第2話

 今から五十年ほど前、隣国に【バナハ】という国があった。


 そこの国王が悪いやつでな。国民から多大な税金をむしり取り、自身は贅沢三昧の日々。富裕層と貧困層の格差は激しく、城下町以外はすべての国民が貧困にあえいでいた。

 誰が言い出したかは分らんが、その国王は魔王と呼ばれるようになった。


 そんなバナハの悪政を正すべく、おれたちは侵攻を開始したんだ。


 ――箔をつけさせるために当時の王子だったマダリオを連れてな。


 疲弊しきっていたバナハの国民はほとんど抵抗することもなく、贅沢三昧で身体のなまりきっていた騎士団もおれたちの相手ではなかった。


 勝負は一瞬で決まったよ。


 おれたちは勝ちどきを上げ、これで貧困にあえぐバナハ国民を救えると思っていたんだ。


 そんな時、ある事態が起こった。


 城内からバナハ国王の幼い息子が見つかったんだ。

 当時三つか四つくらいの小さな子どもだ。

 おびえた顔で兵士に連れられおれの目の前に現れたよ。

 おれはどうするべきか迷っていた。侵略対象国の王子ではあるが、まだ幼い子どもだ。

 生かしておくことも考えた。

 しかし、おれが反対する間もなく興奮した兵士がその子の首をねたんだ。


 勢いよく飛んでいったよ。くるくると首が宙を舞うその最中、目が合ったんだ。


 怒りと、悲しみと、絶望が入り交じった目をしていたよ。当時三つか四つの子どもの目が。


 隣にいたマダリオ坊ちゃんは腰を抜かして小便漏らしてたよ。


 それでも、国に帰ればおれは英雄扱いを受けた。

「魔王を倒した勇者だ!」ってな。

 国王から一生暮らせるだけの報酬をもらって、おれの人生は安泰だと思っていたんだ。


 ――でもな。


 その日から悪夢を見るようになった。

 目を閉じるとあの子の首がくるくる回ってるんだ。くるくる回っておれにこう言うんだよ。


「許さない。許さない」ってな。


 毎晩毎晩汗だくになって飛び起きるような状態になったおれは酒に溺れるようになった。

 気絶するまで飲むと、幸いなことに悪夢は見ずに済んだんだ。


 ******


「これが、英雄の正体さ」


 アベル様のお話に、私は言葉を失います。

 寂しそうに背中を丸める彼に対して、かける言葉が見つかりません。


「だから、酒を買ってきてくれないか。おれはもう長生きなんかしたくないんだ」


 そういうとアベル様は机に置いてあったわずかなお酒をあおり、そのまま布団をかぶって丸まってしまいました。


 私はしばらく固まっていましたが、それでもやるべきことをやろうと黙って部屋の掃除をすすめました。

 買い物に行くときは質素な服に着替えました。市場に向かい、野菜と肉を買うと、少し迷ってからお酒も買いました。


 その日もスープを作ることにしました。


 お酒で胃が荒れているであろうアベル様には、固形物よりスープのほうがいいと思ったからです。

 スープが出来上がると、昨日と同じように寝室へ向かいます。


「アベル様、お食事が出来ました」


 お声がけしますが反応はありません。


「お酒も買ってきましたよ」


 その言葉を聞いたとたん、急にアベル様が起き上がりました。


「酒、よこせ」


 差し出してきた手に、私はスープの器を渡します。


「これじゃなくて、酒を」

「それを食べるまではお酒は渡しません」


 今度ばかりは譲る気はありません。私は強い意志を持ってアベル様と視線を交わします。


「・・・・・・ちっ。面倒なヤツが来たなぁ」


 そう言うとアベル様はしぶしぶといった様子でスプーンを使ってスープを口に運び出します。

 一口目はゆっくりと、二口目は少し早く、三口目は器に直接口をつけて一気に喉に流し込み、そして咳き込みました。


「あぁ、慌てないでください」


 私はアベル様の背中をさすりながら声をかけます。

 少し落ち着いたアベル様が空になった器を私に差し出してきます。


「お酒、お持ちしますね」

「いや、・・・・・・もう一杯」


 一瞬、なんのことか理解出来なかった私が首を傾げると、アベル様が器を振って私に訴えます。


「これ、もう一杯くれ」


 そこでようやくスープのおかわりを求められているのだと分かった私は、満面の笑みでうなずきました。



 翌日、私が買い出しに行こうと支度をしていると、アベル様が寝室から出ていらっしゃいました。

 昨晩ちゃんとした食事を摂られたおかげか、いつもより顔色は良く見えます。


「どうかなさいましたか?」

「今から買い物に行くんだろ? おれも行く。好きな酒くらい自分で選びたいからな」


 そう言うとアベル様は壁に掛けていたボロの外套がいとうを羽織られました。

 ひとりで歩くスラムの道は緊張感でいっぱいでしたが、今日は老人とはいえアベル様が横にいらっしゃることで、いつもよりリラックスして歩くことができました。

 アベル様は周りをきょろきょろと見回しながら、私のすぐ後ろをついてきます。

 ふと、先日出会った物乞いの少女がまたしても私に近づいてきて手を差し出してきます。

 私は心を痛めながらも、無視をして立ち去ろうとしました。――その時です。


 アベル様が私の持つお金の入った小袋を奪い取り、中から数枚の貨幣を取り出し少女の手に乗せました。少女の目に光が戻ります。


「アベル様、いけません」


 私はすぐさま声を上げます。ひとりの物乞いに施しを与えてしまうと、我も我もと何倍もの物乞いに取り囲まれてしまうからです。


「幼い少女に救いの手を差し伸べることの、なにがダメなんだ?」


 アベル様は私の目を真っ直ぐ見つめて言ってきます。

 私は何も言い返せませんでした。


「お嬢ちゃん、名前はあるのか?」


 アベル様がしわがれた手を少女の頭に乗せて問いかけます。


「・・・・・・ルチ」

 少女が小さな声で言います。


「そうか、ルチか。今日だけは良い物を食べるんだ。おれに出来ることはもうこれくらいしかないから」


 アベル様がどこか悲しげな目で少女に言います。

 そして案の定、どこからともなく物乞いの少年少女がわらわらと出てきて私たちを取り囲み手を出してきます。


 ――アイツにあげたんだからおれたちにもよこせ。


 そういわんばかりの迫力でした。

 私がどうしようかと逡巡していると、アベル様が手に持った小袋のお金をばらまくように物乞いに配り始めます。


「お前ら、良かったな。今日は大盤振る舞いだぞ!」


 楽しそうに笑いながら、動物に餌をやるように、アベル様は取り囲む少年少女たちに次々とお金を渡していきます。


「あ、アベル様」

「今日だけはいいだろ。どうせ無くなる金じゃないか」


 はははと笑いながらお金を配るアベル様を見て、私は諦めと、どこか喜びが混じったような息を吐きました。


 その日は結局昨日の残り物と、買い置きしていた肉を焼くことにしました。

 アベル様もベッドではなく、台所にある食卓に腰掛けています。


「おれはな、ずっと後悔しているんだ」


 食事の最中、ふいにアベル様が呟きます。


「後悔?」


「あぁ。おれたちは確かに国民を苦しめる悪い王を討った。これで世界が平和になると信じて疑わなかった。だが、見てみろ、この町を」


 アベル様の言葉に引きずられるように、私は貧困にあえぐこの町を思い浮かべます。


「結局、貧しい者は貧しいままだ。おれはなんのために――」


 それっきり、アベル様は黙ってしまわれました。

 私もかける言葉が思い浮かばずに、食器に当たるスプーンの音だけが部屋に鳴り続けました。

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