48話 カザリア王国大使館の舞踏会 後編
アンリとテラスに出たユーリは、10月の夜風が気持ち良くて、舞踏会での熱気から解放された気分になった。
「寒くないですか?」
ドレス姿のユーリを引き寄せて、アンリは風から守る。
「大丈夫ですわ、風が気持ち良いぐらいです」
そう言いつつも、ユーリはアンリの暖かさを気持ち良く感じる。アンリはテラスが思っていたより涼しいので、ユーリに上着を脱いで肩にかけた。
「宜しいのですか? アンリ卿は寒くないですか?」
ユーリはアンリの上着の暖かさと、微かなコロンの良い香りに、少し肌寒く感じていたのでホッとする。
「良い香り、何のコロンなのですか?」
「あっ、すみません。いつもはつけないのですが、舞踏会なので。お気にさわらなければ、良いのですが」
ユーリは微かな香りが爽やかで気に入った。
「いえ、とても爽やかな香りですわ」
自分の上着に埋もれているような、華奢なユーリが可愛らしくて、アンリはドキドキしてしまう。
「オールドスパイスですよ。男性用のコロンでは一般的なものですね。それより、ユーリ嬢は良い香りですけど、ジャスミンですか?」
引き寄せて側にいたアンリは、ユーリの首もとに顔を寄せる。上着から香るオールドスパイスとは違う、微かなジャスミンの香りにうっとりとしてしまう。
「今夜はコロンはつけてませんわ。お祖母様は私がコロンが苦手なのをご存知だから、今夜はつけなくても良かったの。あっ、ジャスミンなら石鹸の香りかもしれませんわ。私はコロンが少し苦手なのです。でも、マウリッツの叔母様は、バラのコロンを付けたがるの。少しにしてもらわないと、コロンに酔ってしまうからチョット困っているのよ」
「ああ、昨夜はバラの香りでしたね。とても上品で、若い令嬢に相応しいと思いましたよ。時々、付けすぎの方もいらっしゃいますからね」
二人で、周りに迷惑な程もコロンをつけている貴婦人を思い出して笑う。
「そうだわ、領地管理についてお聞きしようと思ったのだわ」
少し良いムードだったのに、無粋な話題を思い出されて、アンリはガッカリする。
「領地管理ですか? 何故そのような事をお聞きになるのですか」
アンリは舞踏会なのに何故と聞いたのに、勘違いしたユーリはどうして領地管理について聞きたいのか理由を答える。
「お祖父様に、フォン・アリスト家の跡取りだと言われたの。フォン・フォレストだけでも、ウンザリしていたのに困ってるの」
アンリは、アリスト卿が今まで教えてなかった事に驚き呆れてしまった。
「今まで、ご存知なかったのですか? 貴族にとって、跡取りは大切な事ですよ。ましてやフォン・アリスト家は、広大な領地を所有しているのに、呑気な話ですね」
「え~、そうなの? やたら家臣が多いと思ってましたの。でも、武門の家だから騎士階級の家臣が多いのかなと思ってたの。やはりパスしたいわ! フランツに継いで貰えば良いと言ったのに、パパの娘だからと押しつけられたの。卑怯だわ、お祖父様はパパを持ち出されたら、弱いのを知っているのよ。スローライフに遠のくばかりだわ」
溜め息をつくユーリを、困惑してアンリは眺める。
「誰かフォン・アリスト家には、管理している方がいると思いますよ。アリスト卿は竜騎士隊長で、ユングフラウを留守に出来ないでしょうから」
ユーリは、お祖父様が領主代のリッチナー卿の話をしていたのを思い出して話す。
「代々フォン・リッチナー家が領地の管理をして下さってるみたいなの。それは良いけど、お祖母様のやり方と違いすぎるから、他の方はどうされているのか聞きたかったの」
アンリは、ロックフォード侯爵家の領地はユングフラウに近いから、侯爵が行き来して管理していると説明する。
「何か領地管理の仕方とか、侯爵から習っていらっしゃるの?」
ヤレヤレ色っぽい展開は無さそうだとアンリは諦めて、少しずつ勉強してますよと答える。
フランツと、ジェラルドは、ダンスの相手の令嬢に失礼のない程度に踊ると、少し用事があると後見人のもとにエスコートしてテラスに駆けつけた。アンリがユーリに上着を着せかけて寄り添って話している様子に一瞬ドキッとしたが、話の内容の色気の無さに呆気にとられる。
「ユーリ、こんな所で領地管理の話かい?」
フランツの声に驚いて、ユーリは話を止める。
「あっ、フランツにジェラルド卿! アンリ卿に、領地管理のやり方を聞いていたの。本当は、フランツにフォン・アリスト家を継いで貰いたいわ」
「馬鹿らしい! 直系の君がいるのに、なんで僕が継ぐのさ。ずっと前に言ったのに、ちゃんと聞いてないから今頃になって慌てるんだよ。本当に抜けてるんだから~」
「抜けてるなんて酷いわ! 私のせいじゃないわ、お祖父様が言わなかったんだから、お祖父様が抜けてるんだわ。フランツが、お祖父様が抜けてると言ってたと伝えておくわ」
ユーリがふざけて言った言葉に、大袈裟に止めて~! とフランツが懇願している姿に、アンリもジェラルドも爆笑してしまう。フランツとユーリがふざけあっていると、ユージーンが呼びに来た。
「外は少し寒いだろう。そろそろ中に入った方がいいよ」
ユーリはアンリに上着を感謝しながら返して、ユージーンについて中に入った。
「迂闊に、テラスについて行ってはいけないよ」
注意するユージーンをユーリは眺めていたが、優しいのねと抱きついた。
「指導の竜騎士がユージーンだと聞いた時は、厳しくて嫌だと思ったけど、優しくして貰っていたのね」
ユーリがシュミット卿と揉めているのは知っていたので、ユージーンは心配する。
「シュミット卿と、話してみようか? 外務省に貸し出しの件で、揉めているだろ」
ユーリは、笑いながら断った。
「大丈夫よ、ユージーンが出てきたら、問題が大きくなっちゃうわ。外務省と国務省は、仲が悪いもの」
ユージーンは、確かにシュミット卿にユーリと揉めている件で余計な口出しをしたら、こじれてしまうだろうと考える。
ユーリをモガーナ様の所へエスコートすると、シャルル大尉が歓談している最中だった。
「あら、ユーリが帰ってきましたわ。ユーリ、シャルル卿がお待ちだわ」
ジークフリートはユーリがシャルルと踊り出すのを眺めながら、モガーナ様が徹底的に皇太子妃にさせまいとしているのに困惑していた。
「シャルル卿は、感じの良い青年ですわね。多分、マキシウスはユーリが彼と結婚してくれたらと思っているのですよ。本当に竜馬鹿なんですから。でも、二人は話も合うみたいだわ。レーデルル大使夫人、そう思いませんこと?」
ユーリはシャルルと仲良く話しながら踊っていたが、レーデルルはエドアルドとユーリの結婚を望んでいたので、返答に困ってしまう。
「エドアルド皇太子殿下とも、お似合いですわ」
レーデルル大使夫人の答えを、モガーナは可笑しい冗談を聞いたように笑い飛ばす。
「まぁ、レーデルル大使夫人は、冗談がお上手ですこと。ユーリみたいなじゃじゃ馬が、エドアルド皇太子殿下とお似合いだなんて」
ほほほほと嫣然と笑っているモガーナ様に、マゼラン卿も、ジークフリートも、何も言う元気はなかった。
ユーリは何人かと踊ると、お祖母様と控え室で休憩した。
「今夜は個室で助かるわ。昨日は、凄く混み合っていたの」
ユーリは個室の控え室で寛いだが、カザリア王国大使館の別の控え室では、ちょっと令嬢同士が揉めていた。
タレーラン伯爵家は大規模な披露の舞踏会を開いたのに、夜中過ぎに両皇太子達が帰ってしまわれると、潮が引くように招待客が帰ってしまったのだ。先週のユーリの舞踏会は夜明け近くまで盛り上がり、皇太子達もお開きまで残っていらしたのにと、エミリーは自分の披露の舞踏会が失敗したと悟った。
それにエミリーは今夜もグレゴリウスと踊りたいと願っていたが、自分より格下だと思う家の令嬢が先に踊ってるのにまだ順番が回ってきていないのに苛立っていた。
昨夜、テラスに連れ込まれたグレゴリウスは、積極的なエミリーに辟易としていたのだ。ジークフリートも同じ気持ちだったので、踊らないわけにはいかないだろうが自然と後回しになっていた。
「ミッシェル様は、グレゴリウス皇太子殿下ともう踊ったのよね?」
母親同士が話しているので、エミリーとミッシェルも舞踏会の話をしながら休憩していた。
「ええ、エミリー様も踊られたでしょ?」
ミッシェルは自分が踊るので精一杯なので、グレゴリウスが誰と踊っているのかチェックなどしていなかったから、エミリーが踊ったと思いこんでいた。エミリーは、ミッシェルが知ってて意地悪を言ったのだと悪くとった。
「先ほど聞いたのだけど、貴女の披露の舞踏会にユーリ様は行かないみたいね。あの人は田舎育ちだから、社交界が嫌いなのよ。ユーリ様が来られなくても別に良いけど、皇太子殿下達が来られないのは残念ね」
ミッシェルはビックリしたが、両国の皇太子が来られる名誉に喜んでいる両親が悲しむのではと心配する。
「それは本当なの? ユーリ様はそんなこと言ってなかったわ」
エミリーは、ミッシェルが動揺する様子を楽しんだが、ユーリに質問されるのは困ると思った。
「あら、何も言われてないなら、多分、来て下さるわ」
ミッシェルは、エミリーが意地悪で動揺させようとしたのに気づいた。側で聞いてたマーガレットは、エミリーからグレゴリウスとテラスで踊ったと自慢されてウンザリしていたので、口を挟んでしまう。
「エミリー様、いい加減なことを言わない方がいいわ」
「まぁ、マーガレット様って意地悪ね! ミッシェル様も、グレゴリウス皇太子殿下と踊ったと自慢タラタラだし! もう貴女達とは話したくないわ」
意地悪はどちらなのだと、マーガレットとミッシェルは思ったが、騒ぎを母親に聞きつけられて謝らされた。その場では母親の目があるから謝ったものの、憤懣は心に残った。エミリーも母親から窘められて、鬱憤が溜まっていた。
ユーリが休憩から舞踏会の会場に戻ったのを、ちょうどグレゴリウスはタイミングよくダンスに誘うことができた。
「他の方と、まだ踊ってないのに良いの?」
ぶつぶつ文句を言うユーリに言い訳する。
「さっきは半分しか踊ってないじゃないか。私だって知らない令嬢の相手ばかりでは、ウンザリだよ。ユーリと踊りたいよ」
二人で息のあったトロットを踊るのを、ちょうど休憩から帰ったエミリーは苦々しく眺める。
「ユーリ様は、2度目のダンスだわ。お母様、ジークフリート卿にお願いして」
タレーラン伯爵夫人は少し困ったが、ジークフリートのもとに話にいった。モガーナは、タレーラン伯爵夫人がジークフリートに話しかけているのを興味深く聞いていた。
「ジークフリート卿、グレゴリウス皇太子殿下と踊りたいと思っていらっしゃる令嬢がお気の毒だわ。ユーリとはもう踊らなくても結構ですわ。あの娘が、他の令嬢方に恨まれてしまいますもの」
ジークフリートは紳士なのでタレーラン伯爵夫人にも丁重に指導不足を謝ったが、内心では余計なことをと怒っていた。
母親がジークフリートに頼みに行ったのでフリーになったエミリーは、たまたま通り掛かったミッシェルのドレスの裾を踏んだ。ビリッと音にミッシェルは驚いて振り向くのを、あら、ご免なさいと心配した振りをしたが、内心はほくそ笑んでいた。
一言謝ると、そそくさと母親のもとに急いだエミリーに文句を付けるより、破れたドレスの裾にミッシェルは打ちのめされた。ラモンド男爵夫人も娘の窮状に気づいて控え室へと連れて行ったが、他の令嬢方も休んでいる中でドレスを修繕するのを躊躇った。
「ミッシェル嬢、こちらの控え室を使って下さいな」
モガーナは、遠目でもエミリーとミッシェルが揉めているのに気づいていたのだ。
「宜しいのですか?」
ラモンド男爵夫人は、ユーリの後見人の美貌の貴婦人の親切に躊躇いながらも、個室の方がありがたかったので好意を受け入れた。
ラモンド男爵夫人がつれてきた侍女とメアリーが、ミッシェルのドレスを縫い直している間、モガーナはラモンド男爵夫人の母親を知っていると話していた。
「ええ~、母と同じ世代なのですか? ユーリ嬢の、お祖母様なのですか。叔母様の間違えでは」
驚くラモンド男爵夫人に、笑いながら母親のシェリー様のことを話しているうちに、ミッシェルのドレスは繕い終わった。
「ありがとうございます」
喜ぶミッシェルに、モガーナは少し手助けがしたくなった。
「ラモンド男爵夫人、少しお化粧の仕方を変えたら、もっとミッシェルを魅力的に見せられるわ。若いのに、濃い化粧は必要なくてよ」
美貌の貴婦人に言われると反論できなくて、ラモンド男爵夫人はミッシェルのメイクをモガーナに任せる。
ドレスが破れたショックで少し泣いてしまったミッシェルの顔を、メアリーに暖かいお湯で拭わせると、飾り過ぎの髪型から結い直させる。
軽く白粉を叩いて、目元にポイントメイクをちょこちょこと施すだけで、ミッシェルは若さに溢れた綺麗な令嬢に変身した。
「まぁ、モガーナ様! とても綺麗だわ」
ラモンド男爵夫人は、感嘆の声をあげた。
ミッシェルは、鏡の中の自分に驚いて声も出ない。
「若い綺麗な令嬢が、濃いお化粧をしては駄目よ。そういうのは私ぐらいの年になったら必要ですけど、若さを楽しまなくてはね」
母親と同じ年頃の貴婦人に忠告されたと思って、ミッシェルは素直に頷く。ラモンド男爵夫人は化粧で若く見せているのではないと気づいて、フォン・フォレストの魔女と呼ばれるモガーナ様の噂を思い出して身震いした。
ミッシェルが綺麗に変身したのに、マーガレットは気づいて話しかけた。
「ミッシェル様、ドレスは大丈夫だったみたいで良かったわ。それより、髪型とメイクを変えたのね。とても綺麗だわ、貴女の侍女は凄腕ねぇ」
まじまじと見つめるマーガレットに、ユーリのお祖母様になおして頂いたのとウィンクして答える。
「えー、お祖母様? あちらの貴婦人が!」
驚くマーガレットを置いて、次のダンス相手と踊り始めたミッシェルは若さに輝いていて、舞踏会中に何人もの子息達がこんなに綺麗な令嬢を見逃していたと再確認した。
「もう年ですわ、華やかな席は疲れてしまうものですわね。失礼させて頂きますわ」
とても年には見えないし、疲れているようにも見えなかったが、モガーナ様がこの場のどの貴婦人より年配なのは明らかなので、誰も退出したいと言う言葉に逆らえない。
「え~、もうユーリ嬢は帰ってしまったのか」
愚図るエドアルドにマゼラン卿は眉をしかめたが、自国の大使館の舞踏会で主催者側なんですよと言い聞かせて、令嬢方とダンスさせる。
ジークフリートもユーリが帰って気落ちしているグレゴリウスを窘めて、まだ踊ってない令嬢とのダンスを指示する。
今夜はモガーナ様が後見人で、両皇太子とも阻まれてしまったなと、ジークフリートとマゼラン卿は溜め息をついた。
「マゼラン卿、帰国されると聞きました。道中お気をつけて下さい」
とっとと帰れと微笑みながら挨拶するジークフリート卿に、緑の魔力はバレてますよと内心でほくそ笑んで、心配そうな表情を作ったマゼラン卿だ。
「ありがとうございます。エドアルド皇太子殿下も、イルバニア王国の竜騎士隊での実習は、とても役にたつと思われています。私が帰国した後はラッセル卿に任せますが、ジークフリート卿にも宜しく頼んでおきます」
国王にユーリの緑の魔力について報告したら、対策を立て直して帰ってきますよと、マゼラン卿はジークフリート卿と挨拶しながら考えていた。
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