30話 フィリップ王子

「お祖母様……お願い、赤ちゃんを助けて」




 ユーリは陣痛の合間に、モガーナに必死で頼む。




「助けれられるなら、助けますよ。さぁ、これをお飲みなさい」




 ユーリが赤ちゃんを殺す薬ではと警戒するのを、モガーナは曾孫を殺したりはしませんよと誓った。




「甘いわ……」




 ユーリの陣痛の間隔が短いのをモガーナは確認して、出産させるなら今しか無いと思った。




「ユーリ、イリスはもう限界だと言っていましたね。


陣痛の苦痛をイリスが減らしてくれていたのですか?」




 ユーリは陣痛の合間に、そうだと答える。モガーナは居間にいる三人の竜騎士に、助力を頼む事にした。




「国王陛下、皇太子殿下、マキシウス。ユーリと赤ちゃんは、このままでは死んでしまいます。イリスは陣痛を引き受けて来ましたが限界ですので、貴方達の騎竜に助けて頂きたいのです」




 三人とも即答で、ユーリと赤ちゃんを助ける為なら何でもすると言う。




「殿方には辛いかもしれませんが、ユーリは丸1日堪えているのですから、我慢して下さい」




 モガーナが寝室に入って暫くすると、三人は立っていられない痛みを感じた。




『アラミス、イリスの苦痛を引き受けたのか……』




『ああ、グレゴリウスも苦痛を感じているんだね……人間も、卵で産むと良いのに……』




 王妃やマリー・ルイーズとマウリッツ公爵夫妻は、苦痛を感じている三人を唖然として眺める。 




「お祖母様、赤ちゃんを助けると約束して下さい」




 丸1日、陣痛に苦しんでいたユーリは、少し楽になって甘い薬草汁を飲み干しながら懇願する。




「馬鹿な事を考えるのではありませんよ。母親の無い子どもが、それ可哀想だとは思わないのですか。さぁ、これから頑張って赤ちゃんを産むのですよ」




 モガーナに叱咤激励されたのと、苦痛が半減したのにユーリは勇気付けられて、赤ちゃんを産む決意を固める。




「赤ちゃんを育てたいわ」




 お祖母様に育てられても、両親がいないのを寂しく思った事を思い出したユーリは、赤ちゃんに同じ思いはさせたくないと頑張っていきむ。




 これまでとは比べものにならない身体が引き裂かれそうな苦痛がユーリを襲ったが、侍医と産婆もあともう少しだと励ます。




「ユーリ! もっと息を吸い込んで、息むのよ!」




 モガーナの言うように、ユーリは思いっきり息を吸い込んで、力の限りいきんだ。




「オギャ~オギャ~」




 苦痛の余り意識が遠のきかけていたユーリは、突然、苦痛から解放されて幸福感に満たされる。




「男の子です! 王子様の誕生です!」




 居間で苦痛を感じていたグレゴリウスは、突然の苦痛からの解放と幸福感に支配された。寝室からの産声にグレゴリウスは飛び上がって部屋に入ろうとしたが、王妃とマリー・ルイーズに止められる。




「グレゴリウス、用意が整うまで待ちなさい」




 それでもグレゴリウスは待ちきれなくて寝室に入ろうとしたが、侍医が王子の誕生を告げに来て、祝福をお祖父様から受けたりして待つ。




「皇太子殿下、ユーリが会いたい……」




 モガーナが扉を開けるやいなや、グレゴリウスはユーリの元へと走って行った。




「ユーリ、よく頑張ったね」




 涙ぐみながら、疲れきった様子のユーリにキスをすると、抱かれている我が子を初めて見た。




「イリスや、アラミス、ギャランス、ラモスのお陰だわ。グレゴリウス様、赤ちゃんを抱いて下さる?」




 グレゴリウスはこわごわと赤ちゃんをユーリから受け取って、しわくちゃだなぁと笑う。




「まぁ、酷いパパね。こんなに、ハンサムなのにねぇ」




「母上をこんなに苦しめるとは、悪い子でちゅね」 


 


 グレゴリウスの赤ちゃん言葉に、ユーリはクスクス笑う。笑い声が聞こえたのか、赤ちゃんは目を開けてグレゴリウスをじっと見る。




「これは……優しそうな茶色の瞳。父上の目にそっくりだ! フィリップ、お前の名前はフィリップだよ。ユーリ、フィリップで良いかい?」




 ユーリはフィリップと呟いて、良い名前だわと頷く。




「国王陛下が、王子様と会いたいとお待ちです」




 女官に告げられて、産婦がいる寝室に入るのを遠慮した人達が待つ居間に、グレゴリウスは危なかしげにフィリップを抱いて行く。




「国王陛下、王妃様、母上、宜しかったらフィリップと名付けたいのです」




 手渡された曾孫を受け取った王妃は、涙ぐみながら頷く。国王も難産だったのに大きな産声をあげた元気そうな赤ちゃんを見て安心して、フィリップと名付けるのを承諾する。




「まぁ、この子の瞳は……優しげなフィリップにそっくりですわ」




 王妃の言葉に、マリー・ルイーズも覗き込んで、亡き夫そっくりの優しい茶色の瞳を見て涙ぐむ。




 マウリッツ公爵夫妻は無事に王子が誕生したのにホッとして、マリアンヌは一言だけユーリに祝福の声をかけて王宮を辞した。屋敷へと帰る途中、王子誕生を告げるユングフラウ中の鐘が鳴り響いたが、心配して疲労困憊の公爵夫妻はうつらうつらとする。




 国王夫妻もマリー・ルイーズも、疲れきっていたので各自の部屋で休もうと思った。




『何だ! この快感は!』




 突然、国王とマキシウスは、足先から頭の先に駆け抜けるような快感と、幸福感に支配されて身動きが出来なくなった。




『ユーリが、フィリップにお乳をやっているんだ。とても、幸せだ』




 マキシウスはラモスからの言葉で、イリスとの繋がりが切れて無いのを知った。




「ユーリ、竜達の繋がりを切るんだ!」




 居間からのマキシウスの怒鳴り声に、フィリップにお乳をやっていたユーリは驚いて、イリスに繋がりを切るように言う。




「もう、グレゴリウス様ったら、言って下されば良いのに……」




 グレゴリウスはベッドに腰掛けて、うっとりとユーリがフィリップにお乳をやっているのを見ていたのだ。




「えっ、凄く幸せな気持ちだったのに、酷いなぁ。こんな風に感じるんだね~」




 グレゴリウスだけならともかく、国王やお祖父様と快感を共有したのかと思うと、恥ずかしくて頬を染める。




 居間では国王とマキシウスから、ユーリがフィリップに授乳していると聞いて、王妃とマリー・ルイーズが慌てる。




「乳母がいるのに、なんて事でしょう。ユーリに授乳を止めさせないと」




 アルフォンスはあんなに気持ち良くて幸福感に満たされているのにと気の毒に思ったが、出産や子育ては王妃達に任せるしかないと口出しを控える。乳母を連れて寝室に入ろうとする王妃を、モガーナが止める。




「王妃様、頑張って王子様を産んだユーリに、少し時間をやって下さいませんか? 疲れ切っていますから、もう少ししたら寝てしまうでしょう」


 


「でも、授乳すると……皇太子妃としての公務が有るので、乳母に任せるのが王家の慣例ですのよ」




「大丈夫ですわ。フィリップ王子様が、自分で飲みやすい方を選ばれますわ。子ヤギの乳より、雌牛の立派な乳の方が美味しそうですもの。ユーリが寝たら、育児室に連れて行けば良いと思います」




 王妃は、ユーリが乳母を拒否して大騒ぎするのを避けるには、モガーナの言うとおりにした方が賢明だと思った。








『もう、まだフィリップは産まれたばかりなんだよ。


静かにしてよ』




 国王とマキシウスは、イリスの疲れてうんざりした声に驚く。




『何を騒いでいるんだ……何だって、竜達が集まっているんだ!』




 全員が、窓辺へと駆け寄った。離宮の寝室のテラスには、イリスとアラミスが陣取って、集まった竜達を追い帰そうとしている。




『皆、フィリップの騎竜になりたがっているんだ。早い者勝ちじゃないよ!』




 モガーナは、マキシウスを睨みつける。




「さっさと、竜達を追い払って下さい。ユーリが、休めないでは無いですか!」




 モガーナに叱られて、竜達を追い払っている竜騎士隊長を、王妃はフィリップはどうやら竜騎士の素質を持っていると安堵の溜め息をつきながら眺める。




「ユーリの様子を見て、引き上げましょう。私達も曾祖父母になったのですね、疲れるはずですわ」




 王妃は国王を誘って、そっと寝室の扉をあけた。




「まぁ、ユーリ、グレゴリウス。あの子達も、疲れ切ったのですわね」




 王妃はすやすやと眠るユーリから、赤ちゃんをそっと抱き上げると、乳母に手渡す。




「皇太子妃が目覚めたら、王子を側に置いておきなさい。皇太子妃が眠ったら、育児室で面倒をみるのですよ。夜中に授乳したりしていたら、体力が回復しませんからね。頼みましたよ」




 乳母は承知しましたと、王子を抱いて行く。布団の上に座ったまま寝てしまったグレゴリウスに毛布をかけさすと、疲れた国王夫妻とマリー・ルイーズは引き上げていく。




「少し仮眠してから、お祝い客の応対をしなくては……」




 引き上げていくを見送ったモガーナとマキシウスは、難産の後なので少し心配したが、交代の侍医や看護婦が待機していると聞いて帰る気持ちになった。




『私が付いているから、大丈夫だ』




 疲れて寝ているイリスの代わりにアラミスが、異変があれば知らせるとマキシウスに伝える。




「貴女も、曾祖母様ですね」




 マキシウスはぎりぎりでモガーナが助けてくれたのを感謝していたのだが、ついへそ曲がりなことを言ってしまう。




「貴方も、曾祖父ではありませんか。さぁ、疲れましたわ、屋敷に泊めて下さるのでしょうね」




 二人はもう年だと、徹夜明けの身体に疲れを滲ませて帰宅する。








 ユーリとグレゴリウスは昼過ぎまで寝ていたが、二人とも昨日は食事どころでは無かったので空腹で目覚める。




「赤ちゃんが……」


 


 抱いて寝てしまったと、一瞬パニックになりかけたユーリだったが、乳母に抱かれたフィリップを渡されてホッとする。




「可愛いね~」




 二人はフィリップの寝顔を眺めていると、時間を忘れそうになったが、グゥ~とお腹は食事を求める。寝室には小さな揺りかごが運び込まれ、フィリップは気持ちよさそうに眠っている。




「王子様、ご誕生おめでとうございます。さぁ、しっかりとお食べ下さい」




 女官長に食事を勧められて、ユーリはベッドの上で食べるなんてと戸惑ったが、グレゴリウスと二人で仲良く食べる。




「寝ている間に、乳母が授乳したのね‥…」




 満腹でぐっすり寝ているフィリップを少し恨めしく思ったが、ユーリもクタクタだ。




『ユーリ、赤ちゃんが産まれたのね』




 出産の間、下の部屋に行かされていたルナとソリスが女官長の制止も聞かず、飛び込んできた。




『ええ、フィリップと名付けたのよ』




 ルナはフィリップを見つめて、匂いを嗅いだ。




『フィリップ、私がルナよ。貴方の面倒をみてあげるわ』




 ソリスも、フィリップの匂いを確認するように鼻をくんくんしていたが、ルナに先に宣言されてクゥンと鳴く。




『ルナ、酷いなぁ。フィリップは男の子なんだから、僕が面倒みるよ』




 女官長は産まれたばかりの王子を、子牛のような狼が覗き込んで唸っているのを心配したが、皇太子夫妻が笑いながら見ているので口出しは控える。




「妃殿下には、もう少し休養が必要ですわ。皇太子殿下もお疲れでしょうが、お祝いの客が押し掛けています」




 グレゴリウスはこのままユーリの側にいたいと思ったが、キスをすると着替えて客の応対に勤める。ユーリはルナにフィリップが起きたら教えてねと頼んで、すやすやと眠りについた。




 難産だったがユーリの回復は順調で、次の日にはお風呂に入ってサッパリとしたりしたが、順調とはいえ出産のダメージで眠っている時間が長い。




「フィリップったら……」




 自分が寝ている間に乳母が授乳してしまうので、フィリップはいつも満腹なのかユーリのお乳を飲もうとしない。




 グレゴリウスは乳母の立派な胸と、愛しいユーリの可愛い胸とでは、授乳では勝ち目が無いのではと思ったが、賢明にも口出しは控える。




「フィリップが、いらないのなら……」




 羨ましそうに眺めているグレゴリウスに何を考えているのと、ユーリがぷんぷんと怒っているのを女官長は呆れる。




 王妃、マリー・ルイーズ、マリアンヌ、セリーナ、ビクトリアなどの本当に身近な人達のみが、ユーリの寝室に入るのを許されて、疲れない程度に出産のお祝いや、フィリップ王子をあやしたりして帰った。




 フィリップはお祝いに来た貴族達にも御披露目をされ、王子の誕生にイルバニア王国中で祝賀会が開かれた。




「落ち着いてきたみたいですね」




 モガーナは産後の心配が無さそうなのに安心して、フォン・フォレストに帰っていった。




「もう少し、いて下されば良いのに……」




 ユーリはお祖母様に側にいて欲しいと思ったが、王妃はモガーナが王家に嫁いだ孫娘の為に出しゃばって見えないように領地へ帰ったのだと察した。




 何故なら王子誕生で、皇太子妃への注目度はフィーバーしていたからだ。貴族達は皇太子妃の側近に奥方や令嬢をと懇願するし、王子と同年代の子どもを持つ者は学友にとか、将来の妃にと勝手な思いを膨らませている。




「側近を増やさないと、いけませんわ。お祝い客を二人では対応しきれませんもの」




 セリーナとビクトリアは、マリー・ルイーズと共に離宮に訪れるお祝い客の応対に疲れていた。




 ユーリはフィリップを抱いて、愛しそうに頬ずりをしていたが、セリーナの言葉に顔をあげる。




「それは、そうなんだけど……今は、考えられないわ。フィリップが、可愛くて仕方ないの。セリーナ夫人が、良いと思う人で良いわ」




 重大な側近の選抜なのにと困っているセリーナを見かねて、応対に疲れていたビクトリアは、ユーリからフィリップを取り上げる。




「ユーリ様、ちゃんと考えて下さるまでフィリップ王子は返しませんよ」




 ビクトリアに赤ちゃんを取り上げられて、これは真剣に考えなくてはとユーリも悟る。




「ビクトリア様、いま妃殿下をユーリ様と言われましたね」




 ビクトリアは他の人達の前では妃殿下と呼んでいたが、自分達だけの時は何度も注意してもユーリと呼んでいた。




「王子様の母上なのだから、呼び捨ては出来ないわ。


ほら、私もちゃんと変化を受け入れているのよ。ユーリ様も変化を受け入れて、側近を増やして下さい」




 ビクトリアの変な要求にユーリは笑いながら、真剣に考えますと答える。離宮にはエリザベス、メリッサ、そして新婚だけどミッシェルとマーガレットも子どもが出来るまではと加わった。




「妃殿下のお友達は若いから、妊娠や出産で抜けることは仕方ありませんわ。半年もすれば、メルローズ様とシェリル様がお手伝い下さるでしょう」




 フィリップ王子が産まれて、離宮はどんどん賑やかになっていく。

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