49話 算盤勝負

「アンリ卿、この前一緒に付いていって貰った、デモンストレーション用の算盤が出来上がったの。アンリ卿の説明のお陰で、パチンと珠が止まるよ」




 国務省の食堂でランチしながら、ユーリは嬉しそうに報告する。




「良かったですね、それでは次の段階に進むのですか?」




 ユーリは、ちょっとシュミット卿の鼻をあかしてやろうと、見習い竜騎士にあるまじき計画をたてていた。




「ええ、ちょうど予算編成で忙しい時期だし、桁数の多い計算には算盤は有利なの。シュミット卿は暗算が滅茶苦茶早いけど、桁数の多いのなら勝てるかもしれないもの」




 ユーリが何をしようとしているのかアンリは察して、ちょっと心配する。




「算盤の便利さをシュミット卿に説明して、財務室での使用を認めさせるのではなかったのですか? 勝てるかもって、もしかして勝負でも挑むつもりなのですか」




 財務室で算盤を普及させて、その便利さを実感させ、国の小学校での導入に持ち込みたいという計画は聞いていたが、指導の竜騎士に算盤勝負を挑むとは思ってみなかった。


    


「論より証拠よ! 算盤の方が計算が早いと実感させなきゃ」


     


 ランチを手早く食べると、ユングフラウ大学の実習生達に話があるのと席を立ったユーリを、心配そうにアンリは眺める。




「アンリ、俺の忠告を無視して、まだユーリ嬢とランチしてるんだな」




 ユーリが実習生達と何か企んでいるのを心配そうに眺めていたアンリは、隣に座ったフレデリックに苦笑した。




「ああ、君のなけなしの親切はありがたいけどね。どうも危なっかしくて、目が離せないのさ」




 フレデリックはアンリの視線の先にいるユーリが、実習生達とこそこそ話しているの見て眉を顰めた。


 


「あれは、何か良からぬ事を考えている雰囲気だな。シュミット卿と激しい喧嘩をしたと聞いて驚いたが……マズいな。見習い竜騎士が、指導の竜騎士に逆らうのは御法度だろ?」


    


 止めた方が良いと言うフレデリックに、無駄だよとアンリは苦笑した。




「穏便に話し合うように勧めたが、どうやらギャフンと言わしたいみたいだ。まあ、どちらがギャフンと言わされるか、微妙だけどね。ユーリ嬢は、まだシュミット卿の事を知らないからな~」言わせたい




「良いのか? 冷血の金庫番に逆らったりしたら、ユーリ嬢は大変な目にあうぞ」




 アンリはユーリと毎日のようにランチして話しているうちに、欠点にも気づいていた。




「今のユーリ嬢を、止めても無駄だよ。シュミット卿も、彼女の扱い方がなってないな。強く叱ると、強く反発するんだ。優しく諭すと、素直に聞くんだけどな。心配だけど、やりたいようにさせるしかないのさ。失敗は、若いうちにしておいた方がいいしね」


 


 フレデリックは、アンリがユーリについて真剣に思っているのに気づいた。




「そこまで考えているなら、俺が口出す必要はないな。なんなら、実習生達を止めようかと思っていたんだがな」




 いつも少し斜に構えているフレデリックらしくない親切にアンリは感謝したが、友達同士の気楽さで冗談めかす。




「君がそんなに親切だなんて知らなかったな。まさかユーリに惚れたとかないよな?」




「馬鹿な、お前じゃないぞ!」




 赤くなって否定するフレデリックに、少し驚いたアンリだった。








「シュミット卿、少しお時間を頂けますか?」




 ユーリはシュミット卿の仕事が一段落したのを見計らって、算盤勝負を持ち出す予定だった。




 シュミット卿は、ユーリが手にしている算盤に気が付いた。かつての指導の竜騎士であるバランス卿に、算盤についてユーリと話してみなさいとアドバイスを貰ったが、忙しさに後回しにしていたのだ。




「少しなら、時間を取れるが」




 算盤について話を聞こうとしたシュミット卿だったが、ではと勝負を持ちかけられた。




「シュミット卿は計算がとても早くて正確ですけど、算盤には勝てないと思うのです。私達が勝ったら、算盤の便利さを認めて、財務室の備品にして下さい。そして、全国の小学校で算盤を教えて欲しいのです」


 


 なんでこんな跳ねっ返りの見習い竜騎士の指導者に選ばれたのかと、溜め息をつきたくなったシュミット卿だった。




「馬鹿馬鹿しい! なぜ、算盤勝負を受けなくてはいけないのだ。こちらには、何もメリットは無いではないか」




 ユーリはシュミット卿に断られるとは考えて無かったので、慌てた。




「え~、負けるのが嫌なのですか? 勝負を、避けるのですか」




 ぶ~ぶ~文句を言っても、眉を動かしただけで、用事が済んだなら仕事に戻れと命令される。




「ではメリットがあれば、勝負を受けてくれるのね」




 ユーリは部屋に帰ると、風車の特許許可証を持ってきた。女性の職業訓練所の設立と引き換えにしようと考えていたが、予算獲得の厳しさを知るにつれて、見習い竜騎士の立場では無理だとわかってきたのだ。




「これは私が特許を取った、風車の許可証です。水車の代わりに、風を利用する風車を考えついたのです。既に何台か稼働してますし、次々と建設中です。私が負けたら、この特許を国に差し出しますわ」




 シュミット卿は特許許可証を読んで、風車は水車の応用だと直ぐに理解したし、川沿いでない領地には便利だと認めた。




「この風車を、見学してみたい。ワイン作りにも応用できるだろうし、油を絞るのにも便利だろう。ユングフラウ近郊に風車は無いのか?」




 ユーリはシュミット卿が風車の便利さに気付いてくれたのは嬉しかったが、今は算盤勝負をしたいのだ。




「風車なら、ロックフォード侯爵領に有るのが近いですわ。でも、算盤勝負でシュミット卿が勝たないと、差し上げませんよ」




 シュミット卿は算盤勝負など馬鹿馬鹿しいと思っていたが、風車の特許許可証は手に入れたいと考えた。イルバニア王国の基幹産業は農業なので、農産物の加工に便利な風車は色々と活用できそうだと、国務省の官僚らしく計算したのだ。




「算盤勝負を、してもいい。条件はそちらが勝ったら、財務室で算盤を導入しよう」




「そんなのじゃ駄目よ、自信が無いのね。全国の小学校で、算盤を教えて貰いたいの」


       


 ユーリとシュミット卿の駆け引きは簡単に勝負が決まった。




「いきなり全国で算盤を教えるのは無理だろう。師範学校で算盤を教えるで、手を打て」




 ユーリは渋々手を打った。




 




 見習い竜騎士のユーリが冷血の金庫番に勝負を挑んでると、国務省に噂が飛び回った。アンリもフレデリックも噂を聞いて、小会議室に駆けつける。




 小会議室には、この忙しい時期なのに野次馬が集まっていた。ユーリが少し緊張しているのに、アンリは気づいた。




「マズいな、ユーリは観客の多さに緊張している。彼女は負けん気が強いのに、人見知りの気があるから」




 フレデリックも、いつも見かけているユーリより、顔色が白いような気がした。




「気が小さいのに、冷血の金庫番にケンカ売ったのか。アンリ、苦労するぞ」


    


 フレデリックは友達のアンリがユーリの欠点を含めて愛しているのに気付いて、止めても無駄だと肩をすくめる。




「では、シュミット卿と二人の官僚の方対、私と実習生二人で勝負です。6桁から10桁の数字の計算で、どちらの側が早く正確にするかで勝ち負けを決めます」




 実習生の一人が、上から下までびっしりと数字が並んだ紙を配った。ユーリと二人の実習生は算盤で計算する。




 シュミット卿と、二人の暗算が早いと自信がある官僚も、素早く計算していく。




 ユーリが算盤の数字を書き終えるより、シュミット卿が一瞬早く書き終えた。




「シュミット卿! ユーリ嬢!」


    


 その後は実習生が二人同時で、数十秒遅れで二人の官僚も終えた。




「シュミット卿……凄く早いのですね……」




 判定役の実習生が、全員が正解だと告げると勝負の判定が問題になった。それぞれが自分達の側の勝ちだと言い合って、収集がつかなくなりそうだった。


  


「私達の負けだわ。算盤が、暗算に負けるとは、思ってもみなかったの。でも、算盤が便利だと、理解して貰えたと思いますわ」




 自信を持って挑んだ算盤勝負なのに、シュミット卿に負けて悄げているユーリを、抱きしめてあげたい気持ちにアンリはなった。




「さぁ、算盤勝負はおしまいだ。皆、仕事に戻りなさい」




 いつの間にか噂を聞きつけてやってきた国務相に、ギャラリーは追い払われた。








 シュミット卿の部屋で、国務相と三人で簡単な応接セットに座ったユーリは、風車の特許許可証を差し出す。




「これは何なんだ? シュミット卿、説明しなさい」




 自分の右腕とも考えているシュミット卿が、15才の令嬢に振り回されているのを国務相は憂慮していた。




 見習い竜騎士が、指導の竜騎士に逆らうなど、あってはならないことだと溜め息をついていたが、シュミット卿からユーリが考案した風車を説明されるとキランと目を輝かす。




「ほほう、風車は既に何台か稼働しているのですな。


是非、見てみたいですな。ユーリ嬢、算盤勝負は置いといて、風車の見学に行きましょう」


   


 国務相の興味は、算盤より、農業立国のイルバニア王国に役立ちそうな風車に移っていた。特許許可証はユーリのものではあるが、15才の令嬢から取り上げるのを、フォン・アリスト家とマウリッツ公爵家が黙っていないだろうと考えたのだ。




「国務相、風車の特許はいりませんわ。もともと、領民が水車の使用でいざこざをおこすのを解消したかっただけですもの。農家や、農産物の加工に役立てれば、良いと思ってます」




「ユーリ嬢、そんな簡単な話ではありませんよ。見学してみないことには、ハッキリしたことは言えませんが、風車はこれから沢山建設されるでしょう。そしたら、特許使用料が貴女には入るのですよ」


   


 まだ子どもの年のユーリには理解できないだろうと、国務相は言い聞かせる。


   


「お金など、必要ありませんわ。他ので、儲けますもの。風車は、農業に役立つと思いますわ。出来れば、算盤を全国の小学校で教える為の資金にして頂きたいのです。シュミット卿は財務室での普及と、師範学校への導入までは約束して下さいましたが、風車の特許使用料で小学校に算盤を普及させて下さい」




 頭を下げるユーリに、国務相は考え込む。




「風車の特許使用料で、小学校での算盤の授業か、悪くは無いかもな。一度に全国とはいかないが、師範学校とモデル校なら低予算で実現できるだろう」




 ぱあっと喜色に頬を染めるユーリを見て、これでグレゴリウス皇太子を受け入れてくれたら、自分の悩みは解消できるのにと溜め息をつく国務相だった。








「アンリ卿、願いが一つ叶うかもしれないわ」


  


 悄げていたユーリ嬢を心配しながらも、国務相に追い散らされて仕事をしていたアンリは、突然抱きつかれて驚いた。


    


「ユーリ嬢、どうされたのですか?」


   


 このまま抱き締めたい気持ちだったが、興奮したユーリの取り留めのない説明を、聞き取るのが大変だった。


 


「国務相が風車の特許使用料と引き換えに、算盤の師範学校での普及と、モデル校での教育を約束したのですね。良いんですか、風車の特許使用料を国に差し出して?」




 心配するアンリに、嬉しそうに、ユーリはそんなの元々要らないわと簡単に答える。




「そうだ、アンリ卿に頼み事があって、来たのだったわ! 国務相とシュミット卿が、風車を見学したいと言われてるの。ユングフラウに一番近い風車は、ロックフォード侯爵領にあるでしょ? 見学させて貰っても良いか、許可を貰って来るように言われてたんだわ」




「見学なら、ご自由にして下さいと、お伝え下さい」




 アンリが答えるや否や、嵐のように走り去ったユーリに、部屋にいた官僚全員が呆気にとられる。




「お騒がせいたしました」




 一言謝って席についたアンリだったが、それで済まされるわけがない。全員からの質問責めにあい、余りのうるささに隣の部屋にいた上司が怒りに来るまで続いた。




「無意識な、小悪魔に誘惑されているな。あちらは、恋愛感情は無さそうだな」


 


 フレデリックは、ユーリがアンリに嬉しさのあまり抱きついたのは、まだお子様だからだと気づいた。




「ユーリ嬢は、恋愛音痴なんだ。 わかってはいるが、時々……」


   


 悩みの尽きないアンリに、フレデリックは「青春してるね~」とからかう。








 国務相とシュミット卿は、ユーリの後見人であるアリスト卿とマウリッツ公爵とに確認を取って、風車の特許使用料を国に献上する件をまとめた。


   


「ユーリ嬢は、他ので儲けると言われたが、心当たりは無いのか?」




 国務相は、財政的な事に興味の無さそうなアリスト卿はいざしらず、遣り手のマウリッツ公爵があっさりと手放したのを不審に感じていた。




「現在、ユーリが持っている特許許可証は、風車、アイスクリーム、クレープ、算盤、ミシン? ミシン、これかな? 布を縫う機械みたいですね」


  


 国務相は、どうしてユーリはアレコレ問題を引き起こすのだろうと溜め息をつく。




「ファッションは、農産物に次ぐ輸出品だぞ。布を縫う機械の性能を、調査しなさい。ああ、それからアンリ卿の件はもう良い。エドアルド皇太子と恋に落ちられるより、国内の貴族と恋に落ちた方がマシだからな」




 ガックリきている国務相に、シュミット卿は慰める言葉もなかった。




「まだ、グレゴリウス皇太子殿下にも、チャンスはあるさ。あと2カ月もすれば、エドアルド皇太子は帰国される。その後から、巻き返したら良いんだ」




 しぶとい! シュミット卿は一瞬同情したのが、馬鹿馬鹿しくなってしまった。

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