりますけれど、わたくし、アデリアナ様の刺繍が好きですわ。巧拙も確かに大事かもしれませんが……アデリアナ様、針がお好きでしょう? 分かりますもの」
そう言って、ガートルードはおもむろにアデリアナに抱きついた。
大好きです、耳元でそうっと囁かれる。
「ありがとうございます、アデリアナ様。実は、ずっと憧れでしたの。わたくし、針の乙女を目指してみたかった。でも、父はあまりわたくしの恩寵を好いてはくれなくて……わたくしが熱中しすぎてしまうと叱られてしまいました。でも、せっかく推薦していただいたんですもの、励みますわ。一から図案を考え直します」
アデリアナはそこまでしなくてもいいのではと思ってしまうが、でも、ガートルードは納得いくまでやりきろうとするだろう。アデリアナは微笑んだ。
「ガートルード様、どうかご安心なさって。神官長様は、推薦された乙女のお家には直々に手紙をお送りくださいますの。そうすれば、お父上もきっと反対はなさらないでしょう」
「もちろん、今日の内に届けさせましょう。ガートルード様、神殿にお出でいただければ、王太子殿下の飾り帯をお見せいたしますよ」
「まあ、ぜひ! お願いいたします」
「神官長様、それはどうかおやめください……」
ともあれ、恩寵が見せた幻影がうまく実を結んで、アデリアナは胸をなで下ろした。
時には、このようにすんなりとうまくいかないこともある。アデリアナは、ただ見せられるだけだ。ちょっとの差で叶わなかったり、見せられたものとは違う方向へと現実が進むことだってざらにある。それに、恩寵が示すものはいつも分かりやすいとは限らないのだ。
「……あの、姫様。もうそろそろお行きになりませんと。お時間を過ぎています」
遠慮がちなシェーナの声に、アデリアナははっとする。
挨拶をしてその場を辞そうとしたアデリアナは、おやおや、というゼゼウスのおっとりとした声に足を止める。ああ、とシェーナが呻くような声を漏らした。もう、それだけでわかった。
「姫様、お迎えがいらしてますよ。――おやおや、王太子殿下。窓の向こうからお越しとは斬新ですね」
ゼゼウスの朗らかな声に、アデリアナはおそるおそる背後を振り向いた。
閲覧室には、連なるように広く取られた窓が並んでいる。爽やかな春風が吹き込むそこには、太陽の傾きに合わせて日よけの帳がかけられる。いまは翳っている側の窓のひとつ、その向こうにルーファウスがいた。窓枠にもたれるようにして、微笑んでこちらを見ている。
「神官長、奇遇だね。いい出会いがあったようで何よりだ」
「はい。姫様に針の乙女をご推薦いただきました」
「それはよかった。女神もお喜びになるだろう」
至極和やかな会話を聞きながら、アデリアナは何とも言えない気まずさで俯いた。ガートルードが気にして「わたくしからもお話ししますから」と囁いてくれるが、気持ちだけありがたく受け取ることにして、やんわりと首を振る。
ルーファウスとの散歩の待ち合わせ場所は、窓の外に見える回廊を挟んだ向こうにあった。ルーファウスは時間になっても姿を見せないアデリアナを不思議に思って、図書館を覗いてみることにしたのだろう。きっとそうだ。アデリアナは、家族やルーファウスから姿が見当たらなければだいたい図書館にいると認識されている。
「アデリアナ、おいで」
ルーファウスの柔らかな声は、静かな閲覧室にしんと響くように通って聞こえた。
その場に居合わせた人々の目は、神官長の目を憚って針の乙女の推薦までは遠慮がちだったが――王太子の登場とあっては、衆目を集めてしまうのもしかたがない。王太子と、いま最も王城の関心を集める花園入りの娘が二人も揃っているのだ。気にしないという方がおかしいというものだろう。
刺さるような視線を感じながら、アデリアナは窓辺へ歩み寄った。
春の風に、ルーファウスの柔らかな金の髪が揺れている。影に濡れたその目も唇も、特に怒っているようには見えなかった。けれど。自分の眉が悄然と下がるのがわかる。
近づくにつれ、アデリアナは窓の向こうにいるのはルーファウス一人だけでなく、少し離れたところに近衛隊長のジリアスが控えているのに気づいた。ジリアスは、面白がっている顔を隠そうともしていないでこちらを見守っている。ジェラルドでも困ったことになるが、ジリアスはジリアスでたちがわるい。この先に待っているだろうやりとりを思って、アデリアナは憂鬱になる。
閲覧室の窓は天井に程近いところから、アデリアナの腰の下にかけてまで広く取られている。おのずと、外にいるルーファウスのほうが目線が下になる。アデリアナは膝を付こうとしたが、ルーファウスの手が静かに制した。
すぐ声の届くところに人がいないのを見てとって、アデリアナは小声で囁いた。
「待たせてしまって、ごめんなさい。遅れないように急いではいたの。間に合わなかったけれど……」
ルーファウスは、アデリアナのしょげた様子に瞬いた。
ああなんだ、と小さく笑う。怒っているかと思った? と。アデリアナが頷くと、ルーファウスは目見を和らげた。
「怒ってなんかいないよ。見ていれば、あなたが何をしようとしたのかはすぐにわかったし」
「でも、約束は約束だもの」
窓の桟に手をかけて、アデリアナは苦笑する。
ルーファウスは一瞬と一瞬を重ねたような間考え込んだかと思うと、輝く瞳でアデリアナを見上げた。紫の瞳が、アデリアナの頬のかたちをたどるように撫ぜる。
「何をすれば、あなたの気が済むのかな。……でも、せっかくなら楽しいことがいいね」
そのことばに首を傾げたアデリアナは、やや遅れて、ルーファウスが何か――あまりよろしくないことを思いついたのを感じ取る。
アデリアナの思考の隙間を縫うように、ルーファウスが破顔する。
だから、つい。その眩さに、アデリアナはうっかり見とれてしまった。
窓の向こうから伸ばされた手が、アデリアナの腰をひょいと持ち上げる。上体をルーファウスに預けるかたちになったアデリアナが反射的にその首へと腕を回すと、腰と膝をすくいあげるようにして抱き上げられて――ふんわりとした浮遊感に、喉がちいさく叫んだ。
あっと思ううちに、身体は窓枠を越えていた。
抱きかかえられたままくるりと回されるようにして、アデリアナはやさしく地面に下ろされた。抜かりない腕にしっかりと抱えてもらっていたおかげで淑女の慎みを保ってくれていたドレスの裾が、風に吹かれて花のように広がって揺れる。
「……え?」
状況をうまく受け止め切れないでいるアデリアナに、ルーファウスが楽しそうに告げた。
「ほら、一番最初の花園入りで、二人目の若君が女神を連れ出す場面があっただろう。あれができそうだなと思ったものだから。これで、遅刻のことはなしだ」
それは、言い伝えられる女神の花園入りでも屈指の人気を誇る場面だった。
地に足を付けることがなかったという女神を抱き上げるようにして窓を越え、花の咲き乱れる庭へと連れ出す二人目の若君は、時代を経たいまも尚乙女の憧れを集める存在だ。アデリアナも、素敵だなと思った覚えがある。確かに、あるのだけれど。
アデリアナは先程までいたはずの窓の向こう側と、すぐ傍で微笑むルーファウスと。それから、ルーファウスの後ろで肩を震わせている近衛隊長を順繰りに見た。
――遅れて、頬に熱がはしる。何か、とてつもなく恥ずかしいことをしてしまったような気がした。それも、それなりに多い人の前で。
べつに、アデリアナがしたことではないけれど。勝手に、気づいたらそうなっていたというだけだけれども。絶対にそんなふうには思われないことは、わかる。
真っ赤になったアデリアナが震えているのに、ルーファウスは清々しいほどの笑みを浮かべて、ほらとアデリアナの手を引っぱるようにしてその場から連れ出した。
本来待ち合わせるはずであった場所まで連れて行かれながら、アデリアナは目を伏せる。
どうしよう。もう、どうしようもないけれど。
……ぜんぶ、全部ルーファウスのせいだ。
――ひとつ分かっていたのは、しばらくの間は図書館に顔を出せそうにないということだった。
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