14話 大嫌い! 大好き!

 ユーリがリューデンハイムに入学して3年が過ぎた。


 9才だったユーリも12才になり、3月の誕生日を迎えたら13才になるという冬のある日、今回は少しばかり激しい喧嘩をグレゴリウスとしてしまった。


『グレゴリウスなんて、大嫌い!』


 イリスの首に抱きついて泣くユーリに、同じ竜舍にいるアラミスまでもおろおろする。ユーリの竜とのコミュニケーション能力は高く、どの竜とも話せたし、これほどの激情は竜舍にいる竜全員に伝わっていた。


 アラミスは絆の竜騎士であるグレゴリウスと心が繋がっているので、ユーリへの恋心を知っている。


『また、ユーリとグレゴリウスは喧嘩したのか?』


 竜達は自分達と話せるユーリが大好きなので、アラミスは肩身が狭い気持ちになる。


『グレゴリウスも可哀想なんだ。ユーリに氷の張った池に突き落とされたんだから……』


 アラミスはグレゴリウスが風邪を引かないように、魔力でカバーしたが真冬に池ポチャは辛いだろうと溜め息をついた。しかし、竜達はその池で毎日水浴びをしているのだから、全くグレゴリウスには同情する竜はいなかった。


『人間と竜とは違うんだよ……』


 騎竜アラミスの苦悩の日々はこれからも続く。




 イリスはユーリが怒っているのを宥めるのに必死だった。


『ユーリ、池ポチャは拙いよ』


 泣いていたユーリが落ち着いので、謝りに行かそうとするが、ぷんぷん怒り出した。


『グレゴリウスから、私を突き飛ばしたのよ! それも……凄く痛かったわ!』


 どちらが先に小突いたのかは、池ポチャに比べたら問題では無いとイリスは溜め息をつきたくなった。しかし、絆の竜騎士であるユーリと心が繋がっているイリスは、口にするのを躊躇った事実を知って激怒した。


『女の子の胸を突き飛ばすだなんて! グレゴリウス! 許さない!』


 竜は卵で繁殖するから胸は無いし、雌雄同体だが、人間の女性は赤ちゃんを産むし、胸は大切な器官だとイリスは認識している。まだ発情期を迎えては無いが、母体になる為の準備を始めて膨らみ始めている胸に攻撃を仕掛けたグレゴリウスに怒りが止まらない。


『イリス! ちょっと落ち着いて』


 さっきまで自分が怒っていたのに、騎竜のイリスを宥めるユーリだ。


『そりゃあ、胸は痛かったけど……池ポチャにしたのは……』


 イリスは痛みより、恥ずかしさから、グレゴリウスを池に突き落としたのだと伝わって、王宮にアタックを掛けるのを止めた。


『ああ~、また竜舍の罰掃除ね~』


 リューデンハイムでユーリとグレゴリウス程罰掃除をさせられた生徒はいない。特にユーリはこうして落ち込んだり、亡くなった両親を思い出して泣いたりしては、イリスの竜坊で寝てしまう事があったので、その度に無断外泊となり、ぶっちぎりワースト1の記録を作っていた。


 ワースト2のグレゴリウスは墓参り事件の後もユーリが他の生徒に優しくしたりしていると、注意を自分に引きたくなって、嫌味を言ったり、馬鹿げた悪戯をしては喧嘩になって、罰掃除をさせられていた。


 ユーリには石版で殴られたり、椅子を投げつけられたりと散々な目に遭っているのに、グレゴリウスの幼い時からの恋心は醒める様子も無い。グレゴリウスは皇太孫殿下として、貴族から可愛い令嬢を山程紹介されていたが、誰にも興味を持てなかった。


 濡れた服を着替えたグレゴリウスは、真冬の池に落ちたのを心配するマリー・ルイーズ妃の見守る中、王宮で侍医の診察を受けていた。心配そうに診察が終わるのを待っていたマリー・ルイーズ妃は侍医から異常ないと告げられて、ホッと安堵の溜め息をついた。


「グレゴリウス、何故、池になど落ちたのです」


 真冬の池に落ちたと聞いた時は、それこそ心臓でも止まったらと生きた気持ちがしなかったし、ずぶ濡れのグレゴリウスを見て、風邪を引かないかと心配したのだ。


 侍医を控え室に帰らすと、身体の弱かったフィリップ皇太子を支え、看病の日々を送ったマリー・ルイーズは、息子の馬鹿げた行動に腹を立てた。


「母上、すみませんでした」


 グレゴリウスも母上が心配したのに気がついて謝ったが、理由は口にしなかった。


『ユーリ……胸に触っちゃったんだ』


 微かな柔らかい感触を思い出して、ポッと頬を染める。マリー・ルイーズ妃はグレゴリウスの頬が赤らんだのは、熱が出たからではと侍医を呼び戻させた。




 王宮でマリー・ルイーズ妃が大騒動してる時、泣くだけ泣いてスッキリしたユーリはイリスの横に立ち上がり、制服についた藁を払いとした。


『仕方ないわ、校長室に叱られに行くわ! 皇太孫殿下を池ポチャさせたのだから、もしかしたら退学かも……イリス、他の国で竜騎士修行することになるかもよ……』


 冷静になったら、池ポチャは拙かったと、ユーリもほんの少しは反省していた。


『でも、池に突き落とすつもりは無かったのよ。グレゴリウスがぼんやりしてるから、落っこちたのよ……』


 アンドレ校長のカーズは、漏れ聞こえるユーリの愚痴に大きな溜め息をついた。


『アンドレが気の毒過ぎる。どこの校長が絆の竜騎士を退学にできると言うんだ。ましてユーリ程の竜騎士としての能力を持つ女の子を外国に渡す訳が無いだろ。少しユーリには厳しくしなくては』


 今度の罰掃除はチェックを厳しくして、二度と喧嘩などしないと反省させようとカーズは決心した。




 何度となく呼び出しを受けた校長室の前で、ユーリは深呼吸してノックした。


「入りなさい」


 リューデンハイムのアンドレ校長は、もう池ポチャ事件を耳にしていた。王宮に問い合わせて、皇太孫殿下が侍医の診察中だとの返事を貰い、どうこの問題児を罰するべきかと考えていた。


「皇太孫殿下と喧嘩になり、池に突き落としてしまいました」


 リューデンハイムの生徒が何故このような真似をするのかと、校長は厳しく問いただす。


「何故? 私はただ普通に同級生と歩いていたら、皇太孫殿下が肩をワザとぶつけて来たのです」


「ワザと? 肩がぶつかることもあるでしょう。街の不良少年ではあるまいし、竜騎士になる為に修行中だというのに……」


 やれやれと呆れるアンドレ校長に、殊勝にしようと思っていたユーリはカチンときた。


「アンドレ校長、竜の水浴び場でですよ! 狭い通路とかなら肩がぶつかるのもあるでしょうが、竜が離発着できる大きなスペースで、肩など意図しない限りぶつかりません」


 アンドレ校長は竜の水浴び池に落ちたのだと思いだした。確かに竜が何頭でも水浴びする為に、広いスペースが設けてある。


「まぁ、肩を皇太孫殿下がぶつけたのは悪いな。しかし、口頭で注意したら良いだけの事だ」


 ユーリも口で注意したと、思い出しただけで腹を立てる。


「私は口頭で丁寧に謝罪を求めましたわ」


 アンドレ校長の勘が、ユーリが慇懃無礼な態度を取ったのだと知らせた。


「そしたら、皇太孫殿下は私の髪の毛を引っ張ったのです。で、髪の毛を取り返して、ちょっと突いたかも……あれっ? 私が先に突いたのかしら? そしたら、皇太孫殿下が私を突き飛ばして……」


 どう聞いても子供の喧嘩だ。


「それぐらいの事で、皇太孫殿下を池に突き落としたのか? あと2年もすれば見習い竜騎士の試験も有るというのに!」 


 ピシャリと叱り付けられて、ユーリはカチンときた。


「だって……もう、結構です。私が皇太孫殿下を池に突き落としたのは事実です。申し訳ありませんでした」


 アンドレ校長は生徒に生意気な口を許す気は無かった。 


「ユーリ・フォン・フォレスト! 君に竜舍の罰掃除をさせても、反省しないようだ。君の保護者に知らせて、罰して貰おう」


 アンドレ校長は勿論アリスト卿を頭に置いて、この罰を申し渡したのだ。


「ええっ! フォン・フォレストのお祖母様に?」


 ハッ! と、正式なユーリの保護者はフォン・フォレストの魔女と呼ばれるモガーナ様だったと、アンドレ校長は真っ青になった。見習い竜騎士の時、指導の竜騎士であるハインリッヒ卿と国内外を忙しく飛び歩き、モガーナ様と一度会ったことを思い出す。


「いや、わざわざユングフラウまでモガーナ様にお出まし頂かなくても……そう、アリスト卿がいらっしゃるではないか……」


 そこまで口にして、ユーリ・フォン・フォレストという名前の意味を思い出して、汗をハンカチで拭く。アリスト卿が祖父であることは間違いないが、父親のウィリアム卿もフォン・フォレストを名乗っていた事情が頭の中を駆け巡る。しかし、そんな家庭の事情で逡巡していては、リューデンハイムの校長など勤まらない。


「今からフォン・アリスト家に帰って、アリスト卿から罰を受けなさい」


 ユーリは保護者をアリスト卿と言い直されて、内心で舌打ちしながら校長室を出た。


「ああ~! お祖父様にお説教されるのね~」


 アンドレ校長は三国に武名が鳴り響く厳しい竜騎士隊長のアリスト卿が、孫娘を躾けなおしてくれるだろうと安心した。


「皇太孫殿下が風邪を引かなければよいのだか……」


 立ち上がって窓から王宮を眺めて、寮に帰って来られたら喧嘩をふっかけた罰掃除を3日間させなくてはと溜め息をついた。



 その王宮ではグレゴリウスが祖父のアルフォンス国王から、激しく叱責されていた。竜のネットワークは素早い。


 絆の竜騎士であるグレゴリウスを心配しているだろうと、アルフォンスの騎竜ギャランスは子竜のアラミスをリューデンハイムまで訪ねた。


 そして其処で喧嘩の顛末を聞いたのだ。


 一旦は怒りを押さえたイリスまで加わって、女の子の胸を突き飛ばした事に苦情を言い出したので、ギャランスとアラミスは平謝りだ。


『グレゴリウスはユーリの胸が膨らみかけて、痛いなんて知らなかったんだ。ワザと胸を突き飛ばしたんじゃない』


『元々、女の子に暴力を振るうのが間違いなんだ!』


 その女の子に池に突き落とされたのだと、ギャランスは溜息を押し殺した。リューデンハイムの竜舍で騎竜が3頭騒いでいるのを、マキシウスのラモスは気づいた。そして4頭はそれぞれユーリとグレゴリウスの味方になって言い争った。


 勿論、この口論を止めたのは竜騎士隊長のマキシウスだ。


『もう絆の竜騎士を得た騎竜だというのに、この騒ぎはなんだ!』


 ピシャリと叱り飛ばされて、巨大な竜達も小さくなる。


『グレゴリウスがユーリの胸を突き飛ばしたんだ! ユーリは赤ちゃんを産む準備の為に胸が膨らみかけていて、突き飛ばされて痛かったんだ。それに男の子に胸を触られて、恥ずかしくて突き飛ばしたに過ぎない。別にグレゴリウスを池に突き落とそうとしたんじゃないよ』


『グレゴリウスだって、ユーリの胸が膨らんでるとは知らなかったんだ。それで、驚いていた所を突き飛ばされたから、池に落っこちたんだ』


 ユーリが皇太孫殿下を真冬の池に突き落としたと聞いて、腹を立てていたマキシウスは、赤ちゃんを産む準備、胸が膨らみかけた、と聞いて撃沈した。


『私の手に余る……モガーナがいてくれたら良いのだが……』


 女性としての成長について語り聞かせるのは、無骨な自分には無理だと、ユングフラウの後見人である王妃様か、妹のシャルロット、もしくは姪のマリアンヌに任せようと思った。


 こうして、グレゴリウスは祖父であるアルフォンス国王に徹底的に叱責された上に、リューデンハイムの校長から罰掃除も命じられた。


 ユーリは王妃様、シャルロット大叔母様、マリアンヌ叔母様から、懇々と令嬢の嗜みについて諭された。


 傍目から見ると喧嘩両成敗の筈なのに、真冬の池に突き落とされた皇太孫殿下だけが罰を受けたように見えて、不思議に思う生徒も多かった。しかし、ユーリは折に触れて何ヶ月もお小言を貰う自分の方が、大変な罰を受けたと内心で愚痴っていた。


『グレゴリウスなんて、大嫌い!』王妃様や、他の人達にお小言を貰う度に、ユーリはその切っ掛けになったグレゴリウスを罵倒する。



 一方のグレゴリウスはお祖父様から耳から火を噴きそうなほど、厳しく叱責されたが、その通りだと猛反省した。


『いつの間にか、私の方が背が高くなっていた。それに腕力も無いユーリになんてことをしたんだろう。それにユーリも子供じゃない! 令嬢に暴力なんて、絶対に振るってはいけないんだ!』


 恋の都ユングフラウの皇太孫殿下は、それに相応しい恋に一途な殿下だった。


『ユーリ! 大好きだ!』


 アラミスがホッとしたことに、グレゴリウスは二度とユーリに喧嘩を売ったりしなかった。


『やっと反省したんだね』


 アラミスはグレゴリウスを褒めた。しかし、グレゴリウスはユーリが誰某に優しいとか、今日もフンとソッポを向かれたと、アラミスに切ない気持ちを打ち明ける。


『イリス~! ユーリにグレゴリウスに親切にして貰えないかなぁ』


 アラミスは好きだし、グレゴリウスもユーリに意地悪をしなくなって嫌いじゃないが、イリスは首を横に振る。


『なんだか他の竜に聞いたけど、人間は同じ相手と交尾するんだってさ。だから、ユーリが本当に好きな相手としか交尾させないよ』


 頓珍漢な恋愛感だが、イリスは女性の絆の竜騎士を持つという意味を自分なりに考えるようになっていた。


『私はユーリの騎竜なんだから、ユーリを護らないといけないんだ。そう、グレゴリウスからも護らなきゃ』


 元々、イリスの嫉妬深さに困っている竜達は、張り切らないで欲しいと溜め息をついた。

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