9話 婚約騒動

 女官と共に帰ってきたグレゴリウスとユーリが親密な様子なのに安心したが、少し迂闊だったと反省したアルフォンスだ。自分が二人を忘れていたので、テレーズが先に女官達を探しに行かせたのは良かったが、後で叱られるだろうなと溜め息をつく。




「グレゴリウス、アリスト卿とマウリッツ老公爵に結婚の許可を貰いに行きなさい」




 覚悟の決まったユーリの様子に、これなら身内に苦労するからと引き止められる事があっても大丈夫だろうと、グレゴリウス達を送り出す。










 フォン・アリスト家へ向かう馬車の中で、日頃は緊張したことのないグレゴリウスもドキドキする。




「多分、お祖父様は指輪に気づいてらしたから、驚きはしないと思うわ」




 ユーリに手を取って励まされて、厳めしいアリスト卿に立ち向かう勇気を奮い起こす。王宮のすぐ近くにあるフォン・アリスト家には、あっという間に着いた。




 予め王宮からの訪問の手紙が届いていた屋敷では、執事が恭しくグレゴリウスを出迎える。サロンにはマキシウスがやはりユーリの指輪はグレゴリウスが与えた物だったのかと、内心で大変な事になったと溜め息をつく。




「アリスト卿、ユーリ嬢との結婚をお許し下さい」




 ただ一人の孫娘を自国の皇太子とはいえ、まだ17才の若者に託すのかとマキシウスは戸惑いを感じたが、ユーリが心配そうに見つめる目に負けてしまう。恋に落ちてしまったユーリに何を言っても無駄だと、自分の経験からわかっていたのだ。




「グレゴリウス皇太子殿下、ユーリを頼みます」




 少し返事の間があったので、ドキドキしていた二人はホッとする。




「ユーリ嬢を一生大切にします」




 グレゴリウスが礼儀正しく挨拶し終わるとユーリは抱きついて、二人でいちゃつきだしたので、マキシウスは呆れてしまう。




「ユーリ、人前ではしたない真似をしてはいけない。


皇太子殿下も御自分の立場を考えて行動なさって下さい」




 ユーリはグレゴリウスから離れると、叱っているマキシウスに抱き付いた。




「お祖父様、許して頂いてありがとう」




 まだ何も皇太子妃という責任の重さも知らない孫娘の目を見つめて、苦労するぞと忠告する。




「わかってる、いえわかってるつもりでも、きっとわかってないのだと思う。でも、仕方ないの……離れられないから」




 マキシウスは、厄介な相手と恋に落ちた孫娘を抱きしめる。




「モガーナはこんなに簡単にはいかないぞ」




 ユーリに警告したが、ラブモードの二人の耳には入ってない様子だ。




 マウリッツ公爵家へ向かう二人を見送ったマキシウスは、昼間なのに珍しく酒を一気飲みする。執事はお目出たい話ではあるが、主人の心中を察して酒のつまみを用意したのだが、王宮からの呼び出しに一杯だけで切り上げて出て行ってしまった。




「ユーリお嬢様は、皇太子妃になられるのですか?」




 主人が出て行って好奇心ではちきれそうな使用人達にセバスチャンは囲まれたが、お仕えする方々のプライバシーを詮索するとは何事だと叱りつけ、噂話など流したら紹介状抜きでクビにすると脅して仕事にかえした。




 使用人達はフォン・アリスト家のようなしっかりとした勤め口をしくじりたく無いので、蜘蛛の子を散らすように床磨きや庭掃除に勤しんだが、心の中はこれからの大騒動でいっぱいで、磨き残しを見つけたセバスチャンに雷を落とされる。




「モガーナ様がいらして下されば良いのだが……」




 これから大勢の客が訪れるだろうに、接待役の婦人が不在のフォン・アリスト家の執事は溜め息をつく。それに常に掃除はさせているが、モガーナ様が滞在されている時は、それこそ床に顔が写るほど何も言わなくても磨き立てられていたのだ。主人のプライバシーに口出しは出来ないが、昔の喧嘩など水に流したら良いのにとセバスチャンは溜め息をつく。










「マウリッツのお祖父様は、キャサリン王女と結婚していたのだから、きっと理解があるわ」




 グレゴリウスも厳めしくて武名が鳴り響いているアリスト卿より、ユーリに甘い老公爵の方が気が楽だと思っていたが、許可を貰う交渉は難航した。




「グレゴリウス皇太子殿下には申し訳ありませんが、ユーリは皇太子妃に向きません。どうか御考え直して下さい」




 グレゴリウスはユーリが皇太子妃に向いてないと言い切られて、それでもと願ったが、老公爵は頑固に許可は与えられないと首を横に振る。




「お祖父様、私からもお願いします」




 結婚の許可を求めるグレゴリウスを見かねて、ユーリが口添えする。




「ユーリ、一時の感情で決めてはいけない。お前はマリアンヌの所で待っていなさい」




 部屋から追い出されたユーリは、閉められた扉の前を行ったり来たりしていたが、外務相から婚約のことを耳打ちされて帰宅したユージーンにマリアンヌのもとに連れて行かれた。




「ユーリ、貴女ったらいつの間に皇太子殿下と婚約するようなことになっていたの」




 つい先日、屋敷に来た時は宝石類を売りたいとか馬鹿なことを言ってたのに、急展開に付いていけないマリアンヌだ。




「叔母様、お祖父様は反対されているの。どうしたら、良いのかしら……」




 ハンカチを手で揉みながら、ユーリは心配そうに立っては部屋の中を歩き回る。




「ユーリ、少し落ち着きなさい。きっと良い結論になりますよ」




 マリアンヌはユーリの心配そうな様子を見てられず、皇太子妃になるのは反対の立場だったが慰める。




「マウリッツのお祖父様が、反対されるとは思ってなかったわ。だって、キャサリン王女と結婚してたし、その縁でグレゴリウス皇太子殿下と私はハトコなのですもの……」




 マリアンヌは、王家の事情に詳しい老公爵だからこそ、愛している孫娘を皇太子妃にさせたくないと考えたのだろうと溜め息をつく。 




 ユージーンは外務相から機密だがと、グレゴリウスとユーリが婚約したと聞かされて驚いたが、老公爵と公爵がなかなか許可しないのではと言うと、即刻、屋敷に帰って何か手を打つようにと命じられた。とは言っても、ユーリすら部屋から追い出されたのにとユージーンは老公爵の頑固さを知っているだけに、どうするべきか悩んだ。




 ともかく、グレゴリウスが出てきてから対策を練ろうと、ユーリと同じく扉の前を歩き回る。




「皇太子殿下の、ユーリを伴侶として生涯を共にしたいというお気持ちは有り難いです。しかし、孫娘が普通の幸せな生活をおくるのを見届けたいという、馬鹿な祖父の頼みも聞いてください」




 グレゴリウスは老公爵にユーリを一生大切にすると誓ったが、なかなか頑固で折れない。しかし、同じくユーリを皇太子妃にしたくないと考えていた公爵は、本人が苦労を承知で結婚を望むなら仕方ないと意見を変えた。




「父上、反対してもユーリは気持ちを変えませんよ。


このまま許可を与えなかったら、ユーリはマウリッツ公爵家と縁を切って嫁ぐことでしょう。姉上の娘なのですよ」




 老公爵は、ガックリと頷く。




「そうだな、ユーリはロザリモンドの娘だ。恋してしまったら、一途だろう……」




 ロザリモンドの分も幸せにしてやりたいと反対していたが、ユーリが望んだ道なのだと老公爵は許可を与える。




「皇太子殿下、ユーリを幸せにしてやって下さい」 




「結婚をお許し頂き、ありがとうございます。ユーリ嬢を幸せにします」




 扉の外にいたユージーンにユーリを呼んで来させると、説得に苦労したグレゴリウスに抱きついた。幸せそうな恋人達の姿に、涙もろいマリアンヌはハンカチで目頭を押さえる。




 ユーリは老公爵にも抱きついてキスしたり、膝の上に乗って感謝の言葉を言う。グレゴリウスは厳しい顔の老公爵が、ユーリに甘々の様子に呆れてしまう。




「皇太子殿下、婚約おめでとうございます。言っておきますが、老公爵と公爵が甘いのはユーリだけですから。私達には厳しいですよ」




 屋敷で老公爵と公爵に甘やかされていると誤解されてはと、ユージーンは一応説明する。




「許可が頂けて、良かったです」




 国王が認めているので、老公爵が許可しなくても結婚はできるだろうが、これほど愛情を注いでくれているのに無視した形になればユーリは傷ついただろうと安堵する。




「お昼を一緒に如何ですか」




 王宮には手紙で知らせますと言われ、グレゴリウスとユーリはマウリッツ公爵家で昼食をとった。




「ユーリ、あまり食べないな」




 いつもの食欲をみせないユーリを、全員が心配する。グレゴリウスも昨夜から余り食べてないのを、もしかして婚約を後悔して食べれないのかと案じる。




「ユーリ、何か心配しているのか」




 昼食をつつくばかりで、あまり食べて無いのを心配して、グレゴリウスはユーリの手を取って、心配事があるなら話してくれと頼む。




「何もないわ……ただ、胸がいっぱいで食べれないだけなの」




 嘘が下手なユーリが、何かを考えているのは明らかだ。




「モガーナ様のことを考えているのか」




 誰もがモガーナの怒りを思うと、背中に冷たい風が吹き抜けた気持ちになる。




「いえ、お祖母様は私に怒られるでしょうが、自分が決めたのなら好きにしなさいと仰ると思うわ。もともと放任主義だし、恋に落ちるのは雷に打たれるのと同じだと話していたから、反対しても無駄だとわかって下さるわ」




 確かにモガーナはユーリが選んだ道なら、苦労すると怒りはしても好きにさせそうだと思う。




「なら、何を悩んで食事が喉を通らないの?」




 マリアンヌに問いただされて、ユーリは少し疲れたからかもしれないと誤魔化す。




「昨日から、大変だったからかな」




 グレゴリウスはユーリが何か悩んでいるが、この場所では口にしたくないのだと察して、公爵家の人達を安心させるように明るく振る舞った。










 食事が済むとグレゴリウスは王宮に帰ったが、ユーリはフォン・アリスト家で少し休むと言って残った。




「ユージーン、少し相談があるの。フォン・アリスト家の屋敷まで送ってくれる?」




 馬車で送って貰いながら、ユーリはユージーンに頼み事を一つした。




「公式に婚約が発表される前に、エドアルド皇太子殿下に私からの手紙を渡して欲しいの。政略結婚とはいえ、それだけの関係ではなかったのですもの。渡すタイミングは外務省に任せますが、出来れば婚約が発表される前にして欲しいわ。それと、こちらは発表後でも良いけど、エリザベート王妃様に手紙と頂いたダイヤモンドの髪飾りをお返ししたいの。素晴らしい品で、私がカザリア王国の皇太子妃になると思って下さったのだと思うの……」




 ユージーンは、これはグレゴリウスが聞いたら嫉妬しそうだなと思ったが、ユーリの願いを聞き届けた。




 同盟国の皇太子を袖にするのだから、少しフォローしておく方が良いと外交官らしく判断したのもあるが、エドアルドのユーリへの真剣な思いに同情したのだ。




 ユーリが悩みながらも自室で手紙を書き終わりユージーンに手渡す時、目が赤いのに気づいたが余計な事は口にせず屋敷を辞した。




 ユーリは優しかったエドアルドや、エリザベート王妃を裏切ったように感じて、ベッドで泣いているうちに眠りについた。

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