13話 マウリッツ老公爵

 レオポルド・フォン・マウリッツは最愛の娘ロザリモンドが亡くなったと知った時から、心を閉ざしてしまった。マウリッツ公爵の爵位は長年連れ添ったリリアナが亡くなった時に息子に譲りわたしていたが、老公爵として家内には強い影響力を持ち続けていた。しかし、この一年は悲しみに沈み、気難しさに拍車が掛かった老公爵に、全員が腫れ物に触るように気を使って暮らしている。


 特に、今年はフィリップ皇太子の葬儀もあり、花の都ユングフラウも悲しみに沈んでいたので、マウリッツ公爵家も華やかなパーティなどは控えていた。暗い雰囲気の中で、唯一、明るいニュースは皇太孫が竜騎士であり、王位継承者として何の問題もないということだ。


 マウリッツ公爵夫妻は息子のフランツから、リューデンハイムに皇太孫と共にロザリモンドの娘ユーリが入学したと聞いていた。


「リュミエール、私はユーリに会いたいわ。ウィリアムの娘なのですもの」


 愛しい妻マリアンヌに言われるまでもなく、マウリッツ公爵は姪のユーリに会いたいと願っていた。


「マリアンヌ、我が家でウィリアム卿の名前を出してはいけないよ。父上が激怒なさるからね」


 マリアンヌはそうだったわと、自分の従兄のウィリアムの事をまだ義父上が許してないのだと溜め息をつく。


「フランツから、ユーリはロザリモンド姫とよく似た容姿だと聞いたわ。母親を亡くしたユーリには、女手が必要なのに……」


 ウッと痛い所を突かれて、シスコンのリュミエールは黙る。


『最愛の姉上にそっくりのユーリ! 会いたいに決まっているだろう! マリアンヌにとっては従兄の娘にすぎないが、私の姪なのだぞ』


 老公爵と同じく金髪に緑色の瞳という、マウリッツ公爵家に先祖代々受け継がれている容姿のリュミエールは、ともすれば冷たい印象を与えるが、心の中は身内への愛情が熱い。それは老公爵から、リュミエールに、そして長男のユージーンにも容姿と共に遺伝したものだ。


 マリアンヌから茶色い瞳を受け継いだ次男坊のフランツは、明るい人懐っこい性質で、ユーリと友達になっているようだと、羨ましさに溜め息をつく。


 公爵夫妻はユーリに会いたいと願いながらも、老公爵を気遣って自分達の欲求を抑えていた。




 マウリッツ公爵家の人々は、夏を避暑地のストレーゼンで過ごした。しかし、皇太孫と仲良く遊ぶフランツ以外は、食欲不振な老公爵を心配して、折角の夏休みなのに楽しむどころではない。


「夏バテなだけだ……」


 医者を呼ぼうとしたリュミエールは、きっぱりと拒否されて困惑する。母上が亡くなる時に、父上の面倒を見るようにと遺言されていたし、元々親孝行なので、つつくだけで殆ど食べ物を口にしないのが心配でならない。



 案の定、身体を弱らせた老公爵は、秋から体調を崩すようになった。ユングフラウに帰ってからも、風邪をひいたまま起きたり寝たりの日々が続いた。


 見習い竜騎士のユージーンは、外務省での実習が忙しく、竜でそれこそ飛び回っているので、老公爵の相手は公爵夫妻かフランツがしている。リューデンハイムは予科生の外泊は認められないが、フランツは土日はなるべく屋敷に帰って、父上の負担を軽くしていた。


 老公爵は、ユージーン、フランツと竜騎士の素質に恵まれた孫を与えてくれた嫁のマリアンヌには感謝しているが、どうにも乙女チックな本をベッドサイドで読まれるのは我慢できないのだ。


 自然と、気晴らしの相手はリュミエールとフランツになる。体調の良い時は、リュミエールには広大な公爵領の管理や、筆頭公爵としての心構えなどを言い聞かせて過ごす。


『父上も大変だなぁ……』フランツは、父上がよく我慢していると感心する。


 フランツやユージーンにとって、老公爵は厳しい祖父だった。まだその厳しい態度に隠された、自分達への愛情や誇りには、11才なので気づけない。


 リュミエールは本を読みますと交代してくれたフランツに感謝したが、父上から長々と話を聞くのをさほど苦にしてはいなかった。子供を持って、どれほど愛しく思うかリュミエールは実感していたので、素っ気ない父上が自分や息子達に愛情を持っているのを理解していたからだ。フランツが父上の相手をしてくれている間に、公爵領の管理の書類を片付ける。




 どうにか秋は老公爵は過ごしたが、冬になると風邪から肺炎を併発してしまった。


「もう、年齢も年齢ですし……」


 呼び寄せた医者に薬や手当てをして貰ったが、本人に生きる意欲が無いのが一番の原因だと全員がわかっていた。


 フランツはこの閉塞感が我慢できなかった。ソッと老公爵の眠っているベッドの横に座る。


「お祖父様、このままユーリに会わなくて良いのですか? 本当は、会いたくて仕方が無いのではありませんか? ユーリは肖像画で見るロザリモンド伯母上にそっくりですよ。まぁ、それをいうなら、マウリッツ公爵家の容姿を引き継いでいるのですがね」


 老公爵は自分の前で、禁句になっているロザリモンドやユーリの名前を出したフランツに腹を立てた。


「出ていけ……」とフランツを追い払ったが、熱に苦しむ頭には愛しいロザリモンドと、その容姿を受け継いだユーリが住み着いてしまった。


『ユーリ! 私の孫娘のユーリ!』


 ロザリモンドが亡くなってから、生きる気力を亡くしていた老公爵だが、ユーリに会ってみたいと欲望が目覚めた。


『ロザリモンドの娘に会うまでは、死ぬわけにはいかない!』


 老公爵は見放した医者が、驚くほどの回復をみせた。まだ全快とは言えないが、老公爵はベッドから起き上がると、リュミエールを呼んだ。


「ロザリモンドの娘、ユーリに会いたい。孫娘に会うまでは、死ぬわけにはいかないのだ」


 リュミエールは、父上が何故生きる意欲を取り戻したのか理解した。


「承知しました」と老公爵の前から辞したが、どうユーリを招待したら良いのかと頭を悩ませる。


『両親を亡くした時に、引き取ったら良かったのだ!』リュミエールは姉上の死を聞いた時に、父上にそう進言したかったが、余りに落ち込んでいたので自制してしまったのを後悔する。


『法律上はユーリ・フォン・マウリッツでもおかしくない筈だ』


 姉上の娘であるユーリを招待する為に、その保護者であるアリスト卿に許可を得る手紙を書きながら、公爵は不満をつのらせる。


『ユーリ・フォン・フォレストだなんて……』 


 それと同時に、ユーリの正式の保護者であるモガーナ・フォン・フォレストが、因縁ある父上との面会を拒否させるのではと怖れた。


「その時は、フランツに説得して貰うしかないか……」


 公爵はあれこれと悩みながら、ユーリからの返事を待つ。




 ユーリはフランツからお祖父様が病気だと聞いて、心配はしていたが、パパのことを許していないので、お見舞いは諦めていた。


「マウリッツ公爵家のお祖父様は、ママのことを大事にしていたから、駆け落ちしたのが許せないのね……私のことも……」


 ユーリは自分の存在も認めたく無いのだろうと、乙女チックな部屋で溜め息をついた。リューデンハイムの女子寮にはユーリしかいないので、土日は外泊は出来なくても、フォン・アリスト家の屋敷で過ごすのが習慣になっている。


「ユーリ様、御主人様が書斎にお呼びですよ」


 メアリーに何のご用事かしら? と尋ねてみるが、知らないと急かされる。


『何か叱られることがあったかしら……武術の成績? それとも皇太孫殿下と喧嘩したことかしら?』 


 書斎に呼ばれる時はお説教だと決めつけて、あれこれ思い当たる事を考えながらノックする。


「かけなさい、ユーリ……」


 珍しくお説教では無さそうだと訝しく思いながら、口をなかなか開かないお祖父様を見つめる。マキシウスはマウリッツ公爵から、老公爵がユーリと会いたがっていると書かれた手紙を受け取り、どうしたら良いものかと悩んでいた。


『老公爵は肺炎になり、亡くなる前にユーリに会いたいと思ったそうだが……モガーナはマウリッツ公爵家とは関わらせたく無いだろうな……』


 フォン・フォレスト家とマウリッツ公爵家は絶縁しても何の影響も無いが、フォン・アリスト家はマウリッツ公爵家と親戚になる。姪のマリアンヌはマウリッツ公爵夫人なので、マキシウスはモガーナとの板挟みになってしまった。


 こうなったら本人に手紙を渡すしかないと、マウリッツ公爵から同封されていたユーリ宛ての手紙を差し出した。


「これを読んで、お前が考えて行動しなさい」


 マキシウスも、老公爵とは息子のウィリアムの件でわだかまりを感じていた。マウリッツ公爵家が駆け落ちを認めて二人の結婚を許せば、ウィリアムは竜騎士となれたのでは……竜に乗っていれば戦死などしなかったのでは……マキシウスは亡くしたウィリアムのことを考えると、胸の中に後悔の嵐が吹き荒れる。


『モガーナのようにあの子達を認めてやれば良かったのに……私は竜騎士の誓いに背いた事を怒ってばかりだった』


 短い手紙を読み終えたユーリは、黙ったままのマキシウスに質問する。


「お祖父様、私はマウリッツのお祖父様のお見舞いに行きたいと思うけど、お祖母様は嫌がられるかしら?」


 嫌がるどころか、手紙を渡した自分を怒鳴り付けると思ったが、立場が違うのだから反対するだろうとのみ伝える。


「私はお祖母様が大好きなの……でも、ママの父親になるお祖父様にも会わなくてはいけないと思うの。まして、病気で死にかけたのですもの、お見舞いに行かないとママが悲しむわ」


 厳格な態度を崩さずにいたが、マキシウスはモガーナに殺されるかもとゾクッとした。ウィリアムの娘であるユーリを認めず、同じユングフラウに住みながら会おうとしなかった老公爵の見舞いに行くと言うのに驚いた。


「そうか、お前がそう考えたのなら、お見舞いに行くといい」


 執事にお見舞いへ向かう馬車を用意させながら、マキシウスはユーリが不快な目に遭わなければ良いがと心配する。     



 初めて訪れたマウリッツ公爵家の屋敷を見て、ユーリはおとぎの国に迷い込んだのではと目を疑った。


『フランツが嘆く筈だわ……この趣味はシャルロット大祖母様と同じね』


 執事に通されたサロンで、叔父夫婦であるマウリッツ公爵夫妻に初めて会った。


「初めましてユーリ! 私が叔父のリュミエールだ。そして、こちらが妻のマリアンヌ」


 ユージーンそっくりの公爵と、かなりレースがたっぷりついたドレスを着た公爵夫人に、ユーリも初めましてと挨拶を交わした。


「ゆっくりと話したいが、父上が待っているから。ああ、ユーリ! 君は姉上にそっくりだね」


 ユーリは豪華な屋敷の中を老公爵の部屋まで案内して貰いながら、ママは此処で暮らしていたのねと感慨に耽る。


「父上、ユーリがお見舞いに来てくれましたよ」


 老公爵はユーリが訪ねて来るからと、ベッドから起きて長椅子に座って待っていた。


 部屋に入って来たユーリを見た瞬間、同じ年頃のロザリモンドがパッと蘇った。


「お祖父様、初めまして。体調はもう、宜しいのですか?」


 話す声も愛しいロザリモンドと同じ澄んだ柔らかな声で、老公爵は涙が溢れそうになる。


「リュミエール、マリアンヌ、悪いがユーリと二人っきりにして欲しい」


 公爵夫妻が部屋から出ると、ユーリを此方にと呼び寄せる。ロザリモンドの幻ではないかと疑いたくなる程似ているユーリの手を握って、老公爵は心から謝罪をする。


「ユーリ……私を許しておくれ」


 ユーリは年寄りには弱かったし、お祖父様が権高に振る舞ったら反発しただろうが、病を患っているのに邪険にはできなかった。


「お祖父様、何も私に謝る必要は無いわ。ヒースヒルでとても幸せだったんですもの」


 老公爵は自分の頑な態度のせいで、ロザリモンドと孫娘のユーリに貧しい生活をさせたと後悔していたのだが、どうやら本人は気にしていないようだと驚く。


「此処に掛けて、ロザリモンドの話をしてくれ」


 ユーリはパパの話は聞きたく無いのだと少し傷ついたが、会って直ぐにお祖父様の考えを変える訳にはいかないと諦めて、ママの思い出を話した。



 サロンでは公爵夫妻とユージーンとフランツが、老公爵とユーリが何を話しているのかと心配しながら待っていた。


「フランツ、ようすを見ていらっしゃいな」


 公爵夫妻とユージーンは、呑気そうに本を読んでいるフランツに少し苛立っていた。


「ええっ? お祖父様は二人っきりで話したいと母上を追い出したのでしょ。私がのこのこ顔を出したら、怒られるだけですよ」


 ユージーンは相変わらず言いたい放題のフランツに呆れた。


「でも、もうすぐお茶の時間だわ……お義父様の部屋にお茶を用意させるか、私達とサロンで飲むのか、様子がわからないと困るわ」


 公爵はマリアンヌがお茶の支度をする訳でも無いのにと苦笑する。


「まぁ、マリアンヌ、父上も初めて孫娘に会ったのだから、今日のところは好きにさせてあげなさい。これからはユーリを屋敷に招待できるのだからね」


「まぁ! なら、ユーリにドレスを作らなきゃ! まだ子供だから、お茶会ぐらいしかできないけど、リューデンハイムの制服では味気ないわ」


 父上は母上の扱い方が上手いと、ユージーンとフランツは思ったが、着せ替え人形が決定したユーリに同情もする。




 その日以降、ユーリはしばしばマウリッツ公爵家を訪問するようになった。老公爵はフォン・フォレストという名前では、良い縁談の妨げになると、ユーリを養女にするようにリュミエールに言った。


 マリアンヌは女の子が欲しいと前から熱望していたので、老公爵の意見に大賛成だし、シスコンのリュミエールも乗り気だった。


「へぇ~、ユーリが妹になるのか」


 フランツは可愛い妹が増えたら、この屋敷も賑やかになると歓迎していた。



「何だって! 断られたのか?」


 屋敷を留守がちにしていたユージーンも、両親がユーリを養女にする件は聞いていた。将来、マウリッツ公爵家を継ぐユージーンには、一人面倒を見なければいけない家族が増えるのだが、老公爵と両親がそれで良いのなら反対はしなかった。


「し~っ! 母上はまだ諦めてないから……お祖父様は落ち込むし、父上はご機嫌が悪いんだよ」


「フォン・フォレスト家が断ったのか? それともフォン・アリスト家が?」


 ユージーンは夢を見ている祖父と両親には言わなかったが、ユーリは両家の跡取りだから養女には出さないだろうと思っていた。


「いや、両家が断ったのなら、あのお祖父様や父上が黙っていないよ。法律家を総動員して、ユーリをマウリッツ公爵家に迎えるだろう。でも、ユーリ本人が断ったんだ」


 ユージーンは意味が理解できない。


「ユーリは馬鹿なのか? マウリッツ公爵家の養女になれば、贅沢も思うがままだろうに……」


 自慢ではなく事実としてユージーンが言っているのが、同じ家で育ったフランツにもわかる。


「まぁ、そこがユーリの面白いところなんだけどね。お祖父様の前でフォン・フォレストのお祖母様を独りに出来ないからと、きっぱりと断ったんだ」


 老公爵はユーリを溺愛していたが、まだウィリアム・フォン・フォレストを許していない。


「お祖父様の前でフォン・フォレストの魔女を選んだのか! なら、ユーリは出入り禁止に逆戻りだな」


「ユージーン、まだまだ読みが甘いよ~。お祖父様は欲の無いユーリにめろめろさ~。父上は伯母上が亡くなった時に引き取らなかったのを後悔して機嫌が悪いんだ。私は今夜はお祖母様の実家に退避しようかな?」


 自分だけ逃げようとするフランツにゴツンと拳を落として、ユージーンは溜め息をついた。 

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