第12話 カモミールのチャーム


「どうしたんだ?その荷物は」


 ララのリュックを重そうに抱えたアリオを見て、テオは思わず吹き出した。


「ララはランチの給仕が終わったら、ここまで来るってさ」


 やっとの思いで運んで来た荷物を、アリオは足元にドサッと落とす。すると荷物の中から、ガラス片がぶつかるような小さな音がした。


「やべっ」


 思わずリュックの中を開けて確認する。


「あー。良かった。割れもんじゃねー」


 安心したように座り込むと、アリオは不思議そうにリュックの中に手を突っ込み、銀の鎖を引っ張り出した。音を立てたのは、どうやらガラスでは無く、金属だったようだ。


「ん? ララのやつ、母親と揃いのちっちぇーチャームをいつも付けてるのにもう1個持ってるな…あれ、テオ? これって俺らのやつと同じじゃねえ?」


 その鎖の先には、テオやアリオと同じく、コインほどの大きさの円形の銀装飾が付いており、カモミールの花がかたどられていた。アリオは自分のチャームを引っ張り出し、とっくりと見比べる。彼の銀装飾には、スッカルの花が彫り込まれていた。


 スッカルは街中でも見かけることのある、ごく普通の樹木だ。春になると白い小さな花をつけ、テオの話では、かつて春になると人々は花を楽しむための酒宴を催したという。


 酒宴ってなんだっけと思いながら、テオの方を見たが、彼の目は大きく見開き、驚きを隠せていない。


「アリオ、ララに母親以外の家族は?」


「……ララと同じ赤毛の、魔導士の兄貴が居るって言ってた。もう随分前に旅に出て、行方知れずで連絡もつかないって」


 唐突な質問に、アリオは戸惑いながら答えた。目を閉じてしばらく考える。ララは魔法を使わないという話だから、これは彼女の物ではない。


「それはおそらくララの兄の物だ。リュックにしまうのは危険だから、アリオが掛けておきなさい。後でララに説明して、首からか掛けさせよう」


 こんな物を持っているということは、正体の知れた彼女はますます危険に晒されている。しかし、彼女本人はそんなことを知るよしもないだろう。


「予定通り、我々も夕方までに街を出る。リュックを持って来たところで悪いが、こちらからララを拾いに行こう。カーサスに挨拶してそのまま発つから、支度しなさい」


「分かった」


 とはいえ、2人に荷物など、ほとんどなかった。アリオが空を見上げると、にわかに曇り始めていた。朝はあんなに晴れていたのに。


 3年前、この街に来た時は、雨が降っていた。


 そして、雨宿りしようとこの橋の下に潜り込んだら、偶然ここの住人が死んでいたのだ。生まれて初めて見る他人の死体に、声が出なかった。


 しかし、テオは至って冷静だったと思う。手慣れた様子で遺体を拭き、衣服を整えると、何処からか大きな板を持って来た。


 どうやら、遺体は海に還すのが、この街の風習だったらしい。板に遺体を載せ、布を被せると、摘んで来た花で飾る。海まで出るのは危ないからと、水路に板ごと浮かべる。


 彼は祈りの言葉と共に、水面の遺体に向かって、何か話し掛けているように見えた。遺体は迷うことなく、水路を進んで消えて行った。


 その後、住人を丁寧に葬送したテオを見て、チャームも持たない周りの浮浪者たちが集まって来た。そうして何を思ったのか、彼らはその場所を、そっくり譲ってくれたのだった。


「彼らのような浮浪者は、魔王に心を乱されても暴力に走ることは少なく、ただ深い絶望感を常に味わっていることが多い」


 小さな葬送の後、テオからそう言い聞かされた。


「私にも彼らの苦しみは分からない。私の苦しみを他人に理解することが難しいのと同じだ」


 その表情は、いつになく暗く沈み、眉間には深い皺が刻まれている。そう見えるのは雨のせいだろうか。彼は時折、まるで老人のような顔を覗かせることがあり、心臓に悪かった。


「しかし、私は私と同じ苦しみを誰にも味わって欲しくない。だから旅を続けている」


 それが、この街で最初に受けた説教だ。あの雨の日に彼が語ったことを、アリオは今も考え続けていた。


 出立しゅったつに当たり、食器や調理器具は周りの住人や新しい住人が使うので、そのままにして行くことになっている。テオはこちらに背を向け、死体を押し流すのに使っていた、やけに長い木の杖を取り出す。杖の上端には布袋がかけられ、大きく膨らんでいた。


 先ほど言われたことを思い出し、ララの兄の物と思われるチャームを首から下げる。カモミールの花の彫られた銀のチャームだ。


 その瞬間、爆発音と悲鳴が響いた。


 アリオは驚いて橋上を見上げ、テオはいつになく顔を険しくする。この気配には覚えがあった。


「魔物か」


 アリオの目線の先、曇り空には煙がモクモクと立ち上っていた。よく見ると、水路沿いにちらほら煙の上がっている建物があるようだ。


 カーサスの宿屋が頭をよぎる。胸騒ぎがした。


「荷物を!」


 テオはアリオへ振り返るが、もうそこに彼の姿はなかった。

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