第10話 ドロアーナの街
「ドロアーナの街? 初めて聞いた」
ララは食堂のカウンター席に座るアリオの話に、興味深そうに耳を傾けていた。もっとも、弟のようなアリオを、眺めるのが1番の楽しみなのだが。
彼は今日もフードを深く被り、外そうとすると、うざったそうに手を払い除けてくる。そして、自分が被っている黒髪のカツラが気になるのか、話しながら、しきりに頭へ目を向けてくる。
魔力持ちだとバレてしまってから、1週間が経っていた。しかし、どうしようもないので、相変わらず赤毛を隠して生活している。
宿屋はトムが費用を負担し、窓の修理が行われているところだ。先日の失態は、確かに用心棒である彼の責任だが、彼はやっぱり女主人のカーサスに弱かった。
「水の都ドロアーナ。かつて栄華を極めた港町だってテオが言ってた。この街の主な交通手段は船で、小舟がそこかしこを往来してたから、あちこちに
「さすが! テオって、やっぱり物知りなのね。そう言われてみると、確かに母さんも逃げる時、水の都へ向かおうって言ってたかも」
いつも仏頂面のアリオが、純粋に驚いた顔をする。何か変なことを言っただろうか。彼はしばらく考え込むような仕草をする。大人ぶってアゴに手を当てる姿が可愛いらしい。
「テオは、ほとんどの人はこの街の名前も知らずに住んでるって言ってたから、ララの母さんも物知りだったんだな」
「……んー。どうだろ。もう何年も前に旅に出た私の兄さんが、時々魔法を使って連絡をくれてたから、その時に母さんに色んなことを教えてたのかも」
「え。ララって兄貴いたの?」
アリオは不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。こういうところが愛らしいのだけど、彼は気付いていないだろう。夜の仕事の姐さんたちだって、時間さえあればアリオに夢中なのだ。
…何の話だったか。そうだ、兄である。
「そうだよー。兄さんも赤毛だけど、私と違って勉強家だったから魔導士なの。魔導士なんていくらでも仕事があるのに、全然興味なかったみたいで、ある日、急に旅に出たっきり」
ララはカウンターに頬杖をつき、兄を思い出しながら、半ば呆れたように遠くを見つめる。
「連絡して来ても、どこまでも続く砂漠があるとか、地面の底に空があるとか、嘘みたいな話ばっかりして来たけど、もう連絡手段もないしねー」
ふと、思い出すことがあった。過去に、兄が訪れた街のことだ。この荒廃した世界にあって、とても浮いた建造物だったのでよく覚えている。
「…あ、そうか! ステンドグラスが綺麗な時計塔の話、あれってもしかしてこの街だったんじゃない…?」
カーサスは決して、自分を買い物に行かせてはくれない。しかし、一度だけトムと一緒に、海辺まで案内してくれたことがあった。きっとデートの口実だったんだろうけど。
その時に、星十字教会の立派な聖堂を、見せてくれたのだ。荘厳な白い建築には大きな時計塔が付いており、聖堂には色とりどりのステンドグラスが嵌められていた。
銀の十字星が祀られているお陰で、聖堂内には魔王の影響が及ばないらしい。緊急避難所でもあると念を押されたので、よく覚えている。
そして、ステンドグラスと並んで目立つのが、その時計塔だった。今の時代、もうほとんど時計は残存していない。
作る者も整備する者も、必要とする者もいないからだ。何故か森の家に時計があったので、自分は特に違和感を抱かなかったが、カーサスも含めて街の多くの人間が、時計を読めないと知った時はさすがに驚いた。
この街を牛耳っているチャーリーは、市民生活を少しでも向上させるため、何年も掛けて教会やステンドグラス、時計塔を修繕したという話だが、本当だろうか。
そんなことを考えている間、アリオは時計塔という言葉にしばらく思案していたが、やはり教会しか思いつかなかったようだ。
「あの古い教会の時計塔のことか? 確かに、あの教会すげー綺麗なステンドグラスがあるよな。あちこち割れてたけど、5年前にチャーリーがすっかり元通りに直したって、カーサスが言ってた」
「きっとそうだよー! 兄さんったら、近くまで来てたなら、家に寄ってくれれば良かったのにね」
兄らしいと思うと、嬉しくなって思わず手を叩く。
そんなララの様子を見て、アリオは照れ臭そうに、またフードで顔を隠した。気を取り直すように首を横に振る。次に顔を上げると、彼はいつになく真剣な面持ちになっていた。
どうやら今日も、街を出る催促だったようだ。
「で、ララ。なんで一緒に来てくれねーの?」
「ん? 大丈夫、ここは安全だよ。1週間前から街がこんな感じなの知ってるでしょー?」
思わず、カウンター横の窓から外へ目をやる。街は賑わっており、今日も笑い声が聞こえてくる。今や道にゴミも死体も無く、あちこちで建物の修理が始まっていた。女が丸腰でパンを売り歩きながら、食堂の前を過ぎて行く。
この窓は、1週間前にアリオが割ってしまった窓だ。まだ新しい窓が届いていないが、雨戸は閉めずに開け放たれていた。それでも安全だからだ。
「この調子なら割れた窓だけじゃ無くて、全部の窓直して貰おうかってカーサスさんが言ったから、トムさん青くなってた。ウケる」
思い出すだけで笑みが溢れる。頭が上がらないどころか、彼は完全にカーサスの尻に敷かれている。
「ねえ知ってた? あの2人って実はお揃いのチャーム付けてるの。早くくっついちゃえば良いのにね〜」
カーサスとトムが同じチャームを付けていることに、実は以前からアリオも気が付いていた。しかし、今はそんなことよりも、調子良く喋る彼女にいらついている。
「テオは、今回の"凪"はそう長く続かない、いずれ"魔が差す"って言ってた。この店に居るのは危険だ!」
急な語調を強めるアリオに、ララは苦笑する。
もし弟がいれば、こんな感じだろうか。少し、からかいたくなってきた。
「……分かってる。ありがとう、アリオ。私ね。ここに来るまで、母さん、兄さん、それから行商人以外とは話したこともなかったの。ここでカーサスさんやトムさん、仕事の姉さんたち、ガラの悪いお客さんと話すのがとっても楽しい。あとちょっとだけ、浸らせてくれないかな?」
ララの潤んだ瞳に見つめられて、アリオは俯いた。きっと安全と気持ちを、天秤にかけているに違いない。やり過ぎただろうか。
しゅんとしたアリオを見たララは、ふふっと笑うと、オレンジ色の大きなリュックを、カウンターの上にドンと乗せる。
「なーんてね! 実はもう荷造りしてたのです! 今日のランチで給仕したら、挨拶して明るいうちに出て行くことになってるのでした〜! …というわけで、先に荷物運んどいてくれない?」
少し申し訳なさそうに両手を合わせたが、アリオは意地悪そうにニッと笑って見せる。
「荷物運ぶのは料金に入ってねーから、こないだと同じサンドイッチで手を打ってやるよ」
「えー! 生意気ー!! 料金以上のサンドイッチ作っちゃうんだから、覚悟しなさい!」
全く、良い根性をしている。彼を育てているらしい、テオという男のことが気になるが、もう少しで会えるだろう。
このリュックには、貴重品こそ入っていないものの、森から逃げる時、死んだ父親から持たされた物が入っていた。まあ、アリオなら大丈夫だろう。少し重いかもしれないが。
「大事な物も入ってるけど、信じて任せます!」
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