第5話 飾り帯の思い出

 翌日、予告した通りにルーファウスはアデリアナのもとを訪れた。

 花園入りには、細かな決まりがある。花園入りから間もない頃は、王太子と娘たちは完全にふたりきりにされることはない、というのもそのひとつだ。

 アデリアナが面白がってなぜかと訊ねると、生真面目なジェラルドに「良識のない娘だな」とでも思っていそうな目で見られてしまった。アデリアナは内心、(ジェラルドは自分が年頃の娘とふたりきりになったら、それをいいことに襲ってしまうと危ぶんでいるのかしら?)と考えたが、さすがに口は閉じていた。ルーファウスなら安全なのに、と言ってはいけないのと同じである。


 そんなアデリアナのいささかずれた思考はさておき、職務に忠実な近衛騎士と女官はこの決まりのために少々難儀していもいた。

 はじめに言われていたように、リンゼイ夫人には度々王妃殿下のお声掛かりがあり、その都度御機嫌伺いに行かねばならなかった。聞いたところによると、王妃殿下が可愛がっていた女官が夫の領地に下がってしまい、若い女官では行き届かないところを学舎で親しかったというリンゼイ夫人を頼みにしているということらしかった。アデリアナは王妃殿下にあまり好かれていないのではと感じていたから、もしかするとささやかな嫌がらせなのかもしれないが。


 ともあれ、リンゼイ夫人の不在はアデリアナが想像していた以上に頻度が多く、シェーナとジェラルドはくるくると入れ替わるようにしてアデリアナを一人きりにしないように気を配っていた。特に、王太子の突然の訪問のたびにお茶の用意をしなくてはならないシェーナは、アデリアナから見ても少々気の毒だった。自分が手伝えば済むのではという気持ちも強かったが、かといってそれもここでは許されないだろう。ジェラルドも偶にはお茶を用意すればいいのに、とは思っている。


 挙措を乱さず、けれども足早にお茶の用意に向かうシェーナと入れ替わりに、居室に足を踏み入れたジェラルドは、王太子の訪問にもかかわらずアデリアナが膝の上に生地を広げたままでいることに瞬いた。アデリアナは視線からそのことを感じ取ったものの、知らないふりをする。


「アデリアナ、何を作っているの?」

「何にしたらいいと思う? わたし、皆さまに比べて進みが遅くて。ねえ、知ってる? わたしたち、二つも作品を仕上げないといけないのよ」


 長椅子の隣に腰かけたルーファウスが覗き込むのに、アデリアナは針を持つ手をとめて刺繍枠をはめた布を見てもらう。そこに刺されていたものを見てルーファウスは怪訝そうな顔をしたあと、なるほどねと笑った。


「何を刺しているのかと思ったら、古詩か」

「そう。前から刺してみたら楽しそうだなって思っていたのよ。数文字だけ刺すことはあったけど、長いものはないなと思ったものだから」

「古語は文字を装飾していたからね。これは、たしかに時間がかかるだろう」

「しかもね、女神を歌った古詩だからやたら長いの」


 その昔、アーデンフロシアで使われていた文字には、女神の愛した花やその蕾、葉や蔓を意匠に落とし込んだ飾りがつけられており、ペン先や紙もその文字をいかにうつくしく描くかということを優先して発展していたと伝わっている。

 時代が下るとともに装飾は簡易化されていったが、いかに優美な字を綴れるかということが貴族の間で競われていた名残はいまにも確かに存在していて、ここぞというときに古語を使うのは貴族の嗜みの一つとされている。


 アデリアナが刺繍の題材に選んだのは、古詩の中でも広く知られた女神を讃えた詩で、ことばの意味や響きだけではなく、綴ったときの見栄えがいいよう、文字の装飾が持つうつくしさを意図的に組み込んだとされるものだ。古詩の授業でも、よく書き取りの例に使われている。


「古詩のタペストリーと言い張ろうかしら」

「軸をつけて巻子かんすにしたら? 軸とは反対の辺には房を付けて、装飾としての本にするのはどうだろう」

「ああ、確かに、内容とも合っているわね。作業が増えてしまうけれど……」


 現在では図案化したモチーフが主流だが、古語の時代にはアデリアナがいましているような文字の刺繍のほうが貴族の間では隆盛していたという。うつくしい字の書き手とうつくしい刺繍の刺し手によって作られた、書物めいた装飾が今も多く残っている。

 ルーファウスの提案は、いっそそこまでしてしまったら? というものだった。

 確かに、そこまですれば古詩を題材に選んだ意味も通るし、作品としての質が上がる。うっかり思いついてしまったことから、れんが変わるごとに柔らかに色が移り変わるよう、微妙に色の異なる糸を重ねてもいるせいで、余計に手間がかかっているのだが――それは確かに、よい提案に思われた。完成が、少し遠ざかるだけで。


 渋るアデリアナに、ルーファウスは微笑んだ。


「アデリアナ、たまには本気を出すのもいいことだよ」

「ルーファウス。あなた、ほんとうにそういうところがあるわよね……」


 ルーファウスはなまじ能力が高く、更にそれを活かそうと自主的に磨いているせいで、他者にも同じ努力ができると思っているところがある。彼の下で働くと、まず努力不足だと思われてしまいそうなくらい自分に厳しいところがある。


「それに、あなたは本にしてしまったほうが作業が進むはずだよ」


 たしかに、アデリアナには「本」に関わるというだけで、少々気分が上がってしまう性質である。これだから幼なじみはやっかいだ。すっかり見抜かれてしまっている。

 ため息して、アデリアナはルーファウスの提案を受け入れた。


「もう、わかった、わかりました。大変だけど、がんばるわ。でも、ちょっと休憩するわ」

 

 アデリアナはテーブルの上に刺しかけの刺繍を置き、裁縫箱を片付ける。

 ぽすんと長椅子に背を預けると、膝に置いた手を取られた。くい、と引っぱられるような仕種に促されて、アデリアナは隣に座る幼なじみの顔を見上げる。


「なあに?」

「ふたつめの作品は、私の飾り帯にしてほしいなと思って」

「ええ? やあよ。あげないわよ」


 つつ、と指の腹でアデリアナの手をなぞるようにしながら、ルーファウスは眉を下げて悲しげな顔をしてみせた。


「むかしは私に、いろいろ作ってくれただろう」

「あなたがこれを刺してと言うから作ったら、勝手に飾り帯にされていたときのこと、忘れたと思ってるの? あの時は倒れるかと思うくらいびっくりしたんだから」


 アデリアナの刺繍の腕前は淑女に期待されるたしなみより若干上くらいのものだが、一時はかなり凝っていた。刺繍を媒介に魔術を使う物語を読んだことから、自分でも手習い以上に刺してみたくなったのだ。アデリアナを突き動かす衝動のほとんどは、本である。

 本以外のものに夢中になったことは初めてで、かつそれがいかにも淑女らしいことであったので、家族からは大変歓迎された。アデリアナには刺繍の得意な侍女が付けられて、贔屓の仕立屋で一番の腕を誇る刺し手が教師として呼ばれもした。その二人が「贈り物として作るのが一番上達への近道になります」と口を揃えて言うので、素直なアデリアナはせっせと家族や友人にむけて刺繍を送りつけたのだった。


 はじめは刺繍入りのハンカチ程度のものだったが、母が「女神様のお花を刺した鞄がほしいわ」と言い出したことをきっかけに、父は「なら私はタイに揃いの模様を」と希望を出し、兄は兄で「気に入っているタイに紋章を刺して欲しい」という要望を挙げてきた。

 まあそう、と思ったアデリアナは、流石に鞄の口金を付けたりするのは仕立屋に任せたものの、刺繍を刺すのに夢中であったので、自分の腕で可能な範囲でせっせと手を動かしていたのだった。


 そんな中、ルーファウスがディクレースのタイを大層羨ましがって「幼なじみのよしみで作ってくれないか」と言ってきたから、アデリアナは気軽に頷いたのだった。

 指定されたのは女神の花に寿ぎのモチーフを組み合わせ、さらに王家の紋章の意匠をさりげなく組み込んだものであったので、何やら大がかりそうなものを欲しがるのだなと思ってはいたのだが。アデリアナは大物に取りかかれて楽しいという気持ちでしかなく、まさか自分の刺繍が立太子の儀で飾り帯に使われるとは、想像してもいなかった。

 儀式に立ち会ったとき、アデリアナは失神できるものなら失神したかった。目を見開いたアデリアナが呆然と見つめた先で、ルーファウスはなぜか照れたように笑ったが、言える者ならばそうではないと言いたかった。そんなアデリアナの横で、ディクレースは事前に聞かされていたのかにやにやと笑うばかりだった。

 自ずと、立太子の儀の後、アデリアナの中で猛烈に流行していた刺繍の熱はみるみるうちに消え失せた。


 おまけに、飾り帯の件でアデリアナはしばらくの間、王妃殿下に睨まれることになったのだ。

 噂に疎いアデリアナでさえも知っているほどに針自慢の王妃殿下をさしおいて、その愛息子の飾り帯に丁寧だが腕の劣る小娘の刺繍が使われてしまったのだ。アーデンフロシアで、飾り帯の刺繍は母や妻が愛情の証として刺すならわしだ。立太子の儀とあれば、母である王妃殿下も腕を振るいたかったに違いない。

 王妃殿下とアデリアナの母は親しい友人だが、立太子の儀以来、アデリアナは王妃殿下にどうもあまり好かれていないような気がしているのだった。何しろ、王妃殿下と顔を合わせると、いつも頭の天辺から爪先まで品定めするようにまじまじ眺められて、「わたくしの友人に似て、見た目だけはよろしい娘だこと! でも、その耳飾りはいただけないわね」などと言われて、何かしらお眼鏡に適う代わりの装飾品を持たされてしまうのだ。そんなことがしばしば、割合結構な頻度であるものだから、アデリアナはいつも御礼の品に困ってしまうのだった。王妃殿下への返礼品に、贈り物として便利なはずの刺繍が絶対に選べないのだから。

 母に相談してもいただいておきなさいよと笑って言われてしまうし、兄に言えばルーファウスに伝わってしまうだろうから、アデリアナは一人で思い悩むしかなかったのだった。


 そんなことを思い出しながら、アデリアナはため息する。


「飾り帯は、王妃様にお作りいただいたほうがいいと思うの」

「母も、あなたなら否やは言わないと思うけれどね」


 うそでしょ、という思いをありありと顔に浮かべてみせたアデリアナに、ルーファウスは困ったように唇を緩める。


「母はちょっとややこしいけれど、あなたのことを嫌っているわけではないよ」

「わたしだって、王妃殿下を嫌っているわけではないのよ。それはわかってちょうだい。

 畏れ多くも、母が親しくさせていただいているし、とても趣味のいい方だわ。いつも何かしらくださる贈り物だって、素晴らしいものばかりよ。でも、好かれてはいないというか……言い方が難しいのだけれど……」


 実際に、いまもリンゼイ夫人の件でジェラルドとシェーナに負担が掛かっている。それはたぶん、アデリアナ付きでなかったら起こっていなかったことなのだ。

 ルーファウスは不思議そうな顔をしていたが、ふと首を傾げ。それから、苦いような面白がるような笑みを浮かべる。


「あー……。たぶん、いまあなたに何かを働きかけているなら、せっかく離宮に来ているのにどうして訪ねてこないのかという意味が込められているんだろうね」

「だって、花園入りに参加しているのよ? そんなことをしたら、まるで自分が選ばれるために王妃様に取り入ろうとしているみたいじゃないの。個人的な交流があるのはわたしだけだし、抜け駆けになっちゃうわ」

「だから、取り入ってほしいんだろう?」

「ええ? それに、もうすぐ王妃殿下主催のお茶会があるから、お目にかかれるわ」


 まあそれはいいとして、とルーファウスが呟いて、指の腹でアデリアナの爪を磨くように触れた。


「ねえ、昨日のことは覚えている?」

「覚えて、る」


 やさしく手を握られたせいか、声がうわずってしまう。


 ――たとえあなたが忘れそうになっても、くりかえし思い出させてあげるから。


 昨日、踊りの時間に囁かれたことばを、アデリアナはちゃんと覚えていた。

 あのときはつい憎まれ口を叩いてしまったけれど、あの甘さも頬の熱も、到底忘れられるようなものではない。

 それに……忘れてしまっては、誠実ではないだろう。アデリアナは自分たちの関係を変えていくのを望まれていることに戸惑っているし、何より秘密がある。でも、ルーファウスに対しては、できるだけ誠実にありたいと思っていた。


「……アデリアナ」


 薄い唇が、囁くように名前を呼んだ。密やかな想い出を打ち明けるように。

 ルーファウスは、ディクレースや親しい友人を愛称で呼んでいる。同じ幼なじみでも、アデリアナのことは決してアディとは呼ばないのに。

 さみしい気持ちがないといえば嘘になるけれど、それでもアデリアナはルーファウスに名前を呼ばれるのが好きだった。


 人として丁寧に扱われているような気がするのだと言ったら、ルーファウスは笑うだろうか。ルーファウスは、アデリアナをたぶん、公爵令嬢だとか貴族の娘だとか……そういう身分や立場にある娘ではなく、ただのアデリアナとして見てくれている。そうアデリアナは思うのだ。

 ふたりの間には、身分や政治や持てる者の義務といったしがらみのようなものがたくさんあって、それらはきっと、この先もたぶん、なくなることはない。でも。

 アデリアナは、だからルーファウスのことが好きだった。それは、恋としての好きとは違うものだと信じていたけれど。


(ルーファウスは、どうしてわたしのことが好きなのかしら……)


 問いかけるようにルーファウスを見つめたアデリアナは、ああやっぱり、とその瞳に吸い込まれるように魅入られる。その瞳の魅力はアデリアナにはでは効かないけれど、だからこそ素敵に思われるのかもしれない。

 花や木々が落とす影がほんのりと色味を帯びて深く陰るように、ルーファウスの瞳の中心はいろんな色を煮詰めたみたいに見えた。その周りを眩しいときに見上げる太陽の光のように取り巻く光彩は、どきりとするほどに鮮やかな紫をしていて、きらきらと揺らめいている。


「あなたの瞳、ほんとうに綺麗よね……」

「あなたはほんとうに、私の目が好きだな」

「だって、宝石のようよ。ううん、もっと綺麗だけれど」

「やっぱり、片方あなたにあげようか」


 やっぱり、というのは、むかし戯れに「あげる」「いらない」と交わした物騒な冗談のことを指している。アデリアナはその話を持ち出されると、つい美しい瞳に向けて指が伸ばされるという恐ろしい想像をしてしまうのだった。

 アデリアナは顔をしかめた。冗談でも、そんなことは言わないでほしい。


「えぐり出して? いやよ、ずっとそこに二つないとだめ」


 ルーファウスは、茶器を載せたワゴンを押したシェーナが入ってくるのを横目に見て浅く息をつき、アデリアナの手をゆらゆらと揺らしてみせる。

 そうして、ごくなんでもないことのようにさらりとこんなことを言った。


「私はたぶん、あなたが私を好きにならなくても、隣に望んでしまうと思う」

「あなたにはそれができるわ。ほんとうなら、わたしの気持ちなんて気にしなくてもいいはずの人よ」


 何せ、ルーファウスはこの国の王太子だ。王城から申し入れがあったなら、フィリミティナ公爵家は縁談を断らない。両親はアデリアナを大切にしてくれるが、もしそうであったなら当然のように嫁がされたはずだ。そしてアデリアナも公爵家の娘であったから、家の決定を大人しく受け入れることになっただろう。

 でも、ルーファウスはたぶん、それでは嫌だったのだ。


「あなたには、何も強いたくない。私は、ただでさえこの生まれだ。願えば、だいたいのことが叶えられてしまう。だからこそこう思うわけだけれど……好きになってほしいというのも、あなたに私への好意を強いていることになるのかもしれないな」


 ルーファウスは、自分という存在がもたらすものをよくよく承知していて、その上で王太子としてうまく立ち回っている。そうでなかったら、こんな言葉は出て来ないだろう。


 シェーナがお茶の支度をする音を聞くともなしに聞きながら、アデリアナは問いかけた。


「わたしがあなたに従順でないから、あなたはわたしを好きなの……?」


 訊ねながら、きっとそれも一つの理由だろうとアデリアナは思う。

 そうでなかったら、きっとルーファウスはアデリアナの気持ちを欲しがらない。

 だって、あの日、幼いアデリアナはルーファウスにのだから。


 ルーファウスは、できるだけ気配を殺そうとしているジェラルドとシェーナを見やって、いまここで適うかぎりのことばを選んでみせたアデリアナに微笑んだ。


「そうだね。私はたぶん、本当のところでは意のままにならないあなたが好きなんだと思う。もちろん、それだけではないけれど。……そうだな、いまここであなたの好きなところを一つずつ挙げてあげようか?」

「もう。同じだけあなたを恥ずかしがらせてもいいのなら、していいわよ」

「たぶん、あなたのほうが恥ずかしいはずだけど」

「……そうかも。ルーファウス、あなたってあんまり恥ずかしがらないわよね」


 踊りの時間に感じた羞恥を思い出したアデリアナに、そうだねとルーファウスは頷いた。

 つと持ち上げたアデリアナの指先に、唇を押し当てて、そのまま囁くように告げた。


「昨日、私と踊っているときに真っ赤になったあなたは可愛かったな。あなたのああいう顔をまた見たい。……お願いしたら、見せてくれる?」

「……っ!」


 反射的に、アデリアナは捕らえられているのとは反対の手のひらで、ルーファウスの二の腕をぱしぱしとはたいた。指先から唇はすぐに離れたが、手はそのままやさしく握られている。


 ほかに音もない居室で、ぱしぱしという音がいやに大きく聞こえる中。

 何とも言えない表情をしながらもルーファウスへと窺うような視線を投げかけたジェラルドが、さっと手を振られてぎこちなく視線を逸らした。

 そんなふうに、周囲で「その程度で不敬と取るな」という言外のやりとりがなされていることに、アデリアナは気づかなかった。

 なぜって。なんだかこう、ものすごくむず痒いような恥ずかしさが身体の内側をかけめぐっているからだ。心臓がうるさい。それはもう。尋常でないくらいに。


「……あ、あなたはどうして、そう何でもかんでも直裁ちょくさいに言うのよ!」


 ようやくのことでアデリアナが口にすることができたのは、そんなことばだった。


 しばらくの間、大人しくぱしぱし、ぱしぱしとはたかれていたルーファウスは、アデリアナが落ち着いてきた頃合いを見計らって、にっこりと微笑んだ。


「あなたには直裁に言うのが一番だからね。効果があってよかった。

 ……これまでにも気持ちを示していたつもりだけど、うまく通じていなかったようだから」


 呟くように続けられたことばに、アデリアナは二重の意味で羞恥にかられた。

 え、あ……と呟いたアデリアナの頭は、ぐるぐると回りはじめる。

 これまで? これまでにも気持ちを……? ということは、アデリアナがただ気づいていなかったということなのだろうか。いや、でも……。


 シェーナが淹れた紅茶を飲みながら、ルーファウスはアデリアナが混乱するさまを堪能するかのように、にこにこと見守っていた。

 紅茶がこぼれてしまうので、アデリアナはルーファウスをぱしぱしすることもできなくなってしまう。片手をルーファウスに掴まれたまま、じんわりと頬に朱をのぼらせたアデリアナは、ささやかな抵抗のつもりでそっぽを向いた。

 その心なしか潤んでいるような気がする瞳が、わずかに震えてしまう唇が、痛々しいほどに赤みが目立ってしまう肌が、ルーファウスの瞳にどう映っているのか、知ってしまうのがこわかった。ひどい顔をしていると、分かっていた。


 一杯の紅茶をゆっくりと時間をかけて飲む間、ルーファウスは何も言わなかった。

 ただ甘さを湛えた瞳で、アデリアナを見つめていた。

 そうして、アデリアナの手を離すこともなかった。


 ――その日、アデリアナの指先には唇の感触があえかに薫るように残って、しばしば思い出したかのようにその頬を染めさせたのだった。

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