3話 100万ダカット

 ユーリは皆の心配など知らず、ユングフラウの街をあてどなくさまよっていた。イリスが自分の怒りに反応して、大使館の馬車に火を噴きかけたのを、ユーリは自分の激情を押さえられないからだと反省した。




 イリスをどうにか落ち着かせて、屋敷に帰ると見たくも無い親書を乱暴に拾い上げて、部屋で読んだ。内容は予想通りで、ルドルフ皇太子妃としてローラン王国で義務を果たせとか、くだらない脅しに満ちていた。


 


「何、勝手な事ばかり書いてるのよ。馬鹿馬鹿しい」




 だが、文章の最後にバロア城の賠償金100万ダカットを、持参金に上乗せして請求してあったのを読んで、ユーリは怒りがこみ上げた。 




「100万ダカット……あのオンボロ城が?」




 ユーリはこのままでは、イリスがローラン王国大使館を襲撃してしまうほどの激怒を感じ、とっさに竜心石で自分の周りに結界を張った。




「ローラン王国なんて大嫌い」




 結界の中なら怒鳴り放題なので、ユーリは部屋の中を歩き回りながら、ローラン王国の悪口を言い続けた。部屋をぐるぐる回っていても、全然落ち着かないので、ユーリは外に出て怒りが鎮まるまで歩き続けることした。




 フォン・アリスト家の屋敷の周りは名門貴族の屋敷と王宮があり、歩き回っていたユーリは外務省に今までも同様な書簡が届いていたのか問いただそうと思った。王宮の門番はユーリを知っているので、何も問いもせずに通してくれた。




 ユーリは外務省に足を向けたが、新しく入れ替えられた窓ガラスを見つめると、此処で結界が破れたらまた大騒動になってしまうと踵を返す。




「王妃様に相談したい……」




 ユーリはふと思ったが、夜に王妃に面会などできないと、通い慣れた王妃の部屋への廊下を引き返す。 




 どこにも行き場がなく王宮の暗い庭に舞い込んだユーリは、木の根元に座り込んでさめざめと泣いた。自分がなぜ王宮に来たのか、ユーリは泣きながら気づいた。




「外務省に用があるふりをしたり、王妃様に相談したいと思ったからと誤魔化してもだめだわ。馬鹿みたいね……皇太子妃ではないと怒っているのに……」


 


 ユーリは、グレゴリウスに慰めて貰いに王宮に来た、自分の身勝手さに気づいた。ルドルフ皇太子妃だとは自分でも認めてないが、ローラン王国がそう主張している限り、自分は結婚できないのではとユーリは怯えた。そして、その不安を皇太子妃になりたくないからとプロポーズを断ったグレゴリウスに慰めて貰おうと、無意識に王宮に足を向けたのに愕然としたのだ。




「なぜ、アンリ卿やシャルル大尉のもとに行かなかったのかしら……今夜、どちらかの屋敷に行ったら……」




 多分、どちらを選んで訪ねて行っても、泣いている自分を抱きしめて優しく慰めてくれるだろうし、ローラン王国の皇太子妃なんて下らない戯れ言だと無視しろと宥めて、自分を護ろうとプロポーズしてくれたかもしれない。




「私は、何故ここに来たのかしら……」




 ユーリは、アンリの優しさや、理知的な顔を思い出して、その手を取れば幸せになれるのがわかっているのに踏み出せない自分を、何度も意気地がないからだと責めていた。




 シャルルにも竜騎士同士としての絆も感じていたし、結婚したら幸せに暮らせるだろうし、お祖父様も満足させてあげられるだろうと思っていたが、竜騎士になるまではとかの言い訳を自分に許していた。




「やはり自分には恋は無理なのかもしれないわ。一番、恋に近い気持ちを持っている、エドアルド様にも勇気を持って飛び込めないのよね……」




 自分から積極的に動けないユーリにとって、エドアルドのアプローチに身を任せた方が恋は順調に進むし、楽なのかもしれなかったが、グレゴリウスを皇太子だからとはねつけたのにと考えると躊躇してしまう。


 


「まさか……グレゴリウス皇太子殿下のことを……馬鹿みたい、あれほど喧嘩したりしてたのよ……」




 ユーリは自分がエドアルドの胸に飛び込めないのも、アンリの優しい手を取れないのも、シャルルとの竜騎士同士の気楽な結婚生活を選べないのも、グレゴリウスが自分を見つめる金褐色の瞳が悲しそうに曇るのを見たくないからだと気づいた。




「グレゴリウスが、誰か他のお淑やかで皇太子妃に相応しい令嬢を選んで下されば良いのよ……そうすれば……」




 グレゴリウスに向かって言っていた、頓珍漢な理屈は自分の事だった。リューデンハイムで一緒に過ごして大きくなり、子どもの時のファーストキスに怒り続けて意識してツンケンして、刷り込みされていたのは自分だと気づいた。




「もしかして、ずっと好きだったの? 嘘でしょ~違うわ……違うと思いたいわ……皇太子妃なんて、無理だもの……」




 頭がぐるぐるになったユーリは、結界が維持できなくなった。イリスはユーリの不在に気づいて不安を感じていたので、感情ぐるぐるに引きつけられて飛んできた。




『私を置いて、どこに行ったんだよ』




『イリス、ごめんね。あのままじゃあ、取り返しのつかないことになりそうで……感情のコントロールを学ばないと、駄目だわ』




 イリスはユーリと一緒に、幸せも悲しみも怒りも共有するものなのだと不満をぶつける。




『ユーリ、二度と自分から接触を切らないで欲しい』




 ユーリはイリスに自分の負の感情の影響を受けて欲しく無かったのと呟く。




『どうして王宮の庭で泣いていたの。こんな暗い場所に一人で来るなんて、警備の兵はいるけど危ないよ』




 夜の王宮の庭は月明かりがあるとはいえ、暗く沈んでいた。その暗い庭の大きな木の根元に座ったユーリはまだ初春の寒さで震えていたので、イリスは風邪をひかないか心配する。




『私は、グレゴリウスのことを好きなのかしら……』




 こんな寒くて暗い王宮の庭で、恋の悩み相談を持ちかけてきたユーリにイリスは呆れたが、発情期が近づいてきたのかと期待する。パリスがエリスを産んでから、イリスは子竜が欲しくてたまらなかったのだ。




 ユーリが結婚するまでは子竜を持つのを待つとは言ったものの、早く結婚してくれれば良いなと思っていたし、アラミスからはグレゴリウスをプッシュされていた。




『グレゴリウスの子どもが欲しいと思うなら、恋じゃないかな』




 恋とか知らず、即物的な交尾の概念しか持たない竜の意見は、恋心に気がついたばかりのユーリにショックを与えた。キスしか経験のないユーリには、子どもは未知の領域の先だった。




『ええ~っと、それはまだ考えてないわ。そうね、何か煮詰まりすぎたのね』




 イリスの子竜計画のお陰で、のぼせていたユーリは正気にかえった。




 イリスにお祖父様が心配していると聞かされて、ラモスに大丈夫だと伝えて貰って、フォン・アリストの屋敷に戻った。ユーリの恋心は三歩前進、二歩後退といった具合でなかなか進まない。




 お祖父様や、心配をかけたマウリッツ公爵家の人達や、ジークフリートに平謝りに謝って、ユーリは表面上は普段の生活に戻った。








 ジークフリートとユージーンから、ルドルフ皇太子妃ではないのだから気にしないようにと言い聞かされ、納得はしたもののユーリの心には棘が刺さっていた。




 それはユージーンが歯牙にもかけず無視した、100万ダカットの賠償金だった。




 もともとユーリは金銭的にきっちりしたい性分で、借金を踏み倒して平然と暮らしている人達の気持ちが理解できなかったし、今回のバロア城の賠償金など馬鹿げて意味のない嫌がらせだと理解していたにもかかわらず心の棘になった。




「100万ダカットかぁ、ローラン王国ってお金の単位まで旧帝国時代にあわせたのね。100万ダカット=100万クローネと言い切ってるけど、金貨の質を落としているから相場では50万クローネぐらいよね」




 外務省の窓ガラス代もお祖父様に小遣いの前借りで直して貰ったユーリには途方も無い金額だ。でも、返す手段がない訳でも無かったので悩んでいたのだ。




「ミシンの会社の私の株を売ればかなりになるはずよ。それと、売りたくは無いけどママの宝石で50万クローネになるかもしれないわ」




 ユーリは宝石の値段など全く知らないので、ユングフラウの宝石店を留め金が緩くなったネックレスを持って訪る。




「これは見事な細工のネックレスですね。すぐに直しましょう」




 執事に聞いて、ユングフラウ一の宝石店に侍女を連れて訪問したユーリを、店主は上得意の扱いでもてなした。




 マウリッツ公爵家がユーリのティアラとネックレスを注文した宝石店だったし、三国から皇太子妃にと望まれている令嬢の訪問に舞い上がる。




 ユーリは店に陳列してある宝石の値段にびっくりしてしまった。




「0が幾つ並んでいるのか、一瞬読み取れないわ。このダイヤモンドのネックレスは3万クローネ……知らなかったわ、宝石って高いのね」




 ユーリは宝石もドレスの値段も知らなかったので心底驚く。店主は令嬢でお金を持ち歩かない方もいるのを知っていたので、ユーリが驚いているのも不思議には感じない。




「お持ちになられたダイヤモンドのネックレスもアンティークで品の良い物ですよ。代々、受け継がれた品物はお嬢様の宝物ですね」




 ユーリはミシンの株を手放すのは、マウリッツ公爵に止められて果たせなかった。




「今手放したら、軍需産業で儲けようとしている輩の手に入ってしまう。お前の女性の職業訓練所などに資金どころか、ミシンすら提供してくれないぞ」




 そうなると祖母のキャサリン王女と母のロザリモンドから受け継いだ宝石類を始末するしか、100万ダカットを作る手段は残されてなかった。




 ユーリはこれらの宝石類を自分にくれたマウリッツの老公爵に手放す許可を貰った。老公爵はユーリがローラン王国からの嫌がらせの賠償金を気に病んでいるのをしり、無視すればよいとアドバイスを与えたが、無理そうなので好きにさせることにした。勿論、その前に50万クローネを出してやろうと提案したが、ユーリに断られてしまったのだ。




「この宝石類を手放すのは辛いわ。でも、どうしても100万ダカットを叩きつけて遣らないと気がおさまらないの。それは私の馬鹿げた自己満足だとわかっているから、お祖父様に出して貰う訳にはいかないの。ローラン王国と100万ダカットで繋がっているようで、気持ちが悪いのよ」




 老公爵は男なのでユーリほど宝石類には思い入れはなかったし、新しいデザインの宝石をプレゼントすれば良いと思い許可を与えた。




「父上、ユーリが馬鹿げた賠償金を支払うのを見逃すのですか。ただの嫌がらせでしょう。ユージーンは無視していますし、外務省も馬鹿げた要求だと相手にしてませんよ。ユーリは宝石類には興味を持ってはいませんが、祖母や母の形見を手放すのは悲しいと思っている筈です。それに買値と売値では全く価値が違いますから、全てを売っても50万クローネになるかどうか。ユングフラウの宝石店に手を回しておきます」




 現役を引退してユーリに甘々の老公爵より、少しフットワークの軽い甘々の公爵は50万クローネで買い取ると手回しをかけた。大好きだった姉上が駆け落ちの時に置いていった宝石類を、宝石店に買い叩かれるのが見てられなかったからだ。




 だが、ユーリはなかなか宝石類を売る決断ができなかった。




 公爵が手回しをする前に何件かの宝石店を回り、ざっとした見積もりを貰って、買取の値段の低さに愕然としたからだ。キャサリン王女やロザリモンド姫の見事な宝石類は店頭に飾ってある物よりも高品質に感じられるのに、何故こんなに低い値段しか付かないのかユーリには不満だったが、どこの宝石店でも買値はそのようなものですよと諭された。




「メーリングの宝石店なら、輸出用にアンティークな宝石類に少しはプラスしてくれるかもしれませんし、珍しい石なら高額で買い取る商人もいるかもしれませんね」




 あまりに気落ちしたユーリを見かねて、一人の宝石店の店主が情報をくれた。








 ユーリはシュミット卿にこき使われたり、ロシュフォール卿の手伝いをしたりして過ごしていたが、心に100万ダカットの棘が刺さったままで鬱々とした日々を送る。




「ユージーンの言うとおりに、無視できれば良いのに……」




 ユーリは金曜にフォン・フォレストに飛び立ち、お祖母様にお守りの竜心石を手放す許可を貰った。




「そんなローラン王国の無法な要求など無視しなさいと言っても無駄なのでしょうね。私は竜心石など要りませんから、貴女の好きなようにすれば良いですよ。そうですわね、売り払ったら清々するかもしれませんしね」




 モガーナは竜心石をユーリに与えたのを少し後悔していたので、こんな厄介な石を売り飛ばしたら、ゲオルク王に復讐する手段も無くなるし一石二鳥だわと許可を与える。




「何故、ユーリが生まれたと聞いた時に、竜心石をお守りに与えようと思ったのかしら? あのまま衣装箱に忘れていたら、竜と縁のない人生をおくれたのではないかしら」




 何度となく後悔しては、ユーリはシルバーと話しているのをマキシウスに見つかっていたから、いずれ竜騎士にされてただろうと自分で慰めたりしていたぐらいなので、竜心石を手放すのは好きにすれば良いと本心から思う。




 ユーリは自分のイマイチな魔力では竜心石が無ければ、今のようには呼び寄せも出来なくなるかもと考えて、シルバーに会っておきたいと願った。




『シルバー、もう呼び寄せができなくなるかも知れないから、貴方にに会っておきたかったの』




 久しぶりに会うシルバーは、白い毛並みを風に靡かせてユーリから離れた場所に立ち止まる。ユーリは白いシルバーが少し痩せているのに気づき、年を取ったのだと悲しく見つめた。




『ユーリに会えるのも、そろそろお終いかもしれないな。今、育てている子狼のうち2匹は、群れに馴染めそうにない。多分、魔力を持っているのだろう。一月後の満月の夜に、またフォン・フォレストに来てくれないか。ユーリに育てて貰いたい』




 子狼を育てさせて貰えるのは嬉しく思ったが、シルバーが別れを口に出したのは辛く感じた。




『わかったわ、ちゃんと面倒をみるわ』




 シルバーのもふもふの毛皮に顔をうずめて泣きたいとユーリは思ったが、子育て中なので我慢する。一月後の満月の夜に再会することを約束して、ユーリはフォン・フォレストからユングフラウに帰る。  

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