英雄の看取り士

飛鳥休暇

第1話

 私がその方のご自宅を初めて訪問したのは、まだ暑さの残る季節でした。


 城下町の外れにある貧困街スラムのさらに端、寂れた小屋がそのお方の住処でした。

 私は数度、扉を叩きましたが返事はありません。

 ただ、返事がないだけで中からは物が動く音がかすかに聞こえてきます。

 私は意を決して無断で扉を開けました。

 扉を開けた途端、すえた臭いが漂ってきました。入ってすぐの場所には台所と思わしき空間がありましたが、食器や荷物が散乱していてしばらく使った様子はなさそうでした。

 奥に目線を向けるともう一つ部屋があり、うすく開いた扉からベッドに横たわる人物の姿が見えました。


「こんにちは、アベル様。お邪魔いたします」


 私は奥にいる人物に声を掛けますが反応はありません。

 仕方が無いので私は奥の部屋まで歩いていくことにしました。


「アベル様、失礼致します。私は看護師のミミリアと申します。王様よりの勅命により、本日より住み込みでアベル様のお世話をすることになりました」


 ベッドで横になっているその老人に声を掛けると、老人の身体がわずかに動くのが見えました。


「出て行け」


 かすれた声でそう言った老人――アベル様はそのまま咳き込み始めました。

 寝室の床には大量の酒瓶が散乱していて、アルコールの臭いが充満しておりました。

 私は壁際の窓を開け、部屋の換気を行います。


「ほっておいてくれ」


 アベル様は私を見ることもなくそう吐き捨てます。


「そうはいきません。王様より、アベル様のお世話をするよう直々に申し使っておりますので」


 アベル様は私の言葉を「ふん」と鼻であしらいます。


「だったら仕事をやる。酒を買ってこい」


 アベル様がもそりと起き上がり、ベッド脇の机にある小銭を投げてよこしてきました。

 初めて見るそのお顔は白いヒゲで覆われていて、薄くなった頭頂部以外の髪もぼさぼさに伸びきっておりました。

 毛虫のような眉毛の下の瞳は、ミルクティーのように濁っていて、焦点も合っていないように思いました。


「お酒ばかりではお身体に触ります。あとで栄養のある食材を買ってきますね」

「うるさい! 酒を買ってこいと言っているんだ!」


 アベル様がそばにあった空の酒瓶を私に向けて投げつけてきました。

 瓶は壁に当たり粉々に砕け、私は少しだけ悲鳴を上げました。

 アベル様は一瞬だけ後悔の色を見せた表情をしておりましたが、そのまま布団をかぶりふて寝してしまいました。

 私の心の中は「この先やっていけるのだろうか」という不安でいっぱいでした。


 ******


「アベル・フォンダガーデンという男は知っているか?」


 謁見えっけんの間で、目の前に座っている国王様が私に問いかけます。


「知っているもなにも、この国を救った英雄様のお名前ではございませんか? 幼少期より何度もお耳にした名前でございます」


「そうだ」


 国王様は少し前のめりの体勢になり、少し声を落としてから私に言います。


「その英雄の命があとわずかだという報告が彼を診ている医者よりあった」

「そんな」

「そこで君に頼みがある。彼が亡くなるまでの間、住み込みで彼の世話をしてやって欲しい。もちろん見合うだけの報酬は支払う」

「どうして私が選ばれたのでしょう?」

「いま彼がいるのは貧困街スラムのはずれだ。と言ったらもう理解できるか?」


 国王様のお言葉に、私は頷きます。


「並の看護師では危険な場所ですね」

「そうだ。元々騎士を志願してきた君なら、多少の厄介ごとでもその手で払いのけられるであろう?」


 国王様は話を切り上げられるかのように椅子に深く座りなおされました。


「はい。承知いたしました」


 こうして私はアベル様の元へと向かうことになったのです。


 ******


 食料を買い出しに家を出ると、そこかしこから視線を感じます。

 貧しい者たちがほとんどのこの地域で、綺麗な給仕服を着ている私は目立ちます。

 漂ってくるのは酒と糞尿と死骸の臭いです。


 私は暴漢に襲われないように周囲を警戒しながら歩きます。並の泥棒程度であれば撃退はできる自信はありますが、危険なのは酒や薬でおかしくなった人たちです。

 彼らには恐怖という感情が抜け落ちておりますので、怪我などもろともせずに攻撃してくる場合があるからです。

 私が警戒しながら歩いていると、ひとりの少女が遠慮がちに近づいてきました。

 両手を合わせて、まるで器を作るかのように私に差し出してきます。

 少女は服とも呼べないようなボロきれ一枚をかろうじて羽織っているような状態でした。

 ろくに物も食べていないのでしょう。穴の空いたボロきれから覗く胸元は、あばらが浮いているのが見て取れます。


 少女は何も言わずにくすんだ目だけで私に訴えます。なにか恵んで欲しいと。


 しかし、私は心を鬼にしてそれを無視します。

 ここで同情にかられて施しをしてしまうと、路地裏からわらわらと同じような少年少女が現れて取り囲まれてしまうからです。


 私の生家も決して裕福ではありませんでした。

 それでも、スラムにだけは絶対に近寄るなと両親は口を酸っぱくして私に言いました。

 成長するにつれてその意味が理解できるようになりました。

 ここにはあらゆる人間の闇が凝縮されております。

 人の命の価値は限りなく小さく、ありとあらゆるものが生きるために消費されておりました。


 私も子どもながらにスラムにだけは行きたくないと、稼ぎを得るために王国に仕えることを目標としました。

 そのために勉学に励み、さらには騎士の試験を受けるために武道の教えも受けました。

 どちらかが落ちてもいいように騎士の試験と看護師の試験の両方を受け、幸いにも看護師として王国に仕えることになったのです。


 騎士の試験もそれなりの成績を取っていた私は、その才能を認められ戦場看護師として軍と共に前線で働くことが多くありました。


 この国は未だに隣国との戦争が続いております。

 そんな最中に国王様に呼び出され、私は今回の仕事に就くことになったのです。


 正直、安堵の感情が浮かんできました。


 戦場では毎日まいにち地獄のような日々を過ごしていたからです。

 怪我人はひっきりなしに運ばれてきて、そして満足に回復しないまま再び前線へと送られるのです。

 敵国の砲弾を受けて身体が半分無くなったような人間が、それでも生への本能に突き動かされ、断末魔を上げながら私の腕を強く握るのです。


 助けてくれ。助けてくれ。と。


 そんな日々から解放されるのなら、スラムでひとりの老人の世話をするほうがどれだけ楽なことでしょう。


 スラムの中でもまだ活気のある市場で食料を買ってから、私はアベル様の家へと戻ります。

 明日からはもっと質素な格好をして出かけようと心に決めます。


 家に戻ってから、先に台所に散らばった物の整理を始めます。

 使い物にならなさそうな物はすべてまとめて外に放り出します。

 外に置いておけば誰かが勝手に持って行ってくれるでしょう。


 そうしてようやく見えた床やテーブルを雑巾で拭いてきれいにします。

 なんとか調理が出来そうなまでに掃除がすんでから、私は買ってきた食材を切り、スープを作ることにしました。

 アベル様が食べやすいようにじっくりと煮込むつもりです。

 当のアベル様はというと寝室にこもったまま、ときおり用を足すために出る以外はずっとベッドの上で過ごされておりました。


「アベル様、お食事が出来ましたよ」


 私は出来たスープをアベル様の寝室まで運びますが、アベル様は寝そべって私に背を向けたまま動きません。


「こちらに置いておきますので温かいうちにお召し上がり下さい」


 スープを乗せた盆をベッド横の机に置いてから、アベル様に声をかけます。


「・・・・・・酒は?」


 ガラスを引っ掻いたような声が聞こえてきました。


「まずは食事を摂られてください。お酒だけだと早死にしてしまいますよ」

「ふん。早く死ねるなら本望だよ」


 アベル様はそう言ったきり動かなくなってしまいました。

 私は様子をうかがいながら台所へと戻り、自分の分のスープを飲みます。野菜のうまみが溶け出した、我ながら満足のいく出来のものでした。

 その日はそのまま台所に布を敷き、私はそこで就寝しました。


 翌日、アベル様のお部屋を覗くとスープはほとんど飲まれておりませんでした。

 私はひとつ息を吐いて、寝室の窓を開けました。


「おい、勝手に開けるな。ゆっくり眠れないだろ」


 アベル様がもぞもぞと布団の中で寝返りをうちます。


「朝日を浴びるとお身体も元気になりますよ。それに少しは換気もしないと」

「いいんだよ。ほっといてくれ」


 アベル様はめんどくさそうに布団を頭までかぶります。


「ダメです。さあ、起きて身体を動かしましょう」


 私が身体を揺すると、アベル様が苛立ったように手を払います。


「いいからほっといてくれ! なんでおれにかまうんだ」

「国王様より直接仰せつかったお仕事ですので」


 私が続けて布団をむしり取ろうとすると、くっくっくと笑い声が聞こえてきました。


「マダリオの坊ちゃんが偉くなったもんだな。・・・・・・あの裏切り者が」


 迫力のこもったその声に、思わず私の手が止まります。


「それは、国王様のことですか?」


 戸惑いの声を上げた私を一瞥してから、アベル様は自発的に上半身を起こされました。


「君は、なぜおれが英雄と呼ばれているか知ってるか?」


 アベル様はまっすぐ私の目を見て言います。


「もちろんです。数十年前、魔王と呼ばれる存在を打ち倒し、我が国に平和をもたらしたと――」

「――本当にそんなおとぎ話を信じているのか?」


 私は意味が分からず固まってしまいます。


「おれが殺したのはただの人間だ。魔王なんかじゃない」


 それから、アベル様はゆっくりと過去の記憶を辿るように語り始めました。

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