8話 モガーナの決意

 声楽のレッスンから寮に帰ると、グレゴリウスとフランツが一緒に夕食を食べようと待っていた。


「遅い昼食を食べたから」断ろうとするユーリをグレゴリウスは叱る。


「キチンと食事を取らないと駄目だよ。そんな調子では身体がもたないよ」


 フランツもユーリの体調を心配する。


「早く竜騎士になりたいのは皆同じだよ。僕だって、外交官として一人前になりたいもの。でも、焦って身体を壊したら、元も子もないよ。近頃のユーリは、地に足がついてない気がするよ」


 二人に諫められて、ユーリは少し反省する。

    

「何だか気が急いて……まだ15才だと思う時もあるけど、もう15才だとも思うの。20才まで、あと5年、いえ4年しかないのね……何か残しておきたくて……子どもを産んだ方が良いのから?」


 ユーリはパロマ大学で真名を見た時から、何となく前世に捕らわれた気持ちが度々していた。


「ユーリ、何を言ってるの?」

 

 なぜ20才までに何か残したいとか、子どもを産むとか言い出したのか二人は不安を感じる。


「何でもないわ、ただの目標よ。19才までに竜騎士になって、20才までに子どもを産もうかなって。普通の女の子でも何才までに結婚しようとか考えるでしょ」


 フランツもグレゴリウスも、ユーリの説明には納得し難い気持ちだったが、女の子の立てる人生設計には当てはまるので反論しにくい。


『馬鹿ね! 二人に打ち明けたいと思っているから、口を滑らしたのだわ。でも、前世の話とか荒唐無稽だし、19才で死んだとか重い話を背負わせるのは駄目よ! お祖母様はそんなの意味ないと仰るけど、だんだん死んだ年に近づいている……私が死んだら、イリスも死んでしまうのよね。私が結婚するまでイリスも子竜を産まないと言ってるし、本当は竜騎士より結婚した方が良いのかしら。でも、数年で死ぬかもしれないのに結婚するのも相手に悪いわよね。第一、恋愛もしてないのに結婚なんて無理だわ』

 

 ユーリは時々このような不毛な考えを巡らしては、結婚は相手が必要なので自分ではどうしようもないから、竜騎士になる方だけでも頑張ろうと結論を出すのだ。


 こういう馬鹿げた思いに捕らわれた時、お祖母様に笑い飛ばして貰うと、ユーリは凄く精神的に楽になる。

   

「馬鹿馬鹿しい! 前世と同じ人生を歩むなんて、あり得ないわ。第一、竜なんかと絆を前世で結んでないでしょう」


 お祖母様に会いたいわと、ユーリは思いながら夕食を食べた。




 モガーナはユーリがユングフラウで、グレゴリウスとエドアルドとの板挟みになる期間だけでも、側について支えて遣りたいと願っていたが、時期が悪くてなかなか思うようにはいかない。


 収穫期と納税の時期は、頼りないラングストン管理人に任せておけなかったのだ。

 

 エミリアとダニエルを結婚させて、次代の管理人にしようとは考えていたし、両家の承諾も得ていた。先ずは結婚式をあげさせなくてはと、エミリアの両親をせっついたり、結婚の支度を手伝ったりと忙しい日々を送る。


「マウリッツ老公爵と和解できたのは、好都合ですわね」

 

 夏をユーリと共に過ごした老公爵は、モガーナ・フォン・フォレストに駆け落ちの際に無礼な振る舞いをしたことを丁重に謝り、ユーリの祖母と祖父としての付き合いを求めてきていたのだ。


 モガーナもユーリがマウリッツ公爵家で大切に扱われているのを承知していたので、ユングフラウでの面倒は竜馬鹿のマキシウスよりはあてになると、謝罪を受け入れたのだ。


「エドアルド皇太子も、忙しい時期に御遊学されなくても良いのに。本当に迷惑ですわ!」


 領主として一番忙しい時期にユングフラウに行かなくてはならないと、ぷんぷん怒りながら、エミリアの結婚式の準備を進めるモガーナだ。


「エミリアとダニエルには、忙しい新婚生活のスタートになるわね。でも、慣れるのには良いかもしれませんわ。ユーリは不在がちな領主になりそうですもの」

 

 モガーナは着々とフォン・フォレストの次期の領主としてユーリが楽に管理できるように準備を始めていたが、フォン・アリスト家の方に関しては放置していた。マキシウスには妹のシャルロットがいたし、甥や姪が居るのだから、ユーリでなくても良いでしょうと勝手な事を考えていたし、代々竜騎士隊長を勤めている武門を孫娘に継げるとは考えてもいなかった。


「ユングフラウの滞在場所が問題ですわね。フォン・キャシディ家の屋敷には、ジークフリート卿がいらっしゃるし。短期間ならいざ知らず、艶聞の多い殿方なのに、年寄りの親戚が居座ったらご迷惑だわ。仕方ありませんわね、竜馬鹿のフォン・アリスト家にしましょう。あそこなら、ユーリは慣れてますしね」


 全くマキシウスの意思は関係なく、フォン・アリスト家への滞在を決めたモガーナだ。




 ユーリは、エミリア先生からの手紙で結婚を知らされて驚いた。ユーリが寮の入り口で受け取った手紙を食堂で読んでいるのを、グレゴリウスとフランツは、何なの? と寄って来る。


「私の家庭教師だったエミリア先生が、館の警備員のダニエル・ターナーさんと結婚されるの。ユングフラウのエミリア先生の実家のパターソン家で簡単な挙式をされるから、私にブライズメイドをして欲しいと書いてあるわ。お祖母様はダニエルさんとエミリア先生に、屋敷に住んでフォン・フォレストの管理人になって貰うつもりなんだわ。今の管理人のラングストンさんは、お年だから引退間近での。まぁ! お祖母様も結婚式にいらっしゃるのね。ユングフラウはお嫌いなのに、珍しいわね」引退間近なの

 

 グレゴリウスとフランツは怖ろしいほどの美貌と言われているモガーナに会えるのかなと期待する。


「お祖父様はモガーナ様に謝罪して和解したのだから、ユーリの舞踏会に来て下されば良いのにね」


 フランツの言葉はユーリを喜ばせた。


「まぁ、本当に? マウリッツのお祖父様と、お祖母様が和解したの? 嬉しいわ! だって、フランツやユージーンと付き合うのは良いとしても、マウリッツ公爵家に行くのを微妙だと思われているみたいだったの。それに和解されたということは、お祖父様もパパを許したって事よね。何だか泣いちゃいそう」


 ユーリがハンカチで目を押さえるのを、フランツとグレゴリウスは微笑んで見ている。 


「ユーリ、良かったね! 君のデビューの舞踏会に、フォン・フォレストのお祖母様がいらっしゃるなら、紹介して欲しいな。だって、怖ろしいほどの美貌だと聞いてるもの」


 グレゴリウスの言葉にユーリは笑いながら承知する。


「ええ、とても私のお祖母様とは見えないわ。とても美しい方なのよ。少し怖いけど……二人なら、大丈夫よ」


 二人はお祖母様とは見えないというのを、似てないという意味に取っていたが、実際に会って若いという意味だったと驚愕と同時に知ることになる。 


「結婚式は来週なの。エドアルド皇太子殿下が到着された後だわ。う~ん、この日は騎竜訓練の日ね! 怖いけど、ミューゼル卿に昼からお休みを貰えるか聞いてみるわ。他の日に騎竜訓練を変えて貰えると助かるけど……そこまでは無理よね」


 スケジュール表を見ながら、ユーリが考え込んでいるのを見て、フランツは変更して貰えばと提案した。


「エドアルド皇太子殿下達は、基本的に竜騎士隊での訓練が主なんだよ。まぁ、他国の外務省や国務省で見習い実習しても意味無いし、受け入れる側も困るしさ。だから僕達もお付き合いで竜騎士隊の実習が多いから、振り替えて貰えば?」


「そうだけど……シュミット卿に昼から休みを貰うの? ミューゼル卿に言う方がマシかも。それにしても、皇太子殿下もフランツも、いっぱい騎竜訓練を受けるのね。差がついちゃうな~」


 ユーリの悩みは、モガーナがマキシウスに直接交渉して解決してくれた。


「やはり、お祖父様はお祖母様に弱いわ。エミリア先生の結婚式の日は、実習は休みにして下さったの。これでエミリア先生のブライズメイドもゆっくりできるわ」


 騎竜訓練の後で、マキシウスはユーリに結婚式の当日は見習い実習を休んで良いと告げたのだ。不思議そうに見上げる孫娘に、モガーナから手紙で頼まれたと困った様子で告げたが、どうも屋敷に長期滞在しそうな文面に思えたのは怖ろしくて口にしなかった。


「ユングフラウが嫌いなモガーナが、ユーリの家庭教師の結婚式の為に来るだなんて変だ。『結婚式の前日に到着して、しばらく御厄介になります』しばらく? しばらくとは、何日だ?」


 モガーナからの手紙を読んだマキシウスは混乱した。執事に客間の用意を命じながらも、嘗て愛した女性の突然の訪問に狼狽える。


 このように狼狽えている主人を見るのは初めての執事は驚いたが、侍女達に丁寧に客間を掃除するように命じた。フォン・フォレストの魔女と呼ばれるモガーナ様に何か落ち度があってはならないと、侍女達は床に顔が写るぐらいに磨き立てた。


 

 フランツからモガーナがユングフラウに来ると聞いたジークフリートは、もしかしたらユーリの後見人としての役目を果たす為ではと期待した。


「モガーナ様ならレーデルル大使夫人など子ども同然でしょう。まぁ、どなたであろうと太刀打ちできる方がおられるとは思いませんがね。ただ、モガーナ様はユングフラウがお嫌いですから、長期滞在はされないのでは無いでしょうか?」

 

 他の外務省のメンバーは、フォン・フォレストの魔女と呼ばれるモガーナに直接の面識が無かったので、ジークフリートに色々と質問する。


「美しいお方だとユーリ嬢からも聞いているが、本当なのだろうか?」


 外務次官はニューパロマで、ユーリがお祖母様みたいな迫力のある美人なら良かったのにと愚痴っていたのを思い出した。


「そうですね、私は今までモガーナ様ほど美しい貴婦人を見たことはありませんね。怖いほどの美貌ですし、性格もかなり手厳しい方です。多分、ユーリ嬢にはお優しいでしょうが、エドアルド皇太子の社交相手を押し付けた私達はボロクソに言われますよ。覚悟しておいた方が良いでしょう。マゼラン卿に近づかない方が良いと忠告してあげますか? カザリア王国の密偵がフォン・フォレストに入れず、うちの領地であれこれ調査したみたいで、モガーナ様のお気に障ったみたいですから」 


 外務省のメンバーは、ユーリが結界を張るのをお祖母様から習ったと聞いていたので、結界で密偵を排除したのだと気づいた。フォン・フォレストの魔女を密偵に探らすなど、イルバニア王国の人間には怖ろしくて出来ないのに、マゼラン卿は怖いもの知らずだと身震いする。


「鉄仮面殿とフォン・フォレストの魔女殿の一騎打ちなら、どちらが勝のだろう?」


 呑気な外務相の言葉に、ジークフリートはその前座試合で外務省とカザリア王国大使館が、先ず蹴り飛ばされるのではと背筋が凍った。その予感は的中し、最強の後見人に守られたユーリに、外務省もカザリア王国大使館も手だしが出来なくなるのだ。



 ユーリはお祖母様がエミリア先生の結婚式の為にユングフラウに来るのだとしか思ってなかった。来週末のマウリッツ公爵家での舞踏会に来て下されば嬉しいなと単純に考えていた。


 農家出身のユーリはこの収穫と納税時期が忙しいのは知っていたので、領主のお祖母様が長期間にわたってフォン・フォレストを留守にするとは考えもつかなかったのだ。


 それほどユーリが夜更けにフォン・フォレストに突然帰ってきて泣いたのが、モガーナに衝撃を与えたとは思いもよらない事だった。しかし、ユーリもモガーナのユングフラウ滞在中にビシバシと指導されることになる。

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