16話 マウリッツ公爵家の別荘の夜

「固い話は終わったみたいだから、音楽が聞きたいわ」


 シャルロットの言葉で、ユーリは自分の話ばっかりだったと反省する。


「折角、叔父様も休暇を取っていらっしゃるのに相談するなんて、ごめんなさい」


 ユーリの謝罪に公爵は首を振る。


「いや、ユーリのアイデアは聞いていて面白いよ。アイスクリームに、クレープに、風車とは。フランツが、ユーリは玩具箱みたいだと言っていた意味がわかったな、また話してくれ。でも、今夜はシャルロット様がお見えだし、お前の歌をお聞かせしないとな」


 リュミエールの言葉にシャルロットは喜んで、ユーリに歌ってと頼む。


「何が良いかしら? まだ、あまり歌える曲は少ないの」


 迷うユーリにユージーンは『恋の始まり』をフランツと歌えばと、提案する。ニューパロマでグレゴリウスと歌った曲だわと、少し引っ掛かりを感じたが、フランツとなら楽しいかもと、若い恋人達の甘い歌を歌う。


 ロマンチックなことが好きなシャルロットとマリアンヌは、可愛らしい恋人達の歌を楽しんだ。


「まぁ、ユーリはロザリモンド姫にそっくりなのね。容姿だけでなく、歌声も似ているわ。フランツとの可愛い恋人達の曲も素敵だったけど、ロザリモンド姫がよく歌ってらした『楡の木の下で』が聞きたいわ」


 ユーリもママが風除けの木の下で、お気に入りのこの曲をよく歌っていたのを思い出しながら歌う。


 老公爵は長年の蟠りが、ユーリの歌を聞くうちに洗い流されていった。大事に育てたロザリモンドを連れて逃げた見習い竜騎士のウィリアムに対する怒りは、可愛い孫娘の父親なのだとの認識に変化していった。


「素晴らしいわ! ユーリの歌声は、心が洗われるようだわ」


 感激屋の母子はハンカチで目元を押さえながら、ユーリの歌を賛美する。老公爵もユーリの歌を褒め称える。

        

「母上、ユーリに声楽のレッスンを受けさせたいけど、良い先生をご存じ無いかしら? あっ、ミューラ師は駄目なのよ、イリスが屋敷の窓ガラスを全部割ってクビになったから」


 あらまあ、とシャルロットも驚いたが、少し考え込んで噂を思い出す。


「マリアンヌ、オペラハウスに新しい音楽監督が一人加わるそうよ。確か、ニューパロマからミッシェル・パウエルとかいう音楽監督を引き抜いたとか。他の音楽監督は、プロや、一杯の生徒を抱えてるから、個人レッスンは無理でしょうけど、来たばかりの音楽監督なら大丈夫かもね」


「ユーリ、パウエル師にニューパロマで個人レッスン受けていたのではないか?」


 ユージーンの言葉にユーリは頷く。


「ええ、パウエル師はとても優しい先生だったわ。でも、なぜユングフラウに来られたのかしら? ニューパロマでも成功なさってたと思うのに」


 いつもレッスンのスケジュールは一杯だったので不思議に思ったユーリの質問は、一笑にふされる。


「オペラハウスの音楽監督ですよ。そんなチャンスを逃すわけ無いわ。そうね、ユーリの個人レッスンはパウエル師にお願いしましょう」


 ユーリはパウエル師は好きだけど、声楽のレッスンを受ける時間が取れるかしらと不安に思う。


「叔母様、見習い竜騎士の仕事や、騎竜訓練もあるし、土曜の午前中は武術の個人レッスンもあるの。パーラーに、社交界もあるし、声楽のレッスンを受ける暇が無いわ。その上、したい事が山積みなんですもの」


 愚図っているユーリに、マリアンヌはだめ出しをする。


「ユージーンからエリザベート王妃様に声楽のレッスンを続ける約束で、ニューパロマから帰国したと聞いてますよ。忙しいからと、約束を違えてはいけませんわ。武術の個人レッスンを止めたらどうかしら?」


 マリアンヌの言葉にユーリは、飛びついた。


「叔母様、お祖父様に言って下さる? 私も武術の個人レッスンは止めたくて仕方ないの。いくら努力しても無駄なんですもの。何度も、頼んだけど許して下さらなくて。シルベスター師範も、きっと稽古をつけるのはウンザリされているわ。全然、上達しないのよ」


 話を聞いていたシャルロットはフォン・アリスト家で生まれ育ったから、それはと、難しい顔をする。


「マリアンヌ、武術の個人レッスンについて口出しは駄目よ。ユーリは見習い竜騎士なのだから、マキシウスに任せるべきだわ。シルベスター師範に個人レッスンを頼むだなんて、生半可な気持ちでは無いはずよ。ユーリ、武術が苦手なのはわかるけど、稽古をしなければ下手なままよ。努力して下手なのは仕方ないけど、稽古もしないで下手なのは竜騎士として情け無いわ。女の子だけど竜騎士なのだから、心掛けだけでも立派な騎士を目指さなきゃ」


 いつも優しいシャルロット大叔母様に諭されて、自分の甘えた根性を反省する。


「それはわかってたけど、つい叔母様に甘えてしまったの。武術はダメダメ過ぎるのですもの。私は全く向いてない職業についたんだわ。料理とか、アイデアを売るとか、食器のデザインするとかの方が向いてるの。官僚も本当は苦手なのよ、身体を動かして物を作る方が楽しいし好きなのよね」


 ユージーンとフランツは、ユーリが竜騎士として優れた能力を持っているのを知っているので、向いてない職業だとは思わなかったが、国務省で見習い竜騎士として書類の整理とかの雑用をさせておくのは無駄なような気がする。


「母上がそう仰るなら、武術の稽古は伯父様に任せますわ。でも、ユーリ、声楽のレッスンは受けなきゃ駄目ですよ。パーラーは経営だけにしなさい、そうすれば時間を作れるはずよ」


 う~ん、とユーリはガッカリした様子だったが、そうなのかもと考え直す。


「パーラーは楽しいし、色々と新商品を考えてるのも好きだけど、ローズとマリーに任せるわ。私は二人が困っているからパーラーを思い付いたけど、私よりしっかりしてるんですもの。実社会で働いているんだから、当たり前ね。見習い竜騎士なんて、中途半端だわね~」


 老公爵と公爵は、華奢なユーリが自分でも苦手だと言っている武術の稽古を受けるのは可哀想だと、マキシウスに腹を立てたが、シャルロットの意見も理解できたので口は出さなかった。


「ユーリ、こちらにおいで。武術の稽古が辛すぎたら、お祖父ちゃんに言うんだよ。マキシウス卿に言ってあげるからね」

      

 理解できたけどやはり孫娘可愛さに甘やかす老公爵に、シャルロットは呆れかえってしまう。


「レオポルド様がご自分を『お祖父ちゃん』と呼ばれるなんて。ユーリを甘やかさないで下さいね、この娘は竜騎士になるのですから」


 シャルロットの苦言も聞かない振りで、ユーリを膝に乗せて頬ずりしているのを全員が呆れかえる。


「シャルロット様、父に何を言っても無駄ですよ。 姉の分も甘やかすつもりですから」


 公爵の言葉で、シャルロットは駆け落ちして、若くして亡くなったロザリモンド姫を思い出して、そっくりの忘れ形見のユーリを甘やかしたい老公爵の気持ちは理解できた。


「それにしても、甘やかし過ぎですよ。ユーリはもう15才なんですから、膝に乗せるのは大きすぎるわ。腰を痛めても知りませんわよ」


 あらっと、ユーリが驚いて膝から降りるのを残念そうに老公爵は引き止める。


「小さい時に膝に乗せれなかったんだから、いいだろう」


 膝や腰を痛めたらいけないとユーリが断って、老公爵の椅子の側に座る。



 明日は屋台の初日だからと、ユーリは寝室に引き上げ、マリアンヌはシャルロットに泊まっていくように勧めた。母上と弟のサザーランド公爵に、ユーリと皇太子との結婚に反対の立場をとってもらえるように説得したかったのだ。


 フランツもユージーンも、屋台の付き添いが大変そうだと部屋に行くと、老公爵と、公爵夫妻と、シャルロットだけになった。


「マリアンヌ、貴女が私を呼んだのは、ユーリの件でしょう? ナサニエルが、きっと皇太子妃にさせないでくれと頼んでくるはずだと言ってましたわ」


 先手を打たれて、公爵夫妻は困ってしまう。


「シャルロット様、ユーリは皇太子妃に向いてると思われますか?」

 

 老公爵はこうなったら正直に訴えるしかないと本音を聞いた。


「まぁ、それは誰もが向いてないと答えると思いますわ。でも、私は王妃様の苦しみを身近で見て参りましたのよ。身体の弱いフィリップ殿下が、ご自分が竜騎士で無いのをどれほど情けなく思っておられたのかも知ってますの。王妃様がユーリを皇太子妃に望まれるのを拒否できないわ」


 シャルロットが王妃と仲が良いのを失念していたと、マウリッツ公爵家のメンバーは困り果てる。


「でも、お母様! ユーリはあんなに自由奔放な娘なのですよ。皇太子妃になんかさせるのは可哀想よ。幸せになって欲しいの」


 マリアンヌの言葉はシャルロットの本音でもある。王妃様に同情するし、竜騎士でなかったフィリップ殿下のことは思い出すだけで胸が締め付けられそうだが、甥の忘れ形見のユーリを愛してもいた。


「もう! 困った立場に私を追い込んで……ナサニエルの奥方はメルローズ王女様なのよ。メルローズ王女様は、王妃様の苦しみを知っていらっしゃるから、ユーリを皇太子妃にと思ってるわ。それに、グレゴリウス皇太子殿下の初恋ですもの、叶えて差し上げたいわ。でも、貴女の言葉もわかるの。ユーリは皇太子妃に向いてないし、王宮暮らしは窮屈で可哀想だわ。どうしたら良いのかしら?」


 困り切っているシャルロットに、公爵は提案をする。


「シャルロット様、貴女様のお立場はわかります。メルローズ王女様が嫁がれたサザーランド公爵家が、王族の方々の意思に逆らうわけにはいきませんからね。

でも、ユーリは絆の竜騎士なのですよ。国王陛下も、ユーリに望まない結婚は強制できません。イリスが宣言したそうですから。サザーランド公爵とシャルロット様が、イリスの宣言を重視して下さるだけで結構です」


「まぁ、イリスがユーリの望まない結婚はさせないと宣言したのですか? 知りませんでしたわ。それなら話は変わってきますわね。私は竜騎士の資質は持ってませんが、フォン・アリスト家の出身ですから、騎竜の宣言に従いますわ。ユーリが好きな相手と結婚すれば良いと思います。ナサニエルも竜騎士だから、理解すると思いますわ」


 老公爵は、フォン・アリスト家の竜騎士としての誇りに訴えたリュミエールに舌を巻く。


「良かったわ、母上がわかって下さって」


 抱きついて喜ぶマリアンヌに、シャルロットは釘をさす。


「あらあら! でも、ユーリが皇太子殿下を好きになったら、貴女もそれを尊重しないといけないのよ」


 グレゴリウスの恋心を頓珍漢な解釈をしているユーリを知っている公爵家の人達は、勿論と簡単に答えた。その後はユーリに相応しい子息達の品評会となり、その母親は親切そうだけど腹黒いとかの話題で盛り上がった。


「年頃の女の子がいると、華やかで良いわね。マリアンヌは幼いときから許嫁が決まったから、こんな事は考えなかったわ。幸せそうで良かったけど、デビューの舞踏会にはリュミエール様がいましたからね。そうだわ! ユーリのドレスはどうなってるの? ナサニエルから、メルローズ王女のドレスに口出ししないように言われて味気ないの。それに、ユーリはドレスが良く似合うのですもの。今夜の薄いピンクのシフォンなんて、ユーリの為にあるような物だわ。やはり、ユーリを貸してくれない?」


 老公爵が眉をしかめたので、マリアンヌはユーリのドレスの仮縫いに呼ぶと約束する。


「あっ、良いことを思いついたわ。母上にも、ユーリとユージーンのダンスを見て貰わなくては。あの子達はよく似ているの。カップルバランスの良い二人のダンスは一見の価値があるわ。母上はユーリの立太子式に行かれてないのよね、あの娘のドレス姿はデヒュタントの中でも輝いていたわ」


「まぁ、嬉しいわ! そうね、ユージーンもユーリもマウリッツ公爵家の容貌だわね。ユーリにドレスを着せてダンスして貰いましょう」


 老公爵も公爵も、ユーリのダンスは見ていて心が浮き立つので賛同する。


 ユーリの舞踏会の相手や、ドレス、ダンスと、ウキウキする話題にかまけて、シャルロットは夕方にナサニエルからユーリがフォン・アリスト家の跡取りであることを説明するようにと言われていたのを、すっかり忘れてしまった。


 マウリッツ公爵家の別荘にしばらく滞在することにしたシャルロットは、何か忘れているような気がしながらベッドに入ったが、朝に起きると忘れた事も忘れてしまう。

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