20話 ライシャワー教授とお茶会

 グレゴリウスもフランツもサッサとユーリを連れて大使館に帰りたいと思っていたが、教授も助手も、胡散臭いほど行儀よくしていたので、お茶の時間は始めのうちは和やかに過ぎていった。


 アレックスも学費は打ち切られ廃嫡寸前とはいえ、侯爵家の嫡男として育てられたので、行儀よくしようとすればできたのだ。


 ただ、心の中ではユーリを揺さぶってでも真実を聞き出したい激情が燃えたぎっていたが、ライシャワー教授の作戦を理解していたのでグッと我慢する。


「ユーリ嬢はパロマ大学に留学のご予定はないですかな。見習い竜騎士とはいえ、色々な学問を身につけるのは将来役にたちますよ」


 ライシャワー教授の婉曲な罠にはユーリは引っかからない。


「私は学問は苦手ですから。フランツは学問も得意だし、一年ぐらい留学しても良いんじゃない? パロマ大学で歴史を学びたいと前に言ってたじゃない」


 フランツは教授の意図に気づいていたが、知らぬ振りで話に乗る。


「そうですね、今回は特使一行だったので、政治の話題になりそうな歴史の講義を受講するのは控えましたが、一年ぐらい留学して勉強するのも良いですね」


 フランツが留学するなら歓迎しますよと、エドアルドや、学友達も話を合わす。文武両道に優れている上に、明るい性格のフランツは、ユーリのお邪魔虫としての役目以外では好感を持たれていたのだ。


「ユーリ嬢は音楽留学されては如何ですか? この数週間でも、著しく上達されましたし、帰国されるのは勿体ないですよ」


 グレゴリウスはどこの何奴がライバルのもとにユーリを留学させるかと、内心では腸が煮えくり返る気分になったが、ジークフリートの教えを思い出して丁重にお断りする。


「ユングフラウにも優秀な音楽教師はいますので、ユーリは声楽のレッスンを続けられますよ。オペラハウスには優れた歌手が大勢出演してますからね、オペラを聴きに行くのも勉強になりますしね」


『ふん! ユングフラウの方が音楽やファッションは優れているから結構です』との言わんばかりの言葉に、エドアルドはカチンとくる。


 二人の皇太子がユーリを巡って表面上は礼儀正しい言葉ではあったが、内心ではお互いに罵りあっているのを、フランツや学友達はひぇ~と思いながら、口論になりそうなら割って入ろうと待機する。


 他のメンバーが両国の皇太子のにこやかな表情のままの言葉の応酬に気がいってる間、ユーリは教授と助手から熱烈なアプローチを受けていた。


「私は一生をかけて魔法王国シンについての書かれている文献を研究してきたのですが、旧帝国時代の文献はどうしても勝者側の見解でしかありませんので実態がつかめないのです。その上、シンの古文書は殆ど旧帝国時代に焚書にされていますから、その残骸をかき集めて真名の解読をしているのですが、全く私達が使っている表音文字とは違ってますので苦労してます。何か助言を頂きたいのです」


 ユーリは酔っぱらって中途半端な知識と侮辱したのを思い出して、赤面して謝る。


「すみません、ご苦労されているのに酔って失礼なことを言いました。私は真名は本当に今日初めて見たのです。真名には魔力が秘められてますわ、注意して下さい」


 ユーリの答弁を信じられる筈もなく、二人は追求を止めない。


「信じて頂けなくても、本当に真名は知らないのです。ただ、お二人は初めて来た場所なのに、前に見た風景だと感じる事ありませんか? 私は真名のように魔力を持った文字は本当に見たことありませんが、象形文字、象意文字を使っていたような記憶があるのです。だから『鷹主』の間違えに気づいたのですわ」


 教師も助手も、その象形文字、象意文字を教えて欲しいと頼みこむ。


 教えを請われてもユーリは、前世で使っていた漢字の記憶が、15年の間にすっかり朧気になっているのに自分でも驚く。


「それが夢の中で見たみたいに朧気なのです。それより何故あんな酷い間違えをされたのですか?」


 アレックスは『鷹主』の主の文字は傷みが激しくて、王に見えるような文字しか残ってなかったのだか、他の文献で玉の文字が残っていたので、この文字だろうと当てたのだと、自分の失敗を恥じながら告げた。


「『主』は王の意味だと言われましたね。では『玉』にも意味があるのですか? 『玉』の意味は?」


 アレックスに詰め寄られて困ったが、もう知ってる文字なら良いかと、酔いが残っていたユーリは玉の意味を教えた。


「どのように使われてたかで、意味も違いますけど『玉』は球の意味です。竜は玉を持っているとされてますけど……竜心石……竜の心臓……『魂』」


 かちっと竜心石の真名が『魂』だと合致した。


 ぼおっとしているユーリの胸が青く光っているのに、全員が気づいて驚く。


「ユーリ、君の胸が光ってるよ」


 フランツの言葉にハッと胸を見下ろしたユーリは、見習い竜騎士の上着の下に着ているブラウスから青い光が透けているのを見て、思わず竜心石を押さえる。


「フランツ、スケベね。お守りの石が、夕日かなんかを反射したんでしょ」


 夏物のブラウスとはいえ、布地の下に付けているお守り石がどうやって夕日を反射するんだ! と全員が納得しない。


「ユーリ嬢?」


 全員から、答えを求められて、渋々ユーリはブラウスの下の竜心石を引っ張り出す。


「お守り石ですわ。赤ちゃんの頃から身につけてますの」


 なるべく竜心石だとは知らせたくない気がして、お守り石で押し通そうとしたユーリは、二人も皇太子がいるのを失念していた。


「ブルーダイヤモンドですか? いや、しかしダイヤモンドはこのように光りませんよ」


 先ほどよりは光りは薄れたものの、全員ダイヤモンドは何個も見慣れているだけに別物だと思う。


「ユーリ嬢、それは……まさか? 竜心石! 竜心石ですね」


 ありゃ~と、ユーリはバレちゃったと観念する。


「まぁ、そうとも呼ばれてますわね~私にとってはお守り石ですわ」


 フランツもグレゴリウスも、ユーリが竜心石を持っているのを知らなかったので驚いたが、カザリア王国の面々の前ではこれ以上は触れたくなかった。


「そうなんだ、お守り石なら大切にしまっとかないとね」


 フランツの言葉を受けて、そそくさとブラウスの下に竜心石をしまったユーリに、カザリア王国の人達は、もう少し見せて欲しいとは紳士なので言い出せない。


「何故、急に竜心石が光ったのでしょう? 『玉』の説明で、竜が玉を持っていると言ってましたね。そこから、竜心石、竜の心臓と言ってたけど、真名を見つけられたのではないですか? だから、竜心石が真名に反応して活性化したのではないですか」


 ボサボサ頭で茫洋とした雰囲気なのに、鋭い! とユーリは舌うちしたくなる。


「ほほほ……何のこと? ところで『犀猪臉』の幻は、誰も見られなかったのですね?『猪』は猪の意味ですわ、あとは表音かしら」


 白々しい誤魔化しだと、他の全員が思ったが、教授とアレックスは引っかかった。


 いや、教授もアレックスもユーリの下手な誤魔化しは気づいた。


 話したくないと思っているのを聞き出そうとする無駄な努力に費やす時間を惜しみ、相手がくれそうな情報を引き出す方を瞬時に選んだのだ。


「では『犀猪臉』は間違ってなかったのですね。でも『鷹主』と違って、幻は見えませんでした。何故なのでしょう?」


「さぁ? 私は真名を見た時に、一瞬、赤い目を光らせた猪が見えましたけど、ターシュ程は鮮明ではありませんでした。ターシュの幻を見たのは、私とエドアルド皇太子殿下、教授、アレックス様ですね? 特に、エドアルド皇太子殿下はターシュの幻に強く惹かれていたようですわ。教授、私は旧帝国の歴史は習いましたが、三国に別れてからは自国の歴史中心であまり詳しくありませんの。ターシュが逆臣の手から救い出したリヒャルド皇子は、カザリア王国の始祖のアレキサンダー王の祖先ですか?」


 教授とアレックス、カザリア王国のメンバーは、お互いの知識を出し合い曾孫か、玄孫だと言い合う。


「では、ターシュとリヒャルド皇子の絆の残りが、カザリア王家の血筋の方に幻を見せたのかも知れませんね? 教授も、アレックス様も王家の血筋なのですか?」


 ライシャワー教授は身なりもキチンとしてるし、貴族の名前を持っているので王家の血筋が流れているだろうと察したが、ぼさぼさ髪でよれよれのシャツを着た助手のアレックスにも王家の血が流れているのか、他に理由があるのかユーリは失礼な疑問を持った。


「私の祖母は王様の姪だとか言ってプライドが高い人でしたね。アレックス君は国王陛下の従兄弟ですから、ユーリ嬢以外でターシュの幻を見たのはカザリア王家の血筋です」


 教授の言葉で、失礼なことにユーリは驚きの声をあげる。


「アレックス様は国王陛下の従兄弟なんですか。では、何でそんな、よれよれのシャツを着てるのですか」


 これ、失礼だよ! とフランツは咎めたが、アレックスは自分のシャツをクンクン嗅いで、臭いですか? と聞く。


「これでも一番マシなシャツを選んで着ているのですが そんなに酷いですか。学費を止められたのですが、廃嫡寸前でも親が侯爵なんで、寮費もただにならないから、苦学生より手元不如意で……」


 ユーリはよれよれのシャツを着て、ガリガリに痩せた、ぼさぼさ髪のアレックスにすっかり同情する。


「アレックス様にはお金もですが、誰か面倒をみてくれる方が必要ですわ。パロマ大学に残って、お世話してあげたいけど、ユングフラウでしたい事が沢山あるから無理ですし。もし、食べれなくなったら、フォン・フォレストにいらしてね。食事や身の回りの世話ぐらいは、してあげれるわ」


 グレゴリウスはフォン・フォレストの館の周りを、アレックスに彷徨いて欲しくなかったので「国王陛下にクレメンス侯爵に子息の面倒をみるように命じて貰って下さい」とエドアルドに頼む。


 エドアルドも同じ考えだったので、絶対に廃嫡させません! と返事をする。


「でも、私達にも王家の血は流れているのに、ターシュの幻は見えませんでしたよ。何故なんでしょう?」


 ハロルド達三人も、名門貴族だけにカザリア王家の血をひいていたが、ターシュの幻を見ていなかったので、少し仲間外れのような気がする。


「ユーリ嬢が正しい真名を書いた時に、ちゃんと見なかったのでしょうか」


 アレックスがノートに真名を書こうとするのをユーリは厳しい口調で止める。


「アレックス様、真名をそんなに簡単に書いては駄目です。さっきも、幻に捕らえられていたでしょ。私が平手打ちしたから、正気に返ったけど、もし教授と二人きりで幻に捕らわれたらどうするつもりですか? 夏休みで、誰にも見つけられなかったら、餓死するかもしれませんよ。本当に危険な魔力に満ちているのですから、気をつけて下さい」


 ユーリの真剣な忠告は、さすがに教授とアレックスにも届いた。


「ハロルド様! ジェラルド様! ユリアン様!  貴方達は、竜騎士になりたくないんですか」


 三人はユーリに厳しく叱責されて、なりたいと、瞬時に返事した。


「でも、ターシュの幻を見るのと、竜騎士はどういう関係があるのでしょう?」


「う~ん? 竜騎士になるのって魔力というか、何らかの能力がいるんじゃないかなと思うの。えっと、そうだ! イリス風に例えると、ずっと恋しく思ってた令嬢とやっとお付き合いしはじめて、いずれはプロポーズしたいな思ってる時に、他の可愛い子ちゃんと浮気するみたいなものです。そんなんじゃ、プロポーズ前に本命の令嬢に振られてしまいますわ。プロポーズしてOKを貰って生涯を共にする絆の竜騎士になるか、パートナーとしてお友達でいましょうとなるかはわかりませんが、今は、カイト、コリン、ジャスを口説き落とすのに集中して下さい」


 竜騎士達は、イリス風例えが妙に腑に落ちた。


「私がターシュの幻を見ても、マルスは嫉妬しないだろうか?」


「エドアルド皇太子殿下とマルスは熟年夫婦みたいなものですから、街ですれ違った可愛い子ちゃんに目移りされても、いれあげない限り気にしないと思いますわ。もともと、竜は竜以外はあまり気にしませんけど、ターシュは魔力を持ってますから、プロポーズ前の三人は無駄な力を使わないで下さいね。そうだ、私とイリスも熟年夫婦なのに、なんであんなに嫉妬深いのかしら」


「そりゃ、ユーリは色っぽい奥方だから、イリスは嫉妬深いのさ」


 皆が大爆笑する中、ユーリは怒ってフランツに殴りかかったが、アレックスは意味がわからないと変な顔をする。


「ユーリ嬢は色っぽい奥方というには、ボリュームが足りないみたいですが……」


 笑っては失礼だとは思って、笑いを堪えようとしたが、かえって大爆笑になってしまった。


 ユーリも色っぽい奥方という例えは自分に不相応だと思っていたが、ハッキリとボリュームが足りないと言われると、ちょっと胸がもう少しあったらと落ち込む。


「アレックス君、ユーリ嬢に失礼ですよ」


 教授に窘められても、不審そうな顔のアレックスに、ユリアンが竜騎士の能力を例えた話なんだと説明した。


「ユーリ嬢は優れた魔力をお持ちだから、カザリア王家の血筋でなくてもターシュの幻をハッキリ見たのですね。サイレーンも見られたみたいですが、話す猪は今もいるのでしょうか?」


「サイレーンは本当に一瞬見ただけですし、今も話す猪がいるのかわかりませんが、話す動物はいますわ。

竜だって話すでしょ。ターシュの子孫は多分カザリア王国にいる気がします。私を通り抜けた時に感じましたもの」


 ユーリの言葉を聞いて、ライシャワー教授とアレックス助手は、夏休みにターシュの探索をしようと話し合う。


 カザリア王国の人達は、ユーリの竜心石や、真名を読める能力やら聞き出したいことは山ほどあったが、彼女が話したがってないのも感じていたので、紳士らしく我慢した。



 グレゴリウスとフランツは、ユーリがいると波瀾万丈だと、溜め息をつく。


「ユーリったら、人が良いんだから。ライシャワー教授のお茶に誘われて断らないから、無駄に竜心石やら、ターシュの情報を差し出して」


 まだ酔いがチョッと残ってるよとイリスに拒否されて、馬車で大使館に帰りながら、フランツから竜心石はどうやって手にいれたの? 本当に真名は知らないの? と質問責めにされたユーリは、本当に自分は外交官に向いてないと、少し頭痛のする額を押さえる。


 しかし、この無駄に思えたお茶の時間の会話が、数年後、ユーリと特使一行のメンバー数人の命を救う事になる。  

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