第九章  思春期

1話 狩 り

「機嫌が、良いね」 




 ユーリがリューデンハイムの寮で予科生達の宿題をみていると、フランツが通りかかって声をかけた。




「ええ、算盤の普及が、一歩前進したのよ。ミシンも試作品が出来上がったし、嬉しくて。予科生にも、算盤を教えたいわ」




 勉強に厳しいフランツが側に立って見ているので、予科生達はそそくさと礼を言うと席を立つ。




「フランツ、恐がられてるじゃない。何かしたの?」




 肩をすくめて質問はスルーしたフランツだったが、邪魔な予科生達が居なくなったので、お茶をしようと夕食の残りのケーキとお茶を運んできた。




「疲れているみたいね? 武術訓練だったの? 外交官が希望なのに、フランツもエドアルド皇太子殿下達につき合わされて大変ね~」




 ユーリは、武術訓練が苦手だったので、フランツに同情する。しかし、フランツは武術訓練など、気にしてはなかった。




「それより、ユーリこそ遅くまで実習してるのに、予科生の宿題なんか見てやる必要ないよ。今週は、国王陛下の主催の狩りで、泊まりがけだから体力を消耗するよ。何人か令嬢方も招待されているけど、同じ部屋に泊まるのは避けるように王妃様にお願いしたら?」




 フランツは、何人かの令嬢とパーティーで話して、ユーリが嫉妬されているのに気づいていた。もちろん親戚のフランツにあからさまには言わないが、グレゴリウスとエドアルドから思いを寄せられているで仕方ない点もある。


   


 その上、ユーリを招待すると両国の皇太子達も付いて来られるので、貴族達は招待状を山のように送りつけてきた。だが元々、社交界を引退したいと思っているユーリがパーティーに顔を出すわけもなく、断られた家では文句を言っていたのだ。




「別に、他の令嬢と一緒でも構わないわ。女の子の友達が少ないから、欲しいし」




 全く自分の立場を理解していないユーリに、フランツは溜め息をつく。




「母上は狩りはお嫌いだから、付いては行かれないだろう。お祖母様に、後見人を頼めないの?」




 叔母様やお祖母様が、猟犬のうるさい鳴き声を我慢するとは、ユーリには考えられなかった。




「お祖母様も、狩りなどお嫌いだと思うわ。王妃様にお任せすると、言ってらしたもの。他の令嬢方も、母親が付き添わない方が多いと、聞いたわ。狩りに参加される知り合いの貴婦人に、後見人代理を任せるとかなのでしょう?」




 母親の目があれば、令嬢方も馬鹿な真似はしないだろうが、知り合いの貴婦人では押さえがきかないのではないかと、フランツは心配していたのだ。




「ユーリ、エミリー嬢には気をつけろよ。彼女は皇太子妃になりたいみたいだから、ライバルを蹴落とすつもりだぞ。何か親切そうに教えられても、鵜呑みにしないで、僕達に確認するんだよ。狩りでは本物の矢を使うから、道に迷ったりしたら本当に危険なんだからね! ニューパロマで、エドアルド皇太子と迷うどころで済まされなくなるよ」




 フランツに真剣に注意されて、わかったわとユーリは答える。


 






「ユーリ、気をつけるのですよ。グレゴリウス、ユーリの面倒をちゃんと見てね」




 秋晴れの朝、興奮気味の犬達の鳴き声に負けない大声で、王妃はユーリに注意を与えた。




「ユーリ嬢、私がエスコートしますよ」




 後見人の王妃には悪いけど、エドアルドは年下のグレゴリウスに任せるつもりなど微塵もなかった。




「やれやれ、無事に狩りが終わると良いのですけれど。グレゴリウスと、エドアルド皇太子殿下が参加されるので、若い狩りに慣れていない子息達や、令嬢方が何人も参加しているから心配だわ」




 賑やかな猟犬達を追いかけて狩りに参加する人達が出発すると、狩猟屋敷に入りながら王妃はマリー・テレーズ妃にこぼした。




「ユーリなら大丈夫ですわ。グレゴリウスが、ニューパロマでも先頭を走っていたと言ってましたから」




 王妃様はそうねと、笑った。




「あの娘は竜騎士なのね、武術が苦手だと聞いてるし、華奢だからつい心配してしまったけど、マキシウス卿の孫なのですもの。狩りの方は、心配しなくても大丈夫ね」




 そう言うと、令嬢方の寝室を割り当てた西館を、気がかりそうに眺めた。


 


「お母様ったら、私とお義姉様で、しっかり監視しますわ。絶対に、殿方と問題はおこさせませんわ」


 


 心配症の王妃を笑いながら、メルローズは安心させた。




「夜は夕食会の後も、広間に集めておきましょう。若い男女を個別に管理するのは、大変ですから」




 マリー・ルイーズ妃の言葉に、王妃はコロコロ笑った。




「可愛い子羊達を狼から護るには、集めた方が楽ですからね。そうね、ユーリの歌も聞きたいし、簡単な音楽会にしましょう。これくらいの楽しみが無ければ、2日間も狩りにつき合えないわ」




「お母様は、狩りに参加されないのに。明日は、少しナサニエル様につき合わないといけませんのよ。少しだけ参加して、帰るつもりですけど」




 王妃とマリー・ルイーズ妃は嫌そうな言い方だけど、メルローズがサザーランド公爵と遠乗りを楽しむつもりだと知っていたので、同情は全くしなかった。


 




 例年なら、国王が解禁日に行う狩りには、腕自慢の貴族達と、少数の貴婦人達が参加するのが恒例だった。今年は、グレゴリウス、エドアルドが参加するので、若い子息達や令嬢方の姿も見える。猟犬を追いかけて馬で獲物を追いかける狩りに、令嬢方は付いていけない様子だ。




「狩りには相応しくない令嬢方が、今年は多いな!」




 毎年、解禁日の狩りを楽しみにしている貴族達は、狩りが始まったばかりなのに足手まといになっている令嬢に苛立っていた。


 


「いや、ユーリ嬢は流石に見習い竜騎士だ! 見事な手綱さばきだ」




 足手まといな令嬢達と違って、先頭集団と共に馬を進めている貴婦人乗りのユーリに、狩りの常連貴族達から賞賛の声があがった。猟犬を追いかけて、森の中にも全力疾走で馬を走らせているユーリに、国王も驚く。




「ジークフリート卿、ユーリに付いていってくれ、私達は後から行く」




 両皇太子や、その学友達と、若い貴族達が先頭集団を作っていた。国王は熟練の貴族達と貴婦人達と、若い皇太子達に花を持たせようと、少し後ろからついて行く。




 令嬢方の何人かは早々にリタイアしたり、後ろから付いて行くだけの方もいた。




 ジークフリートはグレゴリウスに付き添って、ユーリと一緒に先頭集団にいた。




「あっちに、猟犬が鹿を追い込んだ!」




 エドアルドと、グレゴリウスは、我先に矢を放つ。




 ユーリは狩りに参加していたが、獲物を仕留めるのを少し躊躇っていた。パパが森で鹿を仕留めていたのは家族を養う為だったが、狩りを娯楽として楽しむのには、少し抵抗を感じていたのだ。




 森の木に遮られたりして何本かの矢が鹿をかすめるのを、ユーリは少し後ろから見ていた。




「なかなか素早い動きだな!」




 グレゴリウスは矢を放ったが、鹿は向きを変えて当たらなかった。




「狩りの獲物を仕留めた方が、ユーリ嬢をエスコートしよう」




 エドアルドの言葉に、グレゴリウスも同意した。一行は、森の奥に鹿を追いつめる。




「貰った」




 エドアルドの矢が鹿を仕留めるかのように見えたが、追い詰められた鹿はいきなり方向を変えて、ユーリの方に向かってきた。




 ユーリは反射的に弓を構えると、鹿に矢を放った。




「ユーリ嬢、お見事です」




 見事に鹿を仕留めたユーリに、参加していた人達から賛辞の声が掛かる。




 国王の狩猟係が、仕留めた鹿の血をユーリの額に付ける。




「ユーリ、これで一人前の狩人だな」




 国王の笑いながらの賞賛の言葉を受けて、皆から祝福されたが、額の生ぬるい血が気味悪く感じたユーリだった。




「ユーリ、見事だったね」




 グレゴリウスに声をかけられたが、額の血が気になって返事もできない。




「額の血が、気持ち悪いのでしょう? 狩猟屋敷で顔を洗えますよ」




 ジークフリートは、ユーリが額の血を気持ち悪く感じてるのに気づいた。




「今すぐ拭いては駄目なの?」




 もう少し昼食ですからと笑いながら答えられて、ユーリは困った顔をする。




「ユーリ嬢、見事に鹿を仕留めたのに浮かない顔ですね」


 


 エドアルドも祝辞を言いに馬を寄せたが、微妙な顔つきに笑ってしまう。




「額に血をつけるなんて、野蛮な気がするわ」




 文句を言ってるユーリに、狩りに初参加したメンバーには血の儀式がおこなわれるのですよと説明する。




「あちらは、大騒ぎになってますよ」




 後ろから付いて来ていた令嬢方の額にも血が付けられると、キャーキャーと悲鳴が上がった。




「当然だわ、気持ち悪いもの。早く顔を洗いたいわ」




 早馬で走り出したユーリの後を追いかけながら、グレゴリウスとエドアルドは、今夜の夕食会でエスコートする権利を懲りずに賭ける。




「早く狩猟屋敷に着いた方が、ユーリ嬢を夕食会にエスコートしましょう」




「負けませんよ」


 


 大騒ぎしている令嬢達を無視して、両皇太子はユーリを追いかけていった。




 フランツや、ハロルド達は、大騒ぎする令嬢方の様子を笑いながら見物していたが、急に競争しだした皇太子達をそれぞれが応援する。




「エドアルド様、頑張れ!」




「グレゴリウス皇太子殿下! もう少しだ」




 国王はジークフリートやユージーンと一緒にグレゴリウスを応援したが、一歩エドアルドに負けてしまった。残念に思った国王だったが、遠目にもユーリが二人に怒鳴っているのが見て取れて、笑ってしまう。




「ユーリには、二人とも太刀打ちできそうにないな。とんだじゃじゃ馬だ」




 ユーリは部屋に駆け込むと、洗面台で顔を洗った。額の血を洗い流しすと、ホッと一息つく。




 数人の令嬢方と同じ棟ではあったが、王妃はユーリに個室を用意して下さっていたし、侍女のメアリーも付き添ってくれていたので不便は感じない。




「昼食まで、少し休まれますか? ユーリ様が鹿を仕留めたと聞きましたよ」




 早朝にユングフラウをたって、朝からずっと狩りをしていたので心配したが、ユーリは疲れてはなかった。




「王妃様がサロンにおられたから、挨拶してくるわ。


近頃、挨拶しに行くのをサボっているから」




 予科生の時は毎朝挨拶しに行っていたが、見習い竜騎士になってからは忙しいでしょうから毎日で無くてもよいと言われたのをいいことに、サボりがちだった。




「王妃様、しばらく挨拶に伺えませんでした。申し訳ありません」




 王妃は、モガーナがユングフラウに滞在している間はいいですよ、と笑いながら許してくれた。




「ユーリのお祖母様は若いわ! よく義母上様とお茶をされてるけど、年上には見えませんもの」




 メルローズの言葉を少し窘めて、お祖母様に私ともお茶をして下さいと伝えてねと、王妃は言われた。




「昔の知り合いは、王宮に少なくなりましたもの。若いユーリには、理解できないでしょうね。同じ時に青春を過ごした人達が年取って、引退するのは寂しいものなのよ」




 ユーリは、お祖母様が王宮は苦手だと言ってるのを知っていたので、困ってしまう。 




「あら、ユーリ、そんな困った顔をしないのよ。伝えてくれるだけで、良いですよ。モガーナ様の御気性は、よく知ってますわ。若い頃よりは、丸くなられましたけどね」




 ユーリはホッとして、伝えておきますと返事をする。








 昼からは、グレゴリウスも、エドアルドも獲物を仕留めた。国王の狩猟係は、両皇太子が獲物を仕留めて安堵する。


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