2話 揺れる心

 17才になったユーリに、やっと恋心が芽生えつつあった。だが、なまじモテモテすぎて、ユーリは誰が好きなのか自分の心を持て余す。




「一番キスの回数が多いのは、エドアルド様なの……キスしたら結婚相手かどうかわかると言う令嬢もいるけど、私にはわからない……それに皇太子妃なんて、やはり嫌だし、外国に嫁いだらお祖母様と会えなくなると困るし……」




 理性では選んではいけない相手だとわかっていても、エドアルドの優しい態度や、自分を情熱的に見つめる青い瞳を懐かしく感じる。毎日のように届くラブレターの甘い言葉には、気恥ずかしさを感じて、返事の手紙には日常生活を書き綴るだけだったが、かなり恋心を刺激される。




 でも、エドアルドのことを思い出している時も、グレゴリウスの金褐色の心配そうに自分を眺める瞳が浮かんできて、カザリア王国に嫁ぐことはできないと溜め息をつくのだ。




「グレゴリウス皇太子殿下に、好きな人ができたら良いのに……そしたら、私も自分の恋に集中できるかもしれない」




 アンリやシャルルと友達の婚約パーティーに招待されて、楽しい時間を過ごしていても、自分が他の相手とパーティーに行くのを知ったグレゴリウスの傷ついた瞳がチラついてしまうのだ。




 かと言ってエミリー嬢がグレゴリウスと恋人になると想像しただけで、チクリと胸が痛むユーリは自分の心を持て余す。これをモガーナが知ったら、ユーリがグレゴリウスに恋しかけていると気づいて、何か手を打ったかもしれない。




 だが、ユーリのグレゴリウスを避ける奇妙な態度に気づいたフランツは、ジークフリートに丸投げした。ローラン王国との外交戦争で忙しいジークフリートだったが、恋の達人は直ぐにユーリの揺れる恋心に気づいた。




「まさか、ユーリがグレゴリウス皇太子殿下に恋してると言われるのですか?」




 ユージーンは、ジークフリートの言葉に耳を疑う。




「いえ、まだ恋してるとまではいきませんが、意識している自分に気づいたぐらいですね。同級生から、ほんの一歩前進した感じでしょう」




 外務省の一角でローラン王国からの無礼な書簡に返事を書いたりしながら、ストレスを溜め込んでいたジークフリートとユージーンは、グレゴリウスの長年の恋が一歩進んだのに心を和ませた。




「でも、ユーリは皇太子妃になりたがらないから、この先は難しいですね」




 皇太子妃と口にして、ユージーンは不愉快な書簡を思い出して眉を顰める。ジークフリートも同じく、ローラン王国の大使の不愉快な態度を思い出した。




「ケッヘル大使を、国外退去させたいですね。こんな不愉快な書簡を、連日持ってくるとは」




 アルフォンス国王陛下の結婚無効宣言も無視して、ユーリ皇太子妃を帰国させるように要求する書簡に、苛立ちを隠せないユージーンとジークフリートだ。




 特にバロア城の修繕費を要求してきたのには呆れて返事も書かないで放置していたが、他の書簡の最後にすべて請求書がついているのにはウンザリする。




 当事者のユージーンは馬鹿馬鹿しいと無視していたが、ユーリにはローラン王国がまだ皇太子妃として遇しようとしている件と、この請求書は絶対に見せれないなと思う。




「どういう計算で、こんな数字を引っ張り出してきたのやら、呆れかえりますね。自分達の違法行為を棚に上げて、よく請求などできたものです、恥知らずにもほどがある。ゲオルク王は気が狂ってます」


 


 イリスが塔を破壊してユーリを脱出させ、アトスが地下牢からユージーンを救い出そうと城の基礎にアタックしたので半壊状態になったし、イリスが怒り狂って火を吹きかけたので火災も発生したが、ユージーンは全てはローラン王国の不法行為のせいだと考えていた。




 自分達はこんな無法な請求は無視できるが、ユーリが知ったら傷つくだろうと、絶対に秘密にしなければと二人は考える。




「せっかく、落ち着いて見習い実習も始められるようになったのに、こんなの知ったら精神的に落ち込んでしまいますよ」




 ユージーンは自分も精神的に追い込まれていたのを、ユーリの下僕として強制的に休暇を取らされて引きずり回されたお陰で立ち直れたので、絶対に知らせてはならないと思った。




「こんなの知らせませんよ。せっかく開きかけた恋の蕾が、萎んでしまいますからね」




 ジークフリートのユーリがグレゴリウスを意識しているという説には、ユージーンは疑問だと感じていたが、知らないというのは一致したので、外務省での徹底をはかった。知らせないという方針は一致したので








 ユーリは自分の揺れる心を忘れる為に、武術レッスンや、騎竜訓練に熱心に取り組んでいた。武術レッスンは相変わらず駄目振りをお祖父様に呆れられる出来だったが、騎竜訓練は目覚ましい進歩を遂げる。




 ユーリは元々他の竜とも会話能力が高く、連隊長として竜達を纏め上げるのに優れていた。




「ユーリが先頭なんだよね」




 先輩の見習い竜騎士達との5頭飛行の先頭を勤めて、きれいな連隊飛行をしているのをグレゴリウスとフランツは見上げて感嘆する。見習い竜騎士達は降りてくると、ユーリを口々に褒め称える。




「凄く指示が、分かり易いよ」




「竜への指示が、的確なんだよね」




 フランツは、ユーリの竜騎士としての能力はフォン・アリスト家直系のものだと思いながら、見習い竜騎士の先輩達に賞賛されるのを眺める。




「ユーリとイリスの能力は凄いよ。竜達を纏め上げている。私達も頑張らないとな~」




 グレゴリウスとフランツは、ユーリにやはり騎竜訓練では差を付けられたなと溜め息をつく。




 エドアルドが遊学した時と、ユーリがフォン・フォレストで休養していた時に、かなり騎竜訓練は先に進んでいたのだが、すっ飛ばされてしまった。




「まぁ、ユーリの竜とのコミュニケーション能力は類い希ですから、連隊を纏めるのは上手いだろうとは思ってましたけどね。これほど差がつくとは考えてなかったなぁ」




 フランツは大伯父のアリスト卿がウィリアムが生きていてくれたらと残念に思うだろうなと、ユーリの優れた竜騎士としての能力を見て感じる。




 騎竜訓練に来ていたジークフリートも、ユーリの連隊長としての見事な纏め能力を見て、ウィリアムを思い出した。だが、ユーリが竜騎士として優れた能力を発揮するのを見ると、ローラン王国との戦争が近いだけに不安も感じるのだ。マキシウスも国王もユーリを戦場には行かせないだろうが、素直に命令に従うだろうかと心配する。




「グレゴリウス皇太子殿下を意識し始めた時なのに、戦争なんか始まったら恋どころではなくなるのでは……」




 ユングフラウ娘ならいざ知ず、元々、恋に鈍感で臆病なユーリがやっと乙女心を持ち始めたのに、騎竜訓練などしている場合じゃないと、イルバニア王国の国民性の代表みたいなジークフリートは溜め息をつく。




 ユーリはシュミット卿のもとで見習い実習をこなし、騎竜訓練もし、駄目ながらも武術レッスンをし、声楽のレッスンも何とかサボらず通う。週末は婚約パーティーに出かけたり、パーラーやミシンの練習所に行ったりもしたが、マウリッツ公爵家でお祖父様達と過ごしたりする。








 ある意味で落ち着いた生活に戻っていたユーリは一通の書簡で、大きな揺さぶりをかけられ、人生がガラリと急展開してしまう。




 リューデンハイムの寮で月曜から金曜まで過ごし、金曜の夜から月曜の朝までは、フォン・アリスト家かマウリッツ公爵家に外泊するのが恒例になっていた。その日も金曜の見習い実習をすませると外泊届を出して、フォン・アリスト家の屋敷に帰った。




 土曜の午前中は武術レッスンなので、金曜はフォン・アリスト家、土日はマウリッツ公爵家に外泊するのが多かったので、ローラン王国の大使もそれを見越していたのだろう。




 相変わらずのロマンチックな部屋で寛いでいたユーリは、執事の困ったような問答がホールから聞こえてくるのに不審を感じた。竜騎士隊長のアリスト卿の屋敷に無礼を働く蛮勇を持っている人物はなく、執事のセバスチャンが声を荒げるのを聞いたことが無かったからだ。




 ユーリは部屋の外に出て、ホールを覗いた。


 


「ローラン王国の皇太子妃に会わせて頂きたい。ゲオルク国王陛下からの親書をお渡しするまでは帰れません」




「ここには、そのような御方はいません。お引き取り下さい」




 王宮で見かけたことのあるローラン王国のケッヘル大使と、執事の押し問答にユーリは嫌な記憶が蘇って怒りがこみ上げてきた。




「私はルドルフ皇太子なんかと結婚した覚えはないわ! とっととお帰り下さい」




 階段を駆け下りるとユーリはケッヘル大使に怒鳴りつける。ケッヘル大使はユーリの怒鳴り声を無視して、優雅に王族に対するお辞儀をすると、ゲオルク王の親書を差し出す。




「皇太子妃にはご機嫌麗しく存じます。こちらにゲオルク国王陛下からの親書をお持ちしました。どうか一日も早くご帰国賜りますように願っております」




 ユーリは怒り心頭で、差し出された親書を床に叩き落とす。




「二度と私を皇太子妃なんて呼んだら許さないわよ! とっとと帰りなさい!」




 玄関の花瓶を足元に投げ付けられ、ケッヘル大使も目的は達したと屋敷を後にしようと馬車に乗り込んだが、ユーリの怒りに反応したイリスに火を噴きかけられ、危うく火の車になりかけ、興奮した馬達はローラン王国大使館まで大暴走した。




「警備を厳重にします。お騒がせして申し訳ありませんでした」




 執事はユーリの心を乱したのを詫びたが、イリスに火を噴きかけられた大使は二度と来ないだろうと考えた。




 ユーリが壊した花瓶を片付けていると、マキシウスが帰宅し、執事から事の顛末を聞いた。




「私の落ち度だ、恥知らずなローラン王国がこの位の嫌がらせをするのは、わかっていなければいけなかったのだ。ユーリはどうしている?」




「イリスを落ち着かせる為に、竜舎におられた筈ですが……」




 ラモスで帰ってきた主人が竜舎で会わなかったとはと、不安を感じた執事は、床に転がっていた親書も消えているのに気づいて動揺する。




「落ち着きなさい。イリスは竜舎にいるから、部屋では無いのか?」




 マキシウスも不安を感じたが、イリスが竜舎にいるのだからユーリも部屋に居るのだろうと、二階に駆け上がった。




「ユーリ、居るのか?」




 ノックに返事も無いので、マキシウスはドアを開ける。そこにはユーリの姿はなく、机の上にビリビリに破き捨てられた親書だけが残されていた。




「ユーリ!」




 マキシウスは、イリスがユーリの不在に気づいて無いのに愕然とした。




 執事からユーリが大使に花瓶を投げたり怒鳴りつけたりしたのに反応して、馬車に火を噴きかけたと聞いて また精神的に不安定にならなければ良いがと心配したが、絆の竜騎士が騎竜を置いて飛び出したのに不安で心が締め付けられた。




 イリスにどうやって知られずに屋敷を後にしたのかの詮議より、ユーリがどこに居るかが心配だったが、此処では探せないとマキシウスは思った。




 絆の竜騎士のユーリに置き去りにされたのをイリスが知ったら、どれほど傷つくだろうかと心配したのだ。破り捨てられた親書を持って、マキシウスはジークフリートの屋敷に向かう。




「ジークフリート卿、ユーリの行方がわからないのだ。夕方にローラン王国のケッヘル大使が、ゲオルク王からの親書を持ってきたらしい。ユーリは怒って花瓶を投げつけたりして追い払い、イリスは大使館の馬車に火を噴きかけたそうだ。そこまでは理解できるが、ユーリが家を出たのにイリスは知らないみたいなのだ。ユーリはイリスとの絆を絶って出て行ったのだろうか」




 憔悴したアリスト卿を見て、ジークフリートも困惑したが、フォン・キャシディでユーリが結界の張り方を両皇太子殿下達に教えるのを見ていたので、絆を絶ったのではなく、自分の周りに結界を張ったのだろうと思った。




「ユーリ嬢がイリスとの絆を絶つなど有り得ませんよ。多分、結界を張ったのだろうと思います。イリスが自分の激情に巻き込まれないようにしたかったのでしょう。それにしても、夜に令嬢が一人で出歩くのは危険です。早く見つけないと」


 


 ジークフリートに絆を絶ったのではなく、結界を張ったのだろうと言われ、マキシウスはウィリアムが駆け落ちした時のように、ユーリがイリスを捨てて逃げ出したのではという不安は無くなった。




「そうだな、早く探さなければ! マウリッツ公爵家に行ったのかもしれない。これから行ってみる」




 ジークフリートは、パーラーの寮や、他に立ち寄りそうなアンリやシャルルの屋敷を回ると告げて飛び出していった。




 ローラン王国の無礼さに腑が煮えくりかえる気分だったが、今はユーリを安全に保護するのを第一に考える。


 


「このままではウィリアム卿に申し訳がたたない」




 夜のユングフラウをジークフリートは必死でユーリを探した。マキシウスの訪問を受けたマウリッツ公爵家も、ローラン王国の大使がユーリに直接親書を渡したと聞き怒り声に満ちた。




「ユーリは此処にも来ていないのですね。イリスを屋敷に置き去りにして、結界を張って出て行ったのか、どこに居るのかわからないのです」


 


 とにかく探さなければと、屋敷を飛び出すマキシウスのあとを追うようにユージーンとフランツも心配しながら、あてもない探索に出て行く。


  

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