6話 遊学前のすったもんだ

 ユーリがフォン・フォレスト往復で疲れきり爆睡していた頃、ニューパロマではハロルド、ユリアン、ジェラルドが見習い竜騎士に昇格した。


 夏休みの間、ひたすら騎竜訓練に明け暮れた三人は、ぎりぎりだが見習い竜騎士の試験に合格出来たのだ。


「三人とも、おめでとう」


 エドアルドは三人の騎竜訓練に付き合って腕をあげていた。

   

「ありがとうございます。やっと水色の予科生の制服とおさらばできます」


 ハロルドはまだ見習い竜騎士には少し不足な点があるのは承知していたが、エドアルドのイルバニア王国への遊学に随行するために早く昇格できたのをラッキーだと考える。


「本当に嬉しいな! 10才の子どもと同じ制服では、令嬢方に顔向けが出来ないものね。それにユングフラウに随行出来るのも、楽しみだよね」


 ユリアンの発言で、エドアルドは離れ離れのユーリへの恋心を熱烈に語り出した。ハロルドは、ユリアンの阿呆! と内心で罵りながら、会えない切なさを語るエドアルドの言葉に相槌をうつ。


 ジェラルドが一人沈みがちなのを、他のメンバーも気づいていたが、見習い竜騎士になれたのだから徐々に努力するしかないと激励をしたのみだ。文武両道に優れたジェラルドは、今まで後塵を拝した事が無く、騎竜訓練でギリギリの成績で見習い竜騎士になったので自信喪失気味だ。激励したのだ



 ヘンリー国王と重臣達は、三人の見習い竜騎士への昇格を祝い、エドアルドの遊学についての話し合いをもうけていた。


「ケストナー大使から、やっとユーリ嬢がエドアルド皇太子殿下の社交のお相手をされるとの承諾の返事がきたと、報告がありました。しかし、ユーリ嬢とはお会い出来てないそうです。その上、国務省での見習い実習とか理由をつけて、パーティーへの参加は11時までとか馬鹿げた条件をつけたとか」

   

 マゼラン卿の報告に、国王や重臣達は呆れてしまう。


「ユーリ嬢はニューパロマに滞在中は、グレゴリウス皇太子の社交相手を立派に果たしておったではないか。いくら見習い竜騎士の実習があるからとはいえ、社交界にデビューした令嬢が11時で退席するとは馬鹿馬鹿しい」

   

 国王の言葉に全員が頷きはしたが、そういえばとマゼラン卿は思い出した。


「あっ、ユーリ嬢はニューパロマでも12時を過ぎる頃にはパーティー会場をあとにしてましたね。息子に聞きましたが、社交が嫌いだとか言ってたそうです。ユーリ嬢は基本は早寝早起きで、夜更かしはできないとか……大使館主催の舞踏会以外は早々に帰ってましたね」


 社交界が嫌いと言い切る令嬢に全員が困惑する。


「ユーリ嬢は皇太子妃になられる御方なのに、社交嫌いでは困るのでは?」


 シェパード卿の本音を全員が無視する。


「ケストナー大使には、少し強気で交渉に当たるように指示しておきたまえ」


 国王の命令を受けて、ケストナー大使はイルバニア王国の外交官と激しい攻防を繰り返すことになるのだが、恋するエドアルドは瑣末なことには興味は無い。


「ユーリ嬢から感謝のお手紙を頂いたのだ。バークレー社が、ユーリ嬢のデザインしたティーカップを売り出した意匠料を支払ったらしい。私の口添えのお陰だと感謝して下さってた。それをアイスクリームのパーラーを開く出資金の一部に充てたと書いてあった」


 その感謝の手紙の件も耳にタコができるほど聞いていたので、他のメンバーはスルーしていたが、エドアルドが貸して置いたキスを返して貰えるかな~と、妄想しだすと流石に止めに入る。


「エドアルド様! ユーリ嬢にまた平手打ちされますよ。それにユングフラウには恐ろしいアリスト卿がおられるのですから、孫娘に下手なちょっかいは出さないで下さいね」


 ハロルドの忠告で妄想は止まったが、今度は忘れてしまわれてるのではないかという不安や、グレゴリウスと夏の離宮で過ごされたと嫉妬したりで、他のメンバーは3ヶ月の滞在中ずっとこの調子なのかとウンザリする。



 フォン・フォレスト往復で疲れて爆睡したユーリは、空腹感で目を覚ました。 


「お腹が空いたわ~」


 まだ他の人が起きてきていない食堂で、早い朝ご飯を食べたユーリは、今日のスケジュールを確認する。


「今日は、昼から外務省でエドアルド皇太子殿下の歓迎式典の打合せと、カザリア王国の大使館へ挨拶かぁ。夕方にはパウエル師の声楽レッスンがあるし、午前中に溜まった予算案を片付けなきゃ」


 ユーリは早めに国務省に出勤しようと席を立った時に、グレゴリウスとフランツが食堂に入ってきた。


「おはようございます」


 簡単な挨拶を残して、忙しそうに出て行くユーリを心配そうに二人は眺める。


「まだ実習時間じゃないだろうに」


 グレゴリウスがユーリを心配して苛立ちを隠せない様子なのを、フランツは宥める。


「昼からは外務省の用事があるから、ユーリは自主的に早めに行ったのでしょう。この時期の財務室は殺気立ってると言われてますから、体力的に心配ですね」


 二人の心配通り、早めに国務省に着いたユーリだったが、財務室はほぼ全員が仕事を始めている。


 自分の部屋に着くと、机の上には山積みの予算案が雪崩現象を起こして、床にまで広がっていた。ユーリは床に落ちている予算案を拾いながら、前に返却した予算案が再提出されているのに気がついた。


「今度は間違いが無ければ良いのだけど……」 


 ユーリは国務省の中の福祉課の予算案をバランス卿に返却しに行った時の、困ったような様子を思い出す。


「この予算が通らないと、貧窮院の援助が出来なくなるのよね。いい加減な貧窮院の決算書が添付されているから、返却したけどなおしてあるかしら?」


 ユーリはまず一番に気になっていたバランス卿の提出した予算案をチェックしたが、間違っている添付書類に気づいて無いのにガッカリする。


「こんなの時間の無駄だわ! どこが間違っているか、指摘して返却するべきだったんだわ。そうすれば、何度も同じ予算案が、行ったり来たりしなくて良いのよ」


 ユーリは付箋紙を間違っている箇所に貼って、正しい数字を書き込んでいく。資料自体があやふやな物は、再提出させるように理由を書き込んだりしたので、シュミット卿にチェック済みの予算案を渡す量は少なくなる。


「少ないな? 返却する予算案が多いのか?」


 シュミット卿はいつもより少ない予算案に疑問を抱いたが、それでも内容のチェックに忙しくて、ユーリが付箋紙にアドバイスを書き込んでいるのに気づかなかった。


「せめて、机の上の予算案だけでもチェックしなければ」


 朝から次々と予算案が各部署から舞い込んでいて、受付のユーリの部屋の隅には山が出来ている。昼から外務省に行かなくてはならない時間が惜しく感じられるユーリだ。


 昼飯を抜いてチェックを続けたユーリは、朝に机の上にあった予算案をやっと終えた。しかし、午前中に持ち込まれた予算案が、部屋の隅に山積みになっているのをウンザリと眺める。


 昼からエドアルド皇太子の歓迎式典の打合せや、カザリア王国の大使館への顔合わせに行く予定のユーリが現れないので、指導の竜騎士のユージーンと、シュミット卿が仕事で引き留めていた場合に備えてジークフリートもいっしょに財務室に来た時、ユーリは返却に各部署を回りに行こうとしていた。


「ユーリ、昼からは外務省での見習い実習だぞ」


 シュミット卿の控え室がユーリの部屋だと受付に聞いて入ってきた二人は、部屋に山積みの書類に驚いた。


「ユージーン、その山を崩さないで。そちらはチェック済みなのよ」

    

 ユーリはシュミット卿に外務省に行く許可を貰いついでに、チェック済みの予算案の返却がまだだと報告した。


「チェック済みの予算案の返却は、他の実習生にやらせよう。此方に持ってきなさい」


 ユーリが山積みのチェック済みの予算案をシュミット卿の執務室に運ぶのを、ジークフリートとユージーンは仕方なく手伝う。


「ユーリ、その付箋紙は何だ?」


 シュミット卿は各部署に分けられた返却する予算案の山を不審そうに眺める。


「余計な事かもしれませんが、同じ予算案が行ったり来たりするのは時間の無駄だと思いましたから、間違った数字や、不適切な添付書類を書いて返却しようと思ったのです」


 国務省の福祉課が提出した予算案には丁寧な書き込みと、改善点や、正確な数字が書き込まれており、こんな事をしていたから回ってくるチェック済みの予算案が少なかったのかと納得する。


「私は、ただチェックして返却しろと言ったはずだ。

こんな風に甘やかしては、各省庁の官僚が楽をするばかりではないか」

 

 ぶつぶつ小言は言ったものの、シュミット卿は予算編成時期になって重要な予算案が駆け込みで再々提出されるよりは、早めに改善案が提出された方が遣りやすいと考える。


「そこの外務省の予算案は、お迎えの二人に持って帰って貰いなさい」


 いつもは山積みの書類を運ばせているクセにと少し腹がたったが、令嬢に重い書類を持たせて手ぶらで歩く精神は持ち合わせていないジークフリートとユージーンは、遠慮するユーリから書類を受け取る。



 外務省では、外務相と外務次官が、ユーリを迎えに行った二人を苛々しながら待っていた。やっとあらわれたユーリから、山積みの予算案を返却されて苦虫を噛み潰したような顔に一瞬なりかけたが、グッとこらえてにこやかな表情を取り繕った上司に、ジークフリートとユージーンは苦笑する。


「皇太子殿下と、フランツを呼んで来てくれ」


 一緒に説明しようと二人を呼び寄せた外務相は、返却された予算案の付箋紙に気づいた。


「これはユーリ嬢が書かれたのですか?」 


 細かい添付書類の計算ミスなどに、正確な数字が書き込まれているのに外務相は驚いた。 


「ええ、何度も同じ予算案をチェックするのは時間の無駄ですもの。それに苦情を言いに来られるのにも、ウンザリしましたから。外務省の方は怒鳴り込んで来られないので助かってますが、このようなアバウトな添付書類では通せませんわ。改善点を書いておきましたので参考にして下さい」


 見習い竜騎士から自分達の不手際を指摘されて、恥ずかしさに頬を染めた外務相と外務次官だった。


「外務相、皇太子殿下とフランツを呼んできました」


 二人が入室したので、ユーリは席を詰めようと立ち上がったが、立ち眩みをおこしてジークフリートに支えられる。


「大丈夫ですか? 昨日も顔色が悪かったし、国務省の実習は見習い竜騎士がする範疇を超えています」


「そうだ、今日も昼からは外務省での打合せとなっているのに、引き留めて」

       

 ユーリは空腹で立ち眩みをしたとは恥ずかしくて口に出しにくかったが、指導の竜騎士のシュミット卿の悪口は聞きたくなかった。


「違いますわ、お昼を抜いたのでお腹が空いてるだけです」


 グレゴリウスは、ユーリがシュミット卿にこき使われて、昼食を取る時間も無いのかと激怒する。


「誤解ですわ、シュミット卿は予算案の下チェックのみを命じられただけです。余計な書き込みで時間を取られたのだから仕方ありませんわ」


 昼食を抜いたと聞いて、激怒するグレゴリウスをユーリは止める。


「早く、歓迎式典の説明をしていただけませんか? 大使に挨拶したら、速攻で帰りたいのです。こうしている間にも、机の上に予算案が山積みになって雪崩現象が起きてるのですもの」


 国務省の冷血の金庫番に毒されてるユーリに全員が困惑したが、グ~ッと鳴ったお腹の音に赤面する姿に、外務相は吹き出してしまう。


「ジークフリート卿、ユージーン卿、ユーリ嬢に何か食べさせてあげなさい。このようなユーリ嬢を、カザリア王国の大使に紹介出来ませんよ。皇太子殿下とフランツも、一緒にユーリ嬢と説明を聞きなさい」


 お腹を押さえて鳴らないようにしているユーリは、食べなくても平気ですと抗議したが、聞いてもらえなかった。




 外務省の食堂で、ユーリが凄いスピードで遅い昼食を食べているのを、ユージーンは消化に悪いのではと心配する。


「そんなに慌てて食べなくても大丈夫だ。大使館には、お茶の時間に招待されているのだから」


 ユーリは時間が勿体ないから、食べている間に説明を始めて貰おうとしたが、訪問の時間が決まっていると知りガッカリする。


「お茶の時間ってことは、お茶が出るのよね~ちゃっちゃと挨拶して帰るつもりだったのに……今日は夕方はパウエル師の声楽レッスンが入っているので、残業ができないのよ」


 ユージーンは、カザリア王国の大使館を辞するのに良い口実が見つかったと喜ぶ。


「そうか、声楽レッスンの日だったのか。ならば、早々に大使館は引き上げなくては」


 フランツはユージーンがエドアルドの社交相手の件で何度も交渉しているケストナー大使と会うのを、ウンザリしているとあからさまにするのに驚いた。


「ユージーン卿、何かあったのですか?」


 グレゴリウスですら不審に思うユージーンの態度に、ジークフリートは苦笑する。


「カザリア王国のケストナー大使は、曲者の銀狐ですから長居は無用ですよ。奥方のレーデルル大使夫人は優雅でお美しい方ですが、銀狐の連れ合いらしく油断出来ないご婦人ですしね。ユーリ嬢、レーデルル大使夫人にはお気を許さないようにして下さいね。エドアルド皇太子殿下と二人きりにしようと画策されるかもしれませんから」


 ユーリは優しかったセリーナを懐かしく思い出す。


「何だか憂鬱ですわ~。女性の方を警戒しなくてはいけないなんて」


 不安そうなユーリの様子に、気の良い母上ではレーデルル大使夫人に対抗出来そうもないと、ユージーンとフランツも困り果てる。


「私達もサポートしますから」


 ジークフリートも何度かレーデルル大使夫人と会った感触から、なかなか遣り手な印象を持っていたので、失礼ながらマウリッツ公爵夫人では太刀打ちできないと感じる。さりとて公式の晩餐会や舞踏会なら王妃様の列席もおかしくないが、皇太子殿下主催のパーティーに二世代上の王妃に出席して貰うのは難しく感じられた。


 特に、グレゴリウスが立太子してから、若手のパーティーではニューパロマで流行っていたパトトワレや、トロット、リースなどが踊られるようになっており、世代交代を望む気風が満ちてきていた。


 アルフォンス国王は健康だし、在位期間も長く、落ち着いた統治に安心感を国民は持っていた。しかし重臣達の高齢化もあり、変化に乏しくなっている。


 ローラン王国の脅威を感じながらの一見平穏な生活に、微かな苛立ちを感じている国民は、若い皇太子がおこす変化を望んでいた。その変化が巻き起こす犠牲には目を瞑っている強行論者と、あくまで平和を望む人達の間で論争からの決闘騒ぎがおこった。


 ジークフリートはユーリへのローラン王国からの縁談を、戦争を免れる為に受け入れるべきだと主張していた一団が最近おとなしいのは、マウリッツ公爵家が何らかの手をうったのではないかと疑っていた。

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