5話 フォン・フォレストへ家出
算盤に怒りをぶつけたユーリは、定時に実習を止めると部屋を飛び出したが、寮にも、フォン・アリストの屋敷にも、マウリッツ公爵家にも行きたくなかった。
「パーラーは定休日だし、行く場所が無いわ。寮で、皇太子殿下やフランツに会いたくない。ましてや、お祖父様や、ユージーンに会ったら、ケンカしてしまいそう」
ユーリは寮に外泊届けを出したものの、行く場所が無くて困っていた。
『イリス、フォン・フォレストまで行って、明日の実習までに帰って来れる?』
ユーリは、イリスとフォレストに飛び立った。
グレゴリウスはジークフリートからエドアルドの社交相手の件を聞いて動揺したが、ユーリも衝撃を受けただろうと心配していた。
「ユーリは、フォン・アリストの屋敷に泊まるみたいですね。外泊届けが出ているようです」
フランツもユーリを心配して、寮で見かけないので寮監に聞いてきたのだった。グレゴリウスは、ユーリがフォン・アリストの屋敷に居るのを確認しなければと胸騒ぎがした。
「そうなんだ……ユーリは社交が苦手だから、きっと嫌がっているよ」
グレゴリウスがさっさと会話を切り上げたのを、フランツは不審に感じる。グレゴリウスは竜舎に行くと、イリスの不在を確認した。
アラミスとそっとフォン・アリスト家の竜舎にイリスがいるのを確認したら、寮に戻るつもりだったが、居ないのを知った。
「皇太子殿下! ユーリはフォン・アリストの屋敷に居ないのですね」
フランツは、グレゴリウスの不自然なスルー振りに不審を感じて、付いてきたのだった。
「フランツ! どうして、ここに?」
「アリスト卿が帰ってきたら、大事になりますね。ここに長居は出来ませんから、一旦は寮に帰りましょう」
フランツに急かされて、グレゴリウスは寮の竜舎に帰ったが、心配でいたたまれない気持ちだ。
「ユーリは、どこに居るのだろう?」
グレゴリウスは心配でならない様子なので、フランツも心配していたが宥めにかかる。
「多分、フォン・フォレストですよ。ヒースヒルのハンナは、新婚のハネムーンだから遠慮するはずです。外泊届けを寮に出しているのだから、明日の実習までに帰ってくるつもりなのでしょう」
グレゴリウスはフォン・フォレストに直ぐにでも行きたいと思ったが、行ったことのない場所に夜間飛行は無理だと止められる。二人はユーリが帰って来るのを信じて、眠れない夜を過ごすことになった。
一方のユーリは、夜遅くフォン・フォレストに着いた。
「まぁ、こんな夜遅くにどうしたのですか?」
ユーリは、お祖母様の顔を見るなり、泣き出してしまった。
国務省での見習い実習、騎竜訓練でパパとイリスが修了していた事、パーラー、そして女性の職業訓練所をつくる為に画策したりと、ユーリは一杯一杯だったのに、エドアルドの件で限界を超えてしまったのだ。
モガーナは泣いているユーリから事情を聞き取ると、竜馬鹿のマキシウスには孫娘を預けて居られないと決心した。
「さぁさ、もう泣くのはおよしなさい。夕食も、食べていないのでしょ?」
ユーリに夕食を食べさせて、お風呂に入らせると、モガーナは大きな溜め息をつく。
「竜騎士になるのを、やめたらどう?」
モガーナの言葉に、ユーリは驚いて拒否する。
「ごめんなさい、お祖母様に心配をかけてしまったわね。あれこれ重なってしまったからなの。頑張って、竜騎士になりたいの。明日の見習い実習迄には帰らないといけないから、朝は早くたつわ」
ユーリが竜騎士になるのは元々反対だったモガーナは、イリスとの絆は尊重するが、どうにか竜騎士にならない道があるのではと資料を探していた。
何人かの女性竜騎士は王家の姫君で、リューデンハイムで勉強して見習い竜騎士になったものの、直ぐに結婚されたりで形式上は竜騎士と呼ばれてはいたけど、実質的には普通の生活を送った方もいたのだ。
もちろん、中には偉大な女王として君臨なさり、竜騎士としても立派な方もおられたが、ユーリには楽な道があると教えてくれる人がいないのではとモガーナは案じた。
グレゴリウスやエドアルドとの縁談は、ユーリにとっては迷惑なだけだとモガーナは考えていたので、竜馬鹿のマキシウスに任せず、幸せにしてくれる相手とさっさと結婚させた方が楽な生活ができると思った。
「あの娘は、国務省で女性の為の予算を貰おうと必死みたいだけど、そんな困難な道を歩まなくても、チャリティーとかで充分ですわ。風車や、他にも特許をとるみたいですから、それをあてれば良いのに」
モガーナの意志に反して、ユーリは明日の早朝にはユングフラウに帰らなくてはと、風呂をつかうとスッキリしたわと寝てしまったが、モガーナはまんじりともせず朝を迎えた。
早朝にイリスと飛び立つユーリを見送りながら、モガーナは一大決心を固める。
「あの娘の後見人は、私なのだわ。社交界なんて大嫌いだけど、孫娘を守るにはシャルロット様の娘のマリアンヌ様では少し頼りないわ。とても気の良いマリアンヌ様は、カザリア王国のアプローチに対する盾には弱すぎますわ。ましてや、グレゴリウス皇太子殿下の妃にしようとお考えの王妃様には、任せておけませんわ」
大嫌いなユングフラウに、ユーリの為に行くことを決心したモガーナだった。
リューデンハイムの寮でも、グレゴリウスとフランツは、眠れない夜を過ごしていた。
「ユージーンに知らせた方が、良かったのかな?」
ユーリがもしフォン・フォレストに留まって、見習い竜騎士の実習を止めると言い出したらどうなるのだろうかと、二人はだんだんと心配になってきた。
「過去の女性の竜騎士で、何人かの姫君は普通に結婚された方もいたと聞いてるよ。でも、ユーリは結婚しても、仕事をしたいと言ってたから……」
グレゴリウスは、ユーリが竜騎士になるのを前提に話していたのだと気付いた。
「皇太子殿下、その姫君達は絆の竜騎士では無かったのでは? グレース女王は絆の竜騎士だったと歴史に残っていますが、女性の絆の竜騎士は他にいらしたでしょうか?」
フランツとグレゴリウスは、ユーリが竜騎士になるのをやめても、イリスとの絆は誰にも干渉できない神聖な物であるのはわかっていたが、そんな不祥事は考えてただけで恐ろしく思えた。
「でも、ユーリが結婚すれば話は別ですよね。結婚して家庭に入りたいとユーリが言えば、誰も見習い竜騎士の実習を強制できないでしょう。ましてや、エドアルド皇太子殿下の縁談など消え去ります。ユーリには特許使用料に加えて、フォン・フォレストと、フォン・アリストの領地収入があるのですから、篤志家してチャリティー三昧できますよ」篤志家として
グレゴリウスはフランツの言葉で、ユーリが苦労しなくても良い道があるのに気がついた。
「そうなんだ! でも、そうなるって事は……ユーリが他の男と結婚するって事じゃないか! リューデンハイムも退学だし、私はユーリと会えないよ。フランツ、ひどい! 君はユーリが誰と結婚しても、ずっと親戚付き合いできるから、そんなに気楽なことを言ってられるんだ」
フランツは、あくまで仮定の話じゃありませんかと、グレゴリウスを慰める。
「ユーリは帰ってきますよ。途中で見習い実習を投げ出したりしないと信じましょう」
フランツとグレゴリウスは、ベッドに横になったものの、眠れない夜を過ごした。
『ユーリが帰って来たよ!』
翌朝、眠れない夜を過ごし朝方うとうとしていたグレゴリウスは、アラミスの言葉で飛び起きた。寮の食堂でユーリがお茶を飲んでいるのを見てホッとしたが、顔色が悪いのを心配する。
「おはようございます。ああ、遅刻しちゃうわ」
ユーリはグレゴリウスの顔を見るやいなや、バタバタと国務省の方に駆けていった。
フランツも、ルースからユーリが帰って来たのを教えて貰い、食堂に降りてきたが、慌ただしい挨拶だけだった。
「まぁ、帰ってきたんだし、ことを荒立てない方が良いでしょう」
フランツは後でユージーンには報告はしておかなければとは考えていたが、ユーリの不利にならないように処理したいと思う。
「それより、ユーリは寝てないんじゃないか? 顔色が悪かったし、朝食も食べてなかった」
「人の心配より、自分達も遅刻ですよ」
寮の食堂には午前中に授業のない教師だけだと気づいて、二人は朝食抜きで外務省に走っていった。
ユーリは、流石にフォン・フォレスト往復で疲れていたし、寝不足だった。午前中はどうにか実習をこなしていたものの、昼食を食べるより少しでも寝たい気持ちだ。
眠気覚ましにコーヒーを飲んでいたユーリの前に、アンリが座った。
「ご一緒しても、宜しいですか? もう、昼食は終わられたのですか?」
トレイの上のコーヒーだけなのに、アンリは少し怪訝な顔をした。シュミット卿が、早めに昼食をとらせるような優しさを発揮するとは思えなかったからだ。
「いえ、今日はコーヒーだけです。もう一杯貰ってきますわ」
若い令嬢がダイエットをするのは常識として知ってはいたが、ユーリと何回か食堂で一緒に食べた時に、沢山食べるのに少し驚いただけに、大丈夫だろうかと案じた。
「ロックフォード侯爵領の風車は、もうすぐ出来上がりますよね。一度、見に行きたいのですが、宜しいでしょうか?」
マウリッツ公爵からユーリが考案した風車の建設の話を持ちかけられたロックフォード侯爵は、内陸部の領地で小さな川しか流れてないので水車使用の揉め事は絶え無かったのから、試しの建設の協力を引き受けた。
「父は今年の収穫に間に合わせようと技師や、大工を急かしたみたいですね。もう、ほぼ出来上がってますよ」
ふぅ~っと、ユーリは大きな溜め息をついた。エドアルドの社交相手で時間が取られるのが、悔しかった。
「どうされたのですか?」
鬱々としたユーリの様子に、アンリは心配する。
「風車が出来上がったら、色々な方に見学して頂きたかったの。そして、風車の利便性を宣伝しようと考えてたのに、社交に時間を取られるのが痛いわ。本当にパーティーなんて大嫌い」
公爵からユーリの社交界デビューの舞踏会に招待されているアンリは苦笑する。
「そんなことを仰らないで下さい。貴女の舞踏会も楽しみにしてますのに」
「あ~あ、そうでしたわ。私の為にマウリッツ公爵家で舞踏会を開いて下さるのだったわ。他のパーティーが山積みで……その舞踏会にもエドアルド皇太子殿下をご招待するのかしら?」
ユーリにエドアルド皇太子からの縁談が申し込まれているという噂は聞いていたし、御遊学されるとも知っていたが、憂鬱そうな様子に歓迎のパーティーに借り出されたのだと察した。
「私がお力になれる事があれば仰って下さいね」
「ありがとうございます。パーラーの開店の時も色々と相談に乗って下さいましたし、助かりましたわ。もうすぐ開店1ヶ月ですから、出資して下さった方々に報告書を送らして頂くつもりですの。一度、チェックして頂けませんか?」
アンリはいつでも良いですよと快諾する。そろそろ昼休みも終わりの時間だと、席を立とうとしたユーリはクラリと立ち眩みをした。
「大丈夫ですか?」
素早く支えてくれたアンリに、ユーリは大丈夫と答えたが、顔色が悪いのを心配して椅子に座らされる。
「少し寝不足なだけです。昼からの実習が終わったら、寮で寝るから大丈夫です。遅刻したら、怒られますわ」
部屋に急いぐユーリを心配そうにアンリは眺めていたが、自分の仕事も山積みなので溜め息をつく。
「アンリ卿、ユーリ嬢と仲がよろしいのですね」
溜め息をつく姿を同僚に冷やかされたりしたが、いつも一生懸命すぎて疲れが溜まっているのではと心配していたアンリは、耳に入っていなかった。
昼からも眠気と戦いながら、予算案のチェックをしていたユーリは、数字や、書類の不備のない予算案をシュミット卿に渡した。
「各省庁に不備があった予算案を返しにいきます。他の用事はありませんでしょうか?」
シュミット卿は、ユーリの顔色が悪いのに気付いた。昨日の件を気にしているのではと考えたが、こちらで対処できる問題ではないと口を出すのを控える。
「返却し終わったら、今日は帰って良い」
ユーリは返却しながら苦情を聞いてるうちに、だんだんと気分が悪くなってきた。寮に帰り易いように一番近い外務省を最後に回っていたユーリは、文句や苦情をつける官僚がいないのはエドアルドの件があったからだと思う。
「ユーリ嬢、顔色がよくありませんよ」
偶然会ったジークフリートの顔を見た途端に、ユーリは気を抜いたら倒れてしまうと、大丈夫ですとキッパリと言い切って残りの予算案を返却し終える。
やっと終わったと一息ついた瞬間、ユーリはその場に崩れ落ちた。
「ユーリ!」
ジークフリートからユーリが外務省に来ていると聞いたグレゴリウスは、顔色が悪かったと知り、心配して探していたのだ。
「大丈夫よ」
グレゴリウスの腕に抱かれたユーリは、顔色も悪く大丈夫そうには見えない。
「少し、寝不足なの。もう、寮に帰って寝るわ」
ふらふらと寮に向かうユーリに付き添いながら、昨夜フォン・フォレストを往復なんかするからだと内心で怒っていたが、それ程追い詰められていたのに自分を頼ってくれなかったのを情けなく感じる。
「寝れば、大丈夫でしょう。私達も今夜は早く寝ましょう」
女子寮は男子禁制なので、ユーリの部屋まで送っていけないのを悔しく思いながらグレゴリウスが立ち竦んでいるのを、フランツは夕食に誘う。
ジークフリートは、ユージーンから、ユーリがフォン・フォレストに帰ってきたことを聞かされて、誰にも相談できなかったのかと可哀相に思う。
「私にも距離を置こうとしたのでしょうね。母や父に、言いつけるようで屋敷にも来れなかったのでしょうが、フォン・フォレストまで往復するとは……」私とも
ユージーンは、ユーリが一人で何もかも抱え込んでしまっているのが心配だった。
「モガーナ様ならユーリ嬢の相談相手にはなりますが、ユングフラウはお嫌いですからね。もしユングフラウにいらしたら、エドアルド皇太子どころか、グレゴリウス皇太子殿下も完璧に排除なさるでしょうね。
ユーリ嬢が竜騎士を目指すのも反対でしょうし、優しい伴侶とくっつけて引退させようとされるかもしれませんね」
確かに自分の家族もユーリには優しい相手との結婚を望んでいるとユージーンは溜め息をつく。
「まぁ、ユーリは竜騎士を目指してますし、結婚はまだ考えても無いでしょう。あれやこれやバタバタし過ぎの上に、エドアルド皇太子の件が重なったので精神的に疲れたのでしょう。それにしても、シュミット卿は見習い実習生のユーリに嫌な仕事を押し付けてますね。外務省は苦情を言いに行くのを控えてますが、他の部署からの苦情はユーリに集中しているみたいです」
ジークフリートもユージーンも、シュミット卿には何度となく不愉快な目にあわされたので、今ユーリが同じ事をしているのかと思うと困惑してしまった。
「実習生にさせる仕事じゃ無いでしょう。シュミット卿は何を考えているのでしょうか」
ユーリが風車の件で取り引きを画策しているのは二人とも知っていたが、あの冷血の金庫番に通じるとは思えなかった。
「国務省での見習いなど諦めて、外務省で見習い実習をすれば良いのに」
ジークフリートの言葉に、えっ、それは……と、賛同しかねたユージーンだった。
外務省の二人の指導の竜騎士から、ボロクソに言われていたシュミット卿は、だんだんと忙しくなってくると、奥方との一緒の夕食を諦めなくてはならなくなるなと溜め息をついていた。
「今年も、忙しくなりそうですか? 無理をなさらないで下さいね」
幼い頃からの許嫁であったジョージーナは、サーシャの健康を気づかっていた。
「この時期は仕方ないさ。予算が決まったら、冬至祭には田舎に帰って過ごそう。それまでは少し寂しい思いをさせるかもしれないね」
サーシャ・フォン・シュミットが竜騎士の素質があり、リューデンハイムに入学が許された時、近くの田舎貴族の令嬢であるジョージーナとの親同士の結婚の約束は反故にされそうになった。竜騎士になればもう少し格上の令嬢との縁談も望めるのに、サーシャは幼なじみのジョージーナとの結婚の約束は破れないと、両親に懇願したのだ。
結婚してもジョージーナは忙しいサーシャが自分の為に出来うる限り一緒に夕食を取ろうと努力してくれているのを感謝していたが、その優しさの半分でも同僚や、部下の人達に向けてくれれば良いのにとも思っていた。
『冷血の金庫番』と、夫が呼ばれているのは、ジョージーナも知っていて、仕事熱心で、国民の税金を無駄に使わしたくないとの熱意のあまりの態度が誤解されているのだと気にしていた。
「貴方の見習い竜騎士のユーリ嬢は、可愛らしいお嬢様ですね。見習い竜騎士には見えない華奢なお方で驚きましたわ。令嬢なのだから、優しくしてあげて下さいね」
ジョージーナの言葉に、女性だからといって特別扱いをする気のないサーシャは、困った顔をする。そういえば今日のユーリは疲れた顔をしていたと思い出したが、エドアルド皇太子の件を気にしているのだろうと考えた。
外務省はユーリが追いつめられているのは、シュミット卿が嫌な仕事を押しつけているからだと思い、国務省はエドアルド皇太子の件だと決めつけていた。
ユーリは当分の間かなりの重圧に耐えることになる。
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