21話 モガーナとユーリ
舞踏会の翌朝、窓を開けて秋の澄んだ空気を胸いっぱい吸い込んだユーリは、ざっと身支度すると階下の食堂に走り込む。
「お祖父様、お祖母様、おはようございます」
元気いっぱいのユーリに、マキシウスもモガーナも挨拶を返す。ユーリは若さ独特のおう盛な食欲で、ぱくぱくと朝食を食べていたが、そう言えばお祖父様から、お祖母様がいつまで滞在されるのか聞いておくようにと頼まれていたのだわと思い出した。
「お祖母様、いつまでユングフラウに居て下さるの?」
全く思惑のないユーリは、真正面からの質問を発する。食後のお茶を飲んでいたマキシウスは、自分のいる前でストレートに聞いたユーリに驚き、狼狽えて咽せてしまう。
「そうね、マキシウスが許可して下さるなら、当分厄介になろうかと思ってますのよ。大丈夫ですか? そんなに咽せて、気管にお茶が入ったのですね。年を取ると、気管が弱くなりますから、お気をつけあそばせ」
当分厄介になると言うモガーナに驚いて、咽せていた呼吸が止まりそうになったマキシウスは、ゴホンゴホンと咳払いした。
「失礼、貴女の気がすむまで滞在して下さい」
食事中の咳払いを謝り、当分とはいつまでなのか聞く気も削がれたマキシウスを、モガーナは孫娘に質問させるなんて、臆病者と内心で罵る。
「ずっと、いらっしゃったら良いのに。でも、フォン・フォレストを長く留守には出来ませんよね」
ユーリの願いにずっと応えてあげることは無理だけど、せめてエドアルドの遊学中だけでも、側についていてあげたいとモガーナは考える。
ユーリが朝食に降りてくるまでに、マキシウスから海水浴の顛末や、階段の手すりを滑り降りた件、そして20才まで生きられないと口走った事などを聞き出していたモガーナは、精神的に不安定なので馬鹿げた言動をしているのではないかと心配していたのだ。
前世の件をグズグズ悩むのは、亡くなった年に近づいているからだとモガーナは察したが、忙しくアレコレしてるのもその不安を紛らわす為なのかもと溜め息をつく。
前世の件が無くても、イルバニア王国の政情は厳しかった。
『この時代に見習い竜騎士だなんて!』
カザリア王国との同盟はイルバニア王国にとっては心強いが、孤立化したゲオルク王は首都のアルディアを旧帝国の首都のケイロンと改名したり、新帝国憲法とかいう馬鹿げた憲法を作り、全成人男性の徴兵訓練や、一定量以上の私有地や、裕福な商人の財産を没収したり、企業の国有化を進めようとしていた。
フォン・フォレストに引っ込んでいても、ローラン王国といずれ戦争が勃発するのは避けられないとモガーナはわかっていたので、見習い竜騎士のユーリが悲惨な戦場を見なくてすむように、結婚して家庭に入ってくれればと願う。
モガーナはユングフラウに数十年振りに来て、住人達も隣国の極端な全体主義が戦争の準備だと知っているからこそ、不安を吹き飛ばすように浮かれ騒いでいるように見えた。
グレゴリウス皇太子が立太子されたせいもあり、今年は社交界にデビューされる令嬢が多いせいで、パーティーも連日連夜開かれているし、花の都ユングフラウとはいえ異常だと、田舎のフォン・フォレストから出てきただけに冷静に観察できるのだ。この異常に浮かれた雰囲気にユーリも巻き込まれて、身体の疲れや精神的な不安定さから、馬鹿な結論を出さないかとモガーナは心配する。
結婚式の朝に相応しくない思いに捕らわれていたモガーナは、仕事に向かうマキシウスが席を立ったので我にかえる。
「お祖母様、エミリア先生の御実家にはいつ行くの?」
「早めのお昼を軽く食べて行きましょう。昼過ぎに結婚式をあげて、その後簡単な披露宴をするみたいですからね。ユーリにブライズメイドをして欲しいとエミリアは言ってましたから、少し早めに行った方が良いでしょう」
昼までゆっくり出来るのは久しぶりだとユーリは思う。
「お祖母様、エミリア先生とダニエルさんはいつからつき合っていたの? 全然、気づかなかったわ」
ユーリのような恋に鈍感な娘には、あれほどの好意のやりとりも目に入らないのねと、モガーナは溜め息をつく。
「あの二人は二年前ぐらい前から、お互いに好意を持ち合っていましたよ。エミリアは真面目で恋には臆病なタイプですし、ダニエルはそんなエミリアを理解していたので、あからさまなアプローチは避けていました。でも親切にしたり、話しかけたりと、少しづつ二人の親密な関係を築き上げたのですわ」
「まぁ、素敵ね! 私もそんな相手が見つかるかしら?」
モガーナは、一応はユーリも恋人が欲しいと思っているのだと安心する。それにしてもエドアルドの積極的なアプローチや、グレゴリウスの熱意にも反応しない鈍感な孫娘が、恋をする日が来るのかしらと少し不安を感じる。
「ユーリは気になる殿方はいないのですか?」
夏休みにもたずねたが、もう一度トライする。
「それが……こういう方面は向いてないのかも。だから、お祖父様に結婚相手を決めて欲しいと思ったりもしたの。お祖母様は笑い飛ばして下さるけど、何となく気が急いているの」
モガーナはユーリの不安を馬鹿馬鹿しいと切って捨てる。
「まだ、そんな事を言っているの。第一、私はあと2年やそこらで死ぬつもりはありませんわよ。マキシウスから聞きましたけど、イリスが貴女は100才まで生きると言ってるそうですわね。竜騎士は長命ですから、有り得ますわよ」
ユーリはお祖母様に笑い飛ばして貰うと、前世のことを忘れられる。
「そんな不毛なことを考えるより、青春を楽しみなさい。折角、殿方受けの良い可愛らしい容姿をロザリモンド姫から受け継いだのに、宝の持ち腐れですわ。これから何回かパーティーに出て、好みの相手を探してみてご覧なさい」
「パーティーは苦手だわ。それに今は国務省での見習い実習に集中したいの」
モガーナは、ユーリがすっかり竜馬鹿のマキシウスに毒されているのにウンザリする。
「実習も大切でしょうが、恋する気持ちを封印してはいけませんよ。ユーリ、女の子がときめきを忘れたら、この世は闇ですわよ。もちろん、相手の条件の良さに惹かれて結婚しても良いですし、案外と結婚してから好きになったりして、幸せに暮らしたりもするのでしょう。それでも、好きな相手を探す努力ぐらいはして欲しいですわ」
ユーリはモガーナの言葉で考え込む。
「実習が面白くなってるのは事実だし、恋に向いてない性格もあるけど、好きな相手を探す気持ちにならないのは、エドアルド皇太子殿下との縁談があるからかしら? グレゴリウス皇太子殿下にもプロポーズされたし。もちろん速攻でお断りしたけど、私が他の相手を好きになって結婚するまで、拒否は受け付けないと身勝手なことを言われるし、困っているの。皇太子妃などなりたくないし、相応しく無いのに。ああ! 何もかもローラン王国のせいだわ」
モガーナは、いきなり恋バナから、ローラン王国が出てきて面食らう。
「ユーリ、ローラン王国と貴女の恋とどんな関係がありますの?」
「大ありですわ! ローラン王国が南下政策を諦めないから、同盟国のエドアルド皇太子殿下との縁談を断れないの。戦争になれば、沢山の犠牲者が出るのはわかりきってるけど、ゲオルク王の言うように、私がルドルフ皇太子と結婚すれば良いの? 絶対嫌だし、ゲオルク王の言う事なんて信用出来ないわ。でも、数年は戦争を遠ざけられるかも……」
モガーナは、ローラン王国が図々しくもユーリとの縁談を持ち込んでいたと聞いて激怒する。
「貴女をルドルフ皇太子なんかと結婚させませんよ。
それにしてもゲオルク王は、卑劣な事を考えますね。カザリア王国の姫君を離婚して、貴女に縁談を持ち込むなんて、同盟国を揺さぶるつもりかしら。ユーリ、あんな国に嫁いでも、戦争は避けられませんよ」
お祖母様にきっぱりと言われると、ユーリもホッとする。
「旧帝国の幻に取り憑かれたゲオルク王は、イルバニア王国とカザリア王国を攻め滅ぼすまで戦争をやめないでしょう。カルディナというローラン王国にしては優雅な首都の名前を、ケイロンに改名する大馬鹿な王に支配されている国民は大迷惑ですわ。あの内乱の時、ハインリッヒ様はゲオルク皇太子を殺しておくべきでしたわね。そうすれば先王に似て温厚なヘンドリック王子が即位していたのに。内政干渉だとか甘い事を言ってるから、自分も死にかけたりするのよ」
ユーリは初めて聞く話に驚く。
「ハインリッヒ様は、ゲオルク皇太子が即位する時の内乱に関係されていたのですか?」
「ええ、ハインリッヒ様は国王陛下から密命を受けて、第二王子のヘンドリック王子と、第三王子のマルクス王子の亡命を助ける任務に付いていたのですよ。ゲオルク皇太子は残酷な性質でしたから、先王の臣下達は危ぶんで第二王子のヘンドリック王子を即位させようと画策してましたが、露見して内乱になりました」
それはユーリも歴史で習っていた。
「国王陛下は叔母上のマルグリット王妃から、第二王子と、第三王子の亡命を助けてくれと懇願されたのです。ゲオルク皇太子が弟の命を絶つのを見たくなかったのでしょうが、内乱はあっさり鎮圧され、竜騎士の第二王子のヘンドリック王子は監獄に幽閉されて助け出せなかったそうです。ハインリッヒ様はマルグリット王妃の庇護下にいたマルクス王子のみでも助けてあげたいと無理をして、瀕死の重傷を負いながら亡命を成功させたのです。その傷を治そうとキリエは殆どの魔力を使い果たし、ハインリッヒ様は竜騎士を引退したのです」
「まぁ、ハインリッヒ様が竜騎士を引退したのは、そんな訳があったのですね。でも、マルクス王子は何故幽閉されていなかったの?」
「マルクス王子は竜騎士ではありませんでしたから、ゲオルク皇太子にとっては当面の敵ではなかったからですよ。でも、マルクス王子の子どもは別問題ですからね。マルグリット王妃は御自分の息子の過酷な性質をご存知でしたから、結婚出来なくされるか、子どもを殺されるのではと心配なさったのでしょう」
教科書に乗ってない内乱の裏側を知り、ユーリはゲオルク王の残酷さに身震いした。
「ハインリッヒ様はまだ内乱の混乱が続いてる間にと、マルクス王子を亡命させようとしましたが、ゲオルク皇太子の追っ手に取り囲こまれて深手を負ったのです。その時、弟を捕らえようとゲオルク皇太子も追っ手に加わっていたと聞いて、殺しておけば良かったのにとハインリッヒ様を責めたものですわ。まぁ、深手を負って逃げるのに精一杯だったので、護衛に護られているゲオルク皇太子を殺すのは無理だったでしょうけどね。つい、ウィリアムのことで八つ当たりしてしまうのですよ」
ユーリはお祖母様もパパが戦死した痛みをまだ抱えていらっしゃるのだと、改めて黒衣しか着ない意味を悟る。
「本当にゲオルク王は不愉快だわ。私に脅迫めいた縁談の申し込みの親書など送りつけるし。ローラン王国の国民は新帝国憲法など押し付けられて気の毒だわ」
恋バナをしていた筈が国際問題へと変わったことを、モガーナは苦笑する。
「そんな不愉快な事を考えても仕方ないわ。ユーリが恋愛に積極的になれないのは、グレゴリウス皇太子殿下にプロポーズされたからなの? それとも、エドアルド皇太子殿下との政略結婚がそれ程嫌ではないからなの? 言っときますが、ルドルフ皇太子は却下ですわよ。貴女が皇太子妃になりたくないのは承知していますが、お二方にお会いして悩むのは理解できたわ。皇太子殿下として優れていらっしゃるし、貴女にゾッコンだと堂々と態度にあらわしておられますもの。押しの強い殿方に、女性は弱いですからね」
モガーナの揶揄にユーリは真っ赤になる。自分では気づいてなかった好意を指摘されて、グレゴリウスにもエドアルドにも、少し惹かれているのに気づいたからだ。
「お祖母様、駄目よ! グレゴリウス皇太子殿下は幼なじみだし、良いお友達になって欲しいの。エドアルド皇太子殿下は同盟国の皇太子殿下として仲良くしたいわ。私は皇太子妃は無理なの!」
「良いお友達、仲良くしたい。貴女は残酷なお子様ね。でも、貴女がまだその気が無いのなら、それで押し通せば宜しいのよ。殿方なんて所詮は獣ですから、下手な同情は無用ですわ。隙を見せて、押し倒されて妊娠なんて御免ですからね。勿論、貴女がそれを望んで隙を見せるなら別問題ですわよ。殿方と海水浴して濡れた下着姿になって誘惑しようと、階段の手すりを滑り降りてエドアルド皇太子殿下の腕に飛び込もうと、私は構いませんことよ」
ユーリはお祖母様の言葉に真っ赤になって抗議する。
「海水浴はイリスが私を乗せたまま海にダイブしたからよ。服を着たままだったからだから下着が濡れたのは不可抗力よ。それにお祖父様にコルセットの紐が濡れて解き難かったから、解いて貰っただけよ。階段の手すりを滑り降りたのは、ドレスが細身で歩きにくかったのと、誰も下のロビーに居なかったからなの」
あら、そうですか? と疑わしそうに眺められて、ユーリは真っ赤になる。
「まぁ、宜しくてよ。貴女が殿方を魅了するテクニックを駆使したのかしらと期待しましたが、無意識では話になりませんわね。まだ子どもでいたいのはわかりますが、子どもっぽい行動をワザとでなくとるのは、相手の誤解を招きますわよ」
お祖母様の言葉に真っ赤になったユーリは、二度と男の人と海水浴しない、手すりを滑り降りたりしないと決意する。
「お祖母様、酷いわ! そんな策略で男の人の気をひいたりしないわ」
ぷんぷん怒っている孫娘に、色々と教えなくてはいけない事があるわねと、モガーナは溜め息をつく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます