3話 ビクターとビクトリア
ユーリはビクターに結界の張り方を教えたが、なかなか上手く出来ない。
「だ~ぁ、教えるのが、下手過ぎるんだ」
髪も髭も延び放題のビクターが吼えると、ユーリは熊みたいだと首をすくめる。グレゴリウスとフランツはお目付役としてビクターの屋敷? に付き添っていたが、前途多難そうだとクシャミをする。
元はフォン・リヒテンシュタイン伯爵家の次男に相応しい良い屋敷だったのだろうが、庭はバラや野草がのび放題だし、家の中は本で埋もれていた。
「結界を張る練習は公にしない方が良いから。家でしようぜ」
教えてもらう立場なのに偉そうな態度のビクターだったが、ヘルメスは家かぁと呟くと遠慮しておくと辞退した。理由は来てみて直ぐにわかった。本に溢れた屋敷の中は埃が舞い散っていたのだ。変人ではあるが医師として不潔は大嫌いなヘルメスは、埃だらけのビクターの家に行くのは真っ平御免だった。
奥方がいるとはいえ、見知らぬ男の家にユーリが一人で行くのは憚りがあると、結界について知っているグレゴリウスとフランツが付き添って来たが、ハウスダストにクシャミが連発だ。
「だ~ぁ、お前等のクシャミで精神が統一できないんだ」
吼えるビクターに、ユーリもこらえていたクシャミをすると言い返す。
「こんな不潔な場所では、精神統一どころじゃ無いわ。場所を変えましょう」
前はサロンだったらしい本と埃だらけの部屋には座る場所もない。
「この屋敷には綺麗な部屋は無いのか」
いつもは温厚なグレゴリウスも、クシャミがとまらずにキレ気味だ。
「清潔な部屋ならあるぞ。台所と食堂と風呂場と女中部屋だ。そこには本を持ち込んではいけないと、シンプソン夫人に言われているからな~」
結婚した時に家政婦のシンプソン夫人がリヒテンシュタイン伯爵家から付いてきたのだが、ビクターと奥方のビクトリアの本好きに呆れて最低限のルールを突きつけたのだ。
召使いからの強い要求にビクターは驚いたが、長年勤めているシンプソン夫人を辞めさせるのも忍びなく、台所、食堂、風呂場、女中部屋には本を持ち込まない協定と本を動かさない約束が成立したのだ。
庭が草ぼうぼうなのはビクトリアの自然派趣味だったが、シンプソン夫人がご主人夫婦の変人ぶりに付いていけずサボタージュしているのもある。
「始めから、ここで練習すれば良かったのに」
案内された食堂は、綺麗に保たれている。
「ここには食事の時しか入室できない規則なんだ」
屋敷の主なのにそわそわと落ち着かないビクターに、ユーリ達が不審な目を向けていると、女中部屋からシンプソン夫人が食堂へと怒りながら入ってきた。
「今は食事の時間じゃないですわよね。旦那様、部屋を片付けさせて下さるまでは、食堂には決められた時間以外は出入り禁止です」
白髪をボンネットにキチンとしまい込んだ小柄なシンプソン夫人は、客人の前でもビクターを怒鳴りつける。
「シンプソン夫人、こちらはグレゴリウス皇太子殿下だぞ」
今までグレゴリウスにクシャミをするから精神統一ができないと怒鳴ったりと、全く敬意を表さなかったのに、怒れるシンプソン夫人の盾に持ち出す。
シンプソン夫人はハッとグレゴリウスの方にお辞儀をして、屋敷の有り様の恥ずかしさに真っ赤になる。
「それと、これとは別です。本を整理整頓して、屋敷を人を通せるように管理させて下さらないのはビクター様なのですから、恥をかかれても仕方ありませんわね。さぁ、出ていって下さい」
食堂で大騒ぎしていると、本を片手に奥方のビクトリアが出てきた。
「ビクター、うるさいわよ。本も落ち着いて読めないじゃない。食事の時以外は、食堂に入っちゃ駄目よ」
ビクトリアも髪の毛はのばし放題で、既婚夫人らしく結ってもないし、もじゃもじゃで後ろでいい加減に結んである。服も本を読みながら、寝たのだろうと思われる。
ユーリはヘルメスが変人の奥方と呼んでいたビクトリアの有り様に驚いたが、似合いの夫婦だと笑いがこみ上げる。
「ビクトリア様、突然お訪ねして申し訳ありません。私はユーリと申します」
ビクトリアは客人が来ていたのかと、珍しいわねと驚いたが悠然として屋敷の汚さも恥ずかしがらない。
「この屋敷では健康を害されるのでは無いでしょうか」
ユーリは見かねて口を出した。ビクトリアは改めてサロンの有り様を眺めると、溜め息をつく。
「確かに不潔だわ。本を勝手に動かされるのが嫌で、触らせなかったけど、本にも埃が付きすぎて、指先も汚くなって、ページをめくると汚れるわね。シンプソン夫人、適当に片付けて良いわよ」
「なら何故もっと早く、そう言って下さらなかったのですか!」
怒るシンプソン夫人にユーリは同情したが、ビクトリア夫人はしゃあしゃあと言い切る。
「だって、掃除されてるとうるさくて読書できないのよ。でも、ソファーが寝にくくなったから、そろそろどうにかしないといけないと半年ぐらい前から考えていたの。丁度、ビクターが助っ人を連れて来ているなら、好都合じゃない。私は庭で本を読んでるから、適当に掃除してね」
ビクトリアの言うソファーの周りには、寝て読書するのに邪魔だと思った本が落とされたのが蓄積していた。
「ビクトリア、この人達は助っ人じゃないぞ。皇太子殿下だぞ」
ビクターの言葉を真に受けず、冗談だと思ったのかビクトリアはスルーして草ぼうぼうの庭に、前はティータイムを楽しめるように置いてあった椅子に腰掛けて本を読み始めた。
「これでは練習は無理ね。シンプソン夫人だけでは片づかないわ。フランツ、ビクター様、本を一部屋に片付けて。シンプソン夫人、何か髪を被える物を貸して下さい」
「えー、この屋敷を片付けるの? 無理だよ~」
フランツは苦情を言ったが、ユーリに無視される。
「ここが書斎だったのね、本の収納が少な過ぎるわ。可動式の書棚が必要ね」
ユーリはパーラーの改装を請け負ってくれた工務店に書棚を作って貰おうと考える。
「今は書斎に本を集めておきましょう。そうすれば掃除にとりかかれるわ」
結局、グレゴリウスが本の片付けを手伝っているので、フランツも、ビクターも家中の本を書斎に積み上げていく。ユーリとシンプソン夫人は、家中の窓を開け放すと、二階から掃除を始めた。
「ビクター様と、フランツ達は庭の草取りをしていて」
掃除中にウロウロされては邪魔だと庭に追い出された三人は、優雅に読書中のビクトリアを尻目に草むしりをやらされる。
「お疲れ様、お茶にしましょう。手を洗って来てね」
数時間後、ユーリに呼びに来られて屋敷の中に入ったビクターは驚きの声をあげた。
「へぇ~きれいになるもんだなぁ」
シンプソン夫人はまだカーテンを洗ったり、床にワックスをかけたりしたかったが、埃を掃いて拭き掃除できたので一応満足する。
ちゃっかりとビクトリアはお茶とケーキを食べると、本が無くなって寝心地の良くなったソファーで読書をしだす。グレゴリウスとフランツは呆れかえったが、ユーリは変人のビクターに相応しい奥方だと思った。
「サロンは、今から使うんだ」
元々は、結界の張り方の練習の為にサロンを片付けたのだと、ビクターはソファーで読書しているビクトリアに抗議したが、無視されて困った。
「庭でしましょう。天気も良いし、草もかなり減ったしね」
グレゴリウス達が草むしりしたが、庭はまだまだ荒れていた。ティータイムを楽しむ為の椅子に座って、やっと結界を張る練習を再開する。
だが、ユーリの説明が下手なのか、ビクターの魔力不足なのか、なかなか上手く出来ない。
「ビクター様は何か魔力で出来るものはありますか?」
ユーリの質問にビクターは考え込む。
「何となく金属の性質とかはわかるのだか、魔力なのか知識なのか判断し難いな」
「金属ねぇ……結界は無理でも、金属が得意なら念写ならできるかも。ちょっと待っててね」
ユーリはシンプソン夫人から、銀製のお盆を二つ借りてきた。
「頭の中の映像を、お盆に写し出してみるのよ」
ユーリは、ビクターとビクトリアの姿を少しこざっぱりさせて、お盆に念写した。 グレゴリウスとフランツは、念写を見るのは初めてで驚いてしまう。
「ユーリって、無芸大食じゃ無かったんだね~」
フランツの失礼な言葉にユーリはプンプン怒ったが、ビクターは銀のお盆に集中する。
「う~ん、難しいなぁ。でも、こちらの方がまだ出来そうな気がする」
精神統一しているビクターに、これで義理は果たせたわとユーリは安堵の溜め息をつく。
庭はバラや数々の野草が植えられていて、ビクトリアがキチンと手入れされた庭ではなく、自然体な庭にしたかったのだろうと推察できた。ただし、雑草の駆除と、ある程度の剪定も必要だとユーリは考えて、精神統一しているビクターの邪魔にならない程度に庭をいじりだす。
草をひいたり、庭の物置から枝きりバサミを取り出して、伸び過ぎの選定をする。
「やったぁ! 出来たぞ!」
ビクターの叫び声にユーリ達はお盆を覗いたが、ぼんやりと何かの影が念写されている。
「何なんですか?」
グレゴリウスは何だろうと、首を傾げる。
「犬じゃない?」
フランツの言葉にビクターは怒り出す。
「俺の愛馬のブライト号だ! 犬ではないぞ」
「馬には見えないなぁ」
グレゴリウスもユーリの庭掃除を手伝っていた手を止めて、眺めていたがまだまだ練習が必要だと笑う。
「念写にも絵心が必要なのね~」
ユーリは新発見だわと笑う。庭はざっとだけど片付いたし、書斎に書棚を増設すれば後はシンプソン夫人が片付けてくれるわと、ユーリは余所の屋敷ながらホッとする。
アスランに頼んだゴムの樹液も届き、やっとゴムのチューブが出来上がった。
「煮沸した水と塩と砂糖かぁ。身体が弱っている患者には有効かもな」
ヘルメスは点滴を試したくて、うずうずしてきた。
「ユーリ、疲れてないか?」
悪い予感がしてユーリは元気だと、言い切るとそそくさとロシュフォード卿のもとを辞す。
夏本番になると、やはりローラン王国は動いてきた。夏休みはフォン・アリストの領地でリッチナー卿と北の砦に向かう騎士と兵隊達の準備を手伝う予定になっている。
王族の方々も離宮には行かず、公務をしていたし、お祖父様は北の砦とユングフラウを往復していた。
ユーリはこんな情勢なのにパーラーを続けて良いものだろうかと悩んだが、王妃に諭される。
「確かに暗い情勢ですわ。でも、だからこそ気晴らしや、明るい気持ちになれる物も必要なのですよ。戦場からユングフラウに休暇で帰った兵士達も、アイスクリームを食べたり、デートしたりしたいでしょう」
イルバニア王国の国民性は明るくて呑気だ。だからといって自国の国土の侵略を許すつもりは更々無かったし、ローラン王国みたいな暗い全体主義に対する反発して、花の都のプライトにかけて華やかな装いの貴婦人や令嬢方はデートに明け暮れる。
騎竜訓練で偶然にユーリはシャルル大尉に会った。
「お久しぶりですね、お元気でしたか」
ずっと北の砦に詰めていたシャルル大尉は交代でユングフラウに帰って来ていたのだ。
ユーリは前に舞踏会でダンスしながら、パーラーに誘う約束をしていたのを思い出した。
「シャルル大尉はアイスクリームをもう食べられましたか?」
ユーリが約束を覚えてくれていたのを、シャルルは喜んだ。実はシャルルはローラン王国の大使館へと派遣されるので、身辺整理にユングフラウに休暇を貰って帰って来ていたのだ。
戦争相手国になるかもしれない大使館勤務は危険で命がけの任務なので、募集がかけられたのだが、シャルルは志願したのだ。竜騎士として、大使と大使館員を守る任務にシャルルは二度とユングフラウの土を踏むことは無いかもしれないと覚悟を決めていた。
シャルルもイルバニア王国の国民気質を持っていたので、覚悟を決めて暗くなるのではなく、愛しく思っているユーリとの楽しい時間を過ごした。
パーラーでアイスクリームを食べて、セントラルガーデンを散策しながら、シャルルは可愛らしい令嬢だったユーリが綺麗になっていく瞬間を楽しんだ。
「また、パーラーに誘って下さい」
シャルルはユーリをフォン・アリスト家に送り届けると、手にキスをして帰った。
ユーリはその夜にお祖父様から、シャルルがケイロンに旅立ったと聞かされて、何故、言ってくれなかったのかと泣きながら責めた。
「シャルル大尉はお前の泣き顔を見たく無かったのだろう。さぁ、泣くのはやめなさい。まだ、戦争になった訳ではないし、大使館への攻撃は国際的に禁止されているのだから」
「ローラン王国がそんなの気にするものですか!」
ユーリは泣きながら怒鳴ると部屋に駆け上がった。ひとしきり泣くと、こんなに女々しくては駄目だと、自分に出来ることをしようと考える。
「ミシンで軍服を縫うなんて、考えても無かったわ」
平和的な利用をしたかったとユーリは溜め息をついたが、フォン・アリスト家の領地でも軍服はバラバラで、早急に必要だと気がついた。
パーラーの寮にはあと数人分の空き部屋が有ったので、そこにミシンを置いて軍服の縫製に取りかかった。
女中のミナはミシンに慣れていたし、キャシーに型紙をM、L、XLと作って貰って、ボランティアのご婦人達に手伝って貰う。
手縫いより早く丈夫に縫えるので、軍服は毎日何十枚もしあがった。ユーリはボタンを付けたり、ミシンの糸を切ったりと仕上げを暇をみては手伝いに行く。勿論、寮母のダールトン夫人は率先してボランティアに参加していた。
「このまま夏が過ぎれば良いのに」
緊張は高まっていたし、小競り合いも何度となく繰り返されていたが戦争はまだ開戦されていない。ボランティアとパーラーの経営をしながら、夏休みを過ごしたいとユーリは考えていた。
だが、ユーリにはエリザベート王妃との約束があった。
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