9話 プチ金庫番

 エドアルドの到着を来週に控えた金曜に、ユーリは近頃知り合いになったユングフラウ大学の実習生達と一緒に昼食を食べていた。他の部署を甘やかすだけだと、口では厳しい事を言ったが、ユーリの見習い竜騎士のレポートで、予算案の改善点を附箋に書いて返却した場合、再提出された予算案がミスの無い確率の高さを指摘されて、かなりユーリの評価をシュミット卿はあげていた。


「各部署への予算案の返却は、他の実習生にさせれば良い」


 シュミット卿は役に立つユーリに書類運びをさせるのは、時間の無駄だと考えた。お陰で予算案のチェックがはかどるし、他の実習生とも知り合いになれた。


「皆様はユングフラウ大学で、経済や政治を学ばれているのですか?」


 国務省でも財務室は花形の部署で、エリート官僚が集まっていた。大概がユングフラウ大学出身で、竜騎士のリューデンハイム出身者はシュミット卿だけだ。


 国務省にも数人の竜騎士がいたが、政治をしたり、防衛的な仕事が多く、竜騎士隊との連絡的な役割を果たしていた。福祉課のバランス卿と、財務室のシュミット卿は、竜騎士として変わり種だ。


 ユーリは福祉をしたくて国務省での見習いを希望したので、シュミット卿が指導の竜騎士になり、財務室での実習となってしまって最初はがっかりしたが、予算の流れの勉強にはなっていた。


「ユングフラウ大学でエリート官僚を目指す学生は、財務室での実習を希望するのですよ。予算を押さえないと、何も実行出来ませんからね」


「それにしても、シュミット卿が指導の竜騎士だなんて不運ですね。恐ろしく厳しいと聞いてますよ」


 実習生達は口々にシュミット卿の伝説を教えてくれた。


「シュミット卿は厳しい方ですが、間違ってはおられませんわ。国民の税金を扱うのですもの、いい加減な予算案など許せませんわ。何故こんなにミスが多いのか驚いてしまいますの」


 可愛い顔をした令嬢だが、実習生達はユーリの返却する予算案にびっしり書かれた改善点や、計算ミス、書類の不備を見ていたので、プチ金庫番と尊敬と愛情をこめて呼んでいた。


「まぁ、それはその通りなんですがね。ユーリ嬢ほど計算ミスが無いのは、シュミット卿ぐらいではないでしょうか」


 ユーリは、ユングフラウ大学生に失礼だけどと、ある提案をした。


「これから予算編成時期になったら、桁数の多い数字を扱う事が多くなるでしょ。私が使っている道具を、試してみられたら? 計算に頭は必要ないの、だって私はあまり頭は良くないもの。 計算ミスが無いのは、道具を使っているお陰なのよ」 


 ユングフラウ大学生はリューデンハイム出身者を少し煙たく思ってはいたが、馬鹿だとは考えた事も無かった。ユーリの処理能力には舌を巻いてたので頭が悪いとは一度も思った事も無かったが、使っている道具には興味を持った。


「道具を使って計算ミスを防ぐのですか? 処理スピードもあがるのなら、道具を試してみたいですね」


 ユーリは部屋に何個かあるから、実習の終了時間に部屋に来てと誘った。


「おや、実習の終了時間に部屋に来てとは、心惹かれるお誘いですね」

 

 通りかかったアンリは、ご一緒しても宜しいですか? と席に着く。ユングフラウ大学の主席卒業者のアンリに、実習生達は遠慮して後で伺いますと言うと、そそくさと席を立った。 


「アンリ卿、変な言い方をなさらないで下さい。計算ミス無くすのと、計算スピードをあげる道具を使ってみられたらと、提案してましたのよ。予算案にあまりにもミスが多いので、驚いてしまいましたの。これから、予算編成時期になると、桁数も多くなりますから、使ったら良いと思っただけですわ」


 ユーリはアンリがからかっているのを承知で、ぷんぷん怒った振りをする。


「お許し下さい、プチ金庫番を怒らしたら、冷血の金庫番が怒鳴り込むかもしれませんね。私も、その道具の使い方を教えて頂けますか?」


「まぁ、プチ金庫番って私のことですの? 酷いわ」


 二人がふざけて笑いあっているのを、周りの人達は少し心配して見ていた。見習い竜騎士のユーリが皇太子妃候補であるのは国務省の全員が知っていたし、重臣達には国王から直接話が通っていたからだ。


「あっ、そうだ! 風車が完成したのですよ。この秋の収穫した小麦から使いたいと、父が技術者や大工をせっついたみたいです。今週末に試運転をするのですが、宜しかったら来られますか」


「是非、見に行きたいわ。ああ、でもスケジュールを見てみないと」

 

 ユーリが広げたスケジュール表は、びっしり埋まっていた。

 

「これは過密スケジュールですね、夜までビッシリじゃあないですか。こんなの身体を壊してしまいますよ。外務省にごり押しされたのですね、シュミット卿は抗議されないのですか?」


 自分でもウンザリする過密なスケジュールに怒ってくれるアンリには感謝したが、仕方がないと諦める。


「エドアルド皇太子の遊学中は、外務省での見習いになるの。でも、早く竜騎士になりたいし、仕事も覚えたいから、昼は来れる時は国務省での見習い実習を入れたから、超過密スケジュールになってしまったの。

シュミット卿は、外務省の方達とケンカになって、国王陛下から命じられたから仕方なく引き下がられたのよ。本当は福祉課で見習い実習をしたいと思っていたけど、予算の仕組みを知るのには財務室が勉強になるとわかって、仕事が楽しくなってきた所なので、外務省への貸し出しは痛いわ」


 アンリも財務室の仕事にやりがいを感じているので、ユーリの気持ちが理解できた。


「社交の相手など、暇な令嬢が喜んでされるでしょうに。でも、ユーリ嬢を望む理由は理解できますよ。話していて、とても楽しいですから」

  

 アンリは、マウリッツ公爵から、ユーリにはエドアルド皇太子と、グレゴリウス皇太子からの縁談があると説明を受けていたし、絆の竜騎士であるので国王でさえ望まぬ結婚を押しつけられないとの情報も教えて貰っていた。


 最初はただ可愛らしい令嬢だと思っていたが、近頃は賢くて、優しくて、少し危なっかしい所に保護欲を刺激されている。今も、年上の実習生達を部屋に招待するなど、危なっかしくて見ていられなかった。

 

 何も間違えは起こらないだろうが、若い男女が遅い時間に一緒に過ごすのを、少しは危険だと思わないのだろうかと溜め息をつく。普通の令嬢とは違いリューデンハイムで男子生徒と肩を並べて勉強していたせいで、警戒心が無く成長したのだと心配する。間違いは起こらない


 過密なスケジュール表を眉を顰めて眺めているユーリを、アンリは風車は逃げませんよと、無理をしないようにとアドバイスする。


「土曜の午前中は武術のレッスンだけど、昼からはどうにかなりそうですわ。来週はエドアルド皇太子殿下が到着されるので、歓迎式典や、晩餐会、舞踏会が目白押しですから、休日出勤するつもりでしたが、日曜にまわせますもの。お口添え頂いたマウリッツの叔父様も、一緒に見学できると良いですが、お忙しい方だから無理かしら?」


 いくら忙しいマウリッツ公爵でも、ユーリほど過密スケジュールをこなしていないとアンリは苦笑する。

 

「父がマウリッツ公爵を招待してますよ。では、土曜の昼からお待ちしています。あっ、実習時間が終わったら、部屋で計算道具の使い方を教えて頂いくのでしたね。忘れないで部屋に行きます」教えて頂く


 昼休みも終わったので、ユーリとアンリはそれぞれの仕事に戻った。


 

 アンリは机の上に山になっている仕事を定時になると中断して、ユーリの部屋に向かった。この時期の財務室は、残業や、休日出勤もざらだが、見習い竜騎士のユーリがそこまでしなくてもとアンリは考える。


 しかし、部屋の中に山と積まれた予算案に驚いてしまう。


「これは、凄まじいですね」


 ユーリはチェック済みの予算案を、シュミット卿の部屋に運んでいる最中だった。アンリはユーリの指示で返却する予算案を部署別に床の隅に積み上げていく。


「この付箋紙は?」

 

 返却する予算案に付いている付箋紙にびっしりと記入された、数字や文字に驚く。 


「ああ、何度も同じ予算案が行ったり来たりするの時間の無駄ですもの。間違えや、不適当な資料を書いて返却してますの。お陰で再提出された予算案は、ミスが少なくてシュミット卿に渡せる数が日毎に増えてますのよ」 


 パラパラと何通かの予算案に付いている付箋紙を見て、アンリはユーリを見くびっていたと気づいた。


「ああ、皆さんどうにか座って下さい。狭いから、何人かづつで説明しますね」

 

 ユーリが計算道具の説明をすると聞いて、処理スピードの早さに気づいていた実習生達が何人も狭い部屋に押し掛ける。


「ユーリ嬢、此処では手狭です。会議室で説明して下さい」


 アンリは自分より身近でユーリの仕事振りを見ていた実習生の方が、優れた能力に気づいていたのを実感した。会議室に移って、ユーリは二人に一つの計算道具を渡して行く。


「簡単に使えますのよ。この上の玉が5、下の玉が1ですの」


 ユーリは算盤の使い方を説明し、昨年の予算を計算してみせる。


「指の使い方は練習が必要ですが、慣れれば頭を使わず計算ができますわ」


 流石に財務室に実習にきている学生達は、算盤の使い方の理解は早かったが、指が慣れていないから計算スピードは遅い。


「ユーリ嬢、この算盤を持って帰って練習して良いですか? 指の練習が出来れば、遅くても正確な数字が出ますし、早速つかいたいのです。慣れたら、スピードと正確な数字が出せると思いますね」


 ユーリは反応の良さに喜んだ。


「先ずは、足し算、引き算を覚えて下さい。掛け算と、割り算も、算盤だと簡単に出来ますが、九九を覚えて貰わないと駄目ですの。小学校でも、算盤と九九を教えるべきですわ」


 全員には算盤は行き渡らなかったので、後日貸し出ししますと伝える。会議室のドアを閉めながら、ユーリは上機嫌だ。


「ユーリ嬢、何か計画されているのではないですか?」


 アンリは算盤の実利性に気づいていた。


「国中の小学校に算盤を配布したいのです。実習生の方々はユングフラウ大学生ですし、財務室を実習場所に選ぶぐらいですから、計算能力にも優れていらっしゃるでしょ。その方々でも算盤の方が便利だと思われるのよ。買い物とかで、計算が遅かったり、間違っている事は日常茶飯事ですもの。商店や、レストラン、あらゆる所で、算盤は役に立つと思うの。これは頭の良し悪しでなく、練習すれば出来る技術なのだから、小学校で習うべきだわ。でも、予算が取れるかしらね~」

      

 溜め息をついているユーリを微笑ましく眺めながら、マウリッツ公爵が玩具箱のような頭脳と、宝石のような優しい心を持った娘だと言っていたとアンリは思い出す。


「結局、予算ですね。あれこれ社会を良くするプランを考えても、予算を獲得しないとね。今は予算案のチェックだけですが、内容と実績を考えて、どれを通すかどれを削るかの時期になると、各部署から陳情や、怒鳴り込みが増えますからね。皆、必死で昨年の予算は確保しようとしますから、新しい予算は通り難いのです」


 ユーリも財務室に1ヶ月いただけで、予算を通すのが難問だとわかってきていた。


「見習い竜騎士の私には予算案を出すことも出来ませんもの。早く竜騎士になるか、誰かに私の予算案を出して貰うしかないのよね」

 

 溜め息をつくユーリを寮までエスコートしながら、領地のある場所の説明とか、パーラーの収支報告書の件を話し合う。


「今回は開店1ヶ月の初めての収支報告なので、出資者の方々にはなるべく会って手渡ししたいのです。それとパーラーを借りている家主から、あと半分も借りないかと提案があって悩んでいますの。確かにパーラーは順調ですし、お客様をお待たせすることが多いの。パーラーを広げれば、お客様をお待たせする事も少なくなるし、冬場はゆっくりと温まって貰えるわ。 でも、アイスクリームの時期は終わるし、改築工事や人手を増やすと、経営が苦しくなりそうで困ってますの。収支報告書を渡しがてら、出資者の方々に相談に乗って貰おうと思ってますの」


 アンリはユーリにいつでも相談に乗りますよと約束する。 


「ありがとうございます。本当はユングフラウ大学で経営を勉強するべきなんでしょうね」 

 

「そうですね、勉強するのは悪くありませんよ。経営のみならず、経済や、政治も、勉強したら為になりますよ」


 ふ~ッと溜め息をユーリはつく。


「私は勉強が嫌いなの。フランツはパロマ大学で歴史を勉強したいと言っていたし、頭も良いし勉強するのが苦にならないみたい。本当は経営について学ぶべきだとは解っているけど、忙しいと理由を付けてサボっているのよね。ユングフラウ大学の実習生の皆さんと知り合って、勉強が出来るのねぇと驚く事が沢山ですわ」


 リューデンハイムの学習は知識を詰め込む大学のやり方と違い、考える能力を伸ばす物だったので、知識量では大学生の方が上だと感じるのだろうとアンリは思った。


「竜騎士は国をリードする立場の方が多いので、専門的な知識より、考える能力を伸ばす方を優先されているのでしょう。皇太子殿下が経営のバランスシートを読めなくても、臣下に任せれば良いのですからね。貴女も、発想力や実行力に優れていらっしゃるでしょ。

勉強も無駄にはなりませんが、人に任せるやり方や、人の使い方を学ばれた方が役に立つと思いますよ」


「そんな風におだてられると、益々勉強しなくなりますわ。ユージーンにも教養不足だと叱られますの。私の知識は実利性に片寄ってるみたいで、文学や歴史は通り一遍なの。秋の社交シーズンで唯一楽しみなのは、オペラかしらね。でも、オペラを観たこと無いの、楽しめるかしら? フランツは目を閉じて聞いた方が良いとアドバイスしてくれたわ」


 アンリはユーリの言葉で大爆笑する。


「フランツは面白いアドバイスをくれましたね。歌がお上手なユーリ嬢なら、オペラは楽しめますよ。ユングフラウのオペラハウスは世界一ですし、優れた歌手が出演しますから、聴きごたえありますよ」


 楽しみだわと二人で笑いながら、リューデンハイムの寮に帰って来るのを、グレゴリウスとフランツは国務省での見習い実習でアンリと仲良くなっていると感じた。

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