15話 エドアルド皇太子の歓迎晩餐会

 フォン・アリスト家では、メアリー達がなかなか帰ってこないユーリを首を長くして待っていた。イリスを国務省側まで呼んでひとっ飛びで帰って来たが、ユーリは少し怒り気味のメアリーに風呂に押し込まれる。


「お茶までには帰ってくる予定でしたのに! あと、1時間半しかありませんわ」


 ユーリはそれだけあれば大丈夫だろうと思ったが、晩餐会に行くというのに軽食を食べろと言われて驚いた。


「晩餐会なのよ、ご馳走が山ほどでるわ」

    

 メアリーは令嬢が晩餐会で大食いするものではありませんと、叱りつける。


「エドアルド皇太子殿下の社交のお相手なのでしょう? がっついて食べては恥ずかしいですわ」


 ユーリはニューパロマでエドアルド皇太子殿下の皿からも取って食べていたなんて、メアリーには言わないでおこうと思う。


「さぁ、ドレスに着替えて下さい」


 マダム・ルシアンの新作のドレスは、細身で膝の辺りから後ろはトレースがたなびいている優雅な作品だ。


「何だか歩き難いドレスだわ」


 ぶつぶつ文句を言っているユーリを、メアリー達侍女はうっとりと眺めたが、髪を巻いたり、アップに結ったりと忙しい。ドレスが斬新なデザインなので、アクセサリー選びも難航する。


「セリーナ大使夫人がいらして下さったら良かったのに……」


 なかなか似合うアクセサリーが見つからず、ユーリは溜め息をつく。


「これで、良いですわ。ドレスが今風だからとカジュアルな感覚のアクセサリーばかり付けてましたが、何だかピンときませんでした。かえってクラッシックでノーマルな物が合いますわ」


 大粒の見事な真珠の一連のネックレスと、髪にもクラッシックな真珠のティアラを付けると、細身のドレスが格式高く優雅さが増して見えた。


「ユーリ様、エドアルド皇太子殿下がお迎えに来られてますわ」

 

 まだ、化粧して貰ってる最中に、侍女から聞かされてユーリは焦る。そのくらいで良いわと言ったが、顔の半分だけでは可笑しいと少し待たせてしまう。


「これだから化粧なんて嫌いよ」


 急いでいるのにドレスが細身でお淑やかな歩幅でしか歩けないのに苛ついたユーリは、ドレスの裾を持ち上げて二階の廊下を走る。


 玄関ロビーには誰も居ないと、二階から覗き込んだユーリは、子どもみたいに階段の手すりを滑り降りた。だが、丁度支度ができたようだと、サロンで待っていたエドアルドをマキシウスは玄関ロビーへと案内していたのだ。


「ユーリ!」


 ドレスアップした令嬢らしからぬ呆れた行動にマキシウスは怒鳴ったが、エドアルドは驚いて棒立ちになってしまった。


「危ない、どいて!」


 丁度、着地点に立っているエドアルドにユーリは警告の声をかけたが、時は遅し、スッポリと腕の中におさまった。 


「ナイスキャッチ! 驚きましたね」


 エドアルドに抱き止められて、真っ赤になったユーリは丁寧に床に下ろして貰う。


「申し訳ありません。お怪我はされませんでしたか?」


 ドレスの裾を撫で下ろしながらユーリは尋ねる。


「いえ、羽のようにお軽いから大丈夫でしたよ。ただ、驚きましたけどね」


 笑いながら答えるエドアルドに、マキシウスは孫娘の不作法を詫びる。ドレスを直したユーリの姿は優雅そのもので、今さっき階段の手すりを滑り降りたとは信じられなくて、大使夫妻はクラクラする。 


「そろそろ、出かけましょうか」


 エドアルドに促されて、侍女に薄い外套を着せて貰ったユーリが、カザリア王国の大使館の馬車に乗るのをマキシウスは心配そうに見送る。


「あの娘がニューパロマで何をやっていたのか、見なくて良かったのかも知れない。寿命が縮まるな」


 マキシウスも馬車で王宮へ向かいながら、後で叱らなければと考える。


 フォン・アリスト家から王宮はすぐそこなので、馬車の中ではあまり会話はなかった。大使夫妻はユーリのお転婆ぶりと、優雅なドレス姿のアンバランスさに圧倒されてしまっていたのだ。


「他のお方は?」


「先に王宮に着いてますよ。晩餐会前に挨拶とかしてるのでしょう」


「すみません、お待たせしたせいで遅れたのではないですか?」


 本当は餐会前に王宮に着いて、マゼラン卿達と合流する段取りになっていたのだが、令嬢の身支度を待つのは紳士の嗜みだし、美しいユーリをアクシデントとはいえ腕に抱けたエドアルドは気にしていない。


 王宮ではマゼラン卿がエドアルドの到着を待ちわびていた。

  

「遅いな、ユーリ嬢の身支度が手間取っているのだろうか?」


 ハロルド達もエドアルドの到着が遅れているのを心配していたが、ユーリと一緒ならご機嫌は麗しいだろうと考える。


「到着されたみたいだ」


 エドアルドにエスコートされたユーリは、ニューパロマにいた時より少し大人びて優雅に見えた。


「ユーリ嬢は、いつも素敵なドレスを着ておられるな」

  

 大使夫人と上着を脱ぎに控え室に行くユーリを見ながら、ハロルド達はエドアルドに何故遅れたのか尋ねる。


「少しユーリ嬢の身支度を待っていたのだ」


 階段の手すりを滑り降りた件は秘密にしていたが、スッポリと腕におさまったユーリを思い出してニヤニヤしているので、他のメンバーは何かあったなと考える。


「ユーリ嬢は、かなりのお転婆ですな。今夜は少し肝を冷やしました」


 大使はマゼラン卿にコソッとユーリが階段の手すりを滑り降りて、エドアルドにキャッチされたと報告する。マゼラン卿は、だからエドアルドがニヤニヤしているのだなと納得した。


「ユーリ嬢は、お転婆と言う可愛らしいものではありませんよ。パロマ大学でも無礼な男子学生を投げ飛ばしたと皇太子殿下は仰ってましたし、リューデンハイムではグレゴリウス皇太子殿下と何回も殴り合いのケンカをされたみたいですからね。大使も、見た目の可憐さに騙されないように」


 大使夫人と控え室から出てきたユーリは、細身のドレスを優雅に着こなしていて大粒の真珠のネックレスとティアラがよく似合うお姫様そのものだった。


 大使は、詐欺だ! と内心で毒づく。


「エドアルド皇太子殿下、ようこそいらっしゃいました」


 国王夫妻に迎えられて、晩餐会会場に、エドアルド皇太子はユーリをエスコートして入場する。毎回、ユーリはこういう場面で緊張してしまうのだったが、エドアルドは慣れた様子でエスコートしてくれたので少し安心できた。


「とてもお綺麗ですね。細身のシックなドレスのせいか大人びて見えますね」


 エドアルドは自分で言いながら、階段の手すりを滑り降りるのは大人とは言えないなと、吹き出してしまう。


「エドアルド皇太子殿下! もう、あの件は忘れて下さい。ロビーに誰も居ないと思ったのよ。このドレスは歩きに難いの、お淑やかにしか歩けないわ。転けたら恥ずかしいわ」


 普通の令嬢はお淑やかに歩くものだろうとエドアルドはくすくす笑ったが、転けたら支えますよと請け合う。グレゴリウスは、主賓のエドアルドがユーリをエスコートするのを腹だたしく見ていた。


 国王や王妃は同盟国の皇太子のことを知りたいと、あれこれ質問したので、エドアルドは礼儀正しく答えているうちに晩餐会は終わってしまった。


「折角、ユーリ嬢が隣に座っているのに、あまり話せなかったよ」


 帰りの馬車で愚痴っているエドアルドに、マゼラン卿は慰めの言葉を与える。


「明日は、昼からパーラーに招待されているじゃないですか」


「まあね、でも話の成り行きだったからなぁ。アイスクリームの販売は9月末までだから、スケジュール的に明日しかなかっただけだもの。ユーリ嬢は、国務省の見習い実習が忙しいみたいだなぁ」


 ユーリは明日は舞踏会に備えて昼からは実習は休みになっていたが、こっそりとお茶の時間までは実習をするつもりだった。だが、タイミング悪くデザートが出てきた。


 晩餐会にワイルド・ベリーのアイスクリームを購入してくれた配慮には感謝したが、ユーリは困ったなと思う。


「これはアイスクリームですね。そう言えばパーラーを開かれたとか、一度行ってみたいですね」


 10月になればアイスクリームの販売はクレープに添えて出すだけになるので、今週いっぱいしか色々な味は食べれない。


「そうですね、明日の昼からは国務省の見習い実習は休みですから、パーラーにご案内しますわ」


 明後日はユーリはエミリア先生の結婚式だし、金曜は溜まった仕事を片付けたかったので、明日しか空いてなかったのだ。


「明日はリューデンハイムの案内の予定でしたが、昼からはユーリのパーラーに行く事になりましたね。舞踏会があるから、なるべく早くユーリを帰したいな」


 ユージーンは晩餐会で予定が変更されたのを確認しながら、対策を練ろうとしていた。


「明後日は騎竜訓練ですが、カザリア王国側の方達は初回ですし、舞踏会の次の日ですから、軽めにして貰いたいですね。ラッセル卿やパーシー卿も一緒ですから、ミューゼル卿と明日話し合っておきましょう」


 ジークフリートはユージーンの言葉を聞きながらも、エドアルドとユーリが何か秘密を共有しているような気がしていた。


「明日の舞踏会や土曜のユーリ嬢の舞踏会は大丈夫でしょうが、こう連日のパーティーでは公爵夫人もお疲れにならないでしょうか?」

 

 ジークフリートが何を心配しているのか、ユージーンも同じ思いなので頷く。


「モガーナ様がユーリの後見人を引き受けて下されば助かりますが、お祖母様なので体力的に無理ではないでしょうか?」


 ユージーンの言葉で、モガーナと会ったことがないのだと気づいた。


「モガーナ様は、私より年上に見えませんよ。フォン・キャシディの屋敷に逗留されないのも、私と恋仲に誤解されるのを避けられたのではと思うぐらいです。 まぁ、ユーリ嬢と一緒に過ごしたいから、フォン・アリスト家に泊まられるのでしょうが、喧嘩にならなければ良いですがね」


「そんなに若く見えるのですか? 家の祖父達と同世代ですよね。アリスト卿もお若いですが、やはり魔力を持っておられるからですか」

 

 信じられない様子のユージーンに、会って見ればわかりますよとジークフリートは請け合う。


「でも、モガーナ様の御気性は厳しいですから、ユーリ嬢が疲れるようなスケジュールを押し付けた私達はかなり叱り飛ばされますね。美しい貴婦人から、キツく責められるのは堪えますよ」


 いつも優雅なジークフリートの少し浮き足立った感じを、珍しいなぁとユージーンは呑気に感じていたが、明日モガーナ様の怖ろしさを身に染みて理解する事になる。


 


 大使館に帰ったエドアルド一行は、明日の予定変更や明後日の騎竜訓練について話し合う。


「ユーリ嬢は先のローラン王国との戦争で父親を亡くされた女の子達が、安心して働ける場所を提供したくて、パーラーを開かれたのだ。可愛らしい上に、優しい方だよね。それに羽の様に軽いし、いつまでも腕の中に居てくれたら良いのに」


 ボヤァとユーリを抱きしめた感触を思い出しているエドアルドに、マゼラン卿は少し喝を入れる必要を感じる。


「エドアルド皇太子殿下! 今夜の晩餐会で何かお気づきになりませんでしたか?」


 教育係のマゼラン卿の厳しい口調に、ユーリの幻想が消えてしまったので少し不機嫌な様子で答える。

    

「わかっている、アルフォンス国王も王妃様も、ユーリ嬢をグレゴリウスと結婚させたいと思ってらっしゃる。それに、サザーランド公爵も嫁がれたメルローズ王女も、ユーリ嬢を可愛がっておられるから、外国に嫁がすのには反対されるだろう。ユングフラウはグレゴリウスの味方ばかりさ。ユーリ嬢は王家の身内にガッチリとガードされてる」


 恋ボケしていても、冷静な観察をしているのにマゼラン卿は少し安心する。


「それだけではありませんぞ。ユージーン卿やフランツ卿は外務省に勤めておいでだから、国王のご意志でグレゴリウス皇太子の味方ですが、どうやらマウリッツ公爵は他の考えをお持ちみたいですな。ユーリ嬢を皇太子妃にはさせたくないみたいです」


「ああ、それならフランツから聞いているよ。まぁ、フランツもユーリ嬢を皇太子妃にしたくないと、本音では考えているみたいだけどね。マウリッツ公爵家はロザリモンド姫で火傷したから、失敗を繰り返したくないと考えていると洩らしていたな」


 マゼラン卿はそんな事をフランツが言ってたなら、もっと早く教えて下さいと叱る。


「馬鹿らしい! ユーリ嬢を知っている人なら、誰もが皇太子妃に向いていないと答えるのはわかりきってるじゃないか。私だって苦労されるのは承知しているさ。でも、それを上回る皇太子妃になって頂きたい長所もお持ちだから、皆が自国の為に引っ張り合いになっているのさ」


 マゼラン卿は、当たり前です! と答える。


「ユーリ嬢は、絆の竜騎士なんですからね」

    

「それは勿論あるけど、フランツはユーリ嬢の一番優れた所は優しいところだと言っていたよ。宝石のような心を持った彼女を、冷たい宮中に置きたくないとね。でも彼は、王族がどれほど孤独か知らないんだ。

母上や父上も、ユーリ嬢が皇太子妃に向いていない性格なのは百も承知だけど、優しくて暖かい性格の彼女を側に置いときたいと思っておられる。勿論、私もユーリ嬢と暮らせたら楽しいだろうと思うよ。絶対、退屈とは無縁の生活が送れるのは確実だしね」


 エドアルドは、美しいドレス姿のユーリが階段の手すりを見事に滑り降りてくる瞬間を思い出して吹き出す。


 エドアルドの熱弁に、ハロルド達は驚く。


 ユーリの可憐な可愛らしさや、竜騎士としての能力、素晴らしい歌声、令嬢らしからぬ行動力は知っていたが、優しさかぁと、改めて他国の竜騎士を増やしたり気が良いと思い出す。


「エドアルド様は、本気でユーリ嬢を愛してらっしゃるのですね。私達も応援しますよ」


「お願いだから、変な計画は立てないでくれよ。ややこしい事は、御免だぞ」


 ハロルド、ユリアン、ジェラルドは、大丈夫ですよと答えたが、エドアルドは本当かな? と少し不安に感じる。




 晩餐会の帰り道、マキシウスはユーリに今夜の振る舞いを叱ろうとしたが、馬車に乗った途端にうつらうつらとしだしたのに気を削がれてしまう。


「疲れきっているんだな……」


 国務省で頑張り過ぎているのではないかと、マキシウスは心配した。


 屋敷まで10分そこそこなのに、ぐっすり寝てしまった孫娘を部屋まで抱き上げて運ぶ。


 侍女達にユーリの着替えを任せて、自室に自分も着替えにいったが、ふと明日にはモガーナが来るのだと思い出す。


 最後にモガーナに会ったのはいつだったかなぁと、フィリップ皇太子殿下の葬儀にフォン・フォレストにユーリを迎えにいった6年前の口論を思い出して、それ以来会ってないのかと少し寂しく感じるマキシウスだ。

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