2話 愛すべき変人達

 心配していたほどのローラン王国の動きはなく、イルバニア王国側は却って不審に感じるほどであったが、無事に夏を迎えた。だが、いつ仕掛けてくるのか警戒態勢は続いていたので、ユーリは自分の武術では戦争の役に立たないと思って、治療を学ぼうとマリー・ルイーズ妃に兄上のロシュフォード卿への紹介を頼む。




「ユーリが砦で治療するのは、どうかと思いますよ。


戦場では酷い景色を目にするかもしれませんからね」




 マリー・ルイーズは魔力の強いユーリなら、治療の技も習得するだろうと思ったが、戦場での怪我人の治療を許可する気にならなかったので兄への紹介を渋る。兄のヘルメスは竜騎士なのに医師になった変わり者で、医療の技術促進と、魔力を使った医療の技の両立に力を注いでいる。




 夫のフィリップの介護にも全力を注いでくれたのは感謝しきれないほどだったが、若いグレゴリウスの後ろ盾には全く期待のできない兄上には少し困っている。特に学友でもあったフィリップを亡くしてからは、自身の力不足だと自責の念からマッド医師っぽくなってしまい、結婚も破綻させてしまう始末で頭を悩ませていた。




 こんなマッド医師の生活破綻者の兄と、恋愛音痴のユーリがくっついたら、グレゴリウスの恋は望み薄だわとマリー・ルイーズは考え込む。しかし、国の役に立ちたいというユーリの情熱に負けて紹介してしまう。




 マリー・ルイーズにユーリを紹介されたヘルメスは、挨拶もそこそこに治療の技を教え始める。




「治療の技を使える人材は、常に不足しているのだ。剣など振り回さずに、魔力のある竜騎士達は、治療の技を習得すべきだ」 


 


 ユーリはロシュフォード卿の変な持論には呆れたが、治療の技の習得には協力的で感謝する。ヘルメスはユーリが魔力の使い方に慣れているのに驚き、喜んで治療の技を教える。




「治療の技が使える人材は、本当に貴重なのだよ。この技で危篤状態の怪我人の時間稼ぎができるからね。


内臓の損傷は手遅れだが、出血多量の場合は表面の傷を塞いで、輸血する時間を稼げたら助けられる人数も増える」




 ヘルメスはユーリが前世で見た注射器に似た道具を開発していて、出血多量の怪我人に輸血する方法を考えていた。




「注射器で輸血ってできるのかしら? 点滴のイメージなのだけど……ブドウ糖とかなら注射器もありだけど、怪我人に一気に輸血するのはどうなのだろう」




 医療は素人だったし、前世の記録も朧気になってきていたが、点滴で栄養補給や、輸血した方が良いのではとユーリは考える。




「ガラス瓶と注射器があるぐらいだから針は有るのよね。ゴムでチューブができたら点滴ができるのになぁ」




 マウリッツ公爵家に置かせて貰っているゴムの木は、暖かいサロンで冬中にかなり成長している。勿論、ユーリの緑の魔力のせいだ。




 ユーリはロシュフォード卿に点滴の仕組みを絵に書いて説明し、ゴムでチューブを開発することができる技術者に心あたりはないかと聞く。




「確かに一気に輸血するより、負担は少ないだろう。ゴムのチューブかぁ、針は金属加工職人に無理を言って開発させたが……そうだ! 良い錬金術師がいる。


ユングフラウ大学で知り合ったのだが、天才的な閃きをもつ男だ。ただ、凄い変人で協力してくれるかが問題だなぁ……」




 かなり変人のヘルメスに凄い変人と言われるマッド錬金術師かとユーリは尻込みしたが、ゴムのチューブが必要だ。




「フォン・フォレストという名前が餌だな。彼は古代の魔法王国に興味を持っているから、話は聞いてくれるかもな。何か奴の興味を引けそうな物はないか? お金には執着しないが、魔法の情報には餓えているから、それで釣れば引っ掛かるのだが……」




 会う前から腰が引けるユーリだったが、マッド医師のヘルメスに引き立てられてユングフラウ大学に向かう。パロマ大学ほどの規模ではないが、ユングフラウ大学もイルバニア王国の最高学府として広大な敷地を持っている。




 ユーリはロシュフォード卿にエスコートと言うより、手を引っ張られて大学の奥の奥へと進んでいく。




「こんな所に校舎があるのですか」




 焼け焦げたレンガや、煤にまみれた実験室がある他の校舎から離れた場所にある建物に不審そうな目を向けたが、構わずにどんどんと押し入って突き当たりの実験室に着く。




「やぁ、ビクター、実験の調子はどうかな?」




 部屋には大きな実験台の上に所狭しと器具が並べられている。侵入者に不機嫌そうな顔をあげたビクターは、髪も髭も伸び放題で、返事というより唸った。




 どうやら、その唸り声は「邪魔をするな!」と言っているみたいだ。ユーリはカザリア王国の変人のアレックスがビクターに較べると常識人に思える。




「相変わらずだなぁ。こちらがビクター・フォン・リヒテンシュタイン。ビクター、君が興味を持ちそうな令嬢をお連れしたぞ。こちらはユーリ・フォン・フォレスト嬢だ」




 不機嫌そうなビクターに頓着せず、紹介するヘルメスもそうとうな変わり者だとユーリは感じる。




「フォン・フォレスト!」




 邪魔だと唸った後はヘルメスを無視して実験を続けていたビクターは、顔をあげてユーリに近づく。




 一瞬、凄い悪臭がするのではとユーリは息を止めかけたが、髪も髭も伸び放題なのに風呂には入っているみたいで安心する。服もヨレヨレではあるが元は上等な品物だった痕跡も残っていたし、洗濯もしてあるようだ。




「ユーリ、ビクターには変人の妻がいるから、風呂と洗濯ぐらいは世話をやいてもらっているみたいだ。蚤や虱を移される心配はしなくていいよ。その髪と髭は、どうにかならないのか」




 ヘルメスは医師らしく、清潔には敏感だ。




「結婚の破綻したお前にどうこう言われたくないな。


それより、実験の邪魔をしにフォン・フォレストの生き残りを連れてきた訳じゃないだろう。何か魂胆があるなら、さっさと話せ」




 礼儀のなってない口の聞き方にユーリは驚いたが、ヘルメスはなれているのかスルーする。




「すこし作って貰いたい物があるんだ。点滴の容器なのだが、このチューブの部分で協力して欲しい」




 ユーリの書いた点滴の図と、ゴムの木から採集した樹液をビクターに渡す。ビクターはゴムの樹液を指でつついたりしていたが、さほど興味は引かなかったみたいだ。




「こんなのは精製してチューブに加工するだけじゃないか、つまらん!」




 そのやり方がわからないから聞きに来たのだと、ヘルメスは怒鳴りつける。




「職人の親方にやり方を教えて頂けますか。これが出来たら、沢山の命を救えるかもしれないのです」




 下手にでたら拙いとビクターは止めようする。




「ほぉ、俺の助けが欲しいのか」




 まるで悪代官のような台詞だとビクターとユーリが呆れていたら、隣室の実験室から「ヤバい!」と悲鳴があがる。




「あの馬鹿たれどもが!」




 ビクターは熊のような容貌なのに素早く隣室へと駆けつける。




「何、やらかしたんだ!」




 ユーリ達も後ろから覗きこんでいると、実験台の上ではコポコポとフラスコから泡が吹き出している。 しどろもどろに焦って学生達が口々に成分を間違えたと言い訳しているうちに、フラスコから嫌な臭いと煙が出てきた。


 


「逃げろ! 爆発するぞ!」




 ヤバいと逃げ出そうとしたビクターと学生達は、間に合わないと床に伏せる。しかし、爆発音も、飛び散るガラスや液も伏せた身体の上に飛んで来ない。




 とっさに、ユーリがフラスコの周りに結界を張ったのだ。結界の中でフラスコは爆発して溶液とガラスは飛び散ったが、学生達にもビクターにも怪我はない。結界を解くと、ビシャンと円形にガラスの破片と溶液は実験台の上に落ちた。




 不思議がる学生達に後始末と始末書を書けと怒鳴りつけると、ユーリの手を引っ張って自分の部屋に帰ると、ドアに椅子を咬ませて開かないようにする。




「貴女は結界が張れるんだな!」




 科学と魔力がゴッチャのこの世界のマッド錬金術師は、ユーリの魔力にすぐ気づいた。




 ヘルメスもユーリが治療の技を習得できたのは、フォン・フォレストの魔女の孫だからだろうと感じていたが、ビクターは興奮する。




「フォン・フォレストの魔女の孫かぁ。珍しい技を見せて貰ったな、他にも何かできるんだろ」




 髪の毛をかきあげると、キラキラと目を輝かしてユーリの両肩をガッシリ確保する。変人のヘルメスだが、甥のグレゴリウスの片思いの相手のユーリに何をするんだと、ビクターから解放してくれる。




「ゴムのチューブの作り方を教えてやるかわりに、結界の張り方を教えてくれ」




 ユーリはビクターに魔力があるのかと困った顔をする。




「ビクターは少しは魔力があるよ。結界が張れるかどうかはわからないが、教えてやれば良いさ。出来なくても文句いうなよ。それと先にチューブの作り方を親方に教えてくれ。こちらは緊急なんだからな」




 ビクターは餌に引っかかったので、ユーリはゴムの樹液を大量に手に入れる必要性に駆られた。




「フランツ、メーリングに行きたいの。アスラン様はもう帰国してるでしょうけど、ゴムの樹液がたくさんいるのよ」




 できればフランツに相談しないでヘルメスとシェリフ商館に行きたいと考えたユーリだったが、バザールの中をたどり着ける自信がなかった。




「え~、メーリングは鬼門だよ。またアスランが来てたら困るしさぁ」




 渋るフランツだったが、ロシュフォード卿と一緒なのと説得されて重い腰をあげる。それと、近頃ユーリとの仲が進展しないので腐り気味のグレゴリウスも誘えば、良い気晴らしになるなと考えたのだ。




「ユーリが伯父上に治療の技を習っているのは聞いていたけど、なんだか怪しい錬金術師と付き合うのはどうかな。兎も角、メーリングには一緒に行くよ!」








 港町のメーリングにはフランツの願いも虚しく、アスランが商館に滞在していた。




「またお会いできましたね」




 愛想良く出迎えてくれたアスランに、ユーリは早速ですがとゴムの樹液が大量に欲しいのですと、真っ正面から交渉する。




「こちらの商売のやり方は知りませんが、東南諸島ではまずはお互いに知りあって信頼関係を築いてからですよ」




 なし崩しに宴会に突入したユーリ達は、前とは違い酒を勧められたりして、断りにくくて困ってしまう。グレゴリウスや、フランツや、ヘルメスは酒に強く、アスランと飲み交わしていたが、ユーリはチビチビと飲むだけだ。




「ああ、もっと飲みましょう」




 やっと少し減った杯に、またいっぱいに酒をつがれて、チビチビ飲んでいるうちにユーリはすっかり酔っ払ってしまう。グレゴリウスとフランツも強いとはいえ、次々つがれるお酒に酔って、ユーリが酔っ払っているのに気づくのが遅れてしまう。




「アスラン様、前にお話を聞いた時に、東南諸島連合王国の女性の方が、こちらの女性よりも恵まれていると言われてましたが、本当にそう考えているのですか?」




 あちゃ~女性人権主義のユーリが、アスランに喧嘩を売ってると気づいた、グレゴリウスとフランツは止めようとする。




「ええ、そう考えてますよ。三国では女性は親の財産で大きくなり、結婚してからは夫の稼ぎで生活して、夫が亡くなれば息子か、娘の婿に食べさせて貰うのでしょう。国の女性も子供のころは親に養われますが、結婚するときに持参金として財産を分けて貰えますし、離婚したら持参金にプラスして運用利益を貰えますからね」




 ユーリは確かに女性の財産に関しては良くできているシステムかもと酔った頭で考える。




「でも、親の決めた相手と結婚するなんて、本当は嫌な女の人だっているはずだわ。それに結婚しなくても財産を分けて貰って、自分で商売できる道がないのは困るでしょ。結局、男の人に都合が良い社会なのよ。結婚するのも、しないのも本人の意思で選べなきゃ駄目なのよ」




 酔っ払ったユーリが立ち上がってアスランに喧嘩をふっかけているのを、フランツは止めようとして肩を掴んで座らせようとした。


 


「ほら、ユーリ座れよ、商談に来たんだろ」




 ユーリはフランツの鳩尾にエルボーを喰らわせると、低いテーブル一杯に並べられた皿の上に投げ飛ばした。




「ユーリ! 酒乱なのか」




 ヘルメスは投げ飛ばされたフランツが怪我が無いのに安心したが、大暴れして酔いがまわったユーリはぐったりとグレゴリウスの胸により掛かる。




 アスランはこの大立ち回りに大爆笑して、やはりユーリをからかうと面白いと思う。だが、ユーリが酔っ払って意識を無くして、あの過保護なイリスが黙っているわけがない。




『ユーリ! 大丈夫か!』




 商館の上にバッサバッサと飛び降りたイリスの心配して騒ぐ声に、酔いが回ってきていた竜騎士達は全員が眉をひそめた。




『メリル、イリスを静かにさせろ。ユーリは酔っ払ってオネンネだ』




 メリルはイリスにアスランの言葉を伝えたが、心配なのか騒ぐのを止めない。フランツは服に付いた料理を召使いに拭いてもらいながら、メーリングは鬼門だとぼやいていたが、イリスはユーリを見るまで心配し続けるだろうと思った。




「皇太子殿下、ユーリを屋上まで運んでイリスを安心させて下さい」




 グレゴリウスもイリスの心配する叫び声に頭が痛くなっていたので、ユーリを抱き上げて屋上に運んだ。


 


『イリス、ユーリは酔っ払って寝ているだけだよ』




 イリスはユーリが無事だと知っておとなしくなった。その晩は、メーリングの商館で一夜を過ごす羽目になる。酔っ払った竜騎士を乗せるのを、竜達が拒否したからだ。


 


 フランツの服は召使いが洗ってくれたが、ユーリをソファに寝かせて、男達は明け方まで酒を飲み交わした。




「なんで皆寝ているの?」




 朝一に起きたユーリの声が頭に響いた男達は、顔をしかめる。 




「君が酔っ払ってフランツを投げ飛ばして、グウスカ寝たからだろ」




 アスランが笑いながら真実を告げると、ユーリはフランツに平謝りする。




「ごめんね、怪我なかった? なんで投げ飛ばしたりしたんだろう」




 フランツはお酒は飲まないようにと注意して済ませる。二日酔いでユーリの謝る声が頭に響いていたからだ。




「え~と、アスラン様、ゴムの樹液に関しての取引は無理ですよね……」




 だんだんと昨夜の失態を思い出して、ユーリは小さくなって尋ねる。




「いえ、商談は成立しましたよ。面白い余興も見せて頂きましたからね」




「やったぁ! 良かったわ~」




 喜ぶユーリに全員から、静かにしてくれとクレームがついた。メーリングでの一泊はお互いに秘密にしておこうと話し合う。




 だが、秘密はバレやすく、ユーリとフランツはユージーンから、グレゴリウスはジークフリートからお目玉を喰らった。ヘルメスは妹のマリー・ルイーズに、ユーリを変人達とつき合わせないようにと小言を言われた。




「いやぁ、ユーリ嬢が一番の変人じゃあないですか。


マリー・ルイーズ、彼女を本当にグレゴリウスの妃にする気ですか? グレゴリウスも貴女も苦労しますよ」




 メーリングでの大立ち回りを思い出して、ヘルメスは自分の事は棚に置いて、ユーリみたいな変な令嬢は見たことがないと呆れかえる。




 変人の兄に忠告されたマリー・ルイーズは、我が子の一途な思いが成就することを願いながらも、誰が皇太子妃の教育をするのかと考えると身震いした。

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