4話 お断りします
「ユーリ・フォン・フォレスト嬢、外務相の部屋に至急お越し下さい」
やっと肝を据えて話す気になった外務相は、嫌な事は早く済ませてしまおうと、ユーリを国務省まで部下に呼びにやらせる。
「外務省に返した予算案の件でしょうか?」
かなりの数の外務省の予算案を突き返したのに、他の省庁と違い誰も怒鳴り込んでなかったので、まとめて怒るつもりなのかとユーリは誤解したのだ。
「さぁ、私は外務相からユーリ嬢をお連れするように指示されただけですから」
外務省の人間なので、エドアルド皇太子の遊学の件だとは推察していたが、余計な情報を与えないのが身に付いている。ユーリは実習中なので、指導の竜騎士の許可を貰わないといけないと、シュミット卿の部屋に行った。
「シュミット卿、外務相から部屋に来るようにと呼び出されたのです。至急だと言われましたので、行ってきて宜しいでしょうか?」
シュミット卿は国務相から聞いていたので、エドアルド皇太子殿下の社交相手の件だと、ユーリに許可を与える。
「ランドルフ外務相には私も話したい事があるから、一緒に行こう」
ユーリを迎えに来た外務省の職員は、付き添いのシュミット卿の扱いに困ったが、外務相が上手く取り計らうだろうと執務室に案内した。
執務室に外務次官、ジークフリート、ユージーンを待機させて、ユーリを説得しようと考えていた外務相は、とんでもない付き添いに眉を顰める。
「外務相から、国務省の見習い竜騎士にお話があると聞きましたので、指導の竜騎士として付き添って参りました」
ユージーンは、天敵とも呼べるシュミット卿が、ユーリの付き添いだという矛盾に頭痛がする。
あくまでもユーリは国務省の見習い竜騎士だとの主張を通そうとするシュミット卿の言葉に、全員が反感を感じる。
外務相は怒りを抑えて、ユーリに丁寧に椅子を勧めた。外務相の執務室には豪華な応接セットが置かれており、ユーリはシュミット卿と並んでソファに座った。
「ユーリ嬢、エドアルド皇太子殿下の御遊学はご存知でしょうな?」
ユーリ以外の全員が、どれだけ遠回しに話すのかとウンザリする。
「時間の無駄ですね。優雅な外務省と違い、これから予算の編成作業を控えてるので、手短にお願いします」
シュミット卿の無礼な発言に、誰も貴卿に来て欲しいとは言ってないだろうと内心で毒ついたが、遠回しに言ってては話が長引くだけなのも確かだ。
「カザリア王国から、エドアルド皇太子殿下の御遊学中の社交相手をユーリ嬢にとの要請があったのです」
こうなったらズバッと言おうと外務相はユーリに本題を伝えたが、決定事項としてではなく、要請があったと弱い表現を使った。
ユーリは思いっきり嫌な顔をする。
「お断りします!」
やはりスンナリと引き受けてくれる訳が無いと、外務省のメンバーは交渉が難航するのを覚悟する。
「では、話は終わったみたいですので、これにて失礼します。君も仕事に戻りなさい」
ユーリを促して部屋を出ようとするシュミット卿を、外務相は慌てて引き留める。
「いや、シュミット卿は忙しいだろうから、仕事に戻ってくれて宜しいのですが……」
ユーリを説得するだけでも大変なのに、冷血の金庫番まで付き添ってては話も出来ないと、暗にお引き取りを願ったが、ソファに座り直す。
「社交相手など、嫌がっている相手に、無理強いするものではないでしょう。カザリア王国側に、ユーリは断ったと伝えれば良いだけです」
ユーリは冷たい指導の竜騎士のシュミット卿が、伝統的に仲の悪い外務省に憂さ晴らしの為かも知れないけど、自分の意思を尊重してくれる立場を取ったのに驚いた。
外務次官はこれでは話にならないと、ジークフリートに目で合図する。
外務相とシュミット卿の議論は、平行線をたどっていた。ユーリは外務相の言葉に政略結婚がまだ継続審議中である事や、ローラン王国の南下政策が変わらない限り、簡単に断る事が出来ない情勢なのだと察した。
埒があきそうにない話し合いに、ジークフリートは国王に外務相の応援を頼んだ。
国王はユーリがエドアルドの社交の相手など反対したいと思っていたが、来週にはユングフラウに到着するのに揉めていても仕方ないと重い腰をあげた。
「シュミット卿、ユーリの外務省への貸し出しは決定事項なのだ。このような申し込みは異例ではあるが、ユーリは絆の竜騎士であり、誰も政略結婚を押しつけられないと突っぱねた結果なのだよ。カザリア王国側からの縁談を断る事が出来ない政治情勢なので、お互いを知り合う機会を与えて欲しいとの要請までは拒否できなかったのだ。ユーリ、お前には迷惑な話だろうし、私も本心では反対だが、引き受けて貰わないといけないのだ」
国王に命じられては、シュミット卿も、ユーリも拒否はできなかった。
「外務省のスケジュール表を見せて下さい。こちらの見習い竜騎士の実習に、なるべく差し障りの無いようにして頂きたいですね。外務省への貸し出し期間は、国務省での見習い実習は休むわけですから、不利になりますよ」
エ~ッと、ユーリは悲鳴をあげる。
「そんなの困ります! 早く竜騎士になりたいのに」
外務省のスケジュール表を真剣にチェックし出したユーリが、外務省と大立ち回りをするのを予測して、シュミット卿は仕事がありますのでと、シャアシャアと言って退室する。外務省のメンバーも、国王さえも、シュミット卿の遣り口に腹を立てた。
「ユーリが不利にならないように取り計らうから、安心しなさい」
国王の言葉に少しは安心したが、ユーリはビッシリと予定の詰まったスケジュール表にウンザリする。
「やっと国務省の実習に慣れて、色々と計画してたのに台無しだわ。こんなには付き合いかねます。平日の昼は、国務省の実習を優先させて頂きますわ」
ユーリは、スケジュール表にバツを入れ始める。外務次官、ジークフリート、ユージーンは、ニューパロマ滞在中のユーリなら泣いて嫌がったのではと、夏休みと1ヶ月足らずの国務省での見習い実習で逞しくなったと溜め息をつく。
泣いて嫌がっても説得して、結局はこちらの計画通りに出来るが、ユーリが社交の条件を付けてくるとは思いもよらなかった外務省は、先手を取られて不利な態勢になった。
とは言っても熟練の外交官に、見習い竜騎士のユーリが勝ち目が無いのは目に見えていた。
「この件は、外務省に貸しておきますわ。そのうち、協力をお願いする時に、利子を付けて返して頂きます」
何件かの昼の予定をキャンセルさせると、ユーリは捨て台詞を残して国務省へと帰って行った。
「シュミット卿を、ユーリ嬢の指導の竜騎士にするなんて。すっかり国務省に毒されているではないか!」
カザリア王国に特使随行に行く前の可憐なユーリを懐かしく思い出す外務相だったが、国王にエドアルドと親密にならないようにと念押しされて、これから本腰を入れてケストナー大使との交渉を始めようと決意する。
「ケストナー大使から、ユーリ嬢本人と会いたいとの矢の催促です。あちらも、エドアルド皇太子の到着までに打ち合わせがしたいのでしょうが、こちらからの条件を飲み込むまでは、国務省が暇をくれないとでも言って、引き延ばしましょう」
外務次官の発言に外務相も頷いた。
「ユーリ嬢の後見人は王妃様だが、エドアルド皇太子が出席されるパーティー全ての出席は無理だろう。あちらはケストナー大使夫人が後見人を勤めますと言ってきているが、可愛い子羊を狐の連れ合いに番させるわけにいかない。ユージーン卿、母上のマウリッツ公爵夫人に頼めないだろうか?」
外務相からの依頼を、母が断るとは思えなかったが、立場の違いを説明しにくく感じる。
「それは、少し問題がありますね。母はエドアルド皇太子とユーリが親密にならないように協力してくれると思いますが……母はユーリには苦労をさせたくないと思っています」
ユージーンが省いた言葉を、全員が理解した。
マウリッツ公爵家が国王の思し召しに反する考えを持っているのは気づいていたが、やはりハッキリ口にするのは憚られた。
「エドアルド皇太子に対して同じ考えなら、お願いしたい。お屋敷に伺う許可を貰っておいて下さい」
少し頼りない所がある母だが、ケストナー大使夫人よりは信頼できると頷く。
「あと、ユーリは12時には寝てしまいますから、エドアルド皇太子の社交相手は11時までにして貰いましょう」
外務相は、ユージーンの提案に驚いたが、特使一行は納得する。
「そうですね、ユーリ嬢は何時も寝てしまってましたね」
「おお、そうだ! ユージーン卿が何時もユーリをベッドまで運んだと聞いたぞ。外国の賓客の前で、オネムは拙いだろうから、11時までとして貰おう」
外務相は国王が言われたふざけた要求が通るとは思えなかったが、難問のユーリの説得が出来たので、後は外務次官に任せる事にした。
「ジークフリート卿、皇太子殿下にこの件を穏便に教えて下さい」
外務相の無責任な言葉に、ジークフリートは溜め息をつく。
ジークフリートはグレゴリウスが激怒したのをいなして、ユーリが引き受けたとショックを与えた。
「嘘だ! ユーリはそんな事を引き受けたりしない」
社交嫌いのユーリが、エドアルドの社交相手を引き受けたなんて信じられない。
「ユーリ嬢は、エドアルド皇太子の社交相手の件は本心では断りたかったでしょうが、国王陛下の命を受けて仕方なく引き受けたのですよ。国王陛下もユーリ嬢がエドアルド皇太子殿下と親密になる機会を与える結果にになるかも知れないのに、苦渋の選択をされたのです。イルバニア王国の情勢は、それほど厳しいということです」結果になる
グレゴリウスはジークフリートの言う意味は頭では理解できたが、感情は嵐のように乱れる。
「嫌なんだ! ユーリが他の男と一緒に居るのも、ダンスするのも、話すのも」
恋する若者の嫉妬には同情したが、指導の竜騎士としては言い聞かせなくてはならなかった。
「皇太子殿下は、ユーリ嬢を塔に閉じ込めたいのですか? 彼女は魅力的でライバルも多いですから、嫉妬されるのは無理ありませんが、束縛したいと思われるなら、諦めて他の令嬢にターゲットを変更された方が良いですよ」
グレゴリウスは、ユーリを諦める気は微塵もなかった。
「そんなの無理だよ! 私はユーリを愛しているんだ!」
グレゴリウスが即座に返事をして、エドアルドの件より、ユーリへの恋についての悩みに話の論点がすり替えられていった。
「彼女は、国務省の見習い実習を、やりがいがあると感じていますね。今の興味はシュミット卿に認めさせる事と、パーラーの経営、後は何か計画している事に集中しています。皇太子殿下は、ユーリ嬢が何を計画されているかご存知ですか?」
ユーリを見つめ続けているグレゴリウスは、風車の件を説明した。
「なる程ね、ユーリ嬢の計画通りに進むかはわかりませんが、外務省に貸しを作られたのは、風車の特許と引き換えに女性の職業訓練所の建設の予算を認めさせる後押しが欲しかったのでしょうね。そうは簡単にはいかないでしょうが、あらゆる手段を考えていますね」
「外務省へ貸し? ユーリは外務省への貸しを作る為に、エドアルドとの社交相手を引き受けたのか。社交界を引退したいと言うほどの社交嫌いのユーリが」
「いえ、ユーリ嬢は仕方なく引き受けたと思いますよ。ただ引き受けた貸しを、そのうち利子を付けて返して貰うと言ってましたがね。彼女は凄く逞しくなってますね。エドアルド皇太子なんか目に入ってませんよ。仕事に邪魔なパーティーに誰と行こうと、ユーリ嬢は関係ないと思っているのかもしれませんね。恋愛音痴のユーリ嬢が仕事中毒になっては、恋のシーズンは遠のくばかりですね」
ジークフリートは溜め息をついた。
グレゴリウスはそれでもユーリがエドアルドの社交相手をするのは嫌だとは感じたが、これほどの恋愛音痴だとは知らないだろうライバルを少し気の毒に思った。
ユーリは国務省で山積みの書類を凄い勢いで片付けながら、心中は怒り狂っていた。
「ローラン王国なんて大嫌い」
あれこれ考えているうちに、エドアルドとの縁談を断れないのも、結局はローラン王国のせいなんだわと、思わず大きな声で叫んだ。隣室のユーリの叫び声に、シュミット卿は一瞬驚いたが、彼女の思考の道筋を考えて納得する。
「それにしても、あのパチパチという音は何だろう?
たまにジャラジャラと鳴っている音は?」
時々、ユーリの部屋からパチパチという音が聞こえていたが、今日は音が大きいような気がしていたので、少し耳についていた。ユーリは前世で使っていた算盤をユングフラウの木造細工屋で作って貰い、指の練習に励んでいたのだが、今日は苛立ちから乱暴に珠を弾いていたので、隣室まで響いていた。算盤にもう少し慣れたら、シュミット卿に提案したい事がユーリにはあった。
「ああ、やらなきゃいけない事ばかりなのに、エドアルド皇太子殿下とちゃらちゃら社交してる場合じゃないわ。算盤と、女性の職業訓練所の、どちらが優先されるべきなのかしら?」
ジャーと算盤の珠を直しながら、ぶつぶつ文句を言っているユーリはかなり不気味だ。
シュミット卿はユーリがチェック済みの予算案をどっさりと持ってきた時に、パチパチという騒音について苦情を言おうかと思ったが、ぶつぶつと無意識に文句を言っている姿に、これ以上刺激しない方が良いだろうと口を噤んだ。
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