5話 涙の別れ

 ユーリ達は変人達を大使館に残して、王宮へと向かう。




「ユングフラウに帰る時には、ビクター夫婦を連れて帰って下さいね」




 クレスト大使に文句を言われて、ユーリは困る。




「ユーリ、いいアイデアがあるよ。ビクトリアにフォン・フォレストの図書室の話をするんだ。旧帝国の発禁本があると聞いたら、パロマ大学なんか目じゃないさ」




「えー、ビクトリア様をお祖母様が置いて下さるかしら? それにビクター様は絶対に無理だわ。食事時にあの伸び放題の髭と髪で現れたら、即追い出されるわ」




 大使は大使館から変人夫婦が出ていってくれるなら、その後は無作法さでフォン・フォレストを追い出されようが自業自得だと、グレゴリウスの提案を支持する。




「それより、一緒に帰れるかしら……」




 フ~ッと、溜め息が全員から漏れた。グレゴリウス達は明明後日にはユングフラウに帰る予定だ。




「元々、4日だけなんて無理なのですわ。このままではユーリ嬢のみ居残りになりますわね。せめてユージーン卿を残して下さいね」




 セリーナの諦観した言葉にユーリは溜め息をついたが、グレゴリウスはユーリを残して帰国するつもりはない。




「一緒に帰ろう」


 


 手を握って言ってくれるグレゴリウスに感謝はしたが、ユーリも昼のエリザベート王妃の様子に無理ではないかと感じる。




 夕食会は、ユングフラウにエドアルドの遊学に付いて来たメンバーを呼んでの少人数だけだったので、ユーリはハロルドや、ユリアン、ジェラルドと懐かしく感じて話す。このまま帰国できたら最高なんだけどなぁとグレゴリウスも、遊学中に仲良くなったハロルド達とリューデンハイムの思い出話に花が咲く。




「明日は、朝からゆっくりとユーリと過ごしたいわ」




 これは一日中拘束されるという意味かしらと、ユーリはトホホな気分だ。同じくエドアルドも目の前に愛しいユーリがいるのに、手も足も出ないのかと泣きたくなりそうだ。




 ハロルド達はユーリがニューパロマにくる前から、エドアルドがどれほど楽しみにしていたか知っていたから、これは気の毒だと何か手を打たなければと考える。








 夕食会の後で大使館に帰るのが憂鬱になったメンバーは、もしかしたらライシャワー教授の屋敷に移ってくれてないかなと期待したが、サロンで我が物顔で寛ぐビクターとアレックスにウンザリする。さすがにライシャワー教授は少しは常識があるから屋敷に帰っていたが、ビクターとアレックスは意気投合したらしく、ユーリの帰りを待ちかまえている。




「やっと帰って来たな」




 ビクターがユーリをサロンに連れ込もうとする手を、グレゴリウスははねのけた。




「ユーリは長旅と夕食会で疲れていますので、もう休ませようと思ってます」




 明日も一日中エリザベート王妃の相手をしなくてはいけないので、ユーリはグレゴリウスに感謝して二階にあがる。




「皇太子殿下、ユーリに色々と聞きたいことがあったのに、酷いじゃありませんか~」




 少し酔っ払った口調のビクターに、大使は慌ててサロンのテーブルの上にあったブランデーの空き瓶を持ってわなわな震えた。




「私の秘蔵のブランデーを……! 何かの記念の時に飲もうと思っていたのに……ない……一滴も残ってない!」




 アレックスはこれは拙いと、サッサと大使館を出て行く。残ったビクターは、酒は飲むためにあるんだろとうそぶいて、二階へと上がっていく。落ち込むクレスト大使に、グレゴリウスは、王宮の秘蔵のブランデーを贈るからと慰める。




「なんでユーリ嬢はあの変人夫婦を連れて来たのですか」




 ブランデーの瓶を手に持ってガックリ肩を落としている大使の怒りに、ジークフリートもユージーンも同じ気持ちだ。




「私が謝りますから、怒りをおさめて下さい」




 グレゴリウスが謝る理由は無いのではと、全員が思う。




「ユーリにあの変人夫婦を紹介したのは伯父のロシュフォード侯爵ですから、責任を感じているのです。母上もユーリが変人夫婦と付き合うのを懸念されて、伯父に文句を言ったみたいですが……伯父に言わすとユーリが一番の変人だと……酷いですよね~」




 ユージーンもジークフリートも、マリー・ルイーズ妃を尊敬していたが、確かにユーリが一番の変人だというロシュフォード侯爵の意見に一理あるかもと思う。誰も賛同してくれないのでグレゴリウスは、ユーリは変人じゃありませんよと呟いたが、メンバーは変人のロシュフォード侯爵の甥なんだよなぁと、9才の時からしつこく片思いしているのは有る意味で変わってるかもと考える。


 






 次の日ユーリは午前中から夕食まで、ずっとエリザベート王妃の側から離れられなかった。一緒にランチしたり、お茶をしたりしながら、たまに歌を所望されたりと、一日中エリザベート王妃に振り回された。




「王妃様、明日はアン・グレンジャー講師と会う約束があるのです」




 夕食後もサロンに留められていたユーリは、明日も一日中拘束されそうなので、手紙のやり取りをしていたアン・グレンジャー講師と会いたいとエリザベート王妃に勇気を振り絞ってお願いする。エドアルドも一日中一緒にいても母上の監視が厳しすぎて、ユーリと二人になれないのに苛ついていたので援護にまわる。




「ユーリは、女性の為の職業訓練所を作りたいと考えているのです。グレンジャー講師と会って、色々と相談にのって貰いたいのでしょう」




 エリザベート王妃は、女性の職業訓練所とは何ですかと興味を持った。




「まずは、ミシン……布を縫う機械を扱う技術の習得と、算盤……計算する道具の練習と、簡単な帳簿つけを教えようかと考えています。グレンジャー講師に、どうやったら帳簿つけに興味を持ってくれるのか相談したいのです。ミシンは凄く好評で、習いたいという女の子がいっぱいなのに、算盤と帳簿は人気がなくて……」




 エドアルドはユングフラウに滞在中にユーリが算盤の小学校への普及に尽力していたと父上に話す。




「まだ、師範学校とモデル校だけなのです。全国の小学校で算盤を教えたいけど、予算がなかなか貯まらなくて」




 国王は予算が貯まらないと言う表現に、怪訝な顔をする。




「父上、ユーリは自分の発明した風車の特許使用料を国庫に返納して、それで小学校に算盤を普及させようとしているのです。女性の職業訓練所も、ミシンの売り上げの一部を使うつもりなのだと思います」




 マゼラン卿やラッセル卿から、ユーリが風車やミシンを発明したと報告を受けていたが、それを国庫に返納したり、儲けで施設を作ろうとしたり、欲が無いのに呆れてしまう。




「そのように特許使用料を返納して良いのかな?」




 ユーリは少し考えた。




「お金は必要ですけど、食べていければ充分ですわ。


フォン・フォレストの領地だけで大食いのイリスも養えるし、後は誰かに譲りたいぐらいです。フォン・アリストの出兵準備も手伝わないといけないので、困ってますの」




 帰国したらフォン・アリストの領地についてリッチナー卿から説明を受けたり、出兵の準備を手伝わないといけないのだわと溜め息をつく。国王とエドアルドは、武門のフォン・アリスト家の跡取りでもあるユーリが、出兵準備に頭を悩ましているのに同情した。




 国王はエリザベート王妃のご機嫌を損ねない程度に、ユーリを側から離さないとエドアルドが口説く隙もないと考えて、グレンジャー講師との面会を許してはと口を挟む。




「貴方がそう仰るなら、仕方有りませんわね。明日はお茶の時間までは、パロマ大学にいっても良いわ」




 ユーリとエドアルドのどちらがより喜んでいるのかわからないほどで、二人は思わず手を取った。国王と王妃は、仲の良さそうな二人の様子を微笑ましく眺める。








 次の日、ユーリはグレンジャー講師と再会を果たした。アンはユーリの手紙で、パーラーの経営者や、風車や算盤、そしてミシンの開発と、忙しい一年を過ごしていたのを知っていた。




「よく頑張りましたね。算盤の小学校への普及が進むと良いですわね」




 ユーリはグレンジャー講師に褒められて嬉しかったが、実際は予算が獲得は出来てないのと悄げた。




「国務省の財務室で見習い実習して、予算の獲得の難しさが身にしみましたわ。算盤の小学校への普及は、風車の特許使用料を国庫に返納して、やっと師範学校とモデル校での実施が始まったばかりなのです」




 若い女の子が、一年でこれだけすれば充分だとアンは考える。ユーリは相談したかった算盤や経理について、女の子達が興味を持ってくれない件を相談した。




「ミシンは習うのに抵抗ないし、ドレスが1日でできるのは嬉しいのでしょう。算盤や経理は、結果が目に見えにくいのかもしれませんね。経理を習っても、女の子達を帳簿つけに雇う経営者がいないと始まりませんしね」




 ユーリはドレスのように形で見えたら良いのにと溜め息をつく。




「あっ、資格を取る方法にすれば良いのよ。算盤も習熟度で級を認定したら、小学生もやる気がでるわ。経理も簿記の資格認定テストをしたら良いのよ。男の人も同じ資格認定テストを受ければもっと良いんだけど」




 アンとあれこれ相談するうちに、ユーリはユングフラウに帰ったら、考えを形にしようと張り切る。




「グレンジャー講師と話せて良かったですわ。頭のモヤモヤが整理できました」


 


 実はユーリはもう一つの大事な相談があったが、言い出し難く感じていた。




「何か悩んでいるみたいですね。私で良かったら話してみませんか」




 アンは短い滞在なのに時間を割いて自分に会いに来たのは、女性の職業訓練の件だけではないだろうと察していた。




「私は恋愛がよくわからないのです」




 先ほどまでの溌剌とした口調とがらりと変わって、自信の無さそうな悩んでいる様子に、アンは二国の皇太子から求婚されて困っているのだろうと同情する。




「皇太子妃にはなりたくないと、友達になった令嬢達に相談したら、他の結婚相手を見つければ解決するわよとアドバイスを貰ったのです」




 恥ずかしそうに打ち明けるユーリの様子を見て、アンは少し安心した。恋の都のユングフラウの令嬢達の恋愛ゲームをユーリが見習うとは考えられなかったが、若い女の子は時々馬鹿な行動に出るからだ。




「恋愛ゲームでも勧められましたか」




「え~、何故おわかりになりましたの?」




 真っ赤になったユーリにクスクス笑いながら、どうやら不調だったみたいですねとからかう。




「恋愛ゲームは無理でしたわ。皇太子妃になりたくないからと、他の人とキスするだなんて無茶苦茶ですもの。ただ、このままでは……」


 


 俯いたユーリが困りきっているのは、ゆっくりと話したいだろうと席を外しているエドアルド皇太子の件か、幼なじみのグレゴリウス皇太子の方が気になっているのかとアンが考えていると、邪魔が入った。




「ユーリ嬢、パロマ大学にお越しなら、私も訪ねて下されば良いのに」




 にこやかに話しかけてきたライシャワー教授に、アンは困惑する。名誉教授を追い払う訳にもいかないが、お悩み相談の真っ最中なのにと腹を立てた。




「ライシャワー教授、こちらにいらしたのね。あの殺人的なサンドイッチは何なの!」




 ビクトリアがライシャワー教授にサンドイッチの文句をつけている隙に、アンは短くアドバイスする。




「悩んでいるうちは、決断しないでね。本当に恋に落ちたら、悩んだりしないわ」




 ユーリは自分が恋に落ちることがあるのかなと溜め息をつく。




「あら、恋のお悩み相談なの? とても乙女チックな話ねぇ、相談に乗るわよ」




 変人のビクトリアに悩み相談は遠慮したいと腰の引けているユーリだったが、サッサと椅子に座るとライシャワー教授を追っ払ってくれた。




「これからガールズトークですから、殿方は遠慮して下さいな」




 ライシャワー教授は変人のビクトリアから、ガールズトークと聞かされて、頭がクラクラしたが追っ払われてしまった。




「ユーリは皇太子殿下が好きなの? あら、好きだけど皇太子妃にはなりたくないのね! じゃあ、ならなきゃ良いのよ。愛人とか他の手もあるわ」




 どひゃ~と叫びたくなったユーリだが、変人のビクトリアが良く自分の気持ちを見抜いているのに驚いた。




「だてに、読書してないわよ。乙女の悩みなんて、そんなところでしょ。カザリア王国の今の国王陛下は身持ちが堅いけど、先代も先先代もお盛んで愛人はたくさんいたわよ。好きだけど皇太子妃は御免なら、愛人なら気楽で良いんじゃない」




 ユーリから知り合いのご夫妻なんですと簡単な紹介を受けたアンは、変人だけど馬鹿じゃないわねと意気投合する。




「ただ問題は、正式に結婚を申し込まれている点ね。


やはり皇太子妃になりたくないなら、他の結婚相手を探す方が簡単かもね」




 それが見つからないから苦労しているのと、ユーリは愚痴る。




「ビクトリア様は、ビクター様とどうして結婚しようと思ったのですか?」




 変人のビクトリアだが、もじゃもじゃの髪の毛を掻き上げると、意外に美人なのにと不思議に思った。




「あら、若気の過ちで恋に落ちたのよ。それに読書三昧できるし、満足しているわ」




 ひぇ~あの変人のビクターと恋に落ちたのかと驚いていたら、衝撃発言がユーリを打ちのめす。




「私は面食いなのよ。ビクターは髭と髪の毛をキチンとすればハンサムなの。もし子供を産むなら可愛い子が欲しかったから、ビクターに恋したのかもね」




 熊にしか見えないビクターがハンサムに見えたのなら、恋は盲目と言うのは本当だわとユーリは失礼な感想を持った。




「そういう考え方も有るわね。私もそろそろ子供を持つ限界だから、顔も考慮しなくちゃね」




 進んだ考えのアンと、変人のビクトリアに相談したのが間違いかもと、頭がぐるぐるになったユーリだ。エドアルドはどうやら凄まじいガールズトークになっている様子に、ユーリが悪影響を受けなければ良いがと心配する。








 意気投合している二人のあからさまな会話に付いて行けなくなったユーリは、エドアルドと少し散歩に出かけた。今日もエリザベート王妃と一日中過ごすとイルバニア王国側は考えていたので、エドアルドと二人きりになれたユーリは自分の気持ちを確かめたいと思っていたのだ。




 嫌いではない、好きなのだけど、どういう好きなのかわからなかったのだ。




 先ほどのガールズトークとしては年齢層が上で、付いていけない話を思い出して、ユーリはエドアルドの整った顔立ちや、魅力的な青い目を意識してしまう自分をもて余す。




 考えながら歩いていたユーリは、広大なパロマ大学の奥の庭園部分にエドアルドに案内されていた。夏の庭園にはバラや他の植物も綺麗に繁っていて、小さな池には睡蓮が花を開かせている。




 池に掛かる橋の上で、吹き抜ける風と睡蓮や、緑の木々の風景を楽しんでいたユーリとエドアルドは自然と寄り添って良いムードになる。




「こうして二人きりになれたのは、冬以来ですね。少しは私のことを思い出して下さいましたか」




 口説きモードのエドアルドにユーリはちょっと困ったが、ハンサムな男性に言い寄られて悪い気持ちにはならない。




「ええ、お手紙もたくさん頂きましたもの」




 エドアルドはユーリが前とは違い口説いても、嫌がっていないのに気づいて喜ぶ。




 抱き寄せてキスしていると、またもやイリスに邪魔をされた。




『ユーリ! ローラン王国がイルバニア王国とカザリア王国に侵攻した!』




 エドアルドも真っ青になって、イリスに乗せて貰って王宮に帰る。王宮は蜂の巣をつついたような、大騒ぎだった。




「ユーリ、どこに行っていたんだ! イルバニア王国とカザリア王国の両国に侵攻するなんて、気でも狂ったのか」




 ユージーン達はイルバニア王国の北の砦に攻撃がかけられたと国からの知らせを聞き、緊急に帰国する事をヘンリー国王に報告に来たのだった。




 そこでカザリア王国の東北地域にもローラン王国が侵攻したのを聞き、慌てて会議を開き、お互いに防衛戦を闘おうと言い合うと、帰国する事になったのに、ユーリがエリザベート王妃の所に居ないのでイリスを迎えにやったのだった。




 エドアルドとパロマ大学でグレンジャー講師と話していたと聞いて、グレゴリウスは嫉妬したが、それどころではないとジークフリートに諫められる。








 ユーリはエドアルドも東北地域に行くのだと聞き心配したが、涙の別れも慌ただしく自国の防衛戦に気持ちを入れ替えて帰国の途についた。




 大使に頼まれてビクターとビクトリアをフォン・フォレストに落とすと、少し休憩の間にお祖母様のルールを説明して、ユングフラウへと急いだ。




 ユーリはローラン王国の大使館勤務のシャルルや、東北地域に出兵するエドアルドの事を考えると心配で涙が止まらなかった。  

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