第十二章  皇太子妃への道

1話 皇太子妃教育はする方も楽じゃない

 ユーリはヒースヒルから帰ると、早速に王妃から大目玉をくらった。




「両親の墓前に、婚約を報告したい気持ちはわかります。誰も反対などしません。でも、何も言わずに侍女と伴わないで、皇太子と二人で行くとは何事ですか。この夏休みはストレーゼンの離宮で、行儀作法の一から叩き直します」 




 ひぇ~と悲鳴をあげるユーリに、王妃は吹き出しそうになるのを必死でこらえて、厳めしい表情を崩さないようにする。ユーリがドヨドヨの気持ちで部屋から出て行くと、王妃は笑いを我慢出来なくなった。




「王妃様、本気でストレーゼンの離宮に連れて行って、行儀作法の特訓をされるのですか」




 マリー・ルイーズは、せっかくの夏休みなのにユーリが気の毒に思えた。




「まぁ、とんでもありませんわ。私も夏休みなのに、問題児の皇太子妃教育なんて御免ですもの。でも、あの娘がいるとグレゴリウスも喜びますし、私達も退屈しないでしょう。これぐらいの御褒美は頂かないと、ユーリに皇太子妃教育などつけれませんよ」 つけられませんよ




 ころころと上機嫌で笑う王妃を、マリー・ルイーズはそう簡単に済むでしょうかと、溜め息をつきながら眺める。何と言っても変人の兄上と気の合うユーリが、問題を起こさずにストレーゼンでの夏休みを過ごすとは信じられない。








 マリー・ルイーズの予感は的中して、この夏のストレーゼンは大騒動になる。




 戦争の犠牲者の追悼式も済むと、元々の陽気さをユングフラウは取り戻した。夏休みまでの中御半端な時間を、ユーリはユングフラウに送られた回復期の負傷者の治療を手伝ったり、他のボランティアの令嬢方と一緒に本を読んだり、食事の世話をしたりして過ごす。




「ユーリ様、パーラーはいつ再開しますの?」




 まだバロア城には大勢の竜騎士達や、兵士が詰めており、戦争は終わったものの、パーラーを再開するタイミングを決めかねている。




「私の婚約者も休暇でユングフラウに帰省したら、アイスクリームを食べたいと手紙で書いてきてます。早くパーラーを再開して欲しいです」




 ユーリは未だ戦争の傷で苦しんでいる人もいるのにと躊躇したが、負傷者達からも退院したら恋人と行きたいと言い出されて、再開する事にする。




 ミシンの修練所で軍服を縫っていたローズ達も、本来の仕事に戻れてホッとして、生き生きとパーラーの開店準備を始めた。ただ、ユーリは王妃からパーラーの運営から、一線引くように勧告されていた。




「パーラーの主旨には賛同しますし、これからも援助するのは構いませんが、氷を運んだり、週給を持っていくのは止めないといけませんよ。皇太子妃がずっとパーラーに居るのは、それに付け入ろうとする人達を引き寄せる結果になりますからね。氷の運搬は、北の砦やバロア城に伝令に行く見習い竜騎士達に協力をお願いしなさい。彼らも戦争を体験して、遺族達の為に協力すると思いますよ」




 ユーリはパーラーは軌道に乗っているので、王妃の言い分にも素直に頷けたが、ミシンの修練所は問題が片づいてないので、もう少しと猶予を貰った。




「軍服ばかり縫っていたけど、本来の目的から離れてしまっていたわ。でも、ドレスのパターンなんて見当もつかないわ」




 ユーリはリューデンハイムの寮で、ルナとソリスに毛糸玉を投げて遊んでやりながら、グレゴリウスとフランツに相談したが、畑違いだと直ぐに気づいた。




「私って馬鹿ね、こういうのは専門家に聞かなくてはいけないのよ。キャシーに任せれば良いんだわ」 




 グレゴリウスは、ルナが咥えて来た毛糸玉を、ソリスが捕りやすい方向に投げたりしながら話半分に聞く。ドレスのパターンとは何かも理解できず、どうやらユーリがキャシーに任せると思いついたのでホッとする。




「ユーリは、夏休みは離宮で過ごすの? お祖父様が別荘に来て欲しいと言っていたよ」




 ユーリも離宮で行儀作法を叩き込まれるより、マウリッツ公爵家の別荘でのんびり過ごしたいと思う。




「ねぇ、お祖父様は一時期は国王陛下と義理の兄弟だったのよねぇ……」




 グレゴリウスはやっと離宮でユーリと過ごせると楽しみにしていたので、何を言い出すのか察して睨みつける。




「ユーリ、夏休みは離宮で一緒に過ごす約束だよ!」




 フランツは痴話喧嘩になりそうなので、ソリスが咥えてきた毛糸玉を、子狼達と遊びたくて此方を見ている予科生達に渡しに行きがてら席を離れる。




「順番に投げるんだぞ」




 毛糸玉を取り合う予科生達が凄く幼く見えて、フランツは18才になったんだと、改めて10才の子どもではないと、リューデンハイムの日々を思い出す。それと同時に入学当初から喧嘩していた二人が婚約するなんてと溜め息をつき、痴話喧嘩からラブモードに突入した二人を止めて、自分も恋人をマジで探そうと決意する。 




 グレゴリウスとユーリの婚約で、皇太子妃を狙っていた令嬢方や、フォン・アリスト家の跡取りで絆の竜騎士であるユーリの争奪戦に敗れた子息達は、イルバニア王国の国民性を体現するように恋人を作り、戦争前の婚約ブームが再来している。フランツは未だ若いので結婚までは考えてなかったが、ラブラブの二人を見ていると恋人が欲しくなった。




「リューデンハイムには侍女も女官と入れないからといって、イチャつきは禁止ですよ」




 ユーリとグレゴリウスはイチャついてないと、ぶ~ぶ~と文句を言ったが、その文句を言う様子も独り身のフランツには目の毒だ。




「でも、夏休みはフォン・フォレストにも帰りたいわ。グレゴリウス様も一緒に海水浴しましょうよ」




「ユーリと海水浴かぁ、楽しそうだね。秋からは国務省での見習い実習が始まるし、休養を取りたいよな」




 注意した次の瞬間からイチャイチャしだした二人に、フランツは匙を投げだす。 








 ストレーゼンの離宮では女官達が付き添うので、ユーリは初めは困惑したが、グレゴリウスに乗馬やマウリッツ公爵家に連れて行って貰ったりして少しづつ慣れていく。




「テレーズ、どうやらユーリも離宮に慣れたようだな」




 アルフォンスは、ユーリがいると、グレゴリウスが幸せそうで嬉しい。




「あの娘は馬鹿ではありませんから、教えれば直ぐに憶えます。ただ、身につくまでは時間がかかりそうですわ」




 王妃は少しづつお行儀を直したり、王宮の慣例を話聞かせる。




「ウォホン、ところでユーリには母親がいない。あちらの方面の教育は、ちゃんと受けているのだろうか……」




 アルフォンスは以前から皇太子妃として一番大切な役目ともいえる世継ぎをつくる方面に関して、ユーリを指導する必要が有るのではと案じていた。王妃はサッと頬を染めたが、ハッと怖ろしい事に気づく。




「大変ですわ! グレゴリウスにはリューデンハイムの学友から知識を仕入れたり、ジークフリート卿が付いていますからそちらの方面は大丈夫ですが……ユーリは令嬢方とそこまで打ち明けて話すとは考えられませんし、ユージーン卿やシュミット卿では……無理ですわね。モガーナ様はこんな話をされないでしょうし、マウリッツ公爵夫人は……頼りないわ! どうしましょう!」


 


 パニックに陥った王妃を、国王は落ち着かせると、マリー・ルイーズに任せてはどうかと提案する。




「どうでしょう……皇太子妃教育はまだしも、姑からこういう話を聞かされるのは、微妙だと思いますわ。かえって年の近いメルローズの方が、気軽に話せるかも……いえ、あの娘にはこの話題はタブーですわ……あれほど子どもを欲しがっているのですもの」




 国王夫妻は、メルローズがサザーランド公爵家に嫁いで15年がたつのに、子どもに恵まれないのを苦にしていた。二人が仲が良いだけに、公爵家としても跡取りを切望しているだろうと考えるだけで、胸が締め付けられる。




「メルローズには、この話はしないでおきましょう」








 王妃の決意とは、話は別の方向に進んで行くことになる。




 ユーリは夏休みになってからというものの、既婚の貴婦人達と二人きりになる度に夜のお勤めとか、雌しべと雄しべの話や、殿方のご意志に沿うようにとか聞かされて、ウンザリしていた。ハッキリ子どもの作り方を知っていますか? と聞いてくれれば話は簡単なのにとウンザリしながら、凄く遠くからの性教育を延々と聞かされるユーリは気恥ずかしくなる。




「叔母様、赤ちゃんが何処から来るかぐらい知っていますわ。キャベツ畑に、夫婦で拾いに行くのでしょう。なかなか見つからない時もあるから、大変ですわね」




 唖然とするマリアンヌをサロンに置き去りにして、庭でフランツやユージーンと子狼達と遊んでいたグレゴリウスと離宮へと帰る。








 その夜、フランツとユージーンは、母親からユーリが赤ちゃんはキャベツ畑から拾ってくると信じているのでは? と心配そうに尋ねられて、まさかと笑い飛ばしたが、あの非常識娘なら有り得るかもと顔を見合わす。




「まさか……だって、そんな馬鹿な!」




「ジョークですよ……多分……」




 二人の息子と妻がコソコソと顔を赤らめて何を話しているのかと公爵は不審に思い、説明されると顔を青ざめさせた。




「万が一、ジョークでなかったら、大変だぞ! 新婚初夜に、イリスが火を皇太子殿下に噴きつけるなど……考えるだけで恐ろしい。マリアンヌ、ちゃんと話して聞かせなさい」




 フランツは、ハッとユーリが冗談を言ったのだと気づいた。




「大丈夫ですよ! ユーリには子どもを産んだ友達がいるじゃないですか。ハンナから、アレコレ聞いていますよ」




 公爵家の全員がホッと安堵の溜め息をつき、早く思い出さないかとユージーンに拳骨を貰ったフランツは、黙って暫く心配させておけば良かったと呟き、父上からも拳骨を貰う。








 離宮に帰ったユーリはメルローズから、またしても性教育を受けていたが、子宝に恵まれず苦悩している様子に心を打たれた。




「どうも竜騎士や魔力のある人は、子どもが出来にくいみたいなの。私には竜騎士の素質は無いのに、皮肉ですわね。私はナサニエル様の子どもが欲しくて仕方ないの。医師にかかったり、辛い治療も試してみましたが、子宝には恵まれないまま年を重ねてしまったわ」




 ユーリは、メルローズが子どもをこれほど欲しがっているとは知らなかった。子どもがいなくても仲の良い夫婦がいる。サザーランド公爵と仲が良いのでそれで、満足しているものと勘違いしていたのだ。




 メルローズは今まで試した子作りの方法を書き記した手帳を、何かの役に立てばとユーリに手渡す。公爵家の跡取りどころでなく、皇太子妃として世継ぎを産むことを義務づけられているユーリに、少しでも役に立てばと考えたのだ。




「メルローズ様は、未だ子どもが産める状態なのですか?」




 ユーリの真剣な問いかけに、寂しそうにええとメルローズは答える。




「古文書に子宝の呪いまじないが書いてありました。民間伝承のようですが、試してごらんになりませんか? この治療のように、苦痛を伴うものではありません」




 メルローズは、フォン・フォレストの魔女の孫娘のユーリの呪いに興味を示した。




「ユーリ! お願い、その呪いを教えて下さらないかしら。是非とも試してみたいわ」




 手を握り締める強さにメルローズの本気さを知り、ユーリはやって損は無い程度で試してみましょうと引き受ける。次の日から、母上にこれ以上落胆させたくないとメルローズに秘密を約束させられて、サザーランド公爵家の別荘でユーリはキャベツ畑を作りだした。




 緑の魔力持ちのユーリが育てたキャベツは、みるみるうちに大きく育つ。王妃とマリー・ルイーズのみならず、グレゴリウスも自分をそっちのけでサザーランド公爵家のキャベツ畑を熱心に眺めるユーリを不思議に思う。




「明日は満月ですわ。サザーランド公爵と二人でキャベツを採りに行って、スープにして飲むのですよ。そして………」




 未婚のユーリがポッと頬を染めるのに、メルローズも頬を染めて頷く。




「半月の時や、新月の時が良いという多説あるみたいですから、これで駄目でも諦めず半月を待ちましょう」




 何やらコソコソ話し合っているのがグレゴリウスは気になって仕方なかったが、来週はフォン・フォレストに行く予定だから海水浴用の古い服を持って行くようにと言われて、水に張り付いたドレス姿のユーリを妄想して、完全に忘れ去る。








 夏休みが終わりかけた時に、メルローズはもしかしたらという期待と不安で母上の元を訪れる。




「お母様、少し体調が……」




 王妃は驚いて侍医を呼び寄せて、メルローズを診察させる。




「メルローズ様は御懐妊だと存じます」




 侍医の言葉に、王妃とメルローズは抱き合って涙を流して喜んだ。




「ユーリが、キャベツ畑で赤ちゃんを授かる呪いを教えてくれましたの」 




 一瞬、王妃はメルローズが嬉しさのあまり錯乱したのかと疑ったが、話を聞いて自分の知り合いにも子宝が出来ず悩んでいる娘や孫娘を持つ人がいると思い出す。




「ユーリに、詳しい話を聞かなくては! フォン・フォレストで呑気に海水浴などしている場合じゃないわ」




 メルローズはせっかくグレゴリウスと仲良く海水浴しているのにと気の毒に思ったが、自分と同じ悩みを抱えている夫婦を思うと母上を止められなかった。




 この夏のストレーゼンのサザーランド公爵家の別荘は、夜になると夫婦のキャベツ泥棒が侵入して警備員を困らせることになった。そして、なんとビクターとビクトリアもキャベツ泥棒をして、子宝に恵まれてユーリを驚かせた。




 しかし、やはり一番ユングフラウで話題になったのは、変人のロシュフォール侯爵と実家に帰っていたシェリル夫人がサザーランド公爵家に忍び込んで子宝に恵まれて復縁した事だ。




 王妃と国王には、自分にも子宝に恵まれない娘がいるのにと苦情が殺到する。




「何故でしょうねぇ。メルローズに子どもが出来て、ユーリには感謝しきれないのですが……どうも、あの娘がかかわると大騒動になってしまうのですわ。お陰で、こんなに嘆願書の山ですのよ」




「ユーリに、キャベツ畑を作って貰えば良いではないか?」




 国王の言葉に、王妃はこの呪いは2年は使えないのですよと、ユーリの説明を伝える。




「今度はユーリが子宝を欲しくなった時に、取って置かなくてはな……」




 目出度い話なのに、嘆願書の山を見つめてトホホな気持ちになった国王夫妻だ。

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