10話 立太子式

 ユーリが馬鹿正直にカザリア王国への特使の随行員になったことを黙っていたので、危うく大変な恥をかくことだったと知ってマリアンヌは気絶しそうになった。


「ユージーン! フランツ! 貴方達もユーリと同罪です。カザリア王国で、ユーリが同じドレスを着っぱなしだなんて……」


 優しい母上に叱られて、ユージーンとフランツは女性のドレスなんか知らないと内心で愚痴った。


「ユーリ、貴女は私に相談もしないで、ドレスをマダム・ルシアンに注文したのね……私がどれほど貴女を愛して、心を砕いているか……」


 ユーリは平謝りに謝っていたが、マウリッツ公爵家の人々は確かにマリアンヌはユーリも愛しているが『ドレス』と変換した方がより正確なのではと感じる。


「まぁまぁ、マリアンヌ、ほら社交界の本格的なシーズンは秋なのですよ。秋にはパーティーが目白押しです」


 公爵のフォローでマリアンヌの機嫌は直ったが、老公爵は難しい顔をしていた。老公爵は、ユーリがカザリア王国への特使随行員に選ばれた意味を察していた。


『後で、ユージーンやフランツに言って聞かせなくては……ロザリモンドのような可哀想な目にユーリはあわせたくない! 国王陛下に逆らっても、ユーリには幸せな結婚をさせる』


 ユーリのことを溺愛している老公爵だが、まだ父親のウィリアムのことは許してはいない。しかし、ユーリが悲しむので口には出さないし、昔話の中で愛しいロザリモンドと共に出てきても、怒って制するような真似はしなかった。


「ユーリ、カザリア王国では気をつけるのだよ。外国だからと浮かれてはいけないよ」


 老公爵はユーリを側に座らせて、あれこれと注意をする。マウリッツ公爵もユーリが特使随行員になった意味を理解していたので、ユージーンとフランツに強く注意を与えた。


 短時間で大量のドレスが必要だという非常識なユーリの注文を仕上げる為に、マダム・ルシアンとマダム・フォンテーヌが夜に眠る時間も惜しんで縫っている間に立太子式の日になった。




 ユーリは真珠の地模様のドレスを選び、メアリーとキャシーがドレスに似合う大粒の真珠のネックレスと、ダイヤモンドの小さなティアラをロザリモンド姫の形見の中から選び出した。


 髪を結い上げ、小さなティアラを飾ったユーリはお姫様そのもので、アリスト家の召使い達もうっとりと眺める。 ユーリは着飾った自分の姿を見慣れていないので、気恥ずかしく感じる。


「ユーリ、綺麗だわぁ~。このドレスは本当に芸術品よ」


 キャシーの褒め言葉に、自分とドレスのどちらを褒めているのかしらと苦笑する。


「ユーリ様、とってもお綺麗ですよ」


 子供の時から世話をしているメアリーは、とても誇らしそうにユーリを眺めた。


 皆から綺麗ですわ! と誉められて、ユーリは恥ずかしく、こそばゆい気持ちがする。


「なんだか私じゃないみたい。こんな豪華なドレス、もう少しグラマーな女の人が着た方が似合うわよね」


 鏡に写った自分の姿に眉を顰めているユーリを、マキシウスは皇太子殿下をお待たせしてはいけないと急かす。


 


 バラが満開の王宮には、続々と馬車が外国の賓客や、着飾った貴族達を乗せて到着していた。 


「まぁ、凄い人ね」


 ユーリも王宮の人が満杯なのに驚いたが、侍女として付いて来たキャシーは目を見張って固まっている。 


 王宮は立太子式とその後の舞踏会に招待された、国中の貴族や外国の賓客でごった返している。特に、皇太子の社交界デビューに合わせて、名門貴族の令嬢方もデビューするので、デビュタント用のドレスが花盛りの王宮に負けない程の華やかさを演出していた。


「ユーリ嬢、こちらへ」


 王妃に命じられていた女官にユーリとキャシーは個室の控え室に案内して貰い、ホッと一息つく。キャシーは何だかユーリが特別扱いだと感じながら、薄いコートを脱がせてハンガーに掛ける。


「そろそろ、ユーリ嬢は立太子式の会場へお向かい下さい。侍女の方は、侍女の控え室に案内します」


 ユーリは緊急しているキャシーを心配したが、女官に急かされて立太子式の会場へ向かった。貴婦人、令嬢方はそれぞれ侍女を伴っていて、侍女達の控え室も用意されている。


 キャシーは侍女の控え室に行くまでの廊下ですれ違う、余りに沢山の令嬢方のデビュタント用のドレスに目が眩んでしまった。


『流石はファッションの都ユングフラウだけあるわ! 皆様のデビュタント用のドレスの一つも、ヒースヒルではお目にかからない豪華な物だわ~。でも、ユーリのドレスは格別だわ! あれは本当にユーリの若々しさ、可憐さ、品の良さを引き立てている』


 女官に言われた侍女の控え室に着いたキャシーは、周りを取り囲まれた。


「貴女はユーリ様の侍女なのね? ユーリ様は皇太子殿下と舞踏会の口切りのダンスをされるんでしょ」


「ユーリ様のドレス、とても素敵ね。どこのマダムに頼んだの? 家のお嬢様に聞いておくように言われたの! お願いだから教えて」


「ねぇ、ユーリ様はグレゴリウス皇太子の初恋の相手なんでしょ?」


「滅多にいない女性の竜騎士だから、皇太子妃になるの?」


 それぞれの令嬢から、皇太子妃候補ナンバー1のユーリについて調べてくるようにと命令された侍女達に、キャシーは驚くだけで何も答えることが出来なかった。


 キャシーはユーリが皇太子殿下の初恋の相手だとか、ハトコだと聞いて、心底驚いていたのだ。


『ええっ! ヒースヒルにいた頃から、ユーリはどこか周りの女の子と違うと思っていたけど、まさかそんなに身分が高いだなんて! 竜騎士なるとは聞いていたけど、そんなに貴重な存在なの? 皇太子妃候補? 嘘でしょう!』


 キャシーが侍女の控え室で驚いている頃、立太子式の会場では続々と列席者が各々の席に案内されていた。


 ユーリはお祖父様の横だと思っていたのだが、フィリップ皇太子殿下の葬儀と同様にサザーランド公爵夫妻の横に案内された。


「グレゴリウス皇太子殿下の立太子式おめでとうございます」


 葬儀に突然参列させられた時とは違い、ユングフラウでの後見人の王妃や、何度も王宮で顔を合わせているマリー・ルイーズ妃に、礼儀正しく祝辞を述べる。


「ありがとう、さぁ、ユーリも席に着きなさい。そろそろ国王陛下と皇太子殿下がお出ましですよ」


 ユーリはサザーランド公爵夫妻の横に座る。サザーランド公爵は従兄のウィリアム卿が好きだったので、その娘のユーリにも親切に接しているし、メルローズ公爵夫人は母上がグレゴリウスの妃に望んでいるのを応援している。


『フィリップ兄上、そしてアリエナ……立派な皇太子殿下の立太子式よ……』


 自身も竜騎士の素質を持たなかったのを残念には感じていたが、フィリップ兄上の自分を責める姿を側で見て育ったメルローズは、グレゴリウスの立太子式を心より祝っていた。


 そして、母上がどれほど辛い思いをしたか、自分もサザーランド公爵の跡取りを身ごもれない苦しみを体験して痛い程理解していたので、ユーリを皇太子妃に望む気持ちに賛同している。


「ユーリ、とても綺麗よ」


 メルローズ公爵夫人に褒められて、ユーリが恥ずかしがっているうちに参列者はぎゅうぎゅうだが、どうにか全員が席についた。


 荘厳な音楽が流れ、国王が祭壇に立つと、グレゴリウスが教会の入り口から、ぎっしりと両側に参列した貴族、貴婦人方が立ち上がって、自分に頭を下げている間の通路を真っ直ぐ前を向いて進む。


 産まれた時から、いずれは国王としてイルバニア王国を背負っていく覚悟を持てと言われ続けていたグレゴリウスは、亡くなった父上の分もしっかりと努めたいと考えながら祭壇へと歩いていたが……


 外国からの賓客や王族達は前の方の席なので、立ち上がって後ろから歩いてくるグレゴリウスを見て、頭を下げる。


『ユーリ!』何百人もの参列者の中で、緊張していたグレゴリウスの恋する眼はユーリを瞬時に見つけた。


 すぐに頭を下げたので、ユーリから母上、御祖母様、そして祭壇で待つ祖父の国王に視線は移る。


 その後はユーリのことも忘れて、国王の前に跪き、何百回も練習した誓いの言葉を述べた。


「グレゴリウスをイルバニア王国の皇太子と認める。私が退位したら、グレゴリウス皇太子が王位に就くことを此処に宣言する」


 司祭が神の加護をグレゴリウス皇太子殿下にと祈ると、ローラン王国のケッヘル大使以外は祝福の拍手をした。


 隣のカザリア王国のケストナー大使は、ヘンリー国王の姪のコンスタンス姫をルドルフ皇太子妃にしながら、国境線に侵略し鉱山を分捕ったローラン王国に当て付けるように盛大な拍手と祝福の言葉を叫んだ。



 式で緊張したり、舞踏会に向けてドレスの不具合を直しに数人の令嬢方や貴婦人方が控え室に下がられたので、それぞれの侍女は貴婦人方の控え室でご用をしたり、舞踏会が覗ける場所を探しに行く。


 ユーリは厳かな立太子式が終わり、ほっとしている他の人達とは打って変わったような緊張感に襲われる。


 舞踏会の主役は皇太子殿下なのは勿論だったが、ファーストダンスをユーリは踊る事となっていたのだ。


 初めてその話を王妃様から聞いた時から、他の令嬢にして下さいと懇願してきた。しかし、婚約者も決まっていない皇太子の場合、未婚の一番血が濃い相手がファーストダンスに相応しいとか、リューデンハイムの学友だからとごり押しされてしまった。


 それからというものダンスの猛特訓を受けてきたが、本番となると足が宙に浮いているような緊張感に逃げ出したい衝動に駆られる。


 ユーリには個室の控え室が用意してあり、女官に侍女に扮しているキャシーを呼んできて貰った。


「ああ、キャシー、どうしましょう。習ったステップを全て忘れたみたいなの。こんなのでファーストダンスを皇太子殿下と踊れないわ。他の令嬢に代わって貰いたいわ」


 ユーリが凄く緊張しているのに気づいたキャシーは、手を握って励ます。


「何、言ってるのよ! 貴女は小学校に入学した日に居眠りした図太い神経の持ち主じゃない。砂糖菓子の団体なんか、お呼びじゃないわよ。それに皇太子殿下も、初めてのダンスだから他の令嬢だと緊張されるかも。その点、ユーリなら昔からの知り合いだから、失敗しても大丈夫だと思って気楽に踊られるはずよ」


 ユーリは自分の事ばかり考えて、今夜の主役のグレゴリウスの事を考えてなかったのを反省した。


「そうね、今夜の主役は皇太子殿下なんだもの。私は、皇太子殿下の学友としてサポートして差し上げなきゃいけないんだわ」


 キャシーはユーリも注目の的だということは、この際黙っていた方が良いと判断する。


「そうよ、ユーリ! 今夜の主役は皇太子殿下なんだから」


 キャシーの言葉に少し肩の荷が下りたユーリは、舞踏会の様子がよく見えるポイントを教える余裕が出てきた。


 そうこうするうちに舞踏会の準備は整い、王族方は招待客を迎えた。

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