第11話 聖堂に差し込む光


 教会の聖堂に差し込む午後の光は虹色だ。聖堂内はステンドグラスに描かれた絵を除き、細部にまで左右対称に作り込まれている。天井までの白い大理石には、きめ細やかな凝った装飾が彫り込まれ、見る者を圧倒するのだった。


 教会の入口から向かって奥側、祭壇の横には開け放たれた扉があり、時計塔の階段へと繋がっている。そして祭壇に向かって左右対称に長椅子が並べられ、建物の入口まで続いていた。


 透明な天窓からはキラキラと日光が差し込み、祭壇の上に祀られた教会の証、十字星をかたどった大きな銀装飾が一際光り輝いている。


 祭壇から3列目の長椅子には、金髪を刈り上げた美丈夫が窮屈そうに腰掛け、その南国の海の如き瞳で、十字星を静かに見つめていた。


 男は街行く他の男たちより二回り以上の背丈があり、筋骨隆々とした身体を白いシャツで隠し、つやつやした黒の革ジャケットを羽織っている。耳には小さな紫色のピアスを光らせ、この街にしてはかなり良い身なりだ。


 その首元にはゴツゴツとした少し大きな銀の鎖が掛かっている。チャームはシャツに隠れて見えないが、鎖の太さから一般的なものより大きいことが伺えた。


 誰かが時計塔の階段を下りて来ているのか、カツカツという足音が広い教会内に響いている。


「教会はいい。いつ来ても美しい」


 男は誰にでも無く呟いた。


「当たり前です。その銀の十字星がある限り、教会内に立ち入った者はたちまち正気に戻ってしまうのですから」


 祭壇横の開け放たれた扉から、頭から足元まで紺の宗教服で身を包んだ少女が現れ、男に向かって話しかけた。


 少女はまるで天窓の光から降りて来たような、100年の眠りも覚める容姿をしていた。いや、今風に言うなら500年か。瞳も髪も澄んだ水色をしており、頭に被ったベールの下には、長く髪を伸ばしている。水の精霊だと言われても、誰も疑問に思わないだろう。


「無粋だねえ。銀の十字星なんざ無くても、この街の住人が美しいと思えるように、わざわざステンドグラスを直したってのに」


 男は少女には目もくれず、つまらないという風に、両足を前の座席の背もたれにドンと載せた。少女は目を細めて、それを見咎める。


「お行儀が悪いですね。あなたが『テオドール老師』を見つけたかもしれないと連絡を寄越したから、久々にチャームを持って来たんですよ、チャーリー。ガセネタだったら許しません」


「おー、こわ! しっかし、修道院もあんたみたいに髪色の薄いのを寄越すとは、俺のこと信頼し過ぎじゃねーの?」


 白い歯を見せつけるように、チャーリーはニカッと笑い、両足を床に降ろした。


 呆れたようにため息をつくと、少女は右の掌を空中に差し出す。すると瞬間、掌の上に緑の大きなトランクが現れた。トランクを宙に浮かせたまま、少女が手を振ると、それはチャーリーへ投げられる。彼はいかにも重そうなそれを、片手で難無く受け止めた。


「私1人の派遣ですし、別の用件で手一杯ですので、市の開き方はそちらにお任せします。今回は3,000本お持ちしました」


 嬉しそうにトランクを膝に載せると、チャーリーはおもむろにそれを開いた。光り輝くチャームがびっしりと並んでいる。先の銀の粒は小さかったが、飾りになるよう簡単なデザインが数種類用意されている。気が利いているではないか。


「3,000!? 本当にいいのか? 1本作るのに、おそらくあんたレベルの聖人でも1ヶ月はかかるだろう? 助かるね〜。」


「この10年、あなたはチャームと引き換えに『教会と時計塔の修復及びみだりに人が立ち入れないように管理する』という我々との約束を守り、5年前ついに教会の修復を果たしました。それに………」


「それに?」


 いかにも悪そうな笑顔でこちらを見てくるチャーリーに、少女は疑わしいという表情で続けた。


「あなた、チャームを街の人々に施していますね? この街は荒れていますが、諜報員が調べた結果、あなたのグループの構成員だけで無く半数程度の人間が理性を保っていることが分かりました」


 ここで一度区切る。得体の知れない男の反応を伺うが、腹立たしい笑みを深めるばかり。先をどうぞとばかりに、顎で合図して来るのが気に入らない。軽く咳払いをして、話を進める。


「修道院は無償でチャームをお渡ししますが転売されることも多く、大人1年分の食費と同じ値段で売られるような代物です。もし10年間売り捌いていれば、あなたは大陸全土を牛耳ることも可能だったでしょう」


 そう。信じがたいことだが、この男は配下の者だけでなく、この街の統治に本気で取り組んでいた。荒れきった世界で殊勝なことだが、その目的は不明だ。


 こちらが真意を測りかねていると気付いたのだろう。彼は心底つまらなそうに鼻で笑う。


「あいにくと魔王の影響が薄いこの街が気に入っててね。せっかくステンドグラスを直したんだ。楽しめる人間が多い方が良いだろ?」


 チャーリーは自分の右手にある、祭壇に1番近いステンドグラスに目をやった。そこには、左手で剣を正面に構えた銀髪の女騎士の横姿が描かれている。こんな時代にあっても、誰もが知っている、伝説にして実在した人物だ。


「聖シアン・カヴァリエですね。彼女の死後、名門カヴァリエ家が代々受け継いで来た聖剣アルル・ゴージャは行方知れず。また、カヴァリエ家が没落したことで、聖剣について詳しく知る者も居なくなり、聖剣は魔王に折られたのだとも言われて来ました」


 実に興味深い話だと、チャーリーは思った。もはや誰が聖剣の行方など気にするだろう。魔力のない人間は、麦粒ほどの小さなチャームも手に入れられず、日々を安全に乗り切ることすらままならない。


「しかし、テオドール老師は以前から聖剣が健在であると確信していた。ではどこにあるのか、どのように入手するのか、聞き出さねばなりません」


 少女はまだ幼さの残るあどけない容姿をしていたが、強い意志を瞳に秘めていた。


 どうやら本気らしい。これは面白くなってきた。教会はいよいよ本腰を入れて、解決を図ろうというわけだ。


「魔王研究のために大陸中を旅する教会のはぐれ者か。妙な人探しだとは思っちゃ居たが、聖剣探しとはな。しかしそのお陰で、チャームが3,000も手に入るなら願ったり叶ったり。魔王の影響で日々絶望感に苛まれてるあばら家の連中も、ついに仕事にありつけるってもんだ」


 少女はその美しい目を、にわかに細めた。彼が一般市民にチャームを施しているのは、どうやら酔狂ではなさそうだ。これだけ安定した立場にありながら、浮浪者を気に掛けるような者は、もう何処にもいないと思っていた。


「ご満足頂けたようであれば、私を今すぐ老師の元へ案内して下さい。大陸全土からの報告通りであれば、今なら私が髪を隠さずに出歩いても問題ないはずです。…もっとも、この状況がどこまで続くのか見当もつきませんが」


「よし、そういうことならすぐ案内しよう。なーに、俺から離れなければ危険な目には遭わせねーよ。チャーリー・スタンボルトだ」


 チャーリーは気風きっぷよく、少女に向かって右手を差し出す。しかし、少女は彼の手は取らずに、修道服の裾を両手で少し掴み上げ、軽く会釈しただけだった。


「エリアーデ・クラークです。あいにくですが、むやみに他人の手を取らないよう指導されておりますので、お許しください」


「ははっ。お堅いねえ。それじゃ行きますか」


 両膝を手で打つと、チャーリーは椅子から軽快に立ち上がった。

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