第3話 幼馴染みの王太子
お茶会の後、娘たちはそれぞれに付くことになった騎士と女官に先導されて、宛がわれた居室へと戻ることになった。どうやら、今日は顔合わせで終わりということらしい。
アデリアナに用意された居室は、離宮の二階の端にあった。お隣らしいイゼットが「近いうちにお茶をご一緒しましょうね」と囁いたのに頷いて、アデリアナは室内へと足を踏み入れる。
与えられた居室は居間と寝室の二間続きになっており、控えめな緑に差し色で小花模様が描かれた壁紙と、深みのある色の調度で落ち着いた雰囲気だった。居間の中央には猫脚の長椅子と揃いの意匠の小机が据えられており、長椅子には壁紙と同じ花を縫い取ったクッションが置かれている。壁際の書き物机には、お願いした通りに持参した筆記具や仕舞われていることが窺えた。
促されて長椅子に腰かけたアデリアナは、後から入ってきた年若い女官が茶器を並べるのを眺めながら、居並ぶ騎士二人と年嵩の女官を見つめる。
お茶の用意が調うのを待って、アデリアナは声をかけた。
「フィリミティナの一女、アデリアナです。あなたがたのお名前を教えてくださる?」
一歩進み出たのは、馬車を降りた時にも会った近衛騎士団の青年だ。綺麗な栗色の髪を短く整えて撫でつけているので、刺繍と房をあしらった制服にきりりとした面立ちがよく映える。
改めて見つめると、アデリアナはその顔に見覚えがあることに気づいた。
「私は近衛騎士団のジェラルドと申します。一月の間、姫様の護衛を務めます」
「兄君のバートラム様には父がお世話になっているようですね。どうぞよろしく」
ジェラルドは、兄の名を出されたときにその太い眉をわずかに動かした。
どうやら、触れられたくない話題だったらしい。だが、ジェラルドの兄が父の補佐をしているのは周知のことであるし、アデリアナとしても言及しないのはそれはそれで不躾になる。気づかなかったふりをして、アデリアナは小さく顎を引いて下がったジェラルドの隣へと目をすべらせる。
「王立騎士団のリックです。ジェラルド様の補佐ですので、夜番が主になります」
「夜には抜け出しませんから、どうぞ安心してくださいね」
はいと笑ったリックは気負ったところのない青年で、ジェラルドよりは親しみやすそうな騎士だった。だが、とくに夜中に何か面倒をおこさなければあまり接点もないのだろう。ジェラルドよりは付き合いやすそうな青年だったので、アデリアナは少し残念に思う。
「女官長の補佐をしております、リンゼイです。日中は王妃様の御用を頂戴することもございますので、恐れ入りますが、こちらのシェーナを御傍に置いていただければと思います。お歳が近い者のほうが気安いでしょうから」
「シェーナです。王城で働いて四年になります。お気軽にお申し付け下さい」
「ありがとう。リンゼイ夫人もシェーナも、頼りにしています」
リンゼイ夫人は淡い茶の髪を丁寧にひっつめており、真面目そうな表情を形作る頑なな薄い唇のせいか、いかにも厳しそうな指導役という印象だった。かといってシェーナが親しみやすいかと言えば、そうでもなく。整った細面にはあまり表情らしきものが浮かんでおらず、その丁寧な所作もあいまって、精巧な人形のように見える。
お茶を飲みながら、アデリアナはリンゼイ夫人が語る花園入りのしきたりを聞いた。
「既に御存知かと思いますが、これから花園入りが終わるまで、私たちは姫様をお名前でお呼びすることはございません。ご不便をおかけいたしますが、お名前で呼び合うのは姫様同士と、面会にお越しのご家族との間だけでお願いいたします」
かつて女神が王配候補を「王子様たち」と呼んだことからくるそれは、花園入りの間、娘たちが生まれた家の娘ではなくなることを示していた。生まれ持った身分は一旦返上され、離宮の「姫様」の一人として預けられた娘、そういう扱いになるのだ。ちなみに、この国に置いて「姫君」と呼ばれるのは、未来の王太子妃となる選ばれた娘だけとなる。
そのため、生家からの手紙や面会、届け物にも制限が設けられている。どうやらほかの娘にくらべてかなり荷物が少ないらしいが、アデリアナにも特に否やはない。
「一月の間は、王太子殿下や他の姫様方とご交流を深めていただくため、こちらで予定を入れさせていただいております。王太子殿下の面会や庭園の散歩のほか、三日間の政務補助もございます。その他のお時間は基本的に自由にお過ごしいただけますが、お
自由気ままに過ごしていたアデリアナにとっては少々息苦しい気はするものの、そのことを表情に滲ませることなく頷くと、シェーナが明日の予定を教えてくれる。
「さっそくですが、明日は王太子殿下との面会が夕方にございます」
「わかりました。他の皆さまとのお約束がしやすいよう、さしあたっての予定をいただけるかしら」
「はい、ご用意しております」
アデリアナはシェーナが差し出した書きつけを受け取り、しばし目を落とす。
思っていたよりも予定が入れられているが、図書館に行けないというほどでもなさそうだ。それなら、アデリアナにとって支障はない。
「本日のご夕食はお居室にお持ちいたしますが、明日からは朝食以外は皆さまでお召し上がりいただきます」
「では、お召し替えを。お疲れでしょうから、ご夕食まではお休みくださいませ」
素直に頷いたアデリアナに、リンゼイ夫人とシェーナは微かに目交ぜする。だが何かを言うことはなく、寝室で少し気軽なデイドレスへと着替えるのを手伝ってくれた。
居間でお茶を飲みながら本を読むことにしたアデリアナは長椅子に座り、そっとため息する。身体に、うっすらとまとわり付くような倦怠感を感じた。日頃ほとんど屋敷から出ないせいで、一時にたくさんの人と会ったのが堪えているのだろう。
アデリアナは「本狂い」と言われながらも家族に大変甘やかされてきた娘であるので、必要がなければ夜会に顔を出すこともしてこなかった。アデリアナが頑張って夜会に出るのは、だいたいの場合領地のものを売り込むか事業に利のある付き合いを見込んでのことか……外務を担う兄伝手に知った稀覯本の持ち主との交流くらいのものだった。
公爵令嬢として、いちおうの分別と上っ面は持ち合わせているものの、アデリアナはそれまでがそれまでであったので、しばらく頑張らなければいけないという自覚があった。
生家では朝まで本を読み、昼過ぎまでこんこんと眠る生活が許されていたが、離宮ではそうもいかない。それに、これから一月の間は、決められた時間に決められた相手と食事を摂らないといけないのだ。
ということは、たとえ読んでいる本がものすごくいいところにさしかかったとしても、頑張って頑張って栞を挟み、身支度を調えて用事に向かわなければいけない。想像しただけで憂鬱になる。
(頑張ってきちんとした時間に寝て、頑張って本を読みさすのに慣れないとだわ……)
などと、外に漏れ出ていたら何とも微妙な表情をされたに違いないことを思いながら、アデリアナは膝の上で本を開いたのだった。
――文字の海は、アデリアナの意識をひどく曖昧にする。
それが物語であれ紀行文であれ、たとえ史書や技法書であったとしても、アデリアナは本を読んでいるとき、いつだって自分を忘れられた。
一つ、二つ目が文字を拾いあげてしまえば、アデリアナというちっぽけな娘はとろんととろけて行間へ溶けていってしまう。いま自分がどこにいて、何に腰かけていて、隣に誰かしらがいるのかということも、うんと遠くへ行ってしまうのだ。ただ指先が文字をたどり、ページをめくれたならそれで充分というまでに、本の前でアデリアナはただただ淡い娘になる。
浅い眠りの海をたゆとうているかのようなその心地はあまりに安らかで、いまよりもずっと幼い時分には、うつつよりも本の世界のほうが慕わしく、近しいもののように思われた。その慕わしさはいまも残っていて、アデリアナをただのアデリアナにしてしまう。
眠りから醒める一瞬前のような、ふっと意識が浮かび上がるような心地がして、アデリアナはゆっくりと目を瞬かせた。
文字と行間と、そこから広がる
「おはよう、アデリアナ。何を読んでいたの?」
ぼんやりとした世界にぽつり、一際鮮やかな輝きが滲んだ。
紫玉と呼ばれる輝石のような、深い彩りときらめきを備えた瞳だ。
瞳を覆う睫毛は透ける光の色をして、目尻にかけてすんなりと切れ上がった曲線は怜悧で、涼しげでもある。整えられた眉にかかる前髪は少し長く、柔らかそう――否、柔らかいことを知っている。すんなりと高い鼻梁と瞼には彫りの深さを示すように淡い影が落ちていて、結ばれた唇のかたちは優しげだ。
――清く正しく、いかにも王子様然とした青年が、アデリアナの向かいに腰かけていた。
(面会は明日だって言ってなかった……?)
分かっている。勝手に、予定外なことに、ふらっと来たのだ。
「……王太子殿下、ごきげんよう」
内心の悲鳴を呑み込んで、アデリアナは公爵令嬢らしい笑みを作ってみせた。
だが当然のごとく、王太子の背後に控えたジェラルドやリンゼイ夫人の視線がぐさぐさとアデリアナに突き刺さる。王太子の
この場でただ一人、王太子だけがゆったりと構えていた。その手に持たれたティーカップに湯気が見えないことに気づく。つまり、王太子がこの居室を訪ねてから、それなりの時間が経過しているらしい。
アデリアナは、ようやくのことで本を閉じた。立ち上がろうとしたアデリアナを制して、王太子は微笑んだ。
「その本は私も読んだよ。農作物の研究書だね」
「はい、わたしが管理を任されている村で活かせないかと思いまして……。あの、王太子殿下。この度は大変失礼を……」
「アデリアナ」
目を伏せて謝罪をしようとしたアデリアナの声を遮るように、王太子が名を呼んだ。
何を言いたいのかはわかるが、アデリアナは黙っていた。
ややあって、ああそうかと独りごち。背後の騎士と女官に聞かせるように、王太子は口を開く。
「私はあなたが本に溺れているのは承知しているし、そういうところも好ましいと思っているよ。それよりも、そんなに他人行儀にしないでくれないか」
アデリアナは、恨みがましいような目で王太子――ルーファウスを見上げた。
けれどもその笑みがいっこうに崩れないままであるのを見て取って、早々に降参することにした。
「……このお
「いまのところは、それでいいことにしよう」
「ごめんなさい、ルーファウス。気づかなかったの。いつものことだけれど」
「いつものことだから、特に何とも思っていないよ」
しぶしぶくだけたことばで話しはじめたアデリアナに、ルーファウスは目を細めて微笑んだ。
ルーファウスとアデリアナはおおやけには身分に上下があるが、幼い時分からつきあいがあり、心やすい仲だった。
外務に勤める兄ディクレースがルーファウスの「ご学友」の一人として選ばれたことをきっかけに、フィリミティナ公爵家にはよく王家の馬車が停まるようになった。アデリアナにとって、ルーファウスはよくやってくる兄の友達だった。そうして、おのずとアデリアナも幼い頃からこの王子様と親しくしていたし、ルーファウスとディクレースもまた、アデリアナを女の子であるというだけで仲間はずれにはしなかった。
だから、ルーファウスの前では良家の娘らしい言葉遣いもふわふわ緩んでしまって、子供の頃の名残なのか甘えたような、そんな話し方をしてしまうのだった。
「花園のお嬢さん方はどうだった? 仲良くなれそうな人はいた?」
「え? ああ、おすすめの方が知りたいのね? まだ少ししかお話ししていないけれど、皆さま感じがよくて、素敵な方だったわ。イゼット様とは、ふたりでお茶会をしましょうねとお話ししたところよ」
「ああ、あなたと彼女は気が合うだろうと思っていたよ」
顔合わせのお茶会での様子を細やかに語ってみせるアデリアナの話を、ルーファウスは楽しそうに聞いていた。だが、それはあくまで会話を楽しんでいる様子で、花園の娘たち個人への関心はあまり抱いていないように思われた。そのことが気に掛かって、アデリアナは眉を下げる。
「……ねえ、あなたのための花園入りよ」
「知っているよ、アデリアナ。もしかしたら、あなたよりもずっとね」
ルーファウスは実に王太子然として微笑んだ。
そんな幼馴染みをじっと見て、アデリアナは眉を顰める。
ルーファウスには、ときどき自分を普通の人間として扱おうとしないようなところがある。それは王族としては正しいのかもしれないが……アデリアナは、どうしてもさみしいと思ってしまう。アデリアナは、幼馴染みのこういうところが気がかりだった。
ルーファウスは、ただしく王太子として在ろうとする。ともすれば、過ぎるほどに。
「わたし、あの方たちなら誰を選んでもいいと思うわ」
「まだ少ししか話していないだろうに」
「そうだけど……でも、そう思ったんだもの」
アデリアナの視線の先で、ルーファウスは少しだけ考えるような素振りを見せる。
その様子に、アデリアナは言い募る。
「ルーファウス。あなたには、素で話せるような相手が似合うと思うわ。王太子殿下としてではないあなたをちゃんと見てくれて、あなたが辛いときに甘えられるような人が」
「私もそう思っているよ。なかなか伝わらないだけで」
えっと呟いて。アデリアナは口を噤んだ。
「もしかして、お目当てのお嬢さんはもう決まっているのね……!?」
「そうだよ、よく気づいたね」
「わたし、あなたがお妃様を選ぶ手助けをしようと思っていたのに! もう、はやく言ってちょうだいよ」
ぱしぱしとクッションをはたくアデリアナを眺めて、ルーファウスはぽかんと目を見開いた。そして、くすんと肩をすくめるようにしたかと思えば――ルーファウスは、くしゃくしゃとした笑みを浮かべてみせた。追って、堪えきれなかったのか、声を立てて笑い出す。
「なによ、笑うところなんてなかったでしょう?」
子供みたいに唇をとがらせたアデリアナは、ふと、ルーファウスの後ろで唖然とした顔をしているジェラルドとリンゼイ夫人に気がついた。シェーナはどういった表情を作ればいいのかわからないといったように、目をしきりに瞬かせている。
……驚いているのだ。王太子らしい振る舞いを崩さないルーファウスの、常ならぬ様子に。
――いつも穏やかで取り乱すことのない、賢く清廉な王太子殿下。
何にも怒らず、言い方を過たず、けれども優しすぎるわけでもない。悪いことは整然と指摘もする、ただしい王子様。
ルーファウスに対する人々の印象は、だいたいそんな卒のないものだ。
もっと、こういう素の部分を見せればいいのに。
アデリアナはどうしても、そう思ってしまう。
ルーファウスの板についたただしい王子様らしい振る舞いは自然だが、彼が意識してそう在ろうと己に強いてきたことも知っているからだ。
まだ笑いが収まらないのか、両の手のひらで顔を覆っている指のあいだから、紫の瞳と視線が重なる。
交差させた指の間から覗いた瞳を猫のようにきゅっとたわませて、薄い唇をゆっくりとつり上げるその微笑みは、ルーファウスが時折見せる“模範的な王太子”らしくない様子のひとつで。アデリアナが密かに、“悪いけどわるくないルーファウス”と呼んでいるものだった。
金の髪と手のひらの影が濃い陰影を刻んでいる様が、その微笑をより凶悪にしている。
……そう、誰もが仰ぎ見る王太子らしい微笑みと同じだけ、否、もしかしたらそれ以上に心惹かれてしまうかもしれないような――ある種、とてもわるい表情なのだ。
そんな顔をされると、アデリアナは彼を幼い頃のように呼んでしまう。
「ルー、ルーファウス。あなた、わるい顔をしてるわ」
こういうとき、アデリアナの口調はきまって、まるで弟を叱る姉のような、親愛をあふれんばかりに込めたものになってしまうのだ。
ルーファウスは、おやと言いたげに眉を上げて悠然と足を組む。その瞳には、面白がるような表情が浮かんでいた。
「心外だな。私はいつも優しいだろう」
「そうだけど、自分で言う? あなた、ときどきちょっと意地悪よ。……ねえ、そんな顔、ほかの皆さま方にいきなり見せてはだめよ。きっとびっくりしちゃうわ」
「それは、あなたが独り占めしてくれるという意味かな」
「もう、ばかね」
しかたのなさそうにアデリアナが笑うのに、けれどもルーファウスは嬉しげに眉を下げるのだ。
「ああ、ごめん。そろそろ行かないと。短い時間だったけれど、あなたに会えてよかった。改めて、花園に入ってくれてありがとう」
時計を見て立ち上がったルーファウスを見送るために、アデリアナはゆっくりと歩み寄る。
「ううん、いいの。これからほかの皆様のところに行くの?」
いまだ顔を強ばらせたままのジェラルドが扉を開けようとするのを制して、ルーファウスはくるりとアデリアナを振り返った。ははあ、なるほど。そう呟いて。
「いや、今日は行かないよ。あなたに会いに来ただけだから」
つとルーファウスから両手を差し出され、アデリアナは首をかしげながら自分のそれを預けた。
「なあに?」
「アデリアナ、私ははじめからあなたしか選ぶつもりはないよ」
意表を突かれて目を見開いたアデリアナの手を、ぎゅっと握って。すぐそこに近づいたルーファウスの瞳に、ひらひらと瞬く光が踊るようにひらめいた。
「え……? じゃあ、どうして花園入りを行うの?」
行間は読めるが空気は読めないこともあるアデリアナは、その本領を発揮してみせた。
だが、幼い頃からすっかり慣れてしまっていて――かつ、惚れた弱みからあっさり受け入れてしまっているルーファウスは何とも思わなかった。
「まあ、色々なしがらみがあってのことだけど。彼女たちを軽んじる気持ちはないし、一月の間ここにいてもらうかわりに、それなりのことはするよ」
それはそうよね、とアデリアナが納得した様子をみせたので、ルーファウスは囁いた。だからね、と。噛んで含めるように、優しく。
「アデリアナ、どうか私と結婚してほしい」
見つめた瞳が、きらきらと揺れながら輝いている。
アデリアナは戸惑った。気づけば、首を振っていた。いつものように。
「だめよ、ルー」
予想していたのだろう、ルーファウスはまったく驚かなかった。
ただ、静かにアデリアナを見た。それはまるで、アデリアナを愛しているみたいな眼差しだった。
だって、きらめきを纏った瞳が、そうだと告げていた。
何か甘やかなものが匂い立とうするのに、それを封じ込めるようにアデリアナの胸の奥底でちりちりと瞬くものがある。
(でも、だめだわ)
だって……とアデリアナはことばを呑み込む。
ルーファウスは、注意深くアデリアナを見つめている。
そこに何か、アデリアナの知らない何かが作用していることはわかるのに、ルーファウスはまだ言うつもりはないことも、わかる。わかってしまう。
ややあって、黙り込むアデリアナを見つめていたルーファウスは顔を離して、静かに微笑んだ。
「できたら、私のことを好きになってほしい」
何故か、きゅうに恥ずかしさのような戸惑いのようなものがこみ上げて、アデリアナは困惑した。
うまくことばに表せないでいるアデリアナの様子を見て取って、ルーファウスは何故だか満足そうに手を離した。
今日ははやくお休み、と言ってルーファウスが去ったあと。
アデリアナは、つい先程まで握られていた手のひらに目を落とす。
あたたかさに包まれていたそこはすこしさみしくて、でも自分だけのものだという身軽さもあって。
そうか、といまさらのように気づく。
ルーファウスは、もういままでのように付き合える幼馴染みではなくなってしまうかもしれないのだ。
どうしよう、とアデリアナは思った。
居心地がよくて、傍にいると楽しくて。気安い幼なじみの王子様のルーファウス。
彼が幸せになるためなら、花園入りでも何でもしようと思っていたはずなのに。
その隣に自分がいる姿なんて、想像したことがなかった。
そんなのは、いけないことだと思っていた。
だって。
――アデリアナは、誰にも言ったことのない秘密を隠し持っている。
だから、アデリアナは自分が花嫁になることを思い浮かべたことがなかったのだ。
……結局、その夜はろくに本の続きも読めなくなってしまった。
これもルーファウスのせいだ。アデリアナは言いたいことだけ言って去っていった幼馴染みのことを恨みがましく思いながら、寝台でため息を重ねたのだった。
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