8話 二度目のプロポーズ
花盛りの王宮の庭で、ユーリはグレゴリウスに戦争で怪我もしては駄目と抱きついた。
「気をつけるよ、だから泣かないで」
ユーリは、ママが安全で快適なフォン・フォレストに行かず、少しでもパパの近くのヒースヒルに留まった気持ちが初めて理解できた。
「グレゴリウス様、私もこれから武術レッスンを頑張るわ。一人で戦場に行かせないわ」
自分を心配してくれる気持ちは嬉しかったが、愛してるのに戦争だからと婚約するのを躊躇うのは間違っていると言い聞かせてた筈なのにと、グレゴリウスは溜め息をつく。
「駄目だよ、ユーリは女の子なんだから戦場なんか行かせないよ。それに今更レッスンしても、足手纏いだよ」
グレゴリウスは、愛しい婚約者を戦場になどに行かすつもりは無かった。
「私は婚約者なんだから、ずっと一緒にいる権利があるわ。武術は駄目でも、治療の技はかなり上手いから、絶対に側にいるわ」
婚約者だと自分で認めてくれたのは嬉しいが、ユングフラウで医師の手伝いをしといてくれと言い聞かせても、絶対に嫌だと抱きついてグレゴリウスは困ってしまう。
「私達は見習い竜騎士なのだから、指示に従わなくてはいけないよ。ましてや戦時中は、命令には絶対に服従……」
グレゴリウスはユーリに絶対に戦場に来てはいけないと言い聞かせようとしたが、キスされて黙らされてしまう。
「ユーリからキスしてくれたの、初めてだね」
婚約したての二人が甘いキスをしてた頃、国王は外務相と国務相とグレゴリウスの指導の竜騎士であるジークフリートを呼び出して話し合った。
「グレゴリウス皇太子殿下とユーリ嬢が婚約ですか!」
外務相と国務相は思わず手を取り合って喜んだが、ハッと手を払いのけて咳払いする。昨夜からの急展開に心を揺らしていたジークフリートは、これで良かったのだと気持ちを切りかえる。
ユーリとグレゴリウスの婚約が引き起こすローラン王国やカザリア王国の反応に注意する事や、対応策について話し合う。ひとしきり外交や、ローラン王国との戦争準備による経済的な影響などを話し合った後、会議が終わりそうになってから、国王は言いにくそうにユーリの教育係について相談する。
「ところで、国務相に少し相談があるのだが……ユーリを皇太子妃として、恥ずかしくないように教育しなくてはいけないと考えているのだ」
マキャベリ国務相は凄く嫌な予感がした。
「それは勿論ですが、皇太子妃としての教育は、王妃様や、マリー・ルイーズ妃にお任せするのが恒例だと思います」
確かにマリー・ルイーズがフィリップ王子と婚約した時は、王妃が皇太子妃としての公務や、王宮の慣例について教えた。もともとロシュフォール侯爵令嬢だったマリー・ルイーズは、変人の兄とは違い、お淑やかで礼儀作法も完璧だったので、王家独特の行事などを教えるだけだったのだ。
「国務相は、ユーリが普通の令嬢だと思っているわけではあるまいな。勿論、王妃やマリー・ルイーズも皇太子妃教育をするが、手にあまるだろう。だから、少し協力して欲しいのだ」
外務相は此方に火の粉が飛んで来ないように警戒しながら、旧敵の窮状を眺める。火を噴く竜の絆の竜騎士であるユーリの皇太子妃教育を、もしかして国務省に押し付けるつもりではと国務相は冷や汗をかく。
「協力と言われましても……ああ、国務省での見習い実習なら、もう止めて頂いて結構ですよ。皇太子妃になられるお方に書類運びなどさせられませんから」
ウッと国王はその件も話し合わなくてはいけないなと考える。
「その件はユーリとも話し合って決めなくてはならないだろう。まだ、グレゴリウスはアリスト卿に結婚の許可を貰ってないので、相談できないのだが、シュミット卿にユーリの皇太子妃教育を手伝って貰いたいのだ。それとグレゴリウスも国務省での実習もさせたいし、ジークフリート卿と協力して二人纏めて面倒みてやってくれないか」
火の粉が飛んできたジークフリートは驚いた。シュミット卿と協力なんて出来る筈がないし、したくなかった。
「国王陛下、皇太子殿下が国務省での見習い実習をされるなら、私は指導の竜騎士を外れるのが普通だと思います」
ジークフリートの抗議に外務相も同意して騒ぎ立てるし、国務相は右腕でもある財務室長のシュミット卿に、皇太子とユーリの教育係になどさせられないと怒り出した。
国王は仲の悪い外務省と国務省の言い争いにうんざりして、こんな時はマキシウスがいつも仲裁をしてくれたのだと改めて感謝する。
「もうよい、言い争いはやめなさい。指導の竜騎士については、アリスト卿に任せることにする。そのためにもグレゴリウスに結婚の許可を貰いに行かさねばな。マウリッツの老公爵は屋敷に居るだろうが、アリスト卿は竜騎士隊の詰め所か。詰め所で結婚の許可を貰うのは、少し略式過ぎるな」
こういう事は国務相も外務相もお手の物で、やはり正式の申込みなら、手紙で訪問を告げて置くべきだとかアドバイスする。ジークフリートは、国王が無意識に避けているのか、忘れている重大な件を持ち出す。
「あのう、モガーナ・フォン・フォレスト様に許可を貰わないといけないのでは……」
ジークフリートの言葉に、国王はグレゴリウスの婚約で浮かれていたのに冷水を掛けられた気持ちになった。
「勿論だ! 忘れていたわけではないぞ。これ、外務相、何処へ行こうとしている。国務相、婚約の件はモガーナ様が許可するまでは絶対に機密だぞ。万が一、他から聞いたりしたら、気を悪くするかも知れぬからな……ジークフリート卿、モガーナ様は許可してくれるだろうか……」
弱腰の国王と、エドアルドへの社交相手の件で叱り飛ばされて以来怖がっている外務相に、ジークフリートは苦笑する。
「モガーナ様は、グレゴリウス皇太子殿下をフォン・フォレストの館に滞在させて下さいましたよ。皇太子妃にはさせたくないと考えておられるでしょうが、ユーリ嬢が望まれるなら許可されるでしょう。モガーナ様はユーリ嬢を愛しているので、本人の意志を尊重されると思います」
ただ、ユーリが苦労するのではないかと心配して、凄く機嫌が悪くなりそうだとジークフリートは悪寒を感じた。国王は女性の扱いの上手いジークフリートを付き添いにしようと心の中で決定する。
「ところで、皇太子殿下とユーリ嬢はどこにいらっしゃるのですか? 一言、お祝いを申し上げたいのです」
国務相の言葉に、おっと忘れてたと国王は庭に散歩に行かせたままだったと焦った。
「ジークフリート卿、二人を見つけて連れてきてくれ」
「もしかして、女官も付けずに庭に二人きりにさせたのですか? 大変です! 昨夜も止めなければ、皇太子殿下は何処かへユーリ嬢を連れ込もうとされていたのですよ」
「モガーナの許可を貰う前に、それは拙いだろう!」
慌てる国王にジークフリートは、ギャランスからアラミスにグレゴリウスを呼び返して貰うようにと忠告する。
『ギャランス、大至急でアラミスにグレゴリウスに王宮に帰って来るように伝えさせてくれ』
グレゴリウスは婚約したとはいえ、女官や侍女の付き添いがいないラッキーな状況はめったに得られないのを知っていたので、フル活用しようとした。
「此処、覚えている? ユーリと初めて会った場所だよ」
ユーリは周りを見渡して、そう言えば此処だったかもと朧気な記憶を引っ張り出す。
「此処って王宮に近いのに、来たことないわ」
「そうなんだ、だから此処で泣いてたんだ。王宮の庭の穴場なんだ」
グレゴリウスはユーリを抱きしめてキスをする。
「今回は平手打ちされなくて、良かったよ」
ふざけるグレゴリウスに、ユーリも懐かしい子供の頃を思い出す。
「あの頃は私の方が少し背が高かったのに、グレゴリウス様はいつの間にかにょきにょき伸びたのよね。私、もう少し背が高かったら良かったのになぁ。まだ、グレゴリウス様は伸びてるの?」
15才の立太子式の時に初めて踊った時より、この2年でまた背が高くなったグレゴリウスと違い、ほとんど成長が止まったユーリは愚痴る。
「ユーリはその位で丁度いいよ。軽くて抱き上げるのも楽だし。だって、花嫁が重たいと、新居に抱いて入る時に落としたりしたら大変だろ」
ユーリは婚約ということは、結婚をするということだと、想像して真っ赤になった。グレゴリウスも、ユーリが何を想像して赤面したのか察してくらくらした。
「ユーリ……」
盛り上がっている二人はアラミスとイリスから王宮に至急帰って来るようにと国王からの命令を聞かされて、渋々、思い出の場所を後にした。
「きっと、アリスト卿とマウリッツ老公爵に結婚の許可を貰いに行くんだ。フォン・フォレストにも行かないと」
「普通なら、親の所だけで良いのよね……」
グレゴリウスは涙ぐむユーリを抱きしめて、ヒースヒルにも行かなきゃねと呟いた。
「ヒースヒル……スローライフは遠くなったわね……」
ユーリが子供の頃から夢に見ていたのとは、かけ離れた王宮での生活しか与えられないグレゴリウスは、その分も幸せにすると心に誓った。
「慣れない王宮暮らしで苦労かけると思うけど、絶対に幸せにするから」
「本当に私で良いの? グレゴリウス様も、きっと苦労すると思うわ。お淑やかな令嬢と結婚した方が良かったと、後悔するかもしれないわ」
「君に一目惚れしてから、ずっと結婚したかったのだから後悔は絶対しないよ。それに退屈な人生なんて、真っ平だもの。ユーリと一緒なら、笑ったり、怒ったり、泣いたりと忙しそうで、退屈しそうにないから良いんだ」
グレゴリウスはユーリの前に跪いて、改めてプロポーズする。
「ユーリ、私と結婚して下さい。一緒にずっと暮らして欲しい」
ユーリは、スローライフを諦めた。
「グレゴリウス様と一緒に過ごすわ。死ぬ時も一緒じゃなきゃ嫌よ」
グレゴリウスは、イリスがユーリは100才まで生きると言ってたのを思い出して、少し自信は無かったが努力すると誓う。
「死ぬまで愛するよ」
「え~、ちょっと意味を勝手に変えないで……」
改めてのプロポーズを承諾して貰えたグレゴリウスに、ユーリの無茶な要求はキスで封印された。
会議に熱中して二人を忘れていた国王と違い、結婚までは不適切な行動をさせまいと心配していた王妃は、先に庭に女官全員を放って王宮に連れ帰るよう命じていた。
庭の隠れ家から出た小径でキスしていた二人は女官に見つかり、咳払いの声でハッと離れた。
「そうだ、お祖父様に呼ばれていたんだ」
「至急って、言われていたわね」
慌てて駆け出そうとするユーリを、グレゴリウスは止めた。
「王宮で皇太子妃は走ったりしないんだよ。常に優雅な行動を心がけなくてはね」
急かす女官をよそに、グレゴリウスはユーリを優雅にエスコートして、時々は女官の目を盗んで軽いキスをしながら王宮へ向かった。
グレゴリウスはお祖父様が至急の用事があるわけではなく、二人きりに長時間させたのを忘れていて、慌てたのだとわかっていた。これからは女官がピッタリくっつくのかなと、トホホな気持ちの二人だった。
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