22話 パリスの子竜エリス

「モガーナ様、お世話になりました」




「また、いらして下さいね」




 冬休みの間、フォン・フォレストに滞在したフランツは、暖かいもてなしのお礼を述べる。ユーリはいつもは休暇が終わるギリギリまでフォン・フォレストに残るが、今回はフランツも一緒に過ごしたので、少し早めにユングフラウに帰ることにした。




「ユーリ、身体に気をつけてね」




 お祖母様はやはりエドアルドとグレゴリウスとの板挟みになる私を心配して、ユングフラウに滞在して下さっていたのだわとユーリは考える。冬休みの間、何度となく一緒にフォン・アリストの屋敷に行きましょうと誘ったが、元夫との同居は気詰まりだわと笑いながら断られてしまったのだ。




 モガーナは春になるとローラン王国が何かしでかして来ると怖れていたので、早くユーリが結婚相手を見つけてくれればと願う。しかし、どうも恋愛音痴の孫娘は一番選んで欲しくないエドアルド皇太子に気持ちを傾けかけたようで、どうにか帰国まで持ちこたえてくれていたのを安堵していた。




 後はユーリ次第だわと、モガーナはできれば優しいアンリ卿か、話の合いそうなシャルル大尉あたりを選んで欲しかったが、自分の経験から恋だけは本人の意志に任せるしかないと溜め息をつく。






 ユーリはフランツがお祖母様の許可を貰って読んでない本を箱に詰め込んでルースに乗せていたので、重たくないのかしらと心配していたが、竜にとっては負担にならなかったので、無事にユングフラウに到着した。




 マウリッツ公爵家で、ユーリ達はパリスが卵を産んだのを聞いて驚き喜んだ。ユージーンがフォン・フォレストに誘っても来なかったのは、そのせいなのねと得心したユーリとフランツだったが、竜の交尾飛行について詳しい話は聞けなかった。




「アトスはあっさりしてるのね」




 ユーリはパリスの卵の父親にあたるアトスが、普段通りなのが不思議に思えた。




「竜は子竜は卵を産んだ方だけが育てるみたいだな。


パリスは卵をずっと温めているのに、アトスは素知らぬ顔なんだもの。でも、そう言えばイリスもキリエの子竜と聞くけど、相手は無視されていたよね。多分、王家の竜舎には記録が有るだろうけど、相手は意味ないのかな」




 ユージーンが全くこの件に関しては話したくないという態度なので、ユーリとフランツは二人でアレコレ臆測する。勿論、二人で卵を抱いているパリスに会いに行きたかったが、神経質になっているかもとジークフリートに先ずはお伺いをたてる。




「ユーリとフランツなら、パリスは気にしませんよ。


卵を見たいのなら、どうぞお越し下さい」 




 手紙を持たせた召使いに、即返事を持たせて返してくれたので、ユーリとフランツはワクワクとしながらフォン・キャシディ家に向かう。




 普段は竜で移動するのに慣れているジークフリートが、パリスが卵を抱いているので不自由しているのではと心配していたが、フォン・キャシディ家で優雅に寛いでいた。




「パリスが卵を抱いているので、私にあれこれ指示がこないから、退屈していたのですよ」




 笑いながら、ジークフリートは竜舎へと案内する。竜舎にはパリスが、いつもより多い寝藁で巣を作って卵を抱いていた。




『ユーリ、フランツ、来てくれたんだね』




『パリス、おめでとう』




 ユーリとフランツは同時にパリスにお祝いの声をかけた。パリスはよっこらせと立ち上がると、身体の下の卵を見せてくれた。




 巨大な竜の卵にしては小さいが、今まで見たことがない大きな卵にユーリ達は驚く。


 


「人の頭より大きいね、青みがかっているんだね~」




 フランツもユーリも竜の卵を見るのは初めてだったので見とれてしまったが、パリスが温めようと上に座ったので少しの間しか見れない。




「竜舎は寒いですから、お茶でもどうぞ」




 いくら知り合いとはいえ、卵を抱いて神経質になっているパリスが、自分たちがいては気が休まらないだろうと察してサロンへと移る。




 お茶を飲みながらユーリが質問したくてウズウズしているのをジークフリートは感じ取っていたが、絶対に答えたくないと思ったので無視する。屋敷にくる前にフランツにも止められていたので、交尾飛行についての質問は控えたユーリだったが、卵に関しては良いだろうとジークフリートに質問する。 




「いつ頃、卵は孵るのですか?」




「パリスはもう直ぐ孵ると言っています。竜舎の親方も毎日訪ねてきては、あれこれパリスの面倒をみてくれてますよ。親方も、今日、明日には孵るのではと考えているみたいで、竜舎に泊まると言ってましたね。卵が見れて良かったですね」




 ユーリとフランツは卵が孵るのが見たいと、ジークフリートに頼んだ。




「いつ孵るかわかりませんよ。夜中になるかも知れないのですよ」




 ジークフリートは、フランツはともかく、令嬢が屋敷に滞在するのはと戸惑ったが、ユーリの情熱に負けてしまった。それに国王の呼び出しを聞いたのをスルーした負い目から、良いアイデアを思いついたので、ユーリにパリスの卵が孵るまで居ても良いと許可した。




 ユーリとフランツが一旦マウリッツ公爵家に帰った間に、ジークフリートはグレゴリウスにも卵が孵るのを見に来ないかと手紙を書いた。交尾飛行から帰った途端に召使いから、国王から呼び出しがあったと聞いたが、ジークフリートは行く気になれずスルーしてしまったのだ。後日、再度の呼び出しには応えたが、パリスが卵を産むので留守にできないと事情を説明して、王宮を辞したのだ。




 国王は竜騎士にとって騎竜が子竜を持つのは一生に一度あるかないかの慶事なので、ジークフリートが呼び出しに応じなかったのを快く許し祝福を与えた。それにイルバニア王国にとっても、久々の子竜の誕生をめでたく感じていたのだ。




 グレゴリウスは卵が産まれたと聞いて、一番にパリスのもとに駆けつけた。ジークフリートにいっぱい質問したかったが、微妙な問題なので我慢したが、何故パリスだけが卵を温めているのかと尋ねる。




「竜はそういうものみたいですね。卵も、子竜もパリスのもので、アトスは協力しただけという立場みたいです。竜舎の親方は、子竜もパリスの遺伝をほぼ受け継ぐと言ってましたよ。だから竜には卵を産んだ親としか、親子関係が成立しないみたいですね」




 グレゴリウスはユーリが聞いたら、呆れて怒るだろうなと笑う。








 ユーリはマリアンヌにパリスの卵が孵るまで、フォン・キャシディ家に滞在しても良いとの許可を貰うのに苦労した。未婚のジークフリート卿の屋敷に、令嬢が滞在しても良いものかとマリアンヌは戸惑ったが、ユージーンも子竜の誕生を見たいと思っていたので付き添うことで渋々許可を与えた。




 ユージーンも本心では一番に駆けつけて卵を見たいと思っていたが、交尾飛行の際の気まずさからフォン・キャシディ家に行けずにいたのだ。ユーリの付き添いにかこつけて、子竜の誕生に立ち会えるのを嬉しく思う。




『アトスは興味ないのか』




『子竜が産まれるのは嬉しいよ。でも、パリスの子竜だもの。私も、早く子竜が欲しいな』




 ユージーンも竜の親子関係はシングルマザー的だなど呆れたが、アトスのみでなく竜全体がそうなのだと竜舎の親方に聞いて納得する。アトスの子竜は見たいが、当分は交尾飛行は御免だとユージーンは考えた。






 フォン・キャシディ家に着くと、子竜の誕生間近なので、王宮の竜舎の親方にビリーとマックも駆けつけていた。竜舎の飼育係は、まだ一度も竜が孵るのを見た事のないビリーとマックに今回のチャンスを譲ってくれたのだ。




「ユーリ、子竜だよ! 親方は今夜孵るって言ってるよ。産まれたら、子竜の世話も手伝わせてくれるんだって」




「俺が世話するんだぞ」




 興奮しているビリーとマックに、親方の命令なのか竜舎の中に入るのは禁じられた。




「竜は卵の間は弱いから、パリスは神経質になっているんだ。卵から孵る時には呼ぶよ」




 さっきはパリスが卵を見せてくれたわと抗議しても、ビリーとマックは竜舎に入れてくれない。




「絶対に孵る時には呼んでね」




 竜舎の前で揉めるのは拙いだろうとユージーンに諭されて、ユーリ達は屋敷のサロンで待つことにした。




 サロンではジークフリートがグレゴリウスに質問攻めにあっていた。




「パリスとアトスが発情期になったのを、いつ気づいたの? 竜の発情期はいつおこるか予測がつくものなの」




 グレゴリウスは山ほど質問があったが、聞くのを気恥ずかしく感じて遠慮していたが、竜舎への立ち入りを禁止された不満から質問をする。交尾飛行は質問しても、アラミスが飛べばわかりますよと答えてもらえなかったので、発情期ぐらいなら答えてくれるかなと聞いてみたのだ。




 ジークフリートはユージーン達がサロンに来てくれて、やれやれ質問攻めから逃れられると安堵する。




「え~、ジークフリート卿も追い出されたの」




 ユーリは自分たちならいざ知らず、絆の竜騎士まで追い出したのかとプンプン怒ったが、ジークフリートは苦笑して誤解を解く。




「まだ孵りそうにないから、休憩を取りにサロンへ来たのですよ。親方は夜中になるだろうと言ってます。早めに夕食にしようかと思ってます。卵にヒビが入るのを見逃したくないので、夕食後はパリスに付き添います」




「卵にヒビかぁ~私も見たいな」




 グレゴリウスも全員が同じ思いだったが、神経質になっているパリスに負担をかけるのではと遠慮する。




「さっきまで、パリスは卵を見せてくれてたのに……」




 孵化が間近になって神経質になったのですよと、ジークフリートは謝る。




「竜は産まれてしまえば丈夫ですが、卵から孵る時が一番危険だと親方が話していました。卵の殻が固くなりすぎると、子竜が中から必死に孵角でつついても割れなくて……」




 ジークフリートは縁起でもない話を切り上げる。お祭り騒ぎだったのに、急に心配になって静まり返ったメンバーに大丈夫ですよと、ジークフリートは安心させる。


 


「少しパリスは神経質になってますが、ヒビが入ったら呼びますよ」




 早めの夕食は皆も気もそぞろだったので、ろくに喉を通らなかったが、一応食べたことにしてジークフリートはパリスの付き添いに行く。




 サロンに残されたユージーンは、この状態は拙いのではと困惑していた。ユーリが質問したくてウズウズしているのが目に見えていて、逃げ出したくなっていたが、強力な助っ人が現れた。




「そろそろパリスの子竜が孵ると聞いたので来てみたが、まだみたいだな」




「お祖父様も、子竜が孵るのを見に来たの?」




 自分達は見たことがないからわかるけど、お祖父様は何頭か孵るのを見た筈なのにとユーリは呆れる。




「イリスが産まれて以来だからな。レオナ、アラミス、イリスと立て続けに産まれてから、数十年ぶりだから見にきたのだ」 




「エ~ッ、イリスが一番年下なの!」




 我が儘大王のイリスが一番若いと聞いて、全員が驚いた。




「ハインリッヒのキリエの子竜だから、当たり前だろう。つい、竜達は子竜に甘いから、イリスは我が儘に育ってしまったな」




 ハインリッヒはローラン王国の内戦で深手を追って竜騎士を引退していたし、銀髪なのでマキシウスや国王陛下よりかなり年上に見えていたが、同世代なのだと改めて竜騎士の年齢は若く見えると呆れる。




「若いイリスとアラミスが騎竜なんですね」




 フランツがふと漏らした言葉に、マキシウスはズキンときた。




「古参の竜達には長年パートナーを組んでいる竜騎士がいるから、つい見習い竜騎士には若い竜をあてがう事が多いのだ。絆の竜騎士が少ないから、子竜の誕生も珍しくなってしまったな。空が竜達で溢れていたと、昔の文献で見ると胸が痛むよ」




 竜騎士隊長のマキシウスは、絆の竜騎士の減少に心を痛めていた。昔の竜騎士は現在の数倍いたし、竜達も減少傾向なのを心配していたのだ。




 ユーリが女の子なのに竜騎士としての素質に恵まれているのを、見逃せなかったのは、絆の竜騎士不足に悩む竜騎士隊長としての立場もあったのだ。その上、ユーリが産む子供が絆の竜騎士だとイリスが宣言したのを聞いてからは、何頭かの古参の竜達も騎竜になり、子竜を持たせてやれるかもと期待していた。




「竜は騎竜にならないと、子竜が持てないのが困りますね」




 ユージーンも竜の減少傾向には気づいていたので、マキシウスが心を悩ませているのに同情する。




「絆の竜騎士を増やす事は、できないのでしょうか」




 次代の為政者であるグレゴリウスの質問に、マキシウスは答えるのを憚る。現在の若手の絆の竜騎士が、沢山の子供を作ってくれるのが一番増やす手段になりそうだからだ。




 まして、ユーリに沢山の子供を産んで欲しいとはマキシウスは心の中で望んでいても、口には出せなかった。




「卵にヒビが入ったよ!」




 ビリーはサロンの入り口で一言叫ぶと、無礼にもそのまま竜舎へと走って行く。皇太子殿下への無礼など誰も気にしなかった。全員が子竜の誕生を見逃したくないと、ビリーの後を追いかけたからだ。




 パリスの足元にある青みがかった卵のてっぺんにはヒビが入っている。カッン、コッンと卵の中から必死に孵ろうと孵角で叩く音が竜舎の中に響く。


 


 全員が固唾をのんで見つめているなか、ヒビが縦に伸びてパカッと卵が真っ二つに割れると、中から濡れた子竜が転がり出た。




『キュ~ン、キュイ~ン』




 親竜を甘えた声で呼ぶ子竜にパリスは顔を寄せて、濡れている身体を舐めてやる。




『エリス! お前はエリスだよ』




 パリスの顔より小さいエリスはキョトンとして親竜を眺めていたが、お腹がすいたと訴えはじめる。親方に指示されて、肉をミンチ状態にしたのをマックは差し出す。




 バケツ一杯分を食べると満足して、エリスはパリスのお腹の下に潜り込むと寝てしまう。




 ユーリは可愛い子竜の様子を声も出せずに眺めていたが、親方にパリスも眠たいだろうと追い出されてしまう。




「すごく可愛いわね」




 竜馬鹿ばかりなので全員がうっとりと頷いたが、生まれたての子竜はみっともない姿でヨチヨチと翼を引きずって歩いているのだ。




「翼が開いたら、王宮の竜舎に移すことになるな」




 マキシウスの言葉に、パリスが可哀想だとユーリは怒ったが、竜は国の財産なんだと諭される。




「それに親子の絆は切れないよ。ラモスもレオナを今でも生まれたての子竜みたいに甘やかしているぞ。パリスはジークフリート卿の騎竜なのだから、子育ては親方に任せた方がいいんだ」




 納得しきったわけではないが、翼が開くまで二週間はかかると聞いて、ユーリは少し安心する。




 夕食を余り食べていなかったのと、エリスの空腹感に刺激されたメンバーは、フォン・キャシディ家の執事が気をきかして簡単な宴を用意してくれたのを喜ぶ。グレゴリウスは久しぶりにユーリと楽しい時間を共有できて、エリスの誕生とともに嬉しく思う。

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