閑話 防がれた『本能寺の変』と、その手立て。

 史実では『本能寺の変』があり、天正10(1582)年6月2日早朝、京都の本能寺に滞在中の織田信長を、家臣である明智光秀が突如、謀反を起こして襲撃したのであるが、この世界では起きなかったし防がれた。


 俺は畿内及び京の都の統治を三好義継殿に任せ、それなりの三好家の軍勢を京に保留した。

 次に明智光秀だけでなく、羽柴秀吉、柴田勝家など織田の主力武将には、直属の兵力を制限したうえで、少兵力の与力達をその都度固定せずに付け、常に連合部隊であり、家臣ではないことを明確となるようにした。

 それから、信長公の馬廻りには、500名ずつの配下を付け、総勢6,000名を常に警護として付けた。

 信長公には怪訝な顔をされたが、必ず思いもよらない裏切り者が出る。それを防ぐ術を持たないでいれば、天下統一などできないと説得した。

 儂にもしものことあれば、疾風が後を引き継げば良いではないかと言われたが、そんな面倒なことは絶対に嫌だし、俺一人では謀反を起こす人間を育てるだけだと拒否しておいた。



 本能寺の変が起きてしまったのには、諸条件がある。俺はそれを一つ一つを潰した。

 まず、信長殿の京の常宿を本能寺にしないこと。それで仙洞御所に北面の武士を置き、信長殿の居城とした。

 二つ目は、有力家臣達に一定以上の武力を与えず、また常に軍団の構成を組み換えた。

 たとえ軍団長が謀反でも、それに応じない者達を混じえたのである。

 三つ目は、信長殿の後継の信忠殿を信長殿が倒されても、独自の武力で反乱を討伐できる軍事力を常に持たせたことである。これは反乱の抑止力にもなる。

 四つ目は、京の治安を三好義継殿に任せたことだ。それは民のためだけではない。

 たとえ、織田の軍勢であっても、京の中に入る際には監視の軍勢を常に付けさせることとしたのだ。



 本能寺の変の黒幕説は多々あるが、その一つは、公家の謀略説である。

 いわゆる五摂関家などは帝の権威を借りて自家の利益を図ってきた特権の家柄である。

 自分達を超える権威を持とうとしている信長公を放置できないと考えるのはごく自然のことだ。

 ましてや俺は、公家の稼業を継ぐことは認めているが、個人の能力なしには貴族の位を与えぬと明言している。

 新政の中心に関わっているとは言え、九条家だってその真意はわからない。俺達が全国統治を成し遂げたあとの自分達の特権を守ろうとするに違いない。

 それは歴史が示している。


 方法は、大名の対立と謀反。力のある家臣を朝廷に引き寄せ、謀反又は謀反の恐れ有りと離反させること。

 かつての源義経、足利直義の如く。


 公家達は一人では事を起こさない。事後の覇権を図るには味方が必要だからだ。

 俺は上皇と帝の護衛を甲賀者に任せたが、公卿達の見張りには伊賀者を配して、公卿達の接触及び屋敷の出入りの人間を監視させた。

 それだけではなく、各武将には公認の伊賀者を軍監として付けた。常に自由に各武将の傍で見聞きすることが役目として。

 もし、一日たりとも軍監から連絡が途絶えれば、謀反と判断し直ちに討伐軍を向けるとも断言した。


「藤阿弥殿、それは我らを信用できないと言うことでござるか。」


「柴田殿、謀反と言うものは信用している者が起こすものだということを御存知ないか。

 信用していない者が起こすのは反乱と申します。」


「それはどういうことでござるか。」


「柴田殿は、家臣の足軽まで全員を信用できるのですか、例え柴田殿に裏切る気が無くとも、柴田殿を殺して柴田殿に成り代わる者がいたら、どうなりましょう。」


「そんなことをすれば、すぐに信長公に謀反として討伐されるわい。」


「そのとおりです。ですから柴田殿を討った者は殺される前に、信長公を殺してしまえとなる訳ですよ。違いますか。」


「羽柴殿、自分には関係ないと思われてはいませんか。」


「儂のところは、信用できる身内ばかりじゃけ、皆、信長様への忠義に疑いなどにゃあよ。」


「羽柴殿一人が討たれることはありますまい。しかし、弟の秀長殿、蜂須賀殿あたりが一緒に殺害されたらどうなりましょうか。

 考えてもおりませぬか。三人を殺めるほどの者は、家中乗っとりの段取りくらいは付けていましょう。」


「 · · · ·  ·  。」


「皆様は勘違いされております。謀反というものは、信用している者が或いはその身近にいる者が起こすものだということを、肝に命じておいてください。

 そして皆様は、織田家が尾張下四郡の奉行だった頃とは違います。織田家の家臣でありながら嘗ての大名程の力を持つ者なのです。

 既に大きな軍事力を持ち、その軍事力を主君に向けぬ責務があります。

 その備えに何をしておられますか。何もできないのであれば、ただ戦するだけの足軽大将に戻っていただかねばなりませぬ。

 謀反を防ぐ術のない者に大名は任せられませぬから。」


「藤阿弥の申すこと、理解したか。不満に思う程偉くなった者がおれば、今すぐ足軽に戻してやるがどうじゃ。」




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 さて、そんな防備をしても、史実の要因は消えなかった。狙われたのは、やはり明智光秀だった。元将軍家の直臣であり、将軍足利義昭の力のなさと策謀ばかりに嫌気がさして幕臣を辞去したが、征夷大将軍が治める治世が常識という概念を捨て切れないでいた。

 そんな光秀に悪魔のささやきがなされる。曰く『信長は幕府に謀反起こした大罪人である。』『朝廷の一部公家を取り込み、将軍を罷免した張本人である。』『そんな謀反人をこのまま生かしておいて良いのか。』


 真面目な気質の光秀は、そんな悪魔のささやきに心を揺らしてしまう。

 だが、信長公を殺める手立てがなかった。自身の兵力だけでは信長公の馬廻りに退けられてしまうだろう。

 奇襲も難しい、暗殺も失敗する可能性が高い。



 そうこうしている内に、伊賀の軍監に覚られた。そしてハヤテに詰問を受けている。


「光秀殿、謀反をお考えでしたか。

 もし、謀反を成功させたとして、何が得られましょうか。」


「真当な秩序でござる。世の決まりでありますれば、致し方なく。」


「その秩序は守られ続けますのか、その秩序の下では戦乱がなく、民が平穏に暮らせましょうか。」


「それは、わからぬ。しかし、将軍家を廃するなど正義ではない。畏き辺りのお方も信長公のなさり様に危惧されていると聞いた。」


「光秀殿、貴殿は何者です。将軍を守護する者ですか。自分の力だけで信長公を倒せる力を持てたと思われているのですか。

 貴殿は信長公に仕え、信長公の為すことに貢献され出世なされたのではありませぬか。

 貴殿に信長公の為すことを阻む資格がありましょうか。  

 ましてやいつから、正義の者など名乗れるお方になりましたのか。

 貴殿は、ご自分で幕臣を辞去されたではありませぬか。それは間違いでしたか。

 それとも最初から信長公を裏切るために、その力を蓄えるためになされたことでございましたか。」


「 · · · 、わからぬ、儂には信じられる主がおらぬ。」


「分かりました。貴殿は民を蔑ろにする我らの敵です。帝の志しを確かめもせず、信長公を信じる家臣でもない。 

 戦国の世を終わらせる意思のない戦国の武士にしか過ぎないと自覚なされ。」


 そう告げ、配下の伊賀者の吹き矢の毒で、光秀を殺めた。表向きは病死だ。

 光秀を誑かした者は、足利幕府の幕臣か、覇権を得ようする公家か、権益を失いたくない坊主のたぐいであろう。

 人の心の弱みにつけ込む悪辣な企みを俺は決して許さない。必ず暴き出して報いを受けさせる。


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