11話 シルバーとの別れ
「ユーリ、こちらに来て座りなさい」
窓辺でグレゴリウスと月を眺めながら、シルバーとの別れを思い感傷的になったユーリは、お祖母様の呼びかけに首を横に振った。
「少し庭を歩いてきます。もしかしたら満月ではないけど、シルバーが来てくれるかも知れないから。満月になればお別れだと言っていたので、できれば少しでも多く会っておきたいの」
ユーリが悲しそうな顔をしているので、モガーナも止めなかった。ウィリアムが森から連れてきたシルバーが、ユーリに別れを告げた意味を理解したからだ。
「シルバーは、本当に話せるのですか?」
ジークフリートは一度シルバーと海岸で会ったことがあったが、警戒したのか、聞き取れなかったのか、話し声は聞かなかった。
「さぁ、でもウィリアムはシルバーとよく話してましたよ。ユーリがシルバーと話しているのをマキシウスに知られて、竜騎士になる羽目になったのですから、話せるのでしょう」
竜騎士の二人は、モガーナの竜騎士嫌いを思い出してヒヤッとしたが、他の事に気がとられていたので、それ以上はその話題にふれなかった。
「ユーリが庭に出たのは、好都合ですわ。貴方方に、お頼みしたいことがありましたの。あの娘を戦場に行かさないで下さい。先程も言い聞かせましたが、納得してませんわ」
ジークフリートとユージーンも、ユーリを戦場に行かせるつもりはなかった。
「勿論、ユーリ嬢を危ない戦場になど行かせません」
「私が戦場に行く前に、マウリッツ公爵家でユーリを保護します。父やフランツが戦場に行っても、祖父や母がユーリを止めてくれるでしょう」
ジークフリートや、ユージーンの言葉で、少しホッとしたが、いざとなったらユングフラウに行かなくてはいけないかもと憂鬱になる。
ユーリは庭に出ると、少し館から離れた。グレゴリウスは、シルバーが自分がいると警戒して出て来ないかもと、少し離れた場所でユーリを見守る。
『シルバー!』
ユーリは何回か呼び寄せを試みたが、待ってもシルバーは現れなかった。
「約束の満月ではないから、来ないのかもしれないわ。グレゴリウス様を紹介したかったのに」
月明かりの下で立ち尽くすユーリが寂しそうで、グレゴリウスは側にいって抱きしめる。
「シルバーは、ヒースヒルの生活の象徴なの。小学校に行くまで、パパとママとシルバーだけが私の世界だったの」
幸せな子ども時代の象徴にも思えるシルバーが、別れを口にしたのを思い出して、ユーリはグレゴリウスの胸で泣いた。生け垣がガサガサと音がしたと思ったら、シルバーがゆっくりと歩いて出てきた。
『シルバー! 来てくれたのね』
ユーリが子牛ほどの白っぽい狼に走り寄るのを一瞬止めかけたが、子守をしていたのを思い出す。シルバーはユーリが自分の少し手前で立ち止まったのを見上げて、自分から側に寄った。
『少し満月には早いが、丁度良かったのかもしれない。私は、もう旅立つ時が来たようだから』
ユーリは間近に見たシルバーが凄く痩せているのに気づき、胸が締め付けられそうになった。
『お前たち、出ておいで……』
生け垣から、白い子狼が二匹転がり出た。真っ白な毛玉みたいな子狼は、シルバーの側に立つユーリを不思議そうな金色の目で見つめる。
『ユーリ、この子達を育ててくれないか。この子達は見た目も変わっているし、魔力もあるから群れに馴染まないのだ』
二匹はシルバーが話しているのを、不思議そうに見つめる。
『私達が嫌いなの?』
クィ~ンと悲しそうな鳴き声だが、何となく言っている言葉がわかる。
『昔、私も魔力があったから、群れから追い出されて死にかけたのをウィリアムに拾われたのだよ。お前たちも、大人になって、狩りや、魔力を使いこなせるようになれば、また受け入れてくれる狼と出会えるかもしれない。それまでは、ウィリアムの娘のユーリが世話をみてくれる』
二匹はユーリの匂いを嗅ぐと、クゥ~ンと鳴いた。
『ユーリ、この子達に名前を付けてくれ』
ユーリは名前を付けるセンスが無いのを自覚していた。
「グレゴリウス様、この子達の名前を付けなくてはいけないの。何か良い名前は無いかしら」
ユーリの呼びかけに少し側まで近寄ったグレゴリウスにシルバーは興味を示した。側にゆっくりと歩み寄ると、匂いをクンと嗅ぐと鼻でゴンと押す。
『シルバー、こちらはグレゴリウス様よ。結婚する約束をしているの』
『ユーリから話は聞いています』
シルバーは鼻にシワを寄せて笑った。
『竜騎士と結婚するのか。一緒にこの子達を育ててくれ。あと、ユーリを幸せにするんだぞ』
キラリと牙を見せつけるように笑うシルバーに、幸せにすると誓うグレゴリウスだった。
『シルバー、グレゴリウス様を脅さないでね。男の子と女の子なのね、名前ねぇ。ボッちゃんと、ジョウちゃん……駄目よね』
シルバーとグレゴリウスは、その名前は余りにも酷いと思った。
『ソリスとルナは? 太陽と月という意味だけど、どうかしら?』
『それなら良いと思うよ』
パーラーの名前も付けるのを忘れていたのに、ギリギリで取って付けたワイルド・ベリーという名前もまぁまぁだったなとグレゴリウスは変な感心をする。
シルバーもその名前なら良いだろうと納得して、二匹を前に座らせた。
『お前はルナ、お前はソリスだ』
二匹はふざけあって『ルナ』『ソリス』と呼び合って走り回る。
シルバーは暫く愛しそうに二匹を眺めていたが、ユーリに近づいて鼻で押した。
『ユーリ、抱きしめても良いよ。子育ては卒業したからな』
ユーリはシルバーが子育て中だから抱き締められなくて寂しかったが、こんなに悲しいならずっと我慢していた方が良かったと思いながら、ふかふかの毛皮に顔をうずめて泣いた。
『相変わらず泣き虫だな。結婚するのに大丈夫なのか?』
ユーリは抱き締めたシルバーの背骨がゴツゴツあたるのを悲しく感じた。
『私の伴侶が死んだ森には居たくないんだ。山の向こうに旅に出るよ、子供達を頼む』
すがりつくユーリを振り落とすと、シルバーはゆっくりと立ち上がった。
ふざけあっていたルナとソリスがシルバーの側に駆け寄ると、牙を剥いて威嚇した。
『付いてくるな!』
優しい父狼の恐ろしい顔に、二匹は驚きビビって腰を落とす。
『シルバー!』
ユーリは走りさるシルバーに向かって叫んだが、振り返ることも無く見えなくなった。
後を追いかけようとするルナとソリスを、ユーリとグレゴリウスは抱き上げた。
『付いて行っては駄目よ! 今日から私達と暮らすのよ』
腕の中でもがくルナを抱きしめてユーリが言い聞かすと、クンクンと匂いを嗅いだ。
『シルバーから前に匂った香り。ユーリと暮らすの?』
白い毛玉の様なルナを持ち上げて、金色の目を見つめて、そうよと答えた。グレゴリウスの腕の中でピスピス鳴いていたソリスは、ルナが落ち着いたのに気づきシルバーを追いかけるのを諦めた。
『お腹がすいた……』
ソリスの言葉に、グレゴリウスとユーリは何を食べさせたら良いのかしらと、言い合いながら館に帰る。
走り去ったシルバーは遠くから、ユーリとグレゴリウスが子狼を抱いて館に入るのを見守ってから、ゆっくりとフォン・フォレストの森に別れを告げた。
『ウィリアムの側に行こう……』
シルバーは自分を育ててくれたウィリアムを懐かしく思い出して、ヒースヒルへと走り去った。
サロンで話していたモガーナは、ユーリとグレゴリウスが子狼を抱いて入って来たのを見て、ウィリアムがシルバーを上着にくるんで連れて帰った日を思い出した。
「ユーリ、シルバーから子狼を託されたのね。名前はもう付けたのですか?」
ルナとソリスは見知らぬ人間に緊張して、小さな牙を剥いた。
『ルナ、ソリス、牙を剥いては駄目よ。この人は私のお祖母様のモガーナ。そして、ジークフリート卿と、ユージーンよ。あなた達に悪い事などしないわ』
モガーナはそっと側によると、ルナに手をゆっくりと差し出した。ルナがクンクンと納得するまで嗅がせると、今度はソリスに同じことをした。
「私の館で、小さいとはいえ、牙を剥いて欲しくありませんからね。お腹がすいてるのではないかしら?」
クウンと甘えた様に鳴くルナとソリスを床におろすと、モガーナの足元に行儀良く座る。少し離れて見ていたジークフリートとユージーンは、子狼もモガーナに逆らわない方が良いと察知したのだと笑う。
「何を食べさせたら良いのかしら?」
ユーリがモガーナに尋ねると、子犬と同じで良いでしょうと、召使いに温めたミルクと、牛肉のミンチを持って来させる。
お腹がすいていたルナもソリスも、あっという間にミンチとミルクを食べると満足そうに皿を舐める。ユーリは子犬を飼った事がなかったので、グレゴリウスや、ジークフリート、ユージーンに躾の仕方を質問する。
「子犬と、話す子狼を一緒に考えて良いものでしょうかね?」
クウンと自分達を見ている子狼を困惑して、ジークフリートとユージーンは眺める。
『どっちが、ジークフリート? ユージーン?』
ルナがユーリに質問するのを聞いて、二人は驚いた。
『私がジークフリートです。貴女はルナですね』
モガーナを真似してルナにゆっくりと手を差し出すジークフリートを見て、子狼でもレディファーストなんだとユーリとグレゴリウスは笑いをかみ殺す。ユージーンはソリスに自己紹介して、ジークフリートと交代してルナと挨拶する。
『ユージーンは、ユーリの兄弟なの?』
ルナの言葉にソリスは、もう一度二人を嗅ぎなおした。
『良く似た匂いだ』
グレゴリウスはユーリとユージーンが似た匂いだとは思わないと、ルナとソリスに文句を言いたかったが、シルバーと別れたばかりの子狼に大人気ないと保留した。
『ユージーンは兄弟ではないけど、従兄でハトコなのよ。だから似た匂いなのかしら?』
ユーリは自分の手をクンクンと嗅ぐと、ユージーンの手も嗅いで見たが、似てるとは思わなかった。
「似てないと思うけど……あら、寝てしまったわ」
二匹は寄り添って、暖炉の前でスースーと可愛い寝息をたてて寝る。
「オシッコとかされたら困るわね。ちゃんと躾るまでは、側に付いていなきゃ」
ユーリは可愛い子狼達に、シルバーとの別れの悲しみが癒されていくのを感じる。
「最後まで、子守させちゃったわね」
ユーリは子狼の側に一緒に座った、グレゴリウスの胸にコトンと頭を預ける。
「私達の子供の守りを、ルナとソリスがしてくれるかもね」
言ったグレゴリウスも想像して赤面してしまい、ユーリは真っ赤になって座り直す。
「ユーリ、言っておきますが、子狼と一緒にベッドに寝てはいけませんよ。狼には毛皮がありますし、二匹で寄り添って寝れば寒くありませんからね」
お祖母様の言葉に、昔にパパにも同じことを言ったのねと笑う。
「でも、サロンでオシッコしたら困るでしょ。今夜は付いて見てるわ。夜中に起きたら、外に連れて行かなきゃいけないもの」
モガーナもサロンのお気に入りの絨毯の上にオシッコは困ると、寝る前に台所に連れて行かせれば良かったと後悔する。
「愛玩犬の子犬は、木箱に砂を入れて側に置いておけば良いみたいですよ。子狼も躾が出来るまでは、簡易トイレを用意してやったらどうでしょう。外まで連れて行くのは大変ですよ」
ジークフリートの意見を、モガーナは取り入れた。ウィリアムがシルバーと一緒に、台所のタイル床の上に寝て風邪をひいたのを思い出したのだ。
「今夜は場所を変えない方が良いでしょう。此処に簡易トイレを置いたら、子狼達はちゃんとしてくれるかしら」
提案したジークフリートが世話をしますと申し出たが、ユーリとグレゴリウスは子狼をシルバーから託されたのは自分達だからと断る。しかし、婚約したての二人を夜中に放置するわけにもいかず、結局は4人で交代で面倒を見ることになった。ジークフリートとユージーンは、二人の監視を交代にしようと目で合図する。
ユーリは子狼達の寝顔を見ながら、この小さな子犬みたいなのが、シルバーみたいに大きくなるのかしらと、グレゴリウスに話しかける。グレゴリウスはモガーナに結婚の許可を貰いに来る緊張から昨夜は余り眠ってなかったので、ユーリの質問にハッとしてうとうとしていたのに気づく。
「ごめん、うとうとしていたみたいだ」
いつもは自分が先に眠たくなるのに、グレゴリウスが疲れているのだとユーリは心配する。
「ソファーで、横になった方が良いわ。寝不足でユングフラウまで飛ぶのは危険だもの。少ししたら交代して貰うから、先に寝てちょうだい」
グレゴリウスは折角ユーリと一晩過ごせるチャンスなのにと悔しく思ったが、瞼が自然と閉じてしまう。ジークフリートはユージーンと交代する事にして、同じくソファーに横になる。
ユーリは暖炉の小さな火を眺めて、何やら深刻に考え込んでいる。
「ユーリ、何を考えているんだ?」
「少し夜の旧館は怖いの。ユージーン、図書室まで付いてきて」
ユーリがこんな夜更けに旧館の図書室に何の用事なのだろうとユージーンは訝しんだが、確かに一人で行くには怖い雰囲気だ。燭台の灯りに驚いてネズミか虫が影に逃げる微かな音がして、ユーリはユージーンに抱きついたりしながら、旧館の図書室にたどり着く。
「これは凄いコレクションだな。フランツが行きたがる筈だ」
ユージーンは旧館の図書室に置いてある燭台に灯りを移して、背表紙を読んで歩いた。ユーリは数冊の古文書を手に取ると、背表紙読みに夢中のユージーンを急かしてサロンへ帰る。
「良かった、起きてなかったわ」
ユーリは薄気味の悪い旧館から帰って来たのと、子狼達が起きて絨毯の上にオシッコとかしてなかったのに安堵する。ユージーンは、ユーリが手にしている数冊の古文書を怪訝そうに見る。
「ユーリ、それは何なんだ」
ユーリは古文書の上に座り込む。
「言っておくけど、エロ本ではないわよ。少し調べたい事があったの。ほら、教養不足だとユージーンもよく言っているから……」
相変わらず嘘の下手なユーリを尋問して、ゲオルク王への疑念と、対策を練る必要性を、ユージンは納得した。
「絶対に、自分一人で暴走しないと誓ってくれ。ユーリに何かあったら、私は生涯自分を許せないからな」
ユーリの誓いを聞きながら、ユージーンはエロ本の方がマシだったと溜め息をつく。
暫くするとユーリがうとうとし始めて、ジークフリートが仮眠から起きたので、ユーリは交代でソファーに寝た。
「起こしてくれたら、良かったのに」
グレゴリウスは夜明け前に起きたので、ユージーンはベッドに眠りに行った。
『オシッコ』ソリスの声にユーリは飛び起きて、抱き上げて簡易トイレに置く。
「寝ていた筈なのに、素早いね」
グレゴリウスは感心したが、ユーリはソリスがオシッコを終えると、ソファーに戻ると寝てしまった。
「寝ぼけたまま、ソリスの世話をしたの?」
驚いているグレゴリウスに、ジークフリートはユーリは女の子だからと笑う。
「女性は子育てするように出来ているのでしょう。赤ちゃんは3時間おきにミルクを欲しがるそうですから、無意識に起きてミルクをやり、終わったら寝るのは本能かもしれませんね」
グレゴリウスは、ジークフリートがどこでそんな知識を得たのか不思議に思う。
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